38.占い師の羨望
「叔父さま!」
叫ぶミリエラの腕を、ノエルが引き寄せた。
その手に光る短剣が握られているのを、二人の騎士の目が見留めた。剣を構える二人に押し止められて、レオンも彼らの後ろで立ち止まる。
少し遅れて、アンもレオンの横に並んだ。
「どうしてここが……?」
ノエルが呆然とした表情のまま呟いた。しかし左手に抱えたミリエラはしっかり捕まえたままだ。
セルジュは隣の先輩騎士をチラリと見るが、彼は前方を見ながら首を振った。今踏み込むのは得策ではないという判断である。
ノエルの呟きに反応したのはアンだった。
「ノエル。あなたの事も、あなたのボスの事ももう既にバレてるのよ!」
「は……?」
「後ろにサルーディン皇国がいるのもね!」
セルジュ達は剣を構えた姿のまま、後ろのアンに一瞬驚きの視線を向けた。
ノエルの顔が歪み、「嘘だ」と息を吐くように唱える。
「あなたは一体誰なんです」
「あら、ターゲットの顔も知らなかったの?私がアン……、ジュレディンベル男爵家の娘よ!」
「あなたが……」
ノエルは上から下までアンを品定めするように眺める。
「言っておくけど、あなた達がサーカス一座を装ったスパイだってことも分かってるし、ウチを懐柔しようと企んでたのも全部バレてるんだからね!」
騎士達はノエルの動きを見逃すまいと構えながらも、ときおりアンの方を盗み見る。彼女はノエルを睨みつけながら続けた。
「どうしてここを知ってるかって?それはね、私の父が前からあなた達のサーカス一座に目をつけてたからよ!そもそも父はサルーディン皇国の事も疑っていて色々と調べてたところだったの!」
途中から目が泳ぎだし早口になるアンを見てレオンは思う。これはノエルに向けた辻褄合わせの嘘だ。
騎士たちはアンの言葉一つ一つへのノエルの反応を見ていた。大きな隙が出来ればと構えているが、なかなかチャンスが来ない。
「じゃあ僕がした事は無駄だったってことか」
「そうね。裏付けが取れたら遅かれ早かれサーカス一座はお尋ね者になってたわ」
アンがノエルに抱えられているミリエラに視線を移す。ノエルの短剣はミリエラに向けられていないが油断は出来ない。
ノエルはミリエラに体重をかけるようにかぶさりながら呟いた。
「ジュレディンベル男爵はとても優秀なお方なんだな。疑われてるなんてボスも全然気がついてなかったと思うよ」
「う、うちの父は目先が利く凄い人なのよ。娘が誘拐されたって他国に懐柔されるような人でもないしね!」
「そっか」
ノエルは騎士二人の顔とアンの顔を順番に見て、最後にレオンの顔を眺めた。レオンは先程からミリエラの事しか見ていない。
「あんたがミリエラの叔父さんか。覚えてないけど会ったことあったかな?」
「……昔ミリエラと一緒にサーカスを観に行ったから、僕は君の事覚えてるよ。あの頃は女の子だとばかり思ってたけど」
ノエルはフッと笑った。瞳だけはレオンを睨んでいる。
「叔父さん、僕はね。あんたのことが羨ましくて仕方ない」
「どういう事だ?」
「僕だってミリエラの一番になりたかった」
抱えていたミリエラの身体を離し、ノエルは片腕で押し出した。
大きく前にグラついたミリエラが数歩よろめいて膝をつく。
「セルジュ!」
「分かってる!」
ミリエラが前のめりになった瞬間、セルジュは脇目もふらずノエルに向かって走っていた。
手にした短剣をミリエラでなく自分の胸に向けるノエル。
両手で持つ短剣を大きく振りかぶった彼に、セルジュが体当たりした。
「っぐ」
くぐもった声を漏らしてノエルが後ろに大きく飛ばされた。
小柄なセルジュだがなめし革の鎧のおかげでそこそこの重さがある。その身体でノエルを弾き飛ばし、倒れた彼の上に馬乗りになった。
「全てバレてるのに、お前は自殺してまで何を守ろうというんだ!」
剣を向けながらセルジュが叫ぶ。
「どれだけ恩義があるのか知らんが、お前の組織は悪事を働いているんだぞ!そんなものの為に自殺なんかしてどうする!」
「恩義なんてないさ」
ゲホッと咳き込んだ後に、苦しげな息でノエルは吐き捨てた。
「組織も潰れて捕まって、おまけにミリエラとはもう友達に戻れない。この先僕に何が残るっていうんだ」
「ヤケを起こすな!」
ノエルの長い指が何かを探すように床を這う。それを見た先輩騎士のオルコットが、落ちている短剣を素早く遠くへ蹴り飛ばした。
オルコットは腰にかけていた縛り縄をほどきながらノエルに声をかける。
「舌を噛んでも俺たちが助けるから死ねないぞ」
縄を広げたオルコットはセルジュに指示し、二人がかりでノエルの身体に縄をかける。その頃にはノエルに抗う意志は残っていないようだった。
起こされて身体を縛られたノエルは黙って俯いていた。黒く長い前髪が彼の顔を隠して表情は見えない。その姿に騎士達はもう声をかけることはなかった。
レオンは突き飛ばされたミリエラに駆け寄った。
彼は膝をついたミリエラの身体を抱え込む。自分を包むのがレオンだと気づいたミリエラは、こみ上げる感情のままレオンにしがみついた。
「ミリエラ、怪我はないか?」
「叔父さまごめんなさい。ごめんなさい、私……」
レオンの肩口に顔を埋めるミリエラが震えている。
彼女の頭を大事そうに抱えて、レオンはミリエラを腕の中に収めた。その背中を柔らかく叩きながら落ち着くのを待つ。
ミリエラの震えが収まった頃、レオンはホッと息をついた。
「無事で良かった」
柔らかな髪を指ですいて、撫でる。
レオンにしがみついていたミリエラはその手の感触に心が凪いでいった。
そうして落ち着いた時、自分が彼の胸に頬を押し付ける格好なのに気が付く。
急に顔に熱が上がったミリエラは両腕でレオンから離れようとした。しかしレオンの腕がそれを許さない。
「叔父さま、その……」
「何?」
「あの、離してください。私もう大丈夫だから……」
見えないが周りには騎士やアン、それにノエルがいるはず。
ミリエラが恥ずかしさにもぞもぞと動き出すと、レオンが姿勢を変えて抱きしめ直した。レオンの赤毛の頭がミリエラの肩に沈み彼女の視界が開ける。
「嫌だ。離さない」
更に強く抱きとめられて身動きが取れない。いつも優しく触れるレオンとは思えない力強さだった。
ミリエラが真っ赤な顔を上げると、こちらを見るアンの翠の瞳と視線がぶつかった。アンも紅潮した頬を上げてくしゃりと微笑む。
そんなアンはレオンの背中をチラリと見て、やれやれといった風に苦笑した。




