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30.叔父さまと先輩

 ミリエラが去ったベンチに座り、レオンは固まっていた。


 自分は冷静に話せていただろうか。緊張しつつ精一杯気持ちを伝えてきたミリエラを、傷つけはしなかったろうか。

 教師になり一年と少し。これまでも女生徒に手紙を貰ったり騒がれた事は幾度となくあった。それはレオンの目には、いわゆる『イケメンのアイドルに熱を上げている』ようなものに見えている。

 何しろ、自分は乙女ゲームの攻略対象キャラなのだ。

 女性にモテる前提の容姿なのだから、女生徒が寄ってくるのは当たり前。そう分かっていたからこそ、全て穏便にかつ素早く断ってきた。

 しかし今回はそれとは訳が違う。


 動けないレオンは、太陽が傾き始めるまで一人佇んでいた。




 西日が差し込む職員室には、すでに数えるほどしか教師が残っていなかった。

 おぼつかない足取りで自分の席を目指すレオンは、いくつかの机や椅子にぶつかりながら歩く。

 ガタガタと音を立てながら進んでいるレオンに、先輩教師が心配そうに近寄ってきた。


「大丈夫かい?」

「あぁ、すみません。大丈夫です」


 反射的に返したレオンだったが、はたと止まって目の前の男を見つめた。


「ベイル先生は、ご結婚されていますよね」

「うん。妻も子どももいるよ」


 ベイルは人好きのする笑顔を浮かべた。彼には愛する妻と五歳の娘がいて、それを生徒にも公言している。

 自らの赤毛に手をやったレオンは、ためらいがちにベイルに向き直る。しかし今の気持ちをどう話せばいいのか、それ以上言葉が出てこなかった。


「悩み事なら、聞くよ」

「あ、はい。いやでも……」

「無理に話せとは言わないけどね」


 キィ、と音を立てる椅子を引き寄せてベイルが腰を下ろす。彼はレオンにも座るように促した。

 もうすぐ夕暮れ。外からは部活動をする生徒の声が、不揃いな響きで聞こえてくる。

 レオンは不意に、自分の高校時代を思い出していた。友達と放課後、意味もなく教室に残って語り合ったりした事を。クラスの女子だと誰が好みだとか、知り合いの誰それに彼女が出来たらしいだとか。

 自分自身に彼女ができたことはない。好きな同級生はいたが、卒業まで結局告白する勇気が出なかった。


「ベイル先生は、奥さんとどうやって知り合ったんですか?」


 ボンヤリしたレオンの言葉にベイルは少し驚いた顔をした。


「私の妻は、もともと私の実家の屋敷で働く使用人でね。姉の侍女だったんだよ」

「そうなんですか」


 今度はレオンが驚く。転生前の高校時代に思いを馳せていたからか、使用人という言葉を上手く咀嚼するのに時間がかかった。


「私は伯爵家の三男で、親は私の結婚相手に特にこだわりはないようだった。それでも打ち明けたときには難色を示されたよ。妻の方は男爵家の四女でね。片付くならどこへなりと、といった具合で反対はなかった」


 愛妻家のベイルは話し慣れている話題なのか、淀みがない。


「妻は年齢の事と私の親の事を気にして、私の結婚の申し込みを三度も断ったんだよ」

「年齢?」

「彼女の方が、五つ年上だったんだ」


 いつの間にか、広い職員室には二人しか残っていない。外の生徒の声も大分少なくなっていた。


「でも好きだったからね。身分差も年の差も問題ではあるけれど、どうしても私は彼女と一生一緒にいたかったんだ。だから何度断られても諦めなかったよ」

「すごいですね」

「ねえ、レオン先生」


 ベイルは瞳に面白そうな色を浮かべていた。「お見通しだ」といった様子の彼の顔に、レオンはギクリと肩を上げる。


「私は障害に燃える恋を賛美する趣味はないけれど、もし愛する人がいるのなら障害のあるなし関係なく離しちゃいけないと思うよ」

「あの、まだその、恋とは……」

「うん?」

「恋というか、ですね。大事な人ではあるのですが、それが恋情というよりは親愛の情といいますか」

「なるほど。そういう相手に告白でもされたかい?」




 バッと情けない顔を上げたレオン。

 それをニヤリと見下ろすベイル。


「これまではそんな目で見てなかった相手を、急に意識せざるを得なくなったってところかな?」


 情けない表情のまま顔を伏せて、レオンは小さく頷いた。


「大事な人なら、しっかり考えることだ。そうだな、例えば……。もしその娘が自分の元から離れたら、その娘が他の男と結ばれるとしたらどう思うか」

「自分の元から離れたら……」

「寂しいのは当然だろうけど、それを祝福できるのか」


 まぶたの裏に浮かんだミリエラが誰かのものになるのを想像しようとするが、上手く行かない。


「あとは、彼女と一夜を共にできるか」

「はっ?!」

「うん?大事な事だろう」


 レオンがふるふると唇を震わせるが、ベイルは別段からかうでもなく鼻息を漏らす。


「私は恋をしてから、常に彼女に触れたいと思っていたよ。まぁ人の愛の形はそれだけでもないけども」


 いやらしさの欠片もない爽やかな口調に、少しホッとする。

 愛とか恋とか、その先とか。高校生の頃の夢想は非現実的だったし、正直漫画の題材としてしか考えてきた事がなかった。レオンはあらためてベイルの顔をまじまじと見つめると、ペコリと頭を下げる。


「ありがとうございます、ベイル先生」

「お役に立てたのなら何より」

「でもどうしてその、僕の悩みを見抜けたんです?」


 椅子から立ち上がり、ベイルはすでに帰り支度をしていた。首だけレオンに向けて面白そうにくっくっと笑う。


「妻との馴れ初めを聞いてくるのは、たいてい恋に悩んでいる生徒だからね。君もそうかなと思っただけだよ」

「そうですか……」


 ヒラリと手を振ってベイルは職員室を出ていった。

 暗に「学生並みに幼い」と言われた気がして、その後レオンは恥ずかしさの波に襲われたのだった。







 小さなランプの明かりだけつけて、レオンは文机に向かいイラストを描く。

 忙しい日々の中、絵や漫画を描く事はめっきり減っていた。しかし眠れない夜にはこうしてペンの動くまま、とりとめなく絵を描く時があった。

 描くのは、今、心を占める少女の姿。


 レオンとなり初めて会った時、彼女はまだ七歳だった。

 悪役令嬢となる未来予想図を教えると、大声を上げて泣いていた。

 瞳を揺らしながらも泣かなかった今日のミリエラは、あの時と比べると随分大人になったように思う。


 昔から、彼女の頭を撫でるのがくせになっていた。柔らかな髪を撫でるとくすぐったそうにはにかむのが、可愛らしかった。

 その感触や、今日触れた手の温度を思い出したレオンは、急に体温が上がったことに動揺する。


(ベイル先生が、変な事言うから)


 レオンはため息を一つ零し、自分の描いたイラストを眺めた。

 そういえば以前にも、ミリエラの絵を描いたことがある。あの時描いたのは、彼女とその友達とのツーショットだった。

 せっかく出来た初めての友達とすぐに別れることになり、彼女が泣くのではないか。それが心配で華やかな絵を描いたのを覚えている。


 懐かしい記憶に思いを馳せているうちに、やっと悩めるレオンの上にも眠りの帳が降りてきたのだった。




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