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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

トリプル・ゴーストゲンガー

作者: ホルス

―トリプル・ゴーストゲンガー―




とある六畳のワンルームアパート。

電気は一切ついておらず月光だけが部屋を薄暗く照らしていた。

部屋の真ん中には男が一人、息を引き取って倒れている。

それを取り囲むように男二人と女一人。


金本修治と金本彰と金本菜々美。修治は非常に大型で身長はゆうに180cmを超えるだろう。

彰は冷や汗を垂らしながら言う。


「お、おい。これからどうするんだ。

 本当に、本当に死んでるじゃないか・・・!」


修治は死体に突き付けられたナイフを詰まらなさそうに一瞥してからタバコを一吸い。


「心配するなよ兄貴。

 こんなヤツが一人死のうが誰も損はしない。俺達は救済者なんだよ」


「馬鹿なことを言うな!

 三人で自首するんだ、そうしよう!」


「だから大丈夫だって、ビビんじゃねーよ。捕まりはしない。

 俺達三人は家族だ。何があっても一緒だ。菜々美もそう思うだろ?」


菜々美は静かに二回頷いた。

修治はタバコを地面に投げ捨てると部屋を出た。

菜々美もその後に続く。


「おい!修治、菜々美! 待て!」


彰の声は届く様子もなく、二人は暗闇へと姿を消した。

彰は投げ捨てられたタバコを拾い上げハンカチで指紋が残らないようにナイフの柄やドアノブまで入念に隅々までふき取った。






翌日。

アパートの目の前には数台のパトカーと十数人の警察官が群れを成していた。

扉の前には立ち入り禁止と書かれたお馴染みの黄色いテープで横断されている。


無精ひげをだらしくなく生やし、ボサボサの髪でホームレスのような容貌の男が現場へと足を踏み入れた。

周りの警官も男に対して一礼を送る。


「あぁ・・・、気分が悪い。二日酔いか。俺も歳を取ったな」


九條 綾瀬。今回の事件を担当する捜査一課の責任者である。

九條はボサボサの頭をボリボリと書きながら畳の上に横たわった死体を見下ろした。


「こりゃヒデェもんだな。朝っぱらから気分が悪い」


死体は40代男性。胸にナイフが突きつけられているほかにも体全体が殴打された形跡があり顔は元の原型が分からなくなるほど大きくはれ上がっていた。

九條が死体をじっと見つめていると後ろから大きな挨拶の声が聞こえた。


「おはようございます!」


思わず体をビクリと反応させ後ろを振り返る。

そこには高校生のような風貌をした好青年がニッコリを笑いながら佇んでいる。

九條と目が合うと白い歯をこれでもかと見せつけるほどの笑顔でニッコリと笑った。


「私、本日付けより捜査一課に配属されました桐島太陽と申します!

 あなたが九條綾瀬さんですね!話には聞いていますよ!何でも難事件を解決に導いてきた署内のエースだとか!」


元気というよりかはうるさい。九條は思わず耳に指を突っ込み表情をゆがめた。


「新人が来るとは聞いていたが、これはまた濃いのが来たな。

 桐島?だったか? 元気なのは良い事だが俺は今二日酔いでね。もう少し声のトーンを下げて貰えると嬉しいんだが・・・」


「はい!申し訳ありません!」


「・・・最近の若者は話を聞かないのか」


失礼します、と言うと桐島は軍隊の進行のような足取りでアパートへと足を踏み入れた。

そして九條の横へと並ぶ。


「それにしても奇妙だな。ナイフで一突きで終わらせれば良いものを、わざわざこんなに顔面をなぐ・・・」


言いかけた途端、横から酸味の聞いたような鼻に刺さる臭いがした。

何かと思い横を見る。

そこには黄色い液体を口から垂れ流す桐島が居た。

九條は思わずその場から飛び上がる。


「お、おい!どうした!?」


「おえっ・・・、す、すみません。死体見るの初めてで・・・」


「おいおい。警察官がこのくらいで吐いてどうすんだよ。そりゃ見てて気分の良いもんじゃねーがよ・・・」


九條はもう一度頭を掻きむしった。


「大丈夫かこんなので・・・」


「だ、大丈夫です・・・。それより、被害者の顔がやけにはれ上がっているようですが、これは何を意図しているんでしょうか?

 体格を見る限りこれと言って筋肉質という訳でもありませんし、顔を殴って弱らせてからナイフで刺したという訳でもなさそうですよね?」


「あぁ。これはナイフで殺した後、顔を何度も殴りつけたんだろう」


桐島は首をかしげる。


「どうしてそんなことを?」


「考えられるのは2つだな。

 よほど怨みを買っていたか、快楽殺人かのどちらかだ。

 だがいずれにせよ引っかかることがある」


「引っかかること?」


「あぁ。ナイフの傷口はお世辞にも綺麗に刺されたものとは言えない。むしろ雑なんだ。刺したというよりかは無理矢理えぐったかのような。

 そして被害者の顔の腫れ具合。力まかせに何度も何度も殴りつけられている。推測するに、犯人の性格は相当がさつなものだと考えられる。

 しかしだ。ナイフの柄やドアノブ、そのほかに至るまで痕跡を全く残していない。

 これはどういう意味か分かるか?」


桐島は顎に手を添えしばらく考える。


「がさつに見えて実は神経質だったんじゃないですか?人は見かけによりませんから」


九條は溜息をついて頭を抱えた。


「はぁ。 ・・・おそらく犯行は独りで行われたものではない」


「え?」


「ドアのカギ穴を調べた結果、ピッキングされた痕跡があった。犯人はがさつで相当不器用な人間のはずだ。ピッキングができるような人間とは到底考えられない。

 がさつで不器用なはずなのに指紋はすべてふき取られ痕跡は一切残されていない几帳面さ。

 このことから犯人は複数人居ると考えられる。

 犯行を行う力が強く体格の良い猪突猛進タイプと、そのあとの処理を行う冷静沈着なタイプがな。

 複数犯で快楽殺人は極めて考えにくい。被害者は恐らく何らかの強い怨みを買っていたんだろう」


桐島は思わず声を漏らす。


「ほぉ・・・なるほど・・・。これだけの情報からそこまで推理してしまうなんて・・・さすがです!」


「だから声のボリュームをだな・・・。

 ・・・詳しい解析結果がもうすぐ出るだろう。もう少し現場を調べたら署に戻るぞ。被害者の交友関係も洗いざらいだ」


「はい!」


「あぁ・・・頭が痛い」






署内のオフィスは電話対応する者、事件の手がかりを伝える者など、様々な人間で騒めき出っていた。

その中でも一人、白衣を着た男がその衣装のせいで目立っていた。


「緒方さん」


九條が白衣の男に声をかける。


「あぁ、九條くんか。

 そちらは?」


緒方と呼ばれた男が桐島に視線を送る。


「あ、初めまして!本日付けより正式に配属が決まりました桐島太陽です!よろしくお願いします!」


緒方は疲れたような、苦笑いをした。


「元気が良いね」

「うるさいといった方が的確だろう」

「まぁそういわずに」


「桐島、こちら化学捜査班の緒方誠二さん。主に死体解剖や現場の物的状況から犯人の手がかりを追う捜査班だ」


桐島はもう一度緒方に向けて大きく礼をした。


「それで、何かわかったんですか?」


さっそくと言わんばかりに九條は例のアパートでの事件について言及した。


「そうだね。とは言っても何か巧妙なトリックが使われたって言う訳でもないからそこまで解析するほどでもないけどね。

 ナイフは心臓を一突きだった訳なんだけど、正確に心臓を突くには胸骨の間を縫って器用に刺さなければならない。相手を縛り付けた状態でもなければ中々できるものじゃない。

 普通は乱闘になるしね。

 今回は胸骨を貫通して心臓に致命傷を与えているから犯人はかなり筋肉質だね。何か格闘技でもやっている人間なんじゃないだろうかな?」


「九條さんの読み通りですね」


桐島は感心したように声を漏らす。


「もう一つ、傷口は刺す側の人間から見て右斜め方向に刺されていた。つまり、犯人は左利きだ。ナイフを突き刺す威力は外側より内側に傾けた方が強いからね。

 いくら筋肉質と言えど手加減した状態で胸骨を貫通させるのは無理だ。

 それと殴られた顔の左右で傷の深さが違った。左半分のほうが腫れ具合が酷いんだ。利き腕で殴った分だけ威力が強かったんだろう」


「ふむ、左利きか・・・」


「普通顔面がここまではれ上がるほど殴ると犯人の皮膚の一部が付着するはずなんだけど今回はそれがない。おそらく手袋か何かをつけていたんだろう」


「やはり犯人は複数犯か。もう一人の犯人が手袋にハメるように指示を出していたんだろうな」


「おそらく。ピッキングの技術も実に素晴らしいよ。褒められたことではないけどね。鍵穴の傷跡が最小限に抑えられてる、相当器用な人間じゃなければここまではできないよ。

 それで、被害者については何かわかったのかい?」


「あぁ。被害者は遠山三平、44歳現在無職の男だ。10年前はトラックの運転手だったそうだが事故を起こしてクビになってる。それ以来生活保護を受けて生活していたようだ」


