22.叔父さまと『ヒロイン』
旧校舎に繋がる道の脇、寂れたあずまやがひっそりと佇んでいる。遠くに生徒たちの明るい声が聞こえるその場所に、二人は連れ立ってやってきた。
二人とも、いくつかの感情が絡み合う複雑な表情をしている。あずまやに辿り着いたレオンは、後ろの少女に向き合った。
レオンはゴクリと生唾を飲み込む。
視線を逸らさない少女に声をかけようとした瞬間、少女の方が先に口を開いた。
「ねえレオン先生。コンビニって何か分かります?」
「……やっぱそうか」
レオンは呟きとともに崩れ落ち、ハーッと大きく息を吐いた。
「買い物するところなんだけど」
「知ってる、知ってるよ」
コンビニというとても懐かしい単語を聞いたレオンの中に、名状しがたい感情が急激に渦巻いた。もうかなり遠い、かつての生活の記憶。
あんころもち子は動かないレオンをしばらく黙って眺めていた。落ち着いて持ち直すまで待ってやろうという無言の優しさを感じる。
立ち上がったレオンは、あんころもち子とあずまやのベンチに横並びで座った。それから二人とも正面を見て、相手の顔に向き合わないままの会話を始めた。
「俺が、その、同じだって何で分かったの?」
「あんころもち、で一旦切ったじゃん。だからそうかな〜と」
半信半疑だったけど、と彼女は付け加える。
「あんころもち子って。ネーミングセンスの癖強すぎない?」
「始める時に食べてたんだよね、あんころ餅」
愛らしさ満開のヒロイン顔のはずが、今の彼女は冷めた瞳と感情の籠もらない声で話しているために魅力も半減している。色素が全体的に薄いため、むしろ冷たさすら感じさせる雰囲気になってしまっていた。
「基本的にデフォ名は使わない主義なの私」
「だからって……」
「いやぁ、買ってすぐにとりあえずやってみたかったから。ひとまず目についたあんころ餅を仮の名前にしてみたのよ。でもスタートしたらチュートリアル長いからやり直すかどうか迷うしさ、序盤から作業ゲーだから途中でキャラ消すの勿体なくなってくるしさ。そのうち、この名前にも愛着湧いちゃって」
「あー、うん」
一見愛くるしい少女が冷めた目をしてマシンガントークをしている。レオンはシュールさすら感じながら、それを聞いていた。
「それでもやっぱり、このヨーロピアンって感じの世界で実際に呼ばれると恥ずかしさ半端ないね。さっきミリエラにも呼ばれそうになって慌てて『アンて呼んでね』とか言っちゃったわ。でもこんな名前なのに誰も違和感抱かないのがゲーム世界!って感じだよねぇ」
「もち子さんは、いつこの世界にきたの?」
「え、私今さり気なくアンで行きますって匂わせたよね?」
「あんころもち子なら、もち子じゃない?」
しばし無言で睨み合う二人。
「私が、ここが『蜂ラプ』の世界だって気づいたのは、今日よ。ゲームが始まる入学式のホールで、意識が覚醒した感じ」
「蜂ラプって何だっけ」
「『蜂蜜色のラプソディ』、この世界のことよ。まさか知らないの?」
レオンは、あぁと声を漏らして頷いた。
「ごめんごめん、知ってる。実はさ、前の人生の細かい記憶って薄まってきてるんだよね。俺十八の時にレオンになって、もう八年も経ってるから」
「へ?」
「十八で多分死んで、気がついたら十八歳のレオンになってた」
八年もレオンやってたの?……との呟きに頷く。
「やってたっていうか、もう俺はレオンになったって感じ。はじめはビビったし鏡見るたび違和感すごかったけどね」
「そっかぁ。十八でねぇ」
「もち子さんは何歳で、その……」
「私はアラサーだったよ」
冷めた目のままレオンを見上げて、もち子はニヤリと笑った。
「30オーバーだから、君より年上なのよ、私」
