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汚い廊下の人と道


「え、火事?」

「いやいやいや、ま~た誰かのイタズラかなんかだろどうせ。火事なんて起こんないっての。」

「いやでもさ。もし火事だった場合。」

「おう。」

「休校じゃね?」

「うぇ~~~い!」

 そんな内容を口々に呟いて、今まさ隣り合う危険を知らない彼らは、なんの警戒心もなく、のらりくらりと廊下を歩いた。

 その時かかる全館放送。

 だれが喋っているのかもわからないが、その放送の声は明らかに慌てていた。


――生徒の皆さん!!校内に怪人が!!怪人が現れました!!!急いで校庭に避難して下さい!!!繰り返します!!……。


「え、いやマジで?」

 ざわつく生徒ら。

 冗談ではない? そのアナウンスの雰囲気が校舎全体に不穏な風を流し込む。

 避難の移動は少しばかり早足に。

 余計にざわつく生徒の声。


 その集団に夜市が混ざっているのは言うまでもない。

 しかしここで大きな問題が発生しているのは夜市限定だ。

 この状態、満員電車のような廊下は、ヒトアレルギー持ちには相当辛い。

 頭がズキリズキリと脈打つように脳を締め付け、鼻は全閉、くしゃみは絶えず、また息苦しさも押し寄せた。

 正直もう我慢ならない。

 危険は承知で、とにかく近くの空き教室に逃げ込んだ。

 もちろんだが、この後に変身する予定は全くない。その理由は一つだけ、黒羽夜市はニンザムでは無いからだ。


 その辺の壁に身を預け、とにかく床にしゃがみ込んだ。

 火事場泥棒と間違われたら嫌だなと言う気持ちも合わさり、廊下側からは見えにくい位置まで這って移動した。まさかとは思うが本当に怪人だった場合は、こうして身を隠しているのが得策だろう。


 しばらく、と言ってもたった1分ほど後だが、多少は症状の改善が見られた。しかし今更集団に混ざる気はなく、取り敢えず様子見だろうと一息ついた。

 

 と、そのようにしていると、近くで誰かの悲鳴がした。

 きゃ~怪人よ~、とでも言っているのか、あまりよくは聞き取れない。

 しかし次の瞬間に、廊下の方が急にどたどたと慌ただしさを増した。

 みな口々に怪人怪人と狂ったように走り出す。

 満員電車は押し合い圧し合い、それぞれのペースで慌て出すがために、遅い者は容赦なく後ろから押されてもみくちゃに。傍から見ていると、まるで特撮映画、大怪獣から逃げまどう群衆のようだ。いや正に今がそうすべきシーンなのかもしれない。

 そんな嵐のような民衆が通り過ぎるのはあっと言う間。やがて廊下は完全に人が捌けた。

 

 ここで、夜市も皆の後を追って急いで避難した方が良かったのかもしれない。

 この教室に留まった場合、怪人に見つかる可能性がある。しかし今更になって教室を飛び出して群衆の最後尾を逃げるというのはどうなのだろうか、よくあるパニック系の物語では一番死ぬ人だろう。