「事故・・・ですか?」


桐島は眉をひそめる。


と、その時、一人の男が桐島にぶつかった。手元に抱えられていた資料の束が宙を舞う。


「うわぁ、ごめんなさい!」


男は慌てふためき、すぐさま資料の束をかき集めるべく地面に這いつくばった。

恐らく地毛であろう薄い茶色の短髪に童顔で丸い目に小さい口。年は桐島とそう変わらないようだ。

一歩間違えれば高校生と見間違えそうな風貌から恐らく20代前半と言った所だろう。


九條と緒方も加わり資料を男に渡した。


「す、すみません、ちょっとうっかりしてて・・・!」


男の顔を見るなり桐島が目を見開いた。


「彰!久しぶりだな」


「桐島か? そうか、お前刑事課に配属になったんだったよな。久しぶり。調子はどうだ?」


「いやぁ、今日も死体を見て吐いちゃって・・・。まだまだ慣れないよこの仕事は」


桐島はボリボリと頭をかいた。

声に勢いのある喋り方をする男だ。


「なんだ、桐島の同期か。

 キャラが桐島と被ってるなぁ・・・」


九條は苦笑する。

桐島はムッとしたような顔でにらむがあえて流した。

やがてすべての紙を拾い上げると男はもう一度大きく礼をした。


「ありがとうございます!自分いっつもドジっぽいところがあって・・・」


「気にするな。 ・・・しかしあまり見ない顔だな?所属は?」


男はビシッと敬礼をした。


「はい、交通課の金本彰と申します!配属されてまだ2年目です!」


「金本彰・・・。聞いたことのない名前だ。まぁ俺達の所属と交通課はほとんど関わりが無いから仕方がないと言えば仕方がないが」


彰は机に置かれた資料を何気なくのぞき込む。


「何か事件の捜査ですか?」


「あぁ、元トラック運転手の無職が男が殺された事件でな・・・。

 あっ、そうだ。金本、といったな。お前交通課の人間ならこの殺された男について何か知っているんじゃないか?」


九條は彰に資料を渡す。

彰は数秒の間資料を見つめた後、声を漏らした。


「遠山三平・・・?あぁ、この男なら知ってますよ!資料に残っているのを目にしたことがあります。交通課の管轄で処分した男ですから!」


「ほう、詳しく聞かせてもらえるか?」


「10年前に飲酒運転で事故を起こしたんですよ。四人家族が死傷した事件です」


「飲酒運転か・・・。遺族による復讐が妥当な線か?」


彰はグッと手を握りしめた。

声のトーンが急に低くなった。


「もしそうだとしても文句は言えないですよ。家族全員の幸せを奪ったんだ。当然の報いです」


九條は押し黙る。


「・・・確かに、お前の言う通りかもな。しかし、発言には気をつけろ。俺達は警察だ。いかなる状況があっても加害者に加担するようなことがあってはならない」


彰はハッとして首を左右に振った。


「すみません・・・。どうしても・・・。こういう仕事をしているといかに日本の法律が加害者の味方であるかを思い知らされるんですよ。

 人間を四人も殺しておいてたった10年そこらで出てこれるなんて・・・」


九條は彰の肩をポンと叩いた。


「その理不尽な世の中を変えていくのが俺達の仕事だ。お前も警察の一員ならこんなことで弱気になんかなるな」


「そうですよね・・・、ありがとうございます。

 あぁ、もう行かないと!」


「あぁ、引き留めて悪かったな」


「はい、失礼します!」


彰は急ぎ足で、足を引きずりながら歩きだした。


「おい」


九條はもう一度彰に声をかける。


「はい?」


「いや、足を怪我しているのか?」


「あぁ、これは・・・」


彰は困り顔で言う。


「大学生の時に交通事故にあいましてね・・・、その時の後遺症で左半身に麻痺が残ったんですよ。

 今回と同じように、相手の飲酒運転によるものでした。同乗していた家族全員は無事でしたし、大きなを怪我を負ったのも僕一人だったんで、不幸中の幸いでしたけどね。

 自分が交通課を志望したのも、世の中からそういう事件を全部無くすためなんですよ」


笑ってはいるがその奥では悲しみに満ちた瞳をしていた。

たった一瞬の出来事で左半身に麻痺が残ったのだ、笑えるはずもない。


「そうか・・・、いやさっきの発言に気を付けろっていう俺の発言も、少し無責任だったな。何も知らないで済まない」


「いえいえ、あなたのセリフは一警察官として当然のことを言ったまでです。勉強になりました。

 では、今度は本当に失礼しますね、遅刻しちゃうんで」


彰はもう一度九條に向かって礼をした。

桐島は消えゆく彰の姿を眺めながら感心したように言う。


「立派ですよね。努力家でちゃんと自分なりに考えがあって仕事をしてるんなんて。彰って頭も良くて訓練所に居た頃も成績は常に上位レベルだったんですよ。かないませんよね本当に」


「・・・お前もいずれはそうなるんだよ」


九條はまた呆れ気味に溜息をついた。

桐島は言い訳をするかのように頭を掻いた。






その夜。表札には金本という文字が書かれたとある一軒家。

8畳程度の部屋に椅子に修治、ベッドには菜々美が座り彰は二人をにらむように立っていた。


「どうするんだ?もう警察が捜査を進めているぞ。日本の警察はそこまで馬鹿じゃない。

 もう、捕まるの時間の問題だ!」


修治はわざとらしく耳をほじくった。そしてつまらなさそうに言う。


「デカい声出すなよ兄貴。証拠は完璧に消してあるし、痕跡を残すような真似は一切してないハズだろ?

 ・・・それより、警察署からまた資料を取ってきたんだろうな?」


「いや。これ以上はよすんだ」


修治は舌打ちをした。


「甘いんだよ兄貴は。遠山三平みたいなクズを世の中からどんどん消していかなきゃ。俺達に休んでる暇なんてない。

 人に苦痛を与えてのうのうと生きてるようなやつらは生きてちゃいけないんだよ。

 なぁ菜々美?」


菜々美は二回強くうなずく。

そして何かを訴えかけるように彰をじっと見つめた。


「ほら、菜々美もこう″言ってる″。

 頼むよ兄貴」


「これ以上罪を重ねるのはやめるんだ。

 数をこなせばそれだけボロが出る。俺の力だけじゃ完全犯罪をこなし続けるなんて無理だ」


「そのために菜々美がいるんだろ?兄貴の頭脳と菜々美の手があれば捕まりっこないって。

 なぁ、頼むよ兄貴」


「・・・」


彰はその場で押し黙った。




そのまた翌日。事件は起きた。

とある公園で酒に酔っていた男が傷だらけでベンチに横たわっていたのだ。


署内の警察署では無論その調査が行われていた。

管轄は九條が担当する捜査一課だ。


九條は捜査資料を読み上げる。


「被害者は小島秀明22歳。車の修理会社で働いていた男だ。

 仕事終わりに居酒屋で酒を飲んだ後、酔っ払って公園に居たところ殺害されたとみられる。

 腹部が10ヶ所以上刺されており、同じように全身が強打された痕跡があった。

 このことから遠山三平を殺害した犯人と同一犯であると思われる」


「またですか・・・。それにしても酷い」


桐山は被害者の写真を見ながら、吐き気を抑えて声を漏らす。

腹部は切り口でズタズタになっており、顔は前回と同じように原型が分からないほどにはれ上がっていた。


「現場の近くに犯行に使用されたナイフが発見されたが同じように指紋はふき取られていた。ナイフは全国販売されているメジャーなタイプで販売店から居住区を特定することもできない。

 付近にはトンボのような器具で地面を馴らした後もある。おそらく靴跡から身許を特定される可能性を消すためだろう。

 犯行の手口も前回と同じだ。

 力の強い一人が殺し、冷静なもう一人が徹底的に痕跡を消す。実に厄介だ」


「被害者には、何か共通点があるんでしょうか?」


と桐山。


「ふむ、これが俺の予想通りならおそらく・・・」


言いかけたその時、九條の視界に彰の姿が丁度映った。


「金本彰!ちょっといいか?」


と九條。 彰はそれに気づくと左足を引きずりながら近づいてきた。


「九條さん、どうかしたんですか?」


九條は被害者の写真を彰に渡した。


「また一人殺される事件が起きた」

「またですか・・・物騒ですね」


彰は桐島と同じように被害者の無残な姿を見て吐き気を催したが、ぐっとこらえた。


「被害者は小島秀明という男なんだが、何か思い当たる節はないか?

 もし前回の遠山が何らかの怨みを買って殺されたのであれば、今回の被害者も遠山と何か関連があるのかもしれない」


彰は顎に手を添え考え込んだ。


「小島秀明・・・。小島小島小島・・・、あっ」


彰は手をポンと叩いた。


「聞き覚えがありますよ小島秀明。確か17歳の時に無免許運転及び飲酒運転でバイク事故を起こした不良ですよ。

 道を歩いていた三人家族に衝突し、家族の父親が亡くなっています。捜査資料に残っていたのを覚えています」


「また事故か・・・」

「九條さん、それって」


横から桐島が口を挟んだ。


「あぁ、やはりそうか。被害者は何らかの形で過去に交通事故を起こしている人間だ。もう一度交遊関係、事故の被害者に遺族関係、すべて細部に至るまで調べなおす必要がありそうだ。

 復讐目的でその中に犯人が存在するかもしれない。

 金本、もっと他に情報はないか?」


「うーん・・・。小島は確か事故を起こした当時、まだ未成年だったことから情状酌量の余地ありということで刑罰が相当軽くなっていたはずです。

 確か懲役三年でしたね」


「三年か、随分と早いな・・・」


「弁護士から裁判官の同情を引くような謝罪文をミッチリ指導されたはずですよ。

 思ってもないことをペラペラと喋って、刑を軽くしたんでしょうね」


彰の声色が段々といら立ちを帯びていくのが目に見えて分かった。

九條はあえて彰に対しては何も言わなかった。

事故にあった当事者にしかその辛さは分からない。事故にあった経験がない自分が軽々しく同情の言葉を吐く資格はなかったからだ。


「悪いな金本。助かったよ。

 被害者の共通点が交通事故の加害者であることからまた交通課の世話になるかもしれん。またその時は頼むよ」


「はい、お力になれるのであれば是非喜んで」


そういって彰が深くお辞儀をしたとき、胸ポケットから小さな人形のキーホルダーがついた鍵が零れ落ちた。

桐島がそれを拾う。


「あ、これポムポムプリンの人形じゃないか。可愛いね」


「あぁ、妹がその類のキャラクターが好きでね、誕生日に手作りの物をもらったんだよ」


桐島は人形をまじまじと見つめた。

非常に作りこまれておりその完成度は商品化できるレベルだと言っても過言ではない。


「へぇ、これが手作り?雑貨屋さんなんかで売ってるものと全然変わりがないじゃないか。凄いね」


「妹は手先が非常に器用でしてね、趣味でよく裁縫をやってるんですよ。

 本当は弟みたいにもっと身体を動かすようなアクティブな趣味にしてほしかったんですが、本人が好きになれるものが一番良いですよね」


「兄弟が居るのか?」


と九條。


「はい。弟と妹が。

 弟はちょっと喧嘩っぱやい性格ですけど、根が真っ直ぐすぎるだけで悪いヤツじゃないんですよ。たまに感情だけで動きすぎて問題起こすこともありますけどね。

 妹は人見知りが激しくて引っ込みじあんですけど、とても思いやるのある優しい子で人の不幸をまるで自分のことのように悲しんだりできるような子なんです」


苦笑しながらそう語る彰の顔は幸せに満ち溢れた表情をしており、それだけで彰が兄弟思いな性格をしていることが見て取れた。


「両方とも高校生なんですが、できるだけ僕がお金を稼がないと、ちゃんと食わせてやらないといけないですし、貯金もしっかりしないといけませんからね」

「え?金本が兄弟の世話を?」


「うち、両親が幼い頃に事故で亡くなっていましてね。でもそれだけの理由で大学進学を断念させたくなんて無いんですよ。

 親がいなくて寂しい思いをさせてしまった分、やっぱり好きなように生きさせてあげたいじゃないですか。特に妹は事故で両親をなくしてしまったショックが大きかったみたいで・・・。

