1.叔父さまの叫び
その少女の名はミリエラ・ファウルダース。
七歳になったばかりの公爵家令嬢である。
きらめくストロベリーブロンドの髪と深い緋の瞳は母親譲り。そして整った顔は父親譲りの、まるで人形のように愛らしい容姿を持っていた。
ミリエラと両親、ここに兄を加えた四人が伝統あるファウルダース公爵家の面々だった。
いや、この家にはもう一人の『家族』がいる。
血は繋がっていないものの、当主の弟ーーつまりミリエラの叔父にあたる人間が、この屋敷に住んでいた。
名はレオン・ファウルダース。
しかしこの叔父のことを、ミリエラはじめ家族の誰も気にかけることはない。
何故なら彼はすでに三年近く自室に引きこもりっぱなしだからだ。
前ファウルダース公爵が亡くなり後ろ楯のなくなった彼は、ミリエラたちを避けるようにこの屋敷で生活していた。
「叔父さまが病気ですって?」
ミリエラはキャラメルがかかったクッキーをぼりぼり食べながら、横に控えるメイドに話しかけた。
彼女は屋敷の中庭にあるテラスで、優雅に午後のティータイムである。甘いものに目がないお嬢様の前には、たんまりとクッキーやらスコーンやらが用意されている。夏の前の明るい陽射しと満ちる青葉の香りに頓着せず、ミリエラは甘いお菓子を貪っていた。
「はい。どうも原因不明の高熱らしく」
「ふぅん」
ミリエラはスッと目を細める。
彼女の中の叔父は、彼女より格下である。そう思うのは両親が彼のことを疎んでいたせいでもあるし、彼女自身のやたらと他人を見下す意地悪な性格のせいでもあった。
ふっと鼻息を一つもらす。
「ま、どうでもいいけど」
ミリエラはつまらなそうに紅茶を飲み干した。
今の彼女にとって興味があるのは、王都で流行しているドレスや甘いお菓子。
それから女の子に大人気の恋愛小説。
そんなキラキラしたものだ。
部屋から出てこない格下の叔父の事なんて、病気になろうが本当にどうでも良かった。
確かミリエラとは11歳違いで今は十八歳のはずだが、三年も会ってないせいで顔も思い出せない。
彼女は顎をくいっと上げ、屋敷の二階の窓の一つを眺めた。
(確か叔父さまのお部屋はあそこだったかしらね)
と、思ったその時。
「何で乙女ゲーやねーん!!」
という意味不明な絶叫が、今しがた眺めていた部屋の方から聞こえてきたのだった。
「何だったの?今の大声」
「な、なんでしょう。レオン様のお部屋の方からだったと思いますが……。見てきた方がよろしいのでしょうか」
危うく紅茶のポットを落としかけたメイドが、ミリエラと同じように窓の方に目をやる。
「叔父さまにも一応メイドはついてるでしょ。後で聞けばいいわ。それよりもお茶のおかわり」
「かしこまりました」
内心とても気にはなっていたのだが、こんなときにわざわざ興味を示すのは貴族らしくない気がする。
叔父さまに何か負けた気もするし。
とはいえ、その後シーンとした屋敷にチラチラと目をやるミリエラは、誰がどうみても今の大声が気になってソワソワしている。
メイドはどうしたものかと思案したが、こちらから何かを言ってワガママお嬢様を怒らせるのも面倒なので黙っておく事にした。
その日の夜、ミリエラは父と母と三人で夕食の席に着いていた。ミリエラの兄であるエドモントは今年の春から王立学院の寄宿舎に入寮しており、不在である。
奇異な絶叫をしていたと思われる叔父は、相変わらず食事の席にはついていなかった。
白を基調とした広い部屋の中央には大きな縦長のテーブル。上座に父、その右手に母、母の向かいにミリエラが座り、メイドたちが前菜を並べるのを静かに待っていた。
そんななか、ソワソワと動くミリエラを母が見咎める。
「ミリエラ?」
「あ、ううん。あの……」
ミリエラが今日の昼過ぎの叔父のことを話そうか逡巡していると、ガチャッと音を立てて食堂の扉が開いた。
(きっ、きたー!)
扉を開け入ってきたのは、ミリエラを四時間以上もソワソワさせていたレオンだった。
かれこれ三年ぶりなため、幼い彼女にとっては「はじめまして」と言ってもいいくらい記憶になかったが、特徴的な赤毛は何となく覚えている。
ミリエラの父母にしてもレオンが十五の頃から顔を合わせなくなり、すでに三年。しばらくは記憶の中の彼と擦り合わせしているようだった。
ミリエラの父は怪訝な顔を、母はあからさまに嫌そうな顔をしている。普段ならミリエラもそんな態度をとったろうが、今日はそれどころではなかった。
「久しぶりだな、レオン。どうした」
「お久しぶりです、兄上。メシ……じゃない、晩飯を食べに来ただけですよ」
ミリエラの父ファウルダース公爵は眉をひそめたが、加えて何か言うことはなかった。
レオンが入ってきたときに慌てて厨房に知らせに行ったメイドが、追加の皿をワゴンにのせて運んでくる。
レオンは少し部屋を見渡したあと、ミリエラの横にある椅子に腰を落ち着けた。
(昼間にあんな大声出して、何年かぶりに夕飯の席に顔を出すなんて。絶対に何かおかしいわ!)
普段なら親子の会話がある夕食の時間だが、それぞれが何かを考えるのに必死なようで誰一人会話をしようとする人間はいなかった。
ミリエラももちろん叔父のことをあれこれ考えながらチラチラと彼の横顔を窺っていた。しかしレオンの方は黙々と夕食の皿を片付けていき、最後のお茶を急いで飲み干す。
「じゃ」
と一言挨拶をした彼は、立ち上がって扉の方にスタスタと歩いていく。
そして出ていく刹那、レオンはミリエラと一度だけ目を合わせた。
(き、気になるわ……!)
叔父が出ていった途端に弛緩した空気のなか、ミリエラは叔父と同じように急いで夕食を掻き込んだ。
***
ゴクリと一つ空気を飲み込んで、ミリエラはレオンの部屋の前に立った。
傍らにはミリエラ付きの侍女で昼間一緒に叔父の絶叫を聞いたメリサも立っている。
ミリエラは何度かメリサの方を見たあと、意を決して扉をノックした。
「どうぞ」
「!」
見開いた目でメリサを振り返ったあと、彼女はノブに手をかけてゆっくりと回した。
「失礼しますわ、叔父さま」
「やあ、ミリエラ。待ってたよ」
叔父さまを正面からきちんと見るのは、もしかしたら初めてではないかしら。そう思いながらレオンを見つめる。
十八歳のレオンは父と同じく長身だが、部屋に籠りっきりだったせいかとても痩せている。
しかし少しも癖のないサラサラの赤い髪は美しく、長い前髪に隠れそうな瞳は深い蒼で晴れた空を思わせる。神経質そうに見えるものの甘い顔立ちをしていて、婦人たちに人気が出そうだとミリエラは思った。
そうやって不躾に顔を見つめるミリエラを気にすることもなく、レオンは彼女にソファをすすめた。
そしてすとんと座った彼女の正面のソファに自分も腰掛け、前のめりになった。
「さて、ミリエラ。僕と取引をしないか?」