「え、年上なの」
「30こえて、でもずっと仕事ばっかの人生でさ。前の私の楽しみはビールとネットと乙女ゲームだけだった……」
もち子は膝の上の両手に力を込め、切なそうに瞳を揺らす。
レオンはそこで思い至った。
彼女はどういうわけか今日突然この世界に『ヒロイン』として放り出されたのだ。もちろん前の記憶だって鮮明だろうし戸惑ってもいるはずだ。
どう慰めようかと声をつまらせたレオンは、すぐにその考えが間違いだったことに気づいた。
「……ふ、んふふふふふふ。それがさ、気がついたら美少女に転生よ!手鏡で顔見てビビったわ、めっちゃくちゃ可愛いんだもん私!いやもうこれラッキーだよね?」
「ええええ?」
「いや〜人生やり直すには最高の状態かもこれ」
「そっか……」
急に元気になったもち子は、ふっとレオンの顔を横目で見た。
「ところで、何で眼鏡かけてんの?」
「え。いや。この方が女生徒寄ってこないから」
「へぇー」
「おかしい?」
「ううん、私の知ってるキャラデザと違うから何でかなと思って」
こっちではメガネ男子人気ないのか〜。なんて呟きながら、もち子は足をプラプラ動かした。死んだ魚のような目でなくなると、途端に年相応の、ヒロインとしての可愛らしさが戻った。
「もう一つ聞きたいんだけど。もしかしてミリエラにバラした?」
「え?」
「『蜂ラプ』の事よ。今日話したけど、あの子ゲームでの性格と全然違うじゃない。もしかして教えたのかなって思ったの」
「あ、うん」
たっぷり三秒見つめ合ったあと、レオンが恐る恐る呟く。
「だって義理とはいえ姪っ子だし。出会った時まだ七歳だったんだよ。ほっといたら性悪になって、悲惨な人生歩むの見えてるわけじゃん」
「優しいんだね、レオン先生」
「優しいってわけではないけどさ……」
「まあ、別に構わないよ」
見た目は二十代半ばの教師と十五の少女なのだが、素性をバラしあった後となっては、彼女の方が優位に立っていた。
「先生は『蜂ラプ』やってたんだよね?男子なのに珍しい」
「俺には姉ちゃんいたんだけどさ。その姉ちゃんに命令されて、レベ上げとか作業担当してたんだよ」
「ふうん。全キャラクリアはしたの?」
「いや、四人攻略した辺りで終わっちゃったから、占い師はやってない」
『蜂蜜色のラプソディ』は割と早いうちにルート選択があるゲームだ。しかし占い師だけは一種の隠しルートで、攻略は必ず他のキャラ達のエンディングを見た後になるはずだった。
「そっか、分かった。じゃ、今日は帰るわ」
「ちょ、待ってよ」
「安心して。レオン先生を攻略しようとか思ってないし、ミリエラともバチバチやり合うつもりはないから」
「ほんと?」
「うん。じゃあね」
鞄を手に立ち上がった少女は、文句のつけようもないくらいに可憐な笑顔で手を振った。そのまま歩き出そうとした彼女を、レオンが止める。
「あ、もち子さん。ちなみにさ」
「もち子じゃなくて、アンだってば」
「いいじゃん。アンなんてありきたりな名前よりオリジナリティ溢れてていいと思うけどな。あんころもち子」
「他人事だと思って……。で、なに?」
「ああ。アンさんは、蜂ラプかなり詳しいの?」
レオンは姉の円滑なゲームライフの為の作業要員で、実のところゲームの外郭を知っていたに過ぎない。
ミリエラに関して割と馴染みがあったのは、ミニゲームなどでいつもデフォルメされたミリエラがお邪魔キャラとして出張っていたからだ。
彼女が全体的なストーリーに詳しいのなら、ゲームの詳細を聞きたいなと思いつつ尋ねた。
するともち子は似合わない大人の笑みを浮かべ、答える。
「そりゃもう。ばっちりクリア済みよ」