 自分の世界に閉じこもってしまいがちなのも多分事故が原因なんです。だから僕が支えて頑張らないとなって」


彰は苦笑してみせたが、その裏で多大な苦労があったことが見ただけでうかがえた。

九條は彰を励ますように言う。


「まだ若いのに立派だな。お前のような存在がいずれ警察のリーダーになって引っ張っていってくれることを祈ってるよ。

 引き留めて悪かった、自分の仕事に戻ってくれ」


「はい、失礼します」


彰は二人に背を向け、左足を引きずりながら歩きだした。


「兄弟の面倒を見ながら、身体の半分が不自由になりながらも働いてる。全くもって立派だと思いますよ」


と桐島。


「お前とほとんど歳は変わらんだろうに。どうしてここまで差がついたのやら」

「それは・・・」


「そうと分かれば小島秀明が起こした事件の被害者親子の遺族に聞き込みに向かうぞ。何か得られるかもしれん」

「了解です!」


「おっと、九條くん、居た居た」


署を出ようとしたとき、緒方が横から声をかけてきた。


「緒方さん、どうかしたんですか?」


「いや、それがね、アパートの住居人が遠山が殺された当日に犯人像を見たという目撃情報があったんだ」

「何だって?それで?」

「仕事帰りで夜だったから暗くてよく見えなかったらしいんだけどね、その目撃者によると犯人は一人だったらしい」


九條と桐島は押し黙った。

九條の推理によると、犯人は複数犯であったはずだ。


「アパートに戻ろうとしたら一人の若い男が扉の前にやけに長い間立っていたらしいんだ。おそらくピッキングの最中だったんだろうね。

 目撃者の方もまさかピッキングしているなんて思ってもいなかったみたいだから特に気にしてはいかなったようなんだけど、それからしばらくして

 一人の若い男が部屋を出ていく姿をアパートの家主が目撃していた。

 つまり、犯人は単独犯だったんだよ」


「どういうことだ・・・」


「でも、おかしな点が3つある」


「それは?」


「ピッキングの傷跡をさらに詳細に調べてみた結果、傷跡の傾向から犯人の利き腕は右利きなんだ」

「右利きですって?」


「あぁ、左利きの人間がやるには不自然な傷のつきかたをしていた。ピッキングの技術自体はトップレベルだ。反対の利き腕であそこまで精密に行うことは不可能なだずだよ」

「・・・だとすると犯人は両利きということか?」


「可能性としては無くはないが、あまり考えにくいな。頭脳明晰で冷静沈着で体格が良くて筋肉質で両利きで手先が非常に器用。

 ここまでの特徴を持った犯人なら簡単に特定できてしまうはずなんだんだが、情報が全く出てこない。

 それにもう1つ。目撃者によるとその犯人は身長170cm程の普通の体格をした男だったそうだ。

 体格が良くて筋肉質という君の予想とは全く異なる。

 ・・・今回の事件は想像以上に厄介かもしれないよ」


九條はその場で黙り込んだ。

ここまで推理が全て外れてしまったのは初めての経験であった。振り出しに逆戻りである。


「それで、3つ目は?」


「現場にファンデーションの粉が肉眼では分からない程度に落ちてたんだよ。

 それに、ナイフの柄にはマニキュアの色素が微量に付着していた。複数犯いるうちの一人は女であるという可能性は考えられないかい?」


「女・・・。ありがとう緒方さん。もう一度1から調べなおしてみるよ」

「あぁ。僕もできるだけ細かな解析をして君達の手助けになれるよう頑張るよ」


九條と桐島は出ようとした署にもう一度足を踏み入れた。







警察署内にある事件データをまとめる資料室。刑事課の関する資料が並べられた本棚の前に彰は立っていた。

その場所から動く気配はない。何かをとどまっているような様子であった。


「・・・何やってるんだよ兄貴、早くコピーしちゃえよ」


不意に後ろから声をかけられ思わず彰はその場から飛びのいた。


「修治、菜々美・・・!?お前らどうやってこんな場所まで潜り込んできたんだ!?」


修治はわざとらしく笑った。


「くっくっく。兄貴がきちんと資料を取ってきてくれるか心配になったんだよ。

 次のターゲットはコイツだろう?」


修治は本棚のファイルケースから一束の紙切れを取り出した。

そこには人相の悪い一人の男が映っていた。


「なるほど、住所は家から近いな。今日中にでも始末できそうだ」


彰は修治から資料を勢いよく取り上げる。


「いい加減にしろ。もうよすんだ。二人も殺したんだ、もう充分だろ!?小島秀明で最後にするんだ。これ以上は殺せない」


「いーやダメだね。二人殺したくらいじゃ気が済まないんだよ。ゴミは世の中に腐るほどいる。もっと殺して浄化していかなきゃいけないんだよ。

 いい加減甘いこと言うのはやめろよ兄貴」


「俺はお前らの安全を心配してるんだ。

 今九條という警察官のエースが俺達の事件を徹底的に調べている。あの相手にこれ以上痕跡を残すわけにはいかないんだ。

 今の状態なら逃げ切ることも不可能じゃない。分かってくれ修治」


「ダメだ。今の資料にうつってる平塚隆。三人家族を交通事故に合わせ、父親が一人亡くなってるそうだ。

 女手一つで子供を育て、大変な思いをしているハズだぜ。母子家庭の経済状況じゃ将来大学に行って好きなことをすることだってできないはずだ。

 ところがその平塚隆はどうだ?

 人一人殺しておいて、家族の幸せを奪っておきながら今は生活保護でのうのうと暮らしてやがる。前の遠山のクソ野郎と同じパターンだよ。

 なぁ兄貴?悔しくないのか?俺達の幸せを奪った同類の奴らが、何の罪悪感も無しに平然と生きてやがるんだぜ」


修治は彰に至近距離で詰め寄った。


「刑務所暮らしなんて結局は警察署に守られてる生活なんだよ。奴らにはもっと地獄を見せてやるんだ。

 兄貴が止めようが、俺はやる」


彰は修治の身体を押しのけた。


「もうよせ!確かにお前の気持ちだってわかる! でもダメなんだ!これ以上やったらお前達の将来に傷がつくんだぞ!」


「傷ならとっくについてるさ!こんな状態でどうやってまともに生きろって言うんだ!

