第二話 小さな魔法
「なんでしょうか?」
「……ここは牢屋ではないのか?」
セシリアは「そうですね」と呟き、ふっと牢の向こうにある松明を見て『何か?』というようなスンとした表情で再び宗一郎を見た。
「今『何か?』というような、スンとした表情で私を見たが、どうして牢屋なのだ? つまりお前は、ここから助けて欲しくて、その騎士王とやらを呼ぼうとしたのか?」
「違います。騎士王様をお呼びしたのは先程申し上げたように、私を大陸一の騎士にして頂きたく、御指導頂きたいと思ったからです。ここが牢屋なのは、私がここであなたを呼び出したからです」
「いや、そうではなく。どうして山田は牢屋にいるのだ」
「山田ではありません。それは……昨夜、この召喚の書を大臣に取り上げられてしまって」
そう言って、セシリアは先程ページをめくっていた本を宗一郎に見せた。
「禁書庫へ納本されてしまい、取り返すために男装して侵入したのですが、見回りに見つかって牢屋に放り込まれてしまったからです」
やはり夢なのではないだろうか。宗一郎は頭を抱える。
しかし目の前には確かに、
なぜか男装をしていた少女と牢屋。
そして牢屋に呼び出された自分。
そんなちぐはぐな奇妙さと、背中を撫でる妙な冷気が、かえってリアルさを醸し出していた。
「よくわからないが、男装する必要はなかったのではないか?」
「いえ……」
「何か理由があったのか?」
「私、セシリアはエスニア王の娘なのです。
なので正体がバレるわけにはいかず……。
幸い兵士の方はそのまま乱暴に牢へ突っ込んで下さったので、召喚の書の奪還はこうして上手くいったのです」
召喚の書を手に、セシリアはにっこりと笑う。
上手くいってないではないか、と宗一郎は思ったが、
満足そうなセシリアの笑顔に水を差しても仕方ないので、特に何も言わなかった。
「まぁ、諸々事情があるのだろう。それでともかく、山田は困っているのだな?」
彼女は今度はとても深刻そうな表情で「はい」と一言呟き、うつむいた。
「えぇと。困っているというと、はい。もちろんとても困っています」
「なら、私に出来る範囲なら助けよう」
宗一郎の思わぬ一言に、セシリアは目を丸くした。
そのやりとりが余りにもスムーズで、至極当たり前のように行われたからだ。
彼女は返ってきた言葉の意味を、一瞬理解出来ず、
少しの間、ぽかんと何も言わずに宗一郎の顔を見てほうけていた。
しかし途端に意味を理解すると、勢い良く声を挙げ、身を乗り出した。
「え! いいのですか!」
「構わない」と言って、宗一郎は余り表情を変えずに立ち上がり、膝の埃を払った。
「私に出来る事ならな。そのつもりで呼んだのだろう?」
「そ……それは、そうですが。もう、現実を受け入れられたのですか!」
「わからん」
「わからないって」
「先程まで、私は電車の中で眠っていたからな。まぁ、混乱してるのかもしれん。ただ困っている人がいて、今何かが私に求められているなら私はそれをやるべきだと思う。ここが夢の中であろうとなかろうと、異国の地であろうと。それだけだ」
宗一郎のその言葉の余りの清々しさに不意をうたれたように、
セシリアは両手を胸の位置に当てて、頬を染め、しばらく恍惚とした表情を浮かべていた。
「おい、山田、こんなところにゴキブリがいるぞ! むぅ……凄いな。物凄くデカいぞ!」
「ひっ……」
牢屋の端へ移動し、ゴキブリを指を指して声を掛ける宗一郎の笑顔は、太陽より輝いていた。
セシリアは微笑みながら顔を引き攣らせ、首を振る。
気を取り直し咳払いをして、彼女は立ち上がり、宗一郎に向き直った。
「と、とにかく私達はここから出ないといけません!」
「ふむ。では出よう」
「そんなに簡単に出られるのですか!?」
「約束は出来ないがな。健闘してみよう」
「凄い……自信に溢れているのですね」
