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2.叔父さまとの取引

「取引、とは?」


 ミリエラは済ました顔でソファーに座っている。

 今まで塵ほども興味のなかった叔父が、今日いきなり屋敷中に響く叫び声をあげたり、三年近く引きこもっていたのに突然夕食の席に現れた。

 その異常事態にミリエラはずっと動揺していたが、表面上は平静を装っていた。


(叔父さまごときにビックリさせられてるなんて、絶対に気づかれたくないんだもの!)


 だが、ミリエラがそう思っている事を含めて動揺しているのを、レオンも彼付きの侍女もミリエラの侍女も皆分かっていた。

 何せ七歳の女の子である。

 本人はもうすでに立派な淑女として振る舞えているつもりだろうが、たまに覗く子供っぽさは隠せない。

 すぐにレオンの侍女が二人分のお茶を用意する。淡く湯気を立ち上らせながら出されたのは、香りの優しいカモミールティーだった。


「いただきますわ」

「どうぞ」


 レオンはミリエラを真っ直ぐ見つめてニッコリ笑った。

 初対面といってもいいほど馴染みのない叔父だが、思っていたより素敵なお顔なのね、とミリエラは密かに思っていた。

 その思っていたより素敵な顔のレオンは、自分のカモミール茶に口をつけたあと、蒼い瞳をミリエラに合わせて口を開いた。


「信じてもらえるかわからないけど、聞いてほしい話があるんだ」


 真剣な彼から語られたのは、荒唐無稽な話だった。


「僕はこことは別の世界で十八歳まで生きていた人間なんだ。多分その世界で死んだ後レオンという男に生まれ変わった。そして今日、以前の人生の記憶を思い出したんだ。僕は自分がファウルダース家当主の弟レオンだということは覚えている。だけど今は、以前の自分の意識の方が強いんだよ」


 ミリエラの目が大きく開き、次に「何いってんだコイツ?」と不信感ありありの色になり、最後は困惑したように二人の侍女たちを交互に見やった。

 ミリエラの侍女もレオンの侍女も、もちろんだが初めて聞く話で困惑の色を隠せない。「見られても困ります!」と顔に書いてあった。


「つまり、今の叔父さまは、偽物ってことですの?」

「いや、偽物ってわけじゃないんだけど……」

「もうっ!よく分かりませんわ!今日のお昼に大声を出したり夕食の席に出てきたのは、叔父さまが別人になったからなの?」

「別人、ってのともちょっと違うんだけど……、ああもうこんな幼女に何て説明したらいいんだ!」

「これ以上訳のわからないお話されても困ります!」


 プライドの高いミリエラが、バカにされていると感じてプリプリ怒りだした。一方レオンは焦って侍女たちの方に目を向けるが、侍女たちは揃って「見ないで下さい」と言うように視線をそらす。

 まるで貴族らしくない仕草で頭をガリガリ掻いたレオンは、諦めたようにフーッと息をはいた。そしてさっきからレオンを睨んでいるミリエラに向かって三本の指を立てる。


「三日、待ってくれ」

「は?」

「三日待ってくれたら、君にわかるように説明するから。それまでは君の両親にも誰にも、今の話は黙っていてくれ」

「三日たったら、判るようになりますの?」

「ああ、分かる。それにさっき言った『取引』のこともその時に話すから、三日後にまたここに来てくれないか」


 目の前のレオンは両手の平を顔の前で合わせてミリエラを拝んでいる。見たことがないがお願いのポーズなのだろうか。

 ミリエラはウーンと顎に小さな手を添えて、考えるポーズをとった。

 意味がわからず気持ち悪いのもあるが、叔父がいきなり変わったのが気になるのも事実だ。三日くらいならいいか、と思える。


「いいですわ。お待ちします」

「そっか、ありが……」

「ただし!三日経ってもよくわからなかったらその時はお父様に『叔父さまがおかしなこと口走ってる』って告げ口しますわ!」


 ミリエラはその緋色の瞳をすがめ、フフンと鼻で笑った。

 彼女は立ち上がると「失礼しますわ」と言いながらくるりと背を向ける。そのまま振り返りもせずに部屋を出ていった。


「見た?今の顔。すっげー意地悪そうだったよね」


 ハハハと力なく笑いながらレオンは侍女に語りかけるが、大きな音を立てて扉を閉めて出ていったミリエラにそれが聞こえることはなかった。











 レオンがおかしくなって三日。あれから食事の場にレオンが出てくることはなく、ミリエラは内心やきもきしていた。約束したのだから三日はおとなしく待つべきだと分かってはいるが、本来待つという行為が嫌いなミリエラにとっては苛つきが最高にたかまっていた。


「メリサ!叔父さまからはまだ連絡ないの?!」

「は、はい。お伺いして参りましょうか?」


 まだ十五になったばかりの侍女メリサは、肩を竦めながらおそるおそる返答した。

 彼女は今年の春からこの屋敷に雇われたメイドで、まだ二か月目の新人だ。入って一週間した頃にミリエラ嬢の侍女が「もう耐えられませんっ!」とメイド長に泣きついた為に新人のメリサが令嬢の侍女に抜擢された。

 前の侍女が泣きついた訳は、三日も経たずに理解した。ミリエラはとにかく自尊心が高くて我儘なお嬢様だった。使用人たちは顎で使われ中でも侍女であるメリサは毎日我儘な命令に振り回されててんてこまいだった。

