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34.占い師の出生

 一番はじめの記憶は、すえた臭いの立ち込める暗い路地裏だ。自分と同じような子ばかりがたむろしていた場所にいたので、親という概念すらなかった。

 けれど、化粧のきつい女に拾われてその生活はすぐに終わった。




 かわりに始まったのは、鞭と飯に支配される生活。

 女に連れてこられたのは、サーカスの一座だった。引き渡された時に、ノエルという名をつけられた。

 ノエルは年上の少年少女と一緒に、踊り子として仕込まれた。鞭は傷の軽さに比べて痛みがきつい。しょっちゅう打たれることはないが、一度味わうだけでもその痛みは心に刻まれる。それは子どもたちに言うことを聞かせるのに効果てきめんだった。

 また、飯は心をくじくための道具だった。

 叱る代わりに飯を抜かれる、年上の者が下の者をいじめるために飯を横取りする。とにかく飯を食うこと、鞭に打たれないことだけを考える生活が続いた。

 思いつめ、脱走することも考えた。そんな時に限って座長や大人たちは温かな手を差し伸べる。揺り動かされる心は、ここにしか居場所がないと思わせた。


 そのうちにノエルは気づく。自分は身軽で踊りが得意なこと、それ以上に踊りがとても好きなことを。

 あいつよりこいつより、僕の方が上手く踊れる。

 その思いは、ノエルに初めて自尊心を抱かせた。僕は踊りなら誰にも負けない。誰も褒めてくれないけど、絶対に一番なんだ。




 ある時、裕福な街での公演があった。

 その頃にはノエルも年齢があがり、踊り子の中では中堅といえた。いじめられることもなくなり、余裕は踊りにも表れていた。いまだに扱いはひどかったが、それはもう日常だった。

 客席には金持ちであろう親子たち。この頃には親の意味も知ったし、自分の親は座長だと教えられてもいた。きっと自分にとっての親と、客席の子らにとっての親は意味が違うんだろうけど。

 だから公演が終わった時。ノエルは獣の檻を覗いている金持ちそうな少女を見つけ、からかってやろうとその背中を押した。


 振り返った少女は、お姫様だった。

 ふわふわした髪に、上品な顔立ち。なんの苦労も知らなさそうな少女。踊り子のきらびやかさとも違い、サーカスに出入りする紅を引いた女達の色気とも違う。清純な美しさのお姫様だった。




「あなたの踊りが一番素敵でしたわ!」


 一番ほしい言葉をくれたのがミリエラだった。

 ノエルの、金持ちらしき少女への嫉妬や嫌悪が一気に吹っ飛んだ瞬間だった。この娘はノエルがどれだけ苦労して生きてきたのか、知らないだろう。平民に気まぐれに興味を抱いただけなのだろう。

 それでも良かった。彼女が、天使にも見えた。


 この先きっと、このお姫様と自分の人生は交わらない。

 だけどミリエラの心に一番の踊り子として残るなら、これまでの人生が報われる気がする。

 ノエルは彼女に自分を覚えていてほしくて、腕飾りを贈った。

 数日後に装飾品を無くした罰で久しぶりに鞭で打たれたが、そんな事は大したことじゃなかった。

 代わりに今の自分には、ミリエラからもらったハンカチがあるのだから。彼女のくれたハンカチとあの言葉があれば、きっと大丈夫だと思えた。




 サーカス団が、旅芸人の皮を被った諜報機関だと知ったのは、それから数年経ってからだった。

 すでに踊り子としての旬を過ぎ、次の生き方を学ぶ時期。大きくなった子達はサーカス団の実態を知らされ、厳しく諜報員のイロハを叩き込まれた。

 その中でノエルは身軽さや頭の良さを買われて、個人で動くように指示され教育された。どの街にも潜入しやすいよう、占い師のノウハウも学んだ。

 ここまで育てられた恩義もあるし、逆らえばどうなるかという恐怖もある。ノエルは他の子と同じように、自分の人生を受け入れた。


 そして成長したノエルは占い師として流浪の生活をしながら、細かい情報集めを一年行った。それは敵国のスキャンダルであったり弱味を探る事がほとんどで、間接的に誰かを不幸にする仕事でしかなかった。


 誰も傷つけずに生きようなんて、恵まれた人間の戯言だ。

 自分の意思だけで正しい道を歩けるのなら、自分だってそうしてた。けれど自分はとても弱く、一人でどこかへ逃げるなんて考えられなかった。一人で生き抜く自信なんて持てなかった。











「ノエル、大丈夫?」


 思考の海に沈みかけていた脳に、ミリエラの声が届いた。

 家には鍵をかけ、床板を外して行ける地下の小部屋に二人はいる。乱暴にはしたくないという言葉通り、拘束はされていなかった。


「ああ、ちょっとボーッとしてた」

「雨にかなり濡れたのだから、せめて拭いたほうがいいわ」

「ミリエラは優しいね」


 ずっと疲れた顔のノエルは、口だけで笑った。


「このまま僕が倒れでもしたら、逃げ出せるかもしれないのに」

「それであなたが死んでしまったら私耐えられないわ」

「大丈夫だよ。僕はそんなにヤワじゃない」


 横並びに座り、ノエルはミリエラの髪を触った。昔と変わらないストロベリーブロンドの長い髪。


 ミリエラは警戒しているようだが、どういう態度を取ればいいのか決めかねてもいるようだった。

 このままノエルは、サーカス団と彼の繋がりを知るミリエラに手をかけるかもしれない。しかしノエルはなるべくなら穏便に終わらせたいように見える。


「これからどうするかは、ボスにうかがいを立ててる。多分明日の晩には連絡が来る」

「明日の、晩……」

「悪いけどそれまでは、ここにいてもらうね」


 ミリエラを置いて、ノエルは階段を上り地下室を出た。

 ボスはどう判断を下すだろう。

 この状況でミリエラを確保したのは、間違っていないだろう。ただこの先どうするかは上の判断任せになる。


 ファウルダース公爵令嬢という身分の彼女。人質として何らかの交渉材料とするという手もある。しかし高過ぎる地位にある公爵は、身内より国を重んじる可能性もある。

 下手を打てば、こちらに害が及ぶ事も考えなければならない。更に母国との繋がりが明らかになると、外交問題にもなりかねない。

 今ならまだ、サーカス団の存在は微塵もバレていない。このままノエルが姿を消せば、疑われても自分一人で済む。

 そうなるとミリエラは殺すか、遠方へ売り飛ばすか。







 誰も傷つけずに生きようなんて、恵まれた人間の戯言だ。

 だけどミリエラは自分にはじめて「一番」だと言ってくれた少女だ。ノエルという名前に、ノエルという人間に誇りをくれた人だ。


(そんな人まで傷つけないと、僕は生きていけないのか――)


 大事な人がすぐ近くにいる。それなのにノエルはもうその顔すらまともに見られなかった。







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