 イメージ的に危険が高い。

 おとなしくここにいようと直感で決断した。

 きっと掃除道具にでも身を隠せば、ほとんど大丈夫だろう。ただ、怪人ではなく火災であった場合は死ぬが。


 誰もいない教室、非常時だが逆にこの環境は落ち着けた。

 先ほどは掃除道具箱にでもと思ったが、実際怪人など来るのだろうか。こんなに静かで空気が和んでいる。

 せいぜい教卓の陰に屈んでいる程度でいいだろう。


 夜市は四つん這いの姿勢で教室内を移動した。

 その途中、この静寂な空間に何やら小さな息遣いを感じ取れた。

 廊下の方から聞こえる。

 一瞬びくりと緊張が走ったが、それが怪人の気配ではないのは明らか。弱々しく虫の息という表現がぴたりと当てはまる。

 誰かいるのか。

 夜市はもそもそと廊下の方まで匍匐で移動、扉を盾にこっそり顔を覗かせる。

 すると、そこに倒れていたのは、まるで浜に打ち上げられたイルカ、いやジュゴンだった。

 重油を浴びたかのようなワカメを被り、その脂肪は鏡餅のよう。

 田渕だ。


「ぉ、ぉぃ。」


 顔や足、腕などが赤くパンパンに腫れ上がり、所々から血を流す田渕。まるで怪人との相打ちで倒れたかと言うほどに勇ましい姿だった。

 だが現実はもっと惨めな怪我だ。

 おそらく逃げ惑う生徒らにひっくり返されて、大勢に踏みつけられたのだろう、そのくらいは容易に想像がつく。田渕に限ってそんな事故が起こり得るのかは疑問だが、これ見よがしに、わざとやりそうな連中はいくらでも思い当たる。


 夜市は過剰なほどに左右を確認して廊下の安全を確認後、四本足で素早く這い寄った。


「ちょい、大丈夫なのかこれ。」

「ぐ、ぐろば、ねど、どの……。」


 田渕の声は小さく掠れ、呼吸の音にはひゅうひゅうと高い音が混ざった。

 唇は腐ったように紫。顔色はいつも悪いが今は一段と青白い。それが危険な状態という事くらい医者でなくても判断がつく。


「えぇ……。」

「ぐ、ぐぐ……。」

「いや、あんまり喋るなって。絶対やばいから。」


 こんな時どうすればいいのか。

 呼べばすぐ来る先生はいない、医療の知識なんてものは当然ないし、まさか心臓マッサージでもすればいいのか。

 考えたくはないが、やはりこれを運ばなければいけないのだろうか。

 いやいや、素直に人手を呼ぼう、一人ではどうしようもない。


「待ってろよ、いま助けを……。」

「……。」


 そう言いながら田渕のもとを離れようとしたが、その言葉が不意に躓いた。

 立ち上がるのをやめる。


 一体誰が、この男を助けると言うのか。

 そもそも半ば意図的に踏みつけられての有様。

 教室での扱いは生ゴミ同然、場合によってはおもちゃに丁度いい虫みたいな生き物だ。

 既に人として生きてるのか微妙。

 尊厳なんて言う高価なブランド品、それはごく自然に取り上げられた。もしくは自ら差し出したか、そもそも持って生まれなかったのかもしれない。


 気に入らない。


 夜市は何も言わずに、田渕の腕を自分の肩に回した。

 彼の体を下から押し上げる様に引き上げる。

 その巨体は100キロ近いか若しくは超えている。最初の勢いで多少は上がるも、夜市の体は瞬く間にぺしゃんと潰れた。

 普段の運動不足が祟ったか、否、この重量は到底一人では持ち上がらない。

 もう何度か体勢や持ち方を変えて試みるがいづれの方法でもびくともしなかった。

 

「ぐ、ぐろはね、どの、……お、オデはいいから、置いでって……。」

 その最中、田渕は絞り出すように声を出した。

「うるさい。しゃべんな。」

 

 もはや意地でしかなかったかもしれない。

 どうしても持ち上がらないその体は、廊下を引きずって運ぶしかないようだ。

 それでも進む距離は僅かづつ。100メートルを全力疾走するくらいの労力で、ようやく1メートル進んだかというくらいだった。


 効率は最悪だ。

 開き直って教員にでも助けを求めれば、結果的にその方が早く運び出せるような気もしなくはない。それに生徒を見捨てるような教師など流石に存在しないだろう。

 三年の男子生徒が倒れている、その一言できっと多くの人が集結するはずだ。

 人助けは人として当然の行為、それに理由なんて要らないくらい当たり前な行為である。


 だが、なぜそれが今更なんだ。

 誰もこの男に見向きもしなかった、助けるべきシーンは今までにも、他にもっと沢山あっただろうに。ただその基準が曖昧で、助けなかったところで誰からも非難されない場所では誰も手を差し伸べることはしない。