 親も交通事故で死んで、そのせいで菜々美は言葉すら持てなくなった!やられっぱなしで黙ってろって言うのか!?殺さないと正常を保てないんだよ!」


修治の目には涙がたまっていた。今にもこぼれそうなほどに。

菜々美は修治の袖をきつく握りしめた。

彰は声にもならない声を漏らす。


「・・・俺にはお前達をきちんと育て上げて自立させる義務があるんだ。分かってくれよ」


その時不意を突くようにガチャリと、扉の開く音がした。


「誰かいるのか?」


部屋に入ってきたのは九條であった。


「え、あ、九條さん?」


彰はとっさに資料を本棚に戻し、平常を装った。


「なんだ、金本か。怒鳴り声が聞こえたような気がするんだが・・・」


修治と菜々美はもうその場には居ない。

どうやらとっさの判断で上手く隠れたようだ。

彰は心の中でほっと胸をなでおろした。


「ちょっと資料を棚から落としちゃって、ビックリして声が出ちゃったんですよ」


「そうか、何か調べものか?」


「えぇ、まぁ。自分まだ新米なんで、過去の事件についても知っておこうかなと」


九條は笑いながらため息をこぼした。


「勤勉だな。桐島から聞いたよ、訓練生の時も常に成績はトップクラスだったんだって?」


「僕の他愛もない取り柄なんですよ、勉強って。警察官として必要な能力は学力じゃないですから。自慢できることでは・・・」


「謙遜しなくても良いさ。お前のような優秀な人間が居てくれると俺も安心できる」


「エースの人からそう言ってもらえるなんて僕も光栄ですよ。

 ところで、何か探し物ですか?」


「あぁ。今担当してる事件で何か得られるものは無いかと思ってたな。被害者のデータと関連がありそうなものを調べにきたんだ」


「九條さんが担当してる事件、かなり厄介そうですよね。証拠隠滅が徹底してるっていうか、小島が殺されたときは周辺の靴跡も入念に消されていたんでしょう?」


「あぁ、どうやら今回の犯人は単独犯らしいんだ。複数犯だと思ってたんだが俺の推理は完全に外れてしまった。始めてだよこんなことは」


彰の表情が一瞬凍った。

犯行は間違いなく複数犯であるからだ。

しかし警察側が何らかの形で間違った推理を進めてくれているのであれば彰にとっては都合が良い。


「・・・単独犯・・・?」


「あぁ、目撃者によると犯人は一人しか目撃されていないらしい。

 犯行現場に複数人がわざわざ時間をズラして訪れるなんて危険すぎるしメリットがない。冷静沈着な犯人がそんな無駄なこをするとは考えられない。

 犯行は単独で行われたものとみて良いだろう」


彰は動揺を悟られないようにしてすぐに笑顔を取り戻す。


「そ、それは奇妙ですよね。原型がなくなるほどに痛めつけるような感情で動くような人間なのにピッキングや靴跡の隠滅なんて、やけに冷静じゃないですか」


「・・・。そうだな、だから困ってるんだ。単独犯にしては一貫性が無さ過ぎるんだ」


「まるで幽霊に取りつかれたみたいですね」


「幽霊ねぇ。もしそうだとしたら俺達人間の手におえる事件じゃあないな」


二人は軽く苦笑した。

九條は資料ケースの束をいくつか腕に収めた。

ケースの間から一つの紙束が零れ落ちた。


「九條さん落としましたよ」

「あぁ、すまない」


九條はそれを受け取る。

紙を受け取る際、彰の手首に付けられた腕時計に一瞬視線を奪われた。

手首側に盤が見えるようにつけられており、色彩や装飾、ベルトのデザインもレディースのものであると推測される。


「・・・その時計、誰かからのもらい物か?」


「え? あれ? 何で今日こんな腕時計をつけてるんだろ。普段はメンズの時計を付けるんだけどな」


「レディースものの時計だからちょっと気になってな」

「寝ぼけてたんですかねぇ。最近どうも忘れっぽくて・・・」


「あまり寝れてないんじゃないのか?体調管理も仕事のうちだぞ。

 それじゃあ俺は資料漁りのために戻るよ」

「はい、お疲れ様です」


九條が部屋を出ていき、バタン、と扉が閉まる。


本棚の後ろからは修治と菜々美が姿を現した。

修治は小馬鹿にするように笑った。


「兄貴、本当にあの九條ってヤツァ警察署のエースなのか?単独犯だと?大ハズレだ。

 この程度のことも見抜けないようなヤツ等に、俺達を捕まえることなんてできないぜ」


彰は胸をなでおろし、溜息をついた。


「あぁ、予想外のミスをしてくれたな。この状況なら俺達の元へたどり着くことは到底不可能だろう」


「なら殺っちまおうぜ。警察ってのは想像以上にボンクラだ。このまま殺してもバレやしないさ」


彰は思わず怒鳴り声をあげる。


「何度も言わせるな!せっかく警察が手違いで俺達から遠ざかってくれてるんだ、このチャンスを棒に振る気か!?」


「ならもう言わねぇよ。兄貴は黙って死人が増えるのを見てればいいさ。俺一人でもやる」


「修治・・・!」


修治はそれだを言い残すと菜々美の腕を引き部屋を出て行った。

彰は頭を溜息をつきながら頭を抱えた。






九條は机の上に取ってきた資料を乱雑に広げた。

1枚1枚、高速で情報を読み取りページをすぐにめくっていく。


「どうしたんですか九條さん。そんな過去のデータなんか持ってきて」


九條はページをめくる手を休めることなく口を動かした。


「被害者は交通事故を起こしている人間という共通点の他に、何か関連がないか調べているんだ。

 それに、一つ怪しい点もあるしな」


「怪しい点?」


しまった、と言わんばかりに九條は口をつぐんだ。


「いや、今のは聞き流してくれ、なんでもない」


「えー。教えてくださいよ。気持ちが悪いじゃないですか」


桐島はわざとらしく九條に詰め寄った。

それを払いのける。


「今こんなことを言っても混乱を招くだけだ。まだ定かではないしな」


「別に誰かに言いふらしたりなんてしませんよ。気になって逆に捜査に集中できません。教えてくださいよ!」


「しつこいな。何でもないと言っているだろう」


桐島は不貞腐れるようにコーヒーを一口飲んだ。


「・・・、それにしてもおかしな事件ですよね。一人で行った犯行なのに、まるで複数人いるみたいに。

 幽霊が取りついて誰かを操っているみたいです」


九條はページをめくる手を止める。


「あ、冗談ですよ。本当に幽霊が居て殺人を犯しているのであれば、もう法律でどうこうできる話じゃないですよね」


「幽霊だとしたら?」


「え?」


「もし仮に、本当に幽霊が犯人に取りついて、操っていたとしたらどうする?」


「な、何を言ってるんですか九條さん?冗談ですよ?アナタらしくもない」


「・・・さっき金本彰と同じような話を少ししたんだ。お前と同じこと言っていたよ。まるで幽霊みたいである、と。

 もし俺の考えている仮説が正しいのであれば、あながち幽霊による犯行というのは間違いではないのかもしれない」


「あの、大丈夫ですか?少し休んだ方が良いのでは?疲れてるんですよ」


「俺はいたって正常だよ。だから言っただろう、混乱を招くだけであるって」


九條は三枚の資料を机に並べた。

そこには過去に事件を起こした犯人の個人情報が掲載されている。


「この三人がどうかしましたか?」


「野上雄介、平塚隆、竹ノ内圭吾。 おそらく、この三人のうち誰かが次のターゲットになるだろう」


「え?」


桐島はコーヒーカップを机に静かに置いた。


「被害者の特徴は過去に交通事故を起こしている人間。殺された遠山と小島の交友関係を調べてみたが、この二人に接点は一切なく完全に赤の他人であった。

 このことから犯人は被害者一人一人に対して個人的に怨みを持っているんだろう。

 今出したこの三人は同じように飲酒運転で事故を起こした人間達だ。そして、ここ数か月の間に出所している。それは遠山と小島も同じだ」


「無差別による復讐ですか」


「その線が妥当だろう。そして、遠山が起こした事故によって被害者家族は全員亡くなっているが、小島の事件に関しては亡くなったのは父親のみ。

 今現状において最も考えられる可能性としては、娘、もしくは妻による復讐。

 今から小島が起こした事件の被害者遺族に聞き込みに向かうぞ。

 犯人と推定される確率がもっとも高い人物だ。挙動、言葉遣い、すべてに注目しておけ」


桐島は顔を引き締めた。


「了解です」






萩原、と書かれた表札の前で九條と桐島は立ち止った。


「ここで間違いないだろう」


よくある普通の一軒家である。

インターホンと押すと中からは中年の女性が姿を現した。


九條は警察手帳を開きながら言う。


「萩原翠さん、ですよね? 五年前に起きた交通事故の件について、お話を聞かせていただけないでしょうか?」


翠、と呼ばれた妻であろうと推測される女は少し表情をしかめた後、小さい声でどうぞ、と二人を家へと招き入れた。

部屋の中は綺麗に掃除されておりシンプルな構成となっている。

棚の上に立てかけられた三人の家族写真。 無邪気に笑う娘の姿と夫婦の幸せそうな写真が飾られていた。

桐島と九條は胸を締め付けられる思いを振り払いながら席につく。

客用に用意されたであろうお茶を受け取った。


「あの・・・、警察の方が今更何の御用でしょうか?事件はもう解決しているハズですよね?」


翠はあからさまに不機嫌な顔をした。思い出したくない過去をぼり返されたのであれば当然の結果である。


「実は、今ある事件の調査をしていましてね。重要参考人として翠さんと娘の朱里さんにお話しを伺いたいのですよ。

 朱里さんはいらっしゃいますか?」


九條の問いに翠は押し黙った。


「何か、都合の悪いことでも?」


「朱里は、幼い頃に父親を亡くして、それが今でもトラウマになっているんです。たとえ警察の方々の願いと言えど、あの子に過去を思い出してほしくはありません。

 私だけでは不十分ですか?」


当然の言い分であり、九條もそれに対してそれ以上言及する術はなかった。

強引にいくと情報をさらけ出してもらえない可能性があるため、下手な言動に出れないのだ。


「お気持ちは重々承知です。しかしただいま捜査が難航しているため、少しでも手がかりを得たいんですよ」


「私たちにはもう関係のない話です。これ以上辛い過去を思い出させないで頂けませんか?

 主人が死んでから、娘と二人で二人三脚で支えあってきたんです。事件とはもう決別する意思を持ってここまで来たのに、またあの子のあんな顔は見たくありません」


翠の目じりには涙がたまっていた。

九條は表現しえない罪悪感に駆られる。


その時、口を出したのは意外にも桐島であった。


「小島秀明さんが亡くなられました」


その一言で場の空気が変わった。

翠は一瞬、ポカンと何が起こったのか分からないという表情をした。

一気に距離を詰め過ぎだ。悪手と言えば悪手だ。

そう思われたとき、扉に一人の少女が立っていた。


「それ、本当ですか?」

「朱里!」


朱里と呼ばれた一人の少女は二人の警察官をにらむようにじっと見た。服装から察するに高校生だ。

結果として朱里を引き出すことができた。桐島の一言はファインプレーだったのかもしれない。

九條は気分を一転させるように咳払いをした。


「荻原朱里さんですね、初めまして」


九條の挨拶に朱里は答えない。


「小島秀明が死んだっていうのは、本当なんですか?」


と、もう一度問う。

朱里の興味は警察官二人などではない。加害者ただ一人であった。


「落ち着いて話をしよう。どうぞ、かけてください」


そう促すと朱里は無言で向かい側のソファに腰をかけた。


「小島秀明が亡くなったのは本当です。

 昨日の深夜、都内の公園でナイフでめった刺しにされた後、全員を殴打された状態で亡くなっていました」


翠は驚いた様子であったが、朱里に表情の差は見られなかった。冷静沈着という犯人像と一致していると言えば一致している。

そして、朱里はその場で静かにうつむいた。

過去を思い出して具合でも悪くなったのだろうか、翠はすぐさま朱里の背中をさすった。


「朱里、大丈夫? 具合が悪くなったらいつでも部屋に戻って休んで良いのよ?無理しないで」


「フフッ、違うのよお母さん。

 フフフ、アハハハ!」


笑い声のトーンがどんどんと高くなっていく。

何がそんなに朱里を駆り立てるのか、その理由を九條と桐島は分かっていた。そして分かりたくもなかった。


「アハハハ!そうなの、死んだんだ、あの男。いい気味だわ」


九條に出されたはずのお茶を、朱里は一気に飲み干した。


「私、神様なんていないと思ってたけど、今確信したわ。神様は存在する。

 罪をおかした人間には必ず天罰が下るのよ。

 私たちの幸せを奪ったもの、当然の報いよ!死んで当然だわあんな男!」


「朱里さん、どうか落ち着いて」


桐島が落ち着かせようとするが、その手を勢いよくはじき返した。


「うるさい!あんた達に何が分かるって言うの!?幸せだった日々が、一瞬にしてあの男に奪われたのよ!?

 ただの事故だったらまだ良いわ。

 下らない馬鹿な不良の飲酒運転で、お父さんは死んだの?冗談じゃないわ!

 何であんなクズのせいで私たちがこんな目に遭わないといけないのよ!

 裁判所でのことは今でも鮮明で覚えてるわ。

 事故を起こした当時はアホ面下げてヘラヘラしてたくせに、裁判官の前ではあたかも反省しているかみたいに、思ってもないセリフをペラペラと!

 あの時神様なんて居ないと思ったわ。

 未成年っていうだけで、人を殺しておいて反省もしてないようなヤツが、たったの五年で刑務所から出てこれるんだもの。

 私たちは一生苦しみを背負って生きていかないといけないのに、あの男に課せられた苦しみはたったの五年、こんなことってある!?」


朱里の声色はだんだんとか細くなっていくのが分かった。

声が震えている。怒りながら泣いているのだ。

翠も激昂する朱里をなだめよとするが、朱里は翠の手もはじいた。


「誰が小島のことを殺してくれたのか分からない。でも私は胸を張って言える、私にとっての神様はその人だって。

 私はあなた達警察官の味方になんてならない、事情聴取だってお断りだわ。

 その人がクズの罪を裁いてくれるのなら、私はその人の邪魔をする人間には手を貸さない!

 小島が死んだって聞けただけであなた達に用は無いわ、帰って!

 このまま居座るっていうなら別の警察を呼ぶわよ!」


まるでフルマラソンを終えた選手かのように、激しい息切れを起こしていた。

汗もベットリをかいている。

翠は急いで朱里の顔を拭くと、九條と桐島に向けて声を荒げた。


「もう帰ってください!これ以上この子を苦しめないで!」


「・・・。分かりました。今日はこれで帰ります。

 最後に、電話番号だけこの紙に書いてもらっても良いでしょうか?」


「本当に、何か重要なことが分かるまで、連絡はしてこないでください」

「そのつもりです」


半ば強制的に、九條と桐島は家の外へと追い出されてしまった。

九條は深いため息をついた。

横では桐島も同じように、うつむいたまま、溜息をついた。


「・・・、九條さん。あの二人は犯人じゃないですよ」

「あぁ。とても、演技だとは思えない。最後に電話番号を書いてもらった時、利き腕を確かめさせてもらったが、両方右利きだった」


「わざわざそんなことをしなくても、犯人じゃないことくらい分かりますよ。

 九條さん、アナタは先日彰に警察は加害者に加担するようなことがあってはならないと言いましたよね?

 本当にそうなんでしょうか」


九條は黙った。

納得させられる回答が思いつかなかったからだ。


「朱里さんの言う通りだと思うんですよ。

 被害者の方は一生心の傷と向き合って生きていかないとならないのに、加害者に課せられた刑はたかだか数年って、あまりにも不公平だと思うんです。

 だからと言って殺して良い理由にはもちろんなりませんよ。

 ・・・けど、自分の幸せを奪った人間が悠々と暮らしていれば、僕が同じ立場だったら殺人犯になっていても不思議じゃないです。

 犯人もきっと朱里さんと全く同じだったんじゃないでしょうか」


「・・・。そうだな」


「彰って強いんだなぁって思いましたよ。事故で両親と左半分の自由を奪われて、それでも憎しみに囚われることなく自分のやるべきこを全うしているんだ。

 同い年なのに尊敬しますよ」


桐島の言葉に、違和感を感じた。


「・・・、待て桐島」

「はい?どうかしましたか?」


何かがかみ合わない気がする。


「両親を事故で失った?」

「えぇ」


「金本彰が交通事故で半身麻痺になったのは聞いている。

 しかし金本は”同乗していた家族全員は無事でしたし、大きなを怪我を負ったのも自分一人だったんで”と言っていたはずだ」


「あぁ、そうか、九條さんは知らないんですよね。彰がまだ小学生だった頃、両親二人を乗せた車が事故にあって亡くなられてるんですよ」


「その事故の詳細について何か知っているか?」

「いえ、話に聞いただけなんであまり詳しくは分からないですけど・・・」


「桐島、金本彰の弟について、何かしっているか?」


突然話がすり替わったことにより桐島はたじろいだ。


「え?何ですか急に・・・」

「良いから!」


急に大声を出す九條に桐島はビクリと肩を震わせる。


「彰の兄弟とは会ったことがないので何とも・・・」


「金本彰は確か前日こう言っていたはずだ。妹には弟のようにアクティブな趣味を持ってほしかった、と」


「あぁ。小話程度に聞いた話なんですが、どうにもラグビーのエースのような存在で自慢の弟だってよく話していましたよ。

 身長が185?もあって日本人ではなかなか珍しい恵体だそうです。

 話によると弟さんもすごく立派な人・・・」


桐島も何かに気付いたように、言葉を自ら遮った。


「いや、まさかそんなはずは」


九條にアイコンタクトを送るが、九條は黙ったままだ。


「確かに、体格がよくて筋肉質、頭脳明晰、手先が器用。この特徴を全てもってるのが彰とその兄弟ですが、犯人は単独犯なんですよ?