 しかもミリエラには、その家柄からか七歳とは思えない威圧感がある。


 イライラと組んだ足を揺するミリエラにびくつきながら、メリサが出ていこうとしたその時。控えめなノックの音が聞こえた。


「ミリエラお嬢様。レオン様のお部屋にご足労願ってもよろしいでしょうか?」




「ずいぶんと待たせてくれましたわね」


 ミリエラは緋色の瞳でぎろりと見上げた。

 屋敷でミリエラの傍若無人ぷりを体感している使用人達にとっては、また公爵家令嬢という身分を知っている者にとってはゾッとする強い視線。

 しかしレオンはそれを一瞥しただけで、机の上の紙束を取り上げた。

 バサッとローテーブルに置かれたそれは、横を麻紐で綴じられていて冊子になっている。


「三日間マジでキツかった……ってのは置いといて。ミリエラ、これを読んでくれないか。読んでくれたら分かるはずだから」


 ミリエラは目の前に置かれた冊子に手をかける。そっと開いてみると、中にはかわいらしい男の子の絵が描かれていた。


「これはこっちからこう読んでいってくれ。この丸は、尖ったしるしが向いてる方の人のセリフだよ」


 レオンが指を差しながら横で読み方を教えていたが、すぐにミリエラは冊子の読み方を理解してそれを読み進めていった。


 “こことは違う遠い国ニッポンの男の子タケシは、絵描きになる夢を持っている。しかしタケシは夢を叶える前に馬車に轢かれて死んでしまった。

 一方その頃、ここレンダルハス王国の公爵家の屋敷に住むレオンは体が弱く、高熱で命を喪おうとしていた。そんな弱ったレオンの体に、絵描きになる夢を持っていたタケシの魂が時空を越えて宿ったのだ。そのお陰でレオンの命は救われた。

 かくしてレオンの体には、レオンとタケシの魂が共存することとなった。”


 ーーという話が、かわいい登場人物たちのお喋りや動きで紡がれている。ミリエラは絵がいっぱいの物語にすぐ夢中になり、すぐに読み終わってしまった。


「叔父さま!もしかしてこれは叔父さまの事なの!?」

「そうだよ、ミリエラ。僕の身に起こった事だ」


 ミリエラは緋色の瞳を目一杯見開き、わなわなと震えている。


「た、タケシはどうなってしまったの?」

「ミリエラ、僕はタケシでもあるんだよ。僕の中にタケシはいる」


 ミリエラがホッと胸を撫で下ろす。


「ただ、僕は公爵家当主の弟レオンとしてこの世界で生きていかなきゃならない。心の中に異国のタケシがいるなんてバレたら、誰かに何かされるかもって不安なんだ。だから僕の中にタケシがいることは、二人だけの秘密にしてくれないか?」


 こんな不思議な話を父と母はきっと信じてくれないだろう。しかし誰かが信じて彼を捕まえたり、どこかに閉じ込めたりしてしまうかもしれない。レオンの言う通り内緒にした方が良さそうだ。


「分かりましたわ!タケシのことは私と叔父さまの秘密です!」


 キラキラした大きな目で、ミリエラが興奮ぎみに宣言する。

 そして今しがた読んでいた冊子を胸に抱え、向かいに座るレオンの前にトコトコやって来た。


「もしかしてこれは、叔父さまが描いた物ですの?」

「ああ、そうだよ。タケシは絵描きを目指していたんだもの、当然だろ?」


 ミリエラが頬を赤くしてこくこくと頷く。そんな主人をメリサは(珍しいものを見た)と横目で眺めていた。

 おずおずとレオンに近付いたミリエラは、レオンの座るソファーに手を置いて彼を覗きこんだ。


「でも叔父さま。私こんな絵本初めて見ましたわ。スラスラ読めてとっても面白い。もしかしてこれはタケシの国で流行してる絵本ですの?」

「ふふ。これはね、僕の国では『マンガ』と呼ばれるものなんだよ」


 ニッコリ笑ったレオンに、ミリエラも釣られて花のような笑顔を咲かせたのだった。彼女は余程マンガというものが気に入ったのか、しっかり胸に抱きながらレオンのソファーの空いたスペースにちょこんと座り込んだ。

 レオンは文句を言うでもなく彼女を受け入れ、カモミールティーのカップに口をつけた。そしてごほんと咳払いをすると、ミリエラに体を向けた。


「それでねミリエラ。取引のことなんだけど」

「はっ、そうでしたわ!私こんな面白い本はじめて読みましたし、叔父さまの秘密は黙っててあげましてよ?」

「うん、まあそれは頼むとして。僕はね、ミリエラ。タケシの魂が強すぎて、レオンとして生活してたこの国やこの家の事をあまり覚えていないんだ」

「まあ……」


 タケシの魂が強い。それはこの不思議な物語が実話なことが実感されて、不謹慎だがワクワクする台詞だった。


「言葉を話したり書いたり、基本的な日常生活は問題ないと思うんだけど。この国の常識だったり公爵家の事だったり色々忘れてしまっているんだ。だから、僕がレオンとしてきちんと振る舞えるように協力してくれないか?」


 確かに、いくら引きこもって生きてきたとはいえ、それでも不都合なことは後々出てくるだろう。タケシとしては心細いだろうし、この国に協力者がいれば心強いに違いない。

 ミリエラが応えようとしていると、レオンが続けた。


「その代わり、君が身を滅ぼさないように僕も君に協力するよ」


 身を、滅ぼす?

 不穏すぎるその言葉に、ミリエラの思考は停止した。



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