「自信などない。ただ、やる前から自信を喪失してはいけない。凹むのなら、失敗してから凹めばいいのだからな」
「はい!」
宗一郎はセシリアと固く握手を交わした。
彼は自信がないと話したが、それでも彼から溢れ出す光り輝く眩しいエネルギーは
セシリアの表情を明るくさせるには十分なようだった。
興奮と安心を同時に得ることが出来る、
考えることすらワクワクさせてしまう、強力なエネルギー。
そんな不思議な力を、宗一郎は持っていた。
彼は牢獄から脱獄をするために、セシリアから、自分たちが閉じ込められている牢獄の特徴や
位置関係等聞き出し、状況を整理した。
まず、この牢獄は、エスニア城という城の地下1階であるということがわかった。
フロアは相当入り組んで作られており
通常であれば、道筋を知らない者は、地上に出ることさえ困難。
しかし幸いなことにセシリアはこの城の人間なので、
宗一郎たちが閉じ込められている牢獄さえ出られれば、ある程度、出口までの道順はわかるという。
だがそもそも、牢獄を脱出するというミッション自体が
今の彼等にとっては、最も高き壁として、立ちはだかっているのだ。
従って、まずはその高き壁を超える為に、牢獄の鍵を手に入れる必要があると2人は同意した。
セシリア曰く、牢獄の鍵は牢獄の看守が持っているという。
牢獄の看守は、彼等が閉じ込められている牢獄の斜め前に鎮座しており、
格子の隙間から向こうを覗き込むと、僅かにその姿を確認することが出来た。
中肉中背の、これといって髭以外の特徴のないヒョロッとした兵士。おそらく童貞だ。
松明の灯りの近くに古めかしい机と椅子があり、何やらそこで書き物をしているようだった。
彼から鍵を渡して貰わなければならない。
「あんなに近くにいたのか。結構騒いでいたが、ばれなかったのだろうか」
「大丈夫です。音消しの魔法を掛けているので、声は何一つ漏れていません」
「おぉ! 山田は魔法が使えるのか!」
「はい。その、子供のお遊び程度のものしか使えませんが」
「うぅむ。本当に魔法というものがあるのだな」
「えぇ。でも……ここからどう致しましょうか」
「ふむ……」と宗一郎は顎に手を当てる。
「山田は、音消しの魔法以外に何か得意なことはあるのか?」
「得意、ではありませんが、元素の魔法くらいは使えます」
「なるほど。何だか、よくわからんが、やってみてくれないか」
宗一郎が話すと、セシリアはフフンッと得意気に鼻を鳴らし、手を前下方にかざした。
それから、彼の聞いたことのない短い言葉を呟くと、パッと掌が光った。
宗一郎は思わず驚き「おぉ!」と声を挙げる。
同時に、かざされた掌の数メートル先の地面で
ネズミの鼻先くらいの大きさで紅く何かが光ったような気配を見せた。
光った……というより、光った気がしたというくらいの気配だった。
「なんだ。これは、手品なのか?」
「えぇと」
「手が光るという。なんだ? なんなのだ今のは?」
セシリアは斜め下に顔視線をそらし、顔を赤らめてしまう。
「ちょっと……調子が悪かったんですけど。今のが、その、雷の魔法です」
「ほう!」
「何だか調子悪かったみたいで」
「ほう!!!!!!!!!!!!!!!!」
宗一郎の容赦のない追及に、セシリアは顔を覆ってしまった。
「本当ですよ。普段はもっと……!」
「良いじゃないか!」と宗一郎は笑った。
「使えそうな手品だ」
「あ、ありがとうございます。でも、今の魔法を看守さんに、当てられるつもりなんでしょうか?」
「そうだ」
「えぇと、それは、あの」
「大丈夫だ。あのくらいで死んだりはしない。私が合図したら、私の示す場所にさっきの光を当ててくれないか」
「……そうですよね。わかりました」
「でももし看守さんに当てられるなら、位置が少し……」
「わかった。では、私が奴をおびき出してみよう」