 どうやったって矛盾が生じるじゃないですか。

 それに、彰がもし復讐目的で殺人を犯していたとしても事故の資料を見る限りでは被害者の名前に金本と名のついた夫婦は存在しません。

 ただの偶然ですよ、こんなの」

 

「あぁ。お前の言う通りだ。何かが惜しいんだ」

「そんな、たとえ九條さんでも、彰のことを疑うような真似はやめてくださいよ」


「・・・。桐島、一度署に戻って、金本彰のご両親が亡くなった事件について調べるぞ。今回の事件、誰も予想できなかった結末になるかもしれない」

「九條さん!」


桐島の声を無視し、九條は車へ乗り込んだ。






その日の夕方。

金本家のリビングでは食事を取り囲むように、修治と彰と菜々美が椅子に腰かけていた。


「修治、最近ラグビーはどうなんだ?上手くいってるのか?」


「ん?あぁ。問題ない。先週の西校との試合も30点差で俺らの勝ちだったよ。

 次の試合に勝てば全国出場だ」


彰はニコリとほほ笑んだ。


「そうか、それは良かったな。大学はもう決めてあるのか?」


「このままいけばスポーツ推薦で入れるよ。馬鹿な俺でも大学受験は何とかパスできそうだ」


自虐気味に修治は笑った。


「菜々美は、最近学校はどうだ?楽しいか?」


菜々美は静かに二回頷いた。

彰をそっと菜々美を頭を撫でた。


他愛もない家族での会話。


「明日はお父さんとお母さんの命日だね」


と修治。


「そうだな、明日は休みを取ってあるんだ。三人で花を買って墓参りに行こう」


「花なんて必要ないさ」

「何でだ?」


「今日はとっておきのやつを殺りにいく。花なんかより何倍も華やかだぜ。ソイツの首を添えてやるんだ」


彰は静かに食器をテーブルにおいた。


「・・・まだそんな話をしているのか」


「いっただろ。兄貴が止めても俺はやるって」


「いい加減にしてくれ。お前はなんでいつまでったても・・・」


「野上雄介」


その名前を修治が口にした途端、彰と菜々美の身体が一気に硬直した。

菜々美はじっと修治を見つめる。


「この日のために、コイツだけはわざわざ生かしておいたんだ」

「やめろ修治。相手が誰であろうと、もう殺しはやめるんだ。

 日本の警察だってそこまで馬鹿じゃないんだぞ」


「ならコイツだけ殺せば、もう殺しはやめる、それでどうだ?」


「ダメだ。もう殺しはさせない。次は力づくで止めるぞ」


修治は苦笑する。


「左半身が動かないのにどうやって俺を止めるんだよ。野上だけは絶対に殺す。もしそれで捕まったら全部俺のせいにしてくれれば良いさ。

 二人には迷惑をかけないって。俺はもういつ死んだって良い」


バンッ。と彰は机を叩いた。菜々美は思わず肩を震わせる。

近くにあったコップは倒れ、静かに机を浸食していく。


「いつ死んだって良いなんて、二度と軽々しく口に出すな。

 父さんと母さんが居なくなって、俺が毎日どんな気持ちでお前らを・・・。

 俺にとっての家族はお前達二人しか居ないんだ。

 ・・・、もう俺の目の前から大切な人を失いたくはない。お願いだ。じっとしていてくれ」


意を決したように、彰は自室へと左足を引きずりながら入り、薬を取り出した。


「おいおい、なんだそりゃ」


「修治、お前は今疲れてるんだよ。最近ちゃんと眠れてないだろう?

