10.お兄様とピクニック
「とても良い天気だ!ピクニック日和だな!」
もしかしたら、屋外でならあの盛大に響くボーイソプラノもマシなんじゃと一瞬でも期待したことを後悔した。
エドモントは外でも絶好調でエドモントである。
晴れやかな春の光を受けながら、兄妹は草原をトテトテと歩いていた。前には護衛と案内人が、後ろには侍女達と護衛が荷物を持って歩いている。しかも先程まで馬車に乗っていて、徒歩は僅か五分という場所。大貴族の子息のピクニックはいたれりつくせりだった。
「よし!ここにしよう!ここに!」
はしゃぐエドモントが案内人達にテーブルを置く位置を指示した。
エドモントもミリエラも生粋の貴族である。自分の意思を通すのと他人に命令する躊躇のなさは親譲りだ。
護衛を兼ねる使用人たちが簡易組み立て式のテーブルと椅子を用意する間、侍女たちが食べ物や食器を入れたバスケットを開けてテーブルクロスを広げる。
その間、兄は飛んでいる蝶を追いかけ、妹は花を摘んでいた。
「お坊ちゃま、お嬢様、こちらへ」
ファウルダース家の御用地で、兄妹水入らずのピクニックだ。
テーブルには玉子とハムを使ったサンドウィッチとチーズ、ミリエラ好物のチキンスープ、太いソーセージ等が並べられている。
ミリエラは摘んだ野の花の束をメリサに渡して、席についた。
「主よ!地の、天の慈しみに感謝します!その糧が日毎わたくしたちにもたらされますよう!」
かつてない勢いで祈りを捧げ、エドモントが「いただきます!」と重ねた手に額をつけた。ミリエラも同じく祈りを捧げる。
初見だった使用人達が笑いを堪える中、食事が始まった。
「美味しいわ」
ミリエラがニコニコとソーセージを頬張る。スープもソーセージも、冷めても美味しく食べられるように料理長達が心を砕いてくれているのが分かる。ミリエラの一声で、使用人たちも人員を二組に分けて交代で食事を取ることにしていた。
「おいしいね!空気もおいしいし、最高だ!学院じゃなかなかこういうのんびりしたピクニックはできないから、嬉しいよ!」
「お兄様、明後日には学院に戻るんでしたわね」
「そうなんだよ、だから明日はウォード侯爵家に顔を出さなければいけないんだ面倒くさい!」
「ウォード侯爵家に?どうして?」
ウォード侯爵家といえば、我が家と古くから交流のある上流貴族で、昨日の誕生日パーティーでもウォード侯爵が夫人を伴って来ていた。そのウォード侯爵家に兄が何の用なのだろう。
「婚約者殿に挨拶に行かなきゃならないんだよ!」
「婚約者?!」
まさかの婚約者。
失礼ながら、十二歳にしては少し幼さの残る兄に婚約者が存在する事に、ミリエラは衝撃を受けた。
「お前と同じ十歳のご令嬢で、アネッサ嬢という!」
「お兄様、婚約者がいらしたのね。知らなかった」
「アネッサ嬢が生まれた時から決まってた話だから、お前に改めて伝えるのを忘れてたんじゃないかな!私はもう三度ほど会っている!」
モグモグとサンドウィッチを頬張るエドモントは、取り立てて相手に対する感情を見せない。貴族の婚約が恋愛に拠る事が少ないのは分かっているが、面倒くさいとはあんまりな言い草だ。
「アネッサ様って、どんな方ですの?」
「お前とは違って、おとなしい方だよ!いつもボソボソ喋るから何言ってるか聞こえないし、何考えてるかも分からないんだ!」
それはお前のせいじゃないのか?という言葉をその場にいる全員がすんでで飲み込む。
「あっ!」
「どうしたの?お兄様」
「そういえば、前にアネッサ嬢を狐狩りに誘ったんだが、来なかったんだ!用意までしていたのに、その日になって断りの連絡が来たんだよ!」
ミリエラはふむ、と顎に手を当てて首をひねる。
「もしかして、アネッサ嬢もお前と一緒で狐狩りが嫌いなんだろうか?」
「そりゃあそうでしょう」
ミリエラは呆れたように兄を見上げた。デリカシーが足りてないのは昨日から嫌というほど感じていたが、やはり圧倒的に足りてない。