 結局誰もそんな気はないのだ。明らかに提示された人道的という言葉にでのみ、彼らは半ば義務的なそれを人間面して必死こく。

 やはり教師とて、路上で干からびたミミズくらいにしかこの男を見ていない。

 口が裂けてもそんなことは言わないだろう、だが実際はそうだ。

 そんな道徳心という言葉に頼るのは、本当に気持ちが悪い。

 ここで死ぬ気で田渕を助けても、誰も褒めないし有り難く思わない、ましてや自分自身にとってでさえ利益はない。これが助け甲斐のある美少女という訳でもないし、仲のいい友達かと言われれば全く違う。こんな太った汚い男が一人死のうが本当にどうでもいい。日本全国の他人が毎日どこかで死んでる、ただそれが偶然目の前で起こりそうなだけだ。

 本当にただの意地。それ以外の何でもない無意味な行動だと、はっきりそう言える。

 気に入らないのは自分だ。

 そんな周囲と同じ人間である自分に強烈な嫌悪感が湧く。それが意地の正体だった。


 進んだ距離は数メートル。

 廊下には、引きずられた田渕の血痕が尾を引いた。


 体力的な限界を感じ始める。

 進む速度はみるみる内に遅くなり、掴んだ襟首を勢いよく引いても数センチ程度の移動しかみられない。

 気付けば自分の制服の下は汗が相当なことになっている。

 そろそろ意地を張っている場合ではないぞと、頭の片隅で自分が囁いた。


 動かない。

 遂にこの巨体はびくとも動かなくなった。

 両膝を床につく。

 

 所詮無力なんだなと、熱く煮えたぎっていた何かがどっと下水に流れ出た。

 大事に煮込んだ鍋をその辺にひっくり返したような、馬鹿らしいほどに虚しい。

 そういう事だ。

 どんなに気に入らない事があっても、所詮一人じゃ何もできない。

 胸が千切れるほどに悔しかろうが、結局集団の世話にならなければ生きる事さえままならないのだ。

 きっと田渕も同じ思いだろう。

 そう思うと尚のこと、激しく気持ちが揺さぶられた。


 助けを呼ぼう。


 夜市はよれよれと、微妙におぼつかない足どりで立ち上がった。

「ごめんな、たぶっつぁん。」

 そう声を掛けると、田渕はそも腫れ上がった顔で出来るだけ笑って見せようと目を細めた。

 