 ほら睡眠薬だ。今日はもう大人しくこれで寝ておくんだ。普通なら一錠だが、お前は3錠飲め。何があっても起きないくらい、じっくりと眠れ」


彰は修治の口に無理矢理錠剤を押し込み、近くにあったコップの水を口へと流し込んだ。

修治はしっかりとそれをのみこむ。


修治はそれでも平然を装っていた。


「クックック。無駄だよ、兄貴。本当は分かってるんじゃないのか?こんなことをしたって殺しは止まらないんだよ。

 俺の手足をもいだって、菜々美を殺したって殺しはもう止められない。

 あぁ、楽しみだなぁ。野上の首がお母さんとお父さんのお墓の前に添えられるのが。

 死をもって、あのクズ野郎に謝罪させてやるんだ」


修治は一人で自嘲気味に笑う。彰は眉間にシワを寄せて視線を外した。

そして菜々美はコップからこぼれ出たみずをぼーっと見つめていた。その水に反射して映るのは彰と修治の二人の姿。

修治と彰の顔を交互に見つめる。険悪な空気をどうにかして追い払いたかったが、菜々美は何もできなかった。

軽々しい慰めは逆効果であるからだ。

しばらく考え込んだ後何かを決心したように、静かに唇をかんだ。


菜々美は睡眠薬が入った箱を手に取ると中から睡眠薬を取り出し彰に無言で差し出した。


「菜々美?」


唖然とする彰に、飲めと言わんばかりにもう一度強く差し出す。


「・・・俺の身体を気遣ってくれているのか?」


菜々美はコクコクとうなずいた。


「・・・そうだな。思えばここ最近、よく眠れていなかったのは俺の方かもしれない。ありがとう菜々美。今日はゆっくり休むよ。

 修治も、もうじき薬の効果が出てくる頃だろう。大人しくゆっくり眠ってるんだぞ」


彰の安堵した顔を見た菜々美は心の底から幸せそうに笑った。

久しぶりに、彰のちゃんとした笑顔を見た気がする。






同時刻。警察署。

九條と桐島は三人のデータファイルを机に広げていた。

野上雄介、平塚隆、竹ノ内圭吾。


「桐島、怒らないでよく聞いてくれ。

 もし、もしもだ。金本兄弟が殺人の犯人だった場合、次に殺されるターゲットはこの三人の中にいる」


「・・・」


桐島は何も言わない。

それは桐島自身も、心の奥底では金本兄弟が犯人でないかという疑惑が拭いきれなかったからだ。

しかし桐島の言う通り、この三人が起こした事件の被害者には金本と名のついた人間は一人たりとも存在しなかった。

ただの偶然なのか否か、魚の骨が喉につっかえたかのような違和感があった。


「遠山と小島には交通事故以外にもまだ共通点がある。

 一つは飲酒運転。

 そしてもう一つが事故の被害者がいずれにせよ家族であるということ。

 野上、平塚、竹ノ内の三人もいずれにせよこの特徴に当てはまっている。

 殺された男二人はいずれにせよ出所日が早い順に殺されている。

 この手順でいけば、次に殺されるのは平塚隆だろう」


「平塚に警官をつけますか?」


九條は首を横に振った。


「下手に警官を護衛につければ犯人に警戒される。平塚にはあえて何も伝えず俺とお前、あえて二人で平塚を見張るんだ」

「そんな、人の命が狙われてるっていうのに、僕たちだけで?」


九條は桐島の目の奥を見据える。


「桐島。お前さっき、被害者の気持ちが分かるって言ったよな。

 俺もそうだ。朱里さんを見て考え方が変わった。刑務所に入ったくらいで罪を償うなんて、できっこないんだ。

 だから平塚にも、リスクを背負ってもらう。

 犯人逮捕のための囮として、コイツを使うんだ」


「九條さん」


「心配するな。もちろん殺させはしない。

 平塚は昼夜逆転の生活を送っており、夕方五時頃になると起床し、閉店まで近くのパチンコ店に居る。

 昼間の店内で殺されることは考えにくい。暗くなってからの帰り道、そして帰宅してから家の外で平塚の家で見張るんだ」


「・・・分かりました」






夜11時。あたりがすっかりと暗くなってきた頃、電子音が響く騒がしい建物が一人の男が無精ひげを生やし、全身灰色のスウェットを着た状態で姿を現した。

平塚隆だ。九條と桐島は気付かれないように気配を殺して平塚の後を追う。そして何事も無かったかのように平塚は住宅街の中にあるアパートへと帰宅した。

襲われるとすればこれからの時間帯である。

二人は向かい側の一軒家にあるガレージの車の中から平塚のアパートを監視した。民間人に捜査協力を要請し、今に至るのである。


「呑気なもんですね。仕事もせず生活保護で毎日パチンコ三昧ですか。

 こんな姿を被害者に見せたら、なんて思うでしょうか」


「・・・世の中って言うのは、悪いヤツが得をするようにできているのかもしれないな」


と、九條がボヤいた。

桐島も心の中で静かに同意する。

この世の中に正義などというものは存在しないのかもしれない。

張り込みは長期戦である、二人は菓子パンを食べながら退屈をしのぐことにした。







同時刻。住宅街の外れにある薄暗い道路。

化粧が濃く、肌を大きく露出させた水商売の女の肩を組みながら整えられた髭を生やしたオールバックの男が歩いていた。

切れかかった街頭が当たりと不気味に照らす。


「ねぇ、なんかここ不気味じゃない?怖いから早く歩こうよ」

「奈央子は怖がりだな、大丈夫だって俺がいるじゃん?」


男は女の肩を強く体に寄せ付けた。女もまんざらでもないのか口を出す様子はない。


二人の行先をふさぐように、一人の黒尽くめの衣装をまとった男が一人。

ニット帽とマスクで隠された顔から覗く目は鋭く一人の男をとらえている。


オールバックの男もその男がただの通りすがりではないことに気付き、足を止める。


「・・・なんだオメェ」


わざと威嚇するように、低い声で言った。


「野上、雄介」


「・・・あ?何でおれの名前・・・」


そう言いかけた途端、男の左腕の袖からは隠れて見えなかった刃物が外灯に照らされた。キラリと光った反射光が野上の目に映る。


「ねぇ雄介、この人ヤバくない・・・?」


野上は無言で女をその場から引きはがした。


「下がってろ、コイツどうやら俺に用があるんだとよ」

「本当に大丈夫?」

「大丈夫だって。見たところ身長も170cmそこら。体格だってスポーツマンって柄じゃねぇ。ハッタリだ」


野上は静かにファイティングポーズを取った。

刃物を持った男に一切動じないのにも理由があった。

野上雄介は幼少の頃から折り紙付きの不良であり、ストリートファイトで鍛えられた肉体には自信を持っているのだ。

学生の頃から凶器を持った相手に数々の喧嘩をこなしてきた野上からすれば、ナイフを持った男など取るにたらない存在であった。


「何か用かよぼっちゃん」


わざと挑発するように言う。


「・・・身に覚えはないのか」


「さてね。人から怨みを買いすぎて誰の事か検討もつかねぇよ。今までお前みてぇなの何人居たさ、もう慣れっこだよ」


「七年前、お前が酒気帯び運転で事故を起こして殺した夫婦に、覚えはないのか」


男は低い声で言う。

野上はその場でわざと考え込むように、首をかしげて沈黙した。


「夫婦・・・。あー、ちょっと待て、もう少しで思い出せそうなんだ。

 えーっと、夫婦、夫婦・・・」


野上はポンと手を叩く。


「思い出したか?」


野上は白い歯を見せびらかすように笑った。


「誰だっけ?」


ブチン、と。血管の切れる音がハッキリと聞こえた。

男はナイフを握る手に力を込めた。


「やっぱりだめだ、コイツは生かしておいたらいけない人間なんだ。

 クズが!死をもって償え!」


男は一瞬で野上までの距離を詰め、懐に入り込んだ。そしてナイフを高速で振り上げる。

野上は長年の経験から培ってきた動体視力により紙一重でそれをかわす。

首元がかすった。すぐさまバックステップで距離を取り、首元の血を拭う。


「へぇ!良い動きすんじゃ・・・」


言い終わる余裕を持たせる暇もなく次の攻撃が野上を襲う。キレのある動きは一閃一閃が確実に野上の急所をとらえてきた。


「このっ・・・!」


一瞬の隙をついた、野上は男の左手首をつかんだ。

野上の鍛えられた腕はガッチリと男の左腕をホールドする。


「捕まえたぞこのやろう!」


が、男は左腕を力強く後ろに引っ張り、野上の身体もろとも引き寄せる。

しっかりと筋肉をまとい、それなりに重量がある野上をも軽々と。


「なっ!? コイツどこにこんな力が」


それと同時、男の右拳が野上の頬へとめり込んだ。

骨が頬骨にぶつかり鈍い音がする。


野上その衝撃で吹き飛ばされ2mほど転がった。


一瞬遅れて右の頬から波打つように痛みがジワジワと広がる。感覚的に分かった。おそらく頬骨が欠損している。

まるでプロレスラーに殴られたかのような衝撃だった。

男の中肉中背からは考えられない威力だ。


「テメェ!」


逆上した野上は地面の砂利を広い、男の顔面目掛けて投げつけた。

男は思わず顔を覆うが、その一瞬を野上は見逃さない。

がら空きとなった胴体に強烈なボディブローを叩き込んだ。

男は肺にたまったすべての息を吐き出すのと同時に声にもならないような声を出した。

さらに顔面に右フック、左フック、もう一度右フック。

そして最後に強烈な右ストレートが男の顔面を打ち抜く。


マスクは剥がれ、鼻と口から噴き出した血があたりいったいにこびりついた。

男はよろめきながらもニット帽を深くかぶり、できるだけ顔を隠した。

血が顔いっぱいに広がり、ただでさえ薄暗い道路では男の顔を確認することはできない。


顔面を強く殴られた衝撃で視界がボヤける。軽い脳震盪を起こしているようだ。


「覚悟しろよテメェ」


野上は弱った獲物を追い詰めるかのように、静かに男に詰め寄る。

その時、腹部がじんわりと熱くなった。

思わず視線を下げると血が服を染めていた。

遅れてやってくる激痛。


「おぉ・・!?あ!?」


野上は思わずその場にうずくまった。

ナイフの刃物本体がいつのまにか腹部にめり込んでいたのだ。

男の左腕に持ったナイフは柄しか存在しない。どうやら刃渡り部分が飛び出したようだ。


「きゃあああ!」


傍にいた女は思わず悲鳴を漏らす。

ビクリと、男の身体が悲鳴に反応した。


突如脚を内股にし、その場で頭を抑え始めた。

野上は突然の行動に訳が分からず目を丸くする。

左腕からはナイフの柄が零れ落ちた。


「お、にいさん・・・。よく聞いて。わ、わたしの名前、は、ね。 金本菜々美」

「あ?何言ってやがる」


男はそのすきをついてその場から全力疾走で逃げ出した。


「待てやコラァ!!!」


野上の怒鳴り声もむなしく、男の姿は暗闇へと溶け込んでいった。





その夜、警察署からの直通の電話に九條に繋がった。

野上が警察署に駆け込み、助けを求めたのだ。


二人は目を丸くする。


「平塚じゃ・・・、無い?」


二人は平塚の監視を早急に切り上げるとすぐさま警察署の救急医療室へと向かった。

そこには包帯を巻いた野上と、付き添いだと思われる女が1人。


「野上雄介だな、さっそく話を聞かせてもらおうか?」


九條は背もたれのない小さな椅子を部屋のわきから取り出し座った。

桐島もそれに続く。


「いてて・・・。患者を思いやる精神はねーのかアンタら」

「・・・お前が起こした事故によって亡くなられた人に比べてれば大した傷じゃないだろう」


「ちっ。またそれか、俺のこと刺しやがったヤツもそんなこと言ってたな。夫婦がどうのこうのって」

「お前にとっては、殺した夫婦の存在など取るにたらないという訳か」


「は?いちいち起こした事故なんて細かく覚えてねーよ。ま、殺したことは覚えてるがな。

 あの男の前ではわざとしらばっくれてやったが」


九條は男の腹を鷲掴みにした。


「うがぁっい!?」


野上は思わず奇声を発した。


「テメェ!!何しやがる!ぶっ殺すぞ!」


九條は息が当たる距離まで顔を野上の顔に近づけた。


「下らない御託は良い。事件があった時のことを答えろ。今すぐにだ」


腹を鷲掴みにする九條の手に、微妙にさらに力が込められた。


「あぁ、分かった!分かったから離してくれよ!」


九條を手をどけた。


「本当に警察かよ、イカれてやがる・・・。

 話すも何も、そこの女のと暗い夜道を歩いてたらいきなりマスクとニット帽をつけた男がナイフを持って俺の目の前に現れたんだよ。

 んで、ちょっとやりやった後、いきなり腹に激痛が走ってよ。気ついたらナイフの刃が腹に刺さってたんだ」


「スペツナズナイフか」

「何ですかそれ」

と桐島。


「ソ連軍が使用していた刃が飛び出すナイフだよ。

 市販の物を改造して作ったんだろう。

 それで、その男の特徴は何かあるか?」


「特徴?全身黒づくめで、声もふつうの男の声だったよ。特に特徴なんてものはねぇ」


「本当か?身長が180cm以上あって、筋肉質ではなかったのか?」


「はぁ?そんな分かりやすい特徴だったらもっと鮮明に覚えてるよ」


修治、彰、菜々美。

この三人の中で普通体型の男として当てはまるのは彰だけである。


「犯人は彰ってことですか?

 いやでも彰は半身まひで体をそんなに器用には動かせないはずだし・・・」


と桐島。


「身長も普通だし体格も普通。 なのにその男めっぽう力がつえーのよ。

 俺の身体も片手で軽々しく引き寄せたり、一発殴られただけで、ほら」


野上は右頬の傷を見せた。

骨が粉砕され、顔の形が一部変形しており、見るに無残だ。


「喧嘩ってのは身長でパワーが決まんだよ。背が高けりゃそれだけ全体重を拳に乗せられる。俺も何百って数の喧嘩してきたが、あんなの初めてだぜ。

 そこら辺のサラリーマンみてーな体してるくせにまるでヘビー級のプロレスラーと喧嘩してるみたいだった」


「そのほかには?」


「逃げる前によ、いきなり雰囲気が変わったんだ。内股になって女みてーな感じになって、しゃべり方もオカマみてーだったぜ。

 逃げ際にこう言ったんだ。

 私の名前は金本菜々美」


九條と桐島は目を見開いた。


「九條さん、犯人は妹さんなんですか?」

「・・・」


「警察の兄ちゃん、女であんなパワー持ってるやつなんてありえねーよ。よく分かんねーが絶対男だった。声も低い男の声だったしな。

 ただ最後の最後で走って逃げる前に、まるで幽霊に取りつかれたみてーに人格が変わってよ。

 ったく、気味のわりぃ」



「ゆ、幽霊・・・、また・・・。九條さん、今回の事件って本当に幽霊が・・・?」


「あ?何言ってんだよ兄ちゃん。幽霊なんて存在する訳ねーだろ。

 ありゃ多分薬でもキメてやがんだよ。そういうヤツと喧嘩したことあるから分かるぜ。

 薬が切れるとまるで別人になったみてーに人格が変わるんだ。

 大体、ナイフ持っていきなり人のこと襲い掛かってくる時点でイカれてんだよ」


ガチャリと、扉が開き、緒方が病室へと入ってきた。


「九條さん、頼まれてた通り、現場に残された血痕とナイフに付着した指紋を急ピッチでDNA照合だけ行いましたよ」


「・・・それで、どうでした?」


「両者とも、金本彰のものと一致しました」


桐島は思わず息を噴き出した。

そして口元を拭う。


「緒方さん、今何て・・・。彰が、犯人・・・?

 な、何かの冗談ですよね?

 だって犯人は左利きじゃないですか。彰は左の腕が思うように動かせないのに殺人なんて無理ですよ。

 それに、走って逃げるのだって、左足が不自由な状態じゃ・・・。

 まさか、左半身が不自由って言うのは嘘?」


「いや、左半身が不自由なのは本当だ。

 金本彰の挙動を見る限り、フリでできるような動きじゃないし、前もって緒方さんに金本彰の診断書を当時に外科医に見せてもらった。

 そして、金本彰が犯人であることも本当だ。野上を襲ったのも、遠山と小島を襲ったのも、金本彰本人だ」


「九條さん、あなたさっきから言ってることが矛盾してますよ・・・!

 左半身が不自由な状態で、どうやって野上を襲ったり、過去の二人みたいに胸骨を貫通させるほどの力でナイフを、左腕でさせるって言うんですか?」

 


九條は深く考え込んだ後、おもむろに立ち上がった。


「やはり、そうだったか。

 野上雄介、捜査の協力に感謝する。緒方さんもわざわざありがとうございます。

 この事件はまだ署内でも内密にお願いします。最後に一つだけ、金本彰に試しておきたいことがあるんで」


緒方は静かにうなずいた。


「九條くん、参考になるかどうかは分からないけど、最後にもう一つだけ。血液からは睡眠薬の成分が検出された。

 普通なら強制的に眠りにつく量だ。とても野上を襲えるほどアクティブに動けるようにはならないくらいにね」


「緒方さん、本当にありがとうございます。桐島、最後にもう一度だけ資料室に向かうぞ。

 ・・・謎が解けた。金本彰は俺とお前、二人で捕まえる」


桐島は部屋を出ていく九條に少しの間見つめた後、意を決したようにそれにつづいた。





次の日の朝。

彰は顔面に走る激痛によって目覚めた。

体に目を向けると血液が体中に四散している。あたりを見渡すと見覚えのある近所の公園のようだ。


「何だ、これ」


「大丈夫かよ兄貴、血だらけじゃないか」


横には修治がナイフをいじりながら遊具に座っていた。

菜々美はブランコを小さく揺らしている。その表情はどこから憂いを帯びているようであった。


「修治、俺はなぜこんなところで寝ているんだ?」


「三人で野上を襲いにいった後、倒れこんで気絶したんだよ」

「野上を・・・襲った?

 修治、また殺したのか!?」


「殺し損ねたんだよ。これから最後の仕上げに向かうところだ」

「仕上げだと?」


「今から野上の家に向かって奴を殺す。

 ヤツの家はここから歩いて15分もかかんねーよ。

 ほら、兄貴休んでる暇なんか無い。さっさと行こうぜ」


修治は彰の身体を強引に立ち上がらせた。


「やめろ、やめてくれ。死んでないんだったらそれで良いじゃないか」


「良くない!」


修治は声を張り上げた。


「修治?」


「兄貴は昨日のことを覚えてないのか?