「昨日も言いましたけど、女で狩りが好きな子は珍しいのよ。しかもアネッサ様はおとなしい方なんでしょう?そりゃ来ませんわ」
「ミリエラみたいに、その場で言ってくれたらいいのに!」
「おとなしい方で、しかもうちは公爵家であちらは侯爵家。まだ妻でもないしその場では断りにくかったのかも知れないわ」
エドモントが心底びっくりした顔で食事の手を止めた。そして「じゃあどうしたら……」と、三割減のボリュームで尋ねる。
尋ねられたミリエラは、にやりと笑って人差し指を立てた。
「たくさんお話すればいいんですわ」
ね、とメリサ達の方に目をやると、使用人たちは皆頷いていた。
レオンに叱られアドバイスをもらったミリエラが、使用人達との関係改善の為にした事だ。
「お話は喋るだけでは駄目ですわ。相手のお話もちゃんと聞くの。あとはちゃんとありがとうとごめんなさいが言えたら、きっと今より仲良くなれるわ」
「そういうものなのか!」
「お兄様、今私のお話ちゃんと聞いてくれてますわ。アネッサ様のお話もちゃんと聞いて上げてくださいませ」
「分かった!」
やり取りを聞いている使用人達がくすくすと笑いを漏らす。どちらが年上か分からない。愛らしいやり取りに大人たちが癒やされていると、食事を終えたエドモントが立ち上がった。
「明日はアネッサ嬢のやりたい事を聞いてみよう!」
「それがいいわ。頑張ってお兄様」
「うん!」
その後アネッサ嬢への手土産にすると花を摘んだりまた蝶を追いかけたりしたエドモントは、満足した顔で帰りの馬車に乗り込んだ。ミリエラはレオンに貰った本に使う栞を作るため、押し花にしようと蒼い花を追加で摘んだ。
馬車の中で心地よい疲れに身体を委ねていると、エドモントがミリエラの膝をツンツンと突く。寝そうになっていたミリエラはパチリと目を開けて、兄に向き直った。
「叔父様の事なんだが」
「?」
「叔父様は、お前も知ってるだろうが、養子で血のつながりがない」
兄が突然レオンの事を話し出し、ミリエラは首を傾げた。
「父は、叔父様を我がファウルダース公爵家や我が領地の職に就かせる気はない。私も同じ考えだ!」
「どうして?」
「血のつながりはないが戸籍上公爵家を継げる叔父様は、我が家にとってどんな火種になるか分からない。叔父様はわざわざ廃嫡してまで我が家の仕事についてもらうほど、執務ができるわけでもないだろうし。それなら我が家の身分を利用して外の仕事についたほうがいい」
ガタゴトと揺れる馬車の音に負けない声色で、兄が続ける。
「叔父様が引きこもりを辞めた時から、父上は叔父様に伝えていたそうだよ。だから叔父様はいずれ職を持ち家から出ていく」
「どうして私にそんな話するの」
「昨日見てて、ミリエラは叔父様にとっても懐いてるように見えたからだよ。いつまでも一緒にはいられないって覚えとくんだ」
ミリエラは途端に顔を歪める。
昨日のパーティーでレオンが語った話が今の兄の忠告に重なる。何の不思議もない話だし、レオンも納得しているのだろう。しかしミリエラにとってはどうしても受け入れたくない話だった。
「お兄様、意地悪だわ」
「顔も性格も前より可愛くなった妹が、私より叔父様に懐いてるんだもん。意地悪だって言いたくなるよ!」
いつもの調子に戻ったエドモントが、空気を変えるように一際大きな声を出した。これでこの話はおしまいという事だろう。ミリエラは頬を膨らませてエドモントを睨んだが、彼は目を閉じてしまった。
兄が学院に戻った次の日、ミリエラは兄からの初めての手紙を受け取った。クセの強い人柄にそぐわぬ、綺麗で几帳面な文字が並んでいた。
ーーお前の言うとおりにしたら、婚約者殿が初めて楽しそうに笑ってくれた。これからは彼女とたくさん話をしようと思う。
兄からの手紙を読み終えて、ミリエラはそれをそっと文箱に仕舞った。