 仕方のない事なんだ。

 そう自分に言い聞かせ、何とか足を踏み出した。

 すると、丁度その時階段の方から誰かが駆け上がってくる音がした。

 まさか怪人が、と思うもそれはすぐ否定できた。


 軽快な足取り。

 その足音は普段聞いてる上履きの音。

 間もなくその音の主が階段の方からひょこりと姿を現した。


 艶のある長い黒髪をなびかせて、その間から覗かせる瞳は凛と美しく精悍だ。

 二条怜華である。


「二条さん!?」

 一瞬二条が女神か何かと錯覚した。

 いや実際女神なのだろう。一般女子ではこのタイミングでそんなクールな登場は到底果たせない。

「ってかどうしてまだ校舎の中に!?」

 目を丸くする夜市の方に、二条はいつも通りの歩調で颯爽と歩み寄った。

「グランドで君の姿が見えなかったから、もしかしてと思って。そしたらやっぱり見つけたよ。」

「そ、そすか。」

 その言葉が感激にも等しく、刺さるように胸が滲みて来た。

「逃げた方がいい。近くまで怪人が来てる。」

「マジか!!」

「急いで。こっちの階段なら安全だから。」

「お、おん。」


「さあ。」

「あの、ほら。」

「ん?」

 至って冷静さを保つ二条だが、なぜか退去を渋る夜市に対して小首をかしげる。

「いやいや、あの、手貸して下さいよ。」

「どうして?怪我してるようには見えないけど、何か補助が必要なの?」

「いやいやっ、俺じゃなくてな、ほら!この人、田渕!」

「そうだね。」

「いや、だから!」

「君、どういうつもりでそれに構ってるのか知らないけど、死ぬ気?」

「は?」

「私たち二人で運べるの? 運べたとして怪人からは逃げられない。違う?」

「いや、確かに……そうだ、けど。」

「私の言いたい事、君ならわかるでしょ?」

 いつも通りの表情を一切歪めることなく彼女はそれを言い切った。

 淡々と、怒りもなければ、悲しみも。冗談を仄めかす笑みすらない。

 何か彼女のとんでもない一面を垣間見たのだろう。

 二条怜華は田渕をここで捨て去る気だ。それも人間を見殺しにするのではなく、まるでいつでも捨てれるゴミを景気よく置き去りにするような言い方だ。

 本気なのか、と疑って聞く余地すらない。この表情が冗談を言う顔ならそれこそ本気で人間不信になってしまう。

 だが、二条怜華の判断は間違いなく正しい。はっきり言ってその通りだ。怪人が確かに向かっているのならば、もはや一刻の猶予もない訳で、田渕を運んでいれば共倒れだ。どうすればいいのか何て答えはもう既に出ている。それとも都合よくニンザムが登場することに賭けるのか。そんなことはあり得ない。その仮面の戦士は警察とは違う。呼べば来るものではないし、あくまでそれは自主的且つ気まぐれに怪人を狩るただのボランティアだ。


 そして、そのまま無言の夜市。

 その様子をしばらく見ていると、二条はくるりと背を向けた。

「また下らない事で悩んでいるんだね。好きにしたらいいよ。君に何かを強要するつもりはないし。」

「……。」

「ただ、少なからず君に対して興味はあったよ。死んでしまったら残念かもしれない。それじゃ。」

 二条はそう言い残して、階段を下に降りて行った。


 なんて薄情な。

 と、一瞬そう思いそうになる自分を戒める。

 これ以上他人に何を求めると言うのか。客観的に見れば、無価値な事をしている自分を二条が冷静に諭しただけだ。

 

 凡人にできるのはここまでのようだ。

 意地になって正義ぶったって力がなければ何もできない。身の丈にあったことをしていろと、二条は暗にそう伝えたかったのか。

 やはり、惨めなゴミ虫のように這いつくばるのが自分にはお似合いだ。


「おおっ二条!!なんでこんなところに!?」

 階段の方から男の声が響いてきた。

「ああ、先生。上に二人いますよ。」

「そっ、そうか!!お前は早く逃げるんだ。」


 誰かが来る。

 ジャージで、顔がごつごつした体育教師。例の生活指導部の教員だ。


「!!田渕!!」


 現れた体育教師は田渕を見るなり彼に駆け寄った。

 横で膝をつく夜市には脇目もふらず、げっそりとした田渕を揺すって呼びかける。


「田渕!!しっかりしろ!!田渕!!」


 よかった。

 これで田渕は助かる。

 これでいい。


 ただ、鉛筆でぐちゃぐちゃに塗りつぶしたような物が腹の中でぐるぐるとなっているが、だからと言ってどうもしようがない。


「良かった、息はあるな。よし逃げるぞ。」

 

 気付けば立ち上がっていた夜市は、気怠そうにそこで突っ立ち、若干傾けた顔で二人を見下ろしていた。


「ちょっと手伝え!!えっと、お前!!」

 田渕の横に屈む教師は、勢いよくこちらに振り向いた。

「あ、はい。すんません。」

 我に返った。

 ぼさっとしている場合ではない。やるべきことはただ一つなのだ。

「俺がこっちを担ぐからお前はそっちの腕を持て!」

「は、はい。」

「よいしょっと!!くそ、重いな。」

 しかし持ち上がる田渕の体。こちらは体が潰れそうだというのに、さすが体育教師だけあって力強い。それともいわゆる火事場の馬鹿力というやつか。


 これで田渕は助かるか。

 何も間違いはない、人としてあるべき形にこうして救われる。

 しかし、何故にもこう、自分のなかで渦巻くもやもやを押し殺さなければ動けない、足が進まない。

 この先生は実はいい人だ、なんてこれっぽっちも思わない。弱い者を都合よく虐げたり助けたりと、本当に良い職業だよ。

 

 

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