 お父さんとお母さんを殺したことを覚えてるかって、野上に聞いた時のことだよ」


「・・・なんの話だ?」


「何言ってるんだよ兄貴。

 野上の野郎、覚えてすらいなかったじゃないか。まるで父さんと母さんを虫でも殺すかのように、言いやがったんだよ。誰だっけ、ってな。

 許せねぇよ。アイツだけは絶対に殺す」


「覚えて、無かった?」


「ヤツにとってあの事故は、日常でおきた他愛もない出来事の一つだったんだよ」


「そんな・・・」

「俺はここまでの仕打ちを受けてはいそうですか、殺人はいけないことですね。なんて引き下がれるほど聖人じゃねーぞ兄貴」


彰は言葉を失った。


「兄貴だって思っただろ?コイツだけは生かしちゃおけないって。

 いくら兄貴でも俺の邪魔をするなら力づくでも殺しにいく。 頼む、邪魔をしないでくれよ」


修治は彰から静かに菜々美へと視線を移した。

声のトーンを少し落とし、聞こえないように彰だけに言う。


「父さんと母さんだけじゃない。声も失った菜々美がある意味で一番の被害者なんだよ。どうにかして仇をうってやりたい」


修治の声はわずかに震えていた。

感情が爆発するギリギリの状態で何とか耐え凌いでいるのだ。

彰は何も言えなかった。

兄弟の苦しみも、修治以上に理解しているつもりであったからだ。


無言のまま数秒の間立ち尽くした後、修治は静かに歩きだした。

その歩く方向は野上の家だ。

彰は止めようと思ったが、発しようとしたその声を抑え思いとどまった。

そして、左足を引き釣りながら修治の後に続いた。


修治と先頭に彰と菜々美はただ無言で道歩いた。野上雄介を殺しに行くために。


「・・・長かったな。今まで」


彰が言う。


「何がだよ?」


修治は振り返らずにそう返した。


「野上を殺せば、俺達はもう逃げられない。三人仲良く刑務所行きだ」


「・・・、そうだな」


「長かったよ。今まで。事故で父さんと母さんが死んで、ずっと憎しみだけに囚われて生きてきたんだ。

 それも今日で終わる」


「あぁ」


「終わったら、警察に出頭しよう。罪を償うんだ。

 そして刑期が終わったら、また三人でやり直そう。 

 俺達だったら、何とかなる」


「・・・あぁ」


修治はあえて短い言葉のみを選んだ。

野上を殺せば、もう逃げる理由はない。自分が犯した罪を修治も受け入れるつもりでいた。


「兄貴、迷惑をかけた」


急に下がった声のトーンに彰は少し動揺した。

すぐに気を取り直し、彰は優しい声色で言う。


「気にするな」


言い終わるのとそれは同時に起こった。

一台の車が三人をめがけて急突進したきたのだ。


彰はとっさの判断で二人を抱きかかえ逆方向へと勢いよく倒れこんだ。

車もブレーキを直前でかけていたため、幸い事故には至らなかった。

タイヤの焦げた不快な匂いが鼻腔を刺激した。


まるで、彰が大学生の頃に起きた交通事故のように。

半身不随の原因となった出来事が脳みそにフラッシュバックした。


「・・・どいつもこいつも」


左手にナイフを握りながら低い声で修治が言った。


「殺してやる」


「お、おいまて修治!今こんなことをしてる場合じゃないだろう」


「どうせ捕まるんだ、今更ここで一人殺したところで一緒さ。

 何回事故を起こせば気が済むんだコイツらは。

 死なないと分からないんだよ。

 おい、車から降りて来い!」


修治がそう怒鳴ると、車の扉がガチャリと開いた。

二人の男が出てきた。


車から姿を表したのは九條と桐島だった。


「九條さん、桐島!?

 修治、止まれ!この二人は警察だ!」


「あ?そんなもん関係ねぇ、警察だろうが何だろうが、こういう奴らは死なないと分からないんだ」


九條と桐島は憐れむように、視線を向けた。


「く、九條さん。彰は本当に・・・」

「うろたえるな桐島。警察官としてしっかりと結末を見届けろ」


「何ごちゃごちゃ言ってんだよ。ぶっ殺してやる」


今にも二人にとびかかりそうな修治を彰は必死に止めた。


「修治!やめてくれ!その人たちは何も悪くないんだ!

 ナイフを下ろせ! 野上に復讐するんだろ!

 こんなところで捕まっても良いのか!?お前だけでも逃げろ!」



「アナタだ」


九條は静かに、それでいてハッキリと耳に残る声色でそういった。


「捕まるのは、アナタ一人だ。金本彰」


「・・・は?」


場の空気は一瞬凍り付く。

彰は何かに懇願するように言う。


「ま、まさか。修治と菜々美は見逃してくれるんですか?

 は、ははっ。おい、修治、菜々美、やったな!喜べよ!

 捕まるのは俺一人で良いんだってさ!!」


「さぁ、金本彰。

 ナイフを下ろすんだ」


「・・・え?」


彰は九條の顔に視線を移した。

急に何を言っているんだ、この男は。


「九條さん?何を言って・・・。

 僕はナイフなんて持ってない、持ってるのは修治ですよ?」


「…落ち着いて。深呼吸をして、ゆっくりと、自分の左腕に注目するんだ」


言われた通り、しずかに呼吸をしながら、彰は静かに恐る恐る、自分の左腕を見た。

その腕にはしっかりと、ナイフが握られていた。


「!?」


彰は思わずナイフを手放す。カランカラン、とナイフが地面に転がった。


「な、何がどうなってる・・・!?

 おい修治、お前いつの間に俺にナイフを持たせたんだ」


彰は修治に詰め寄るが、修治は何も答えない。

明後日の方向を見ながら、ただ茫然と立ち尽くしている。まるで何も見えていないかのように。

彰の声が修治の耳には届いていないようだった。


「修治さんは、そこにはいないよ彰」


と、桐島。


「何を言ってるんだよ桐島。 ここにいるじゃないか修治が、見えてないのか?」


桐島は静かに首を横に振った。


「修治さんは居ない。菜々美さんも居ない。ここには」


「金本彰、もう一度深呼吸をして、よく周りを見てみろ」


彰はもう一度大きく息を吸って吐く。

何が起きているのかが分からない。

そしてもう一度、修治に視線を向けた。


そこのいるはずの修治はどこにも居ない。

そこには、誰もいなかった。


「修治・・・?」


右を見る。

そこには、菜々美もいない。

何の痕跡もなく、完全に消え去っていた。


「菜々美?おい、どこに行った?

 いつからいなくなったんだよ!?」


確かにさっきまでそこに居たはずの二人の姿が、どこにも見当たらなかった。

まるで神隠しにでもあったかのように、キレイに姿を消していた。

何が起こったのか全く分からない。彰は一抹の恐怖すらも覚えた。


「金本彰、よく聞け。 

 修治さんと菜々美さんは、居ないんだよ。 

 5年前から、この世には」


「・・・は?」


脂汗が彰の頬を伝った。

動揺を隠しきれないで言う。


「九條さん、何を言ってるんだ?冗談なら笑えないぞ」


「冗談なんかじゃない。俺はいたって真面目だ。

 修治さんと菜々美さんは、お前を半身麻痺においやった大学生の頃の交通事故で、亡くなられているんだ」


「な、なんだと?馬鹿なことを言うな、あの事故では誰も死んじゃいない!

 俺が入院して、後遺症が残るって医者から言われたとき、ずっと傍で励ましてくれてたんだ、今だってよく覚えてる!

 俺は二人のおかげで現実を受け入れることができたし、立ち直ることだってできた!」


九條の表情はずっと晴れないままだ。

ずっと、何かを悲しむかのような陰険な表情を崩さなかった。

何がそんなに悲しいのか、彰にはわからない。


「・・・現実なんて、最初から受け入れちゃいなかったんだよ。アンタは」


「九條さん、アンタさっきから何が言いたいんだよ?

 訳がわかんねーこと言うのはやめてくれよ!」


彰は九條に対するイラ立ちと、何が起こったのか分からない焦燥感で思わず叫んだ。


九條は静かに言った。

彰の耳にしっかりと聞こえるように、ハッキリと一字一句。


「解離性同一性障害。またの名を、多重人格」


「多重・・・人格?」


「何か強いストレスがかかったとき、脳がそのストレスから逃れるために記憶喪失を起こしたり、別の人格が生まれたりすることがある。

 ・・・アナタは兄弟を亡くしてしまったという現実から目を背けるために、

 脳内に菜々美さんと修治さんの人格を無意識のうちに作り出してしまっていたんだ」


「そ、そんな馬鹿な・・・!

 そんなことが・・・。 

 嘘だ、修治と菜々美はさっきまでここにいた。俺をからかおうとしてるんだろ?

 おい、早く出てこいやお前ら、ふざけてる場合じゃないぞ」


彰の声は虚しく、当然、修治と菜々美は彰の視界に映ることはない。

彰と九條と桐島、三人以外誰もいない、閑散とした道路。


「そんな、まさか本当に・・・。いや、だっておかしいじゃないか!俺の左半身は不自由なのに何で左腕で人を刺したり、ピッキングを行ったり

 全力疾走できたりするんだ!」


「多重人格では、人格が移り変わっている間だけその人の性質を完全に引き継ぐ、といったことが起きるケースが存在する。

 つまり障害や怪我、病気を患っていても人格が移り変わっている間だけ一時的に完治することがあるんだ。今回はそのパターンだったんだよ。

 ドアのピッキングは手先が器用な菜々美さんの人格で、殺人は力が非常に強い修治さんの人格で行われていた。

 そして最後の後始末が金本彰、自分自身の人格によって処理されていたんだ。

 その証拠にアンタはさっき自分がナイフを持っていることにさえ気づかなかった。

 修治さんの人格に切り替わっていたからだ。


 今回の犯行は複数犯による単独犯の犯行、″一人による3人のチームワーク″だったんだ」


彰は顔を手で覆った。突然突き付けられた現実を、受け入れられない。

何が何だか分からなかった。


「菜々美さんは失声症だったそうですね」


「な、なぜそれを・・・」


「強いストレスや心的外傷がかかったとき、そのショックで声が出せなくなってしまう障害。

 アナタの両親、河西夫婦が亡くなってしまったショックで、菜々美さんは声が出せなくなってしまった。

 アナタはさぞかし恨んだだろうな。飲酒運転という存在そのものを。

 本当の意味で慕っていた”二人目の親″を奪われ、おまけに菜々美さんの声をも奪ったのだから」


「・・・何で二人目の親だと知っているんですか」


「おかしいと思ったんだ。修治さんと菜々美が亡くなっているのにその事故の加害者は生きている。

 多重人格によって誰も死んでいないと錯覚していたアナタは、殺すほどの怨みが沸き上がってこなかったんだろう。

 そして野上も平塚も、起こした事件で死亡した被害者には金本なんて名前の人間はいない。

 さらに順番通りにいけば平塚が狙われるはずなのになぜか野上を襲撃した。

 それで不審に思った俺はもう一度野上が殺した河西夫婦について調べたよ。

 長年にわたって不妊治療を行っていた夫婦だったんだ。そして、今日が命日だった。

 ・・・河西夫婦は金本彰、お前にとって、自分にとっての本当の意味での父親と母親だったんだな」


「里親・・・だったんですね、河西夫婦は」


と桐島。


「・・・。いつか、修治と菜々美がもう少しだけ大きくなったら話そうと思ってたんだ。あの二人は事故でなくった二人を本当の親だと思っているから・・・。

 双子だったんだ、あの二人は」


「・・・!」


双子、という情報は九條や桐島も得ていない情報であった。


「俺はとある水商売女と、その客の間でデキてしまった子供だったんだ。でもその客は責任から逃げるために商売女を捨てて行方をくらました。

 当然俺はその男の顔を知らない。

 そしてほどなくして女は全く別の男と結婚。

 俺がまだ幼稚園だった頃に、その別の男との間で双子が生まれた。 それが修治と菜々美だ」


ポツリ、ポツリと彰は話はじめた。何もかも諦めたかのように。


「母親はほとんど家に帰らないし、父親はまるで俺達のことを居ないもののように扱う。興味がなかったんだ俺達に。俺は母親の名前もその父親の名前すらも、もう覚えていない。

 それほどまでに、俺とその二人の関係は希薄だった。町中ですれ違う他人みたいに。

 でも住む所とメシだけは食わせてくれるから、俺は何も言わなかった。

 ・・・けど、俺が幼稚園にいたある日、いつまで経っても親は迎えに来なかった。

 逃げられたんだよ。子供が邪魔になったんだ」


冷たい風が彰の身体を撫でた。


「それからしばらくの間、孤児院での生活だった。半年くらいの生活だったからあんまり覚えてないけど。そこでお父さんとお母さん、河西夫婦に出会った。

 当時は幼稚園児だったし、難しい話は分からなかったけど後になってから不妊治療を長年続けてたけど子供を諦めた夫婦だって知った。

 修治と菜々美はまだその時赤ん坊だったし、このことは当然知らない。

 俺達三人は河西夫婦に引き取られて育てられた。

 初めて人の温もりを感じた気がしたんだ。血は繋がっていなかったけどまるで本当の息子のように接してくれたあの二人には血のつながりなんてどうでも良いと思える暖かさがあった」


しかし彰が初めて感じた幸せは、長くは続かなかった。

河西夫婦と生活を共にしてから数年後。野上雄介による事故が起きてしまう。

胸にこみ上げてくる熱い気持ちをグッと堪えて彰はつづけた。


「犯人は絶対にぶっ殺してやるって思ってた。けどそれどころじゃなかった。葬式が終わって普段の生活に戻りかけた頃、菜々美の様子がおかしくなった。

 事故が起きて以来、一言もしゃべらなくなったんだ。いや、喋れなくなった。九條さんの言う通り、精神科医による診断は失声性だった。

 修治がスポーツを始めて体を鍛え始めたのもこの頃だ。アイツは何も悪くないのに、でも感情的に馬鹿だから、自分が弱かったせいだとでも思ったんだろう。

 菜々美が引っ込みじあんになって外にあまり出ないようなった。車を見るのが怖かったからなんだ。

 可哀想すぎるじゃないか、本当の親の顔も知らない、自分が親だと思ってた人は事故で死んで、声も出せなくなって。

 菜々美は大人しい性格だけど常に俺達のことを気遣ってたし、嫌なことがあったら得意の裁縫で励ましてくれたりもした。本当に心の優しい子だったんだ。

 それなのに、一体あの二人が何をしたっていうんだ。世の中は残酷だ。神様なんて居ない。

 だから他の誰も頼らずに、俺がアイツ等二人を護っていくしかなかった。世の中から交通犯罪を全部駆逐して、誰も俺達と同じ目に、二度と遭ってほしくなかった。

 だから警察官になろうって思ったんだ」


そして彰に降りかかる最後の不幸。

彰が大学生の頃に起きた飲酒運転による交通事故。

修治の高校の入学式の帰りに、それは起きた。

しっかりときめたスーツに満開の桜吹雪。これからの学園生活について、部活について、将来の進路について、他愛もない家族での会話。交差点の信号が青に切り替わり、

アクセルを踏んだ時、突如全身に走る衝撃。

感覚を失った左半身。

すべての出来事がまるで昨日のことであったかのように、彰の脳に一瞬でフラッシュバックした。


「そりゃ、いきなり体の一部が言うことを聞かなくなるなんて意味が分からなかった。

 けどあの二人は必死になって俺のことを励ましてくれたし俺の身体に後遺症が残ることなんて、正直言ってどうでもよくなった。

 あの二人が無事で生きているんだったら、俺にとっちゃこんなの掠り傷だと思ってた」


静かに彰の頬に涙が伝う。

そしてすべてを悟ったかのように言う。


「・・・そうか、死んでたのか、あの時」


彰をその場に立ち尽くしたまま、静かに泣いた。

ポツポツと水滴が地面を打った。


「・・・今回、お前が犯人であるという事実にたどり着けたのは菜々美さんおかげだった」


と、九條。


「・・・菜々美の?」


「あぁ、菜々美さんはずっと俺達にヒントを出し続けてくれてたんだ。

 一番最初のヒントは小島が殺されたときに付着していたマニキュアの成分と地面に付着したファンデーション。

 これは犯人の中に女が居るということのサインだった。

 そして二番目が資料室で俺とお前が話した時、腕につけられたレディースの時計。朝家を出て支度をする際に菜々美さんに人格が入れ替わっていたんだろう。

 俺達にわざと不信感を抱かせるように犯人が女と関わりがあると俺に分からせるように。そして事実、俺はあのころからお前が犯人ではないかと疑いをかけていた。

 そして資料の一部だけ、急いで戻したのかのように紙の位置が微妙にズレていた。そのズレていた資料に載っていたのが平塚隆。

 次に狙われるであろうターゲットの資料を、お前が知っているなんておかしい。まるで狙われるのが分かっていたかのように。

 冷静沈着なお前がこんな凡ミスを犯すはずがない。

 俺が資料室に入ってくる直前に、恐らく菜々美さんの人格と一瞬入れ替わっていたんだろ。菜々美さんはわざと分かるように資料の位置をズラしていた。


 そして、決定的となったのが野上を襲った夜、道端に散らばったお前の血痕から大量の睡眠薬の成分が検出されたとき」


彰は九條の言ってる意味が分からなかった。


「修治も同じこと言っていた。野上を襲ったって。でも俺にはその時の記憶が全くないんです。

 こんなこと、今までになかった。始めてだ」


「事件の前に、睡眠薬を飲んだか?」


「菜々美が俺に睡眠薬を無理矢理飲むように要求してきました。

 普段あんなに強気に出ることなんてないのに」


「やはりそうだったか。菜々美さんがお前に睡眠薬を飲ませたのは金本彰の人格を一時的に封印するため。

 本来であれば野上を襲った時、スペツナズナイフで野上の動きを封じた後、付き添いの女もろとも殺し証拠隠滅を図ればよかった。

 なのにお前はあの夜なぜか逃げた。そんなことをすればすぐに足がつくというのにだ。それに手袋もつけずそのままナイフを握って柄にわざわざ指紋を付けていたのも気になった。

 お前の人格が出てこないように睡眠薬で眠らせ、わざと証拠を残すようにしたんだ」


「な、なんでそんなことを・・・」


「これ以上お前に、罪をかぶせたくなかったんだろう。お前の中で作り出された虚像の菜々美さんが自らそう判断したんだ。

 そして心優しい菜々美さんなら、仮に生きていたもそうしたはずだ。お前の中で作り出され生き続ける菜々美さんはどこまで本物の菜々美さんに忠実だった。

 だから最後に、野上に向かって自分の名前を名乗り出たんだ。犯人が金本兄弟で、そして多重人格であるということ分からせるために。

 失声性で声が出ないはずなのに。

 自分たちを護るために、自分たちのためだけに生き続ける兄の姿が、菜々美さんからすればとても不憫なものであった。

 自分たちの存在が兄の足枷となっているのではないかという懸念がずっと振り払えなかったんだ。

 お前のことを助けたいという優しさの強さが、失声性という障害そのものを振り払って、最後に自らの声で真実を伝えたんだ」


「そんな・・・」


彰はもう一度、涙をこぼした。

滝のように流れる涙が地面を濡らしていく。


「俺がやっていたことが、負担になっていたなんて。何をやっていたんだろう、俺は。

 ・・・俺はもう独りだ。誰も、護りたいものなんてない」


彰は地面に転がってるナイフに目を向けた。

それを拾おうとするが、半身が不自由なせいでバランスをくずし、その場に倒れこんでしまった。

それでも、地面を這いつばり、ナイフへと手を伸ばす。

しかし彰の手に渡る前にそのナイフを九條は拾い上げた。


「・・・九條さん、殺してくれよ、俺のことを」


かすれた声で彰が乞う。

九條は無言のまま何も言わなかった。

彰は振り絞れるだけの力で上体を起こし九條の服をつかんだ。


「殺してくれよ!俺にはもう生きる理由なんて何もない!生きてると思ってた自分の命より大切な存在はもうとっくに死んでて、もう空っぽなんだよ!

 何かを手に入れたと思ったら失って、またそれを繰り返していくのか!?

 もう生きていたくないんだ。

 ただ・・・、ただただ辛い」


「生きてくれ」


九條は力強い声で言った。


「アンタに、俺の気持ちが理解できるって言うのか!?

 もう生きる理由なんてどこにも・・・」


彰の頬に水滴が一滴たれ落ちた。

自分の涙ではない。

彰は顔を見上げる。

九條は泣くを一生懸命に堪えながら言葉を続けた。


「お前のような、人の痛みを理解できる人間こそが、警察に必要なんだ。

 これ以上、こんなに悲しい事件を増やしてはいけない。

 ちゃんと罪を償って、お前のその力で、交通事故によって悲しむ人々を救ってほしい。

 だからお願いだ。

 生きてくれ。護るものは日本の未来じゃダメか?」


2滴、3滴と。

何かが決壊したかのように、九條の涙が彰の顔を濡らした。


涙をぬぐいながら九條はいう。


「桐島、手錠を」


桐島は動こうとしなかった。

ただただその場でじっと、目をギュッとつむりその場で立ち尽くしていた。


「こんな、こんなことって・・・」


「桐島ァ!!」


九條の怒号が響く。

桐島はそれでも動こうとしなかった。

ただその場でじっと立ったままだ。


「職務をまっとうしろ桐島太陽!俺達の仕事は犯罪者を捕まえることだ。それが如何なる相手でも、如何なる状況であったとしてもだ!」


「・・・はい」


桐島は静かに彰に近寄り、彰の両手に手錠をかけた。

カチャリ、という金属の音が虚しく響く。


「午前九時14分。

 金本彰…、逮捕」


その一言で、この悲しい事件は幕を閉じることとなった。

多重人格による無差別殺人。

この事件は警察の間で受け継がれる事件となった。






その翌日、当然事件の真相はマスコミによって報道された。

しかし事件の内容をしっている警察は彰が故意に殺人を犯したものではないとのことで実名報道が伏せられたのだ。

九條は携帯電話の電源を切り、ニュース番組を切った。


快晴の昼間。心地よい日差しが当たりに降り注ぐ。

九條は墓地の真ん中にたたずんでいた。

その目の前に置かれた墓には、河西と書かれていた。


「横、良いですか?」


一人の男が声をかけてきた。視線を横に向けるとそこには桐島がいた。


「好きにしろ」

「お言葉に甘えて」


桐島は黙祷をする。


「九條さん、今回のような事件でも、彰は罪に問われるんでしょうか?

 殺したのは修治さんの人格なのに・・・」


「・・・当然、金本彰は有罪になるだろう。殺したのは修治さんだが、証拠隠滅を図ったのはまぎれもない金本彰本人だからな」


「・・・そんな・・・」


「だが、情状酌量の余地は十分にある。前例のない事件だ。裁判は難航するだろうが少なからず罪はそこまで重くならないだろう。

 精神病棟で多重人格の治療をしながら刑罰を受けることになるだろう」


「彰は・・・強い人間です。治療なんてちゃっちゃと済ませて、また警察官として返ってきてくれると、自分は信じています」


九條はクスリと笑った。


「良く分かってるじゃないか。俺も同感だ。

 そうだ桐島、これからちょっと時間あるか?やり残したことがある」


「別に良いですけど、どうしたんですか?」


「金本兄弟の墓はまた別の場所にあるんだ。

 どうにかして、河西夫妻と同じ墓に骨を収めてやりたい。

 その手続きを手伝ってほしい」


「分かりました。実は今日有給取ってあるんですよ」

「・・・奇遇だな、俺もだ」


桐島と九條は鼻で笑った。

桐島は手に持たれた花を墓に添える。


「安らかに眠れ」



fin.




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