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笑う人間達

 

 

 それからの周囲の変化は夜市の狙い通りだった。

 教室に入って影で誰かがひそひそ話す事はあっても、もう喋りかけてくる奴はいなくなった。

 全ては元通り。

 手に入れたのは完全たる平穏だった。


 昼の鐘が鳴れば、だらだらと焼きそばパンを買いに行き、その足でブラックの缶コーヒーを買うと屋上に向かう。

 適当に携帯をいじったり、流れゆく雲を見つめながらパンをかじった。もう食べ過ぎていい加減飽きるこの味も、もはや白米のような位置づけに昇華しており、焼きそばパンは日常の一部だ。

 そして同じくこのコーヒーもそう。特に銘柄にこだわりは無いが、いつも同じものを飲んでいると自然と愛着が湧いた。

 この幸福、コストパフォーマンスは誰にも負けない自信がある。


 予鈴が鳴れば教室に戻った。

 机の上に伏せて寝る。

 あと何秒寝ていられるだろうと思いながら、外から吹き込む風を感じた。


 騒がしい教室。

 自分と関係のない騒がしさはさして気にはならない。小鳥のさえずりだとは思わないが、よくある日常の環境音だろう。


 平穏な日常は今日も過ぎる。

 それに大した意味はなく、意味がない日常に充実した。

 

 

 しかしその翌日であった。

 これを関係ない他人事とみるのか、少し気になる事案とみるか、その判断は直感にのみ委ねられる。

 田渕が登校してきた。

 数日の休みではあったが、田渕は見るからにげっそりと痩せていた。


「おっ、タブッチーじゃん!!うぇ~い。」

「お前今まで何で休んでたの?鬱とかだったらマジ受けるんだけど。」

「いやデブに鬱はないっしょ。ははははは。な、タブッチー。ただダイエットで休んでただけだもんな!?」

「いやいやいや、ぜんっぜん痩せてないからー。はははははは。」

「で、実際何で休んでたん?」

「アニメのイベントとかじゃね?」

「はぁ!?なにそれただのサボりじゃん。そんなんで休めるとか、俺も学校休みてぇ~。」

「マジそれな。でもホントはダイエットだもんなタブッチー。俺はわかってっから。」

「はははははは。だから痩せてねーって。ははははは。」


 いつもの運動部男子による絡みが、いつもに増して騒がしく始まった。

 また田渕の俯き加減ときたら、そっちの方もいつも以上に暗くじめじめと、キノコが生えそうなくらいに陰気だ。

 それを夜市は横目に見る。

 下を向く田渕とは目が合わなかった。


 田渕が席につけば、隣の女子はあからさまに自分の席を離す。

 後ろの方ではぼそぼそと、臭いだの、また来ただのと、もはや愚痴を隠す気もない様だ。

 確かに田渕は少々体臭の臭う奴だったが、久しぶりに登校してみると、束の間の平和を満喫した周りの生徒達から大ブーイングがあるのは必至だった。

 田渕は何も言わない。


 それから、今日最初の会話を交わすのはいつもの屋上だ。

 田渕は、なぜか申し訳なさそうに、屋上の隅っこの方に佇む。

 焼きそばパンの謎の配給の事を忘れており、本日のパンは自分で買ったものを合わせて二つという豪華なランチ。

 夜市は田渕の存在など気にも留めず、早速昼寝を開始した。

 

 聞いて欲しいのか、欲しくないのか、はっきりしろと言いたい。

 待つ事およそ30分。

 田渕がようやく近づいてきた。


「ぬぽ。黒羽殿。すまんかったぬ。」

「何が。」

「ぬ。焼きそばパンを献上できなかったぬ。務めを怠ったふ。」

「頼んでないし。」

「ぬぽ。」


「で?」

「ぬ?」

「まだ聞いてないけど。」

「ぬぽ?」

「休んでた理由。」

「……。」

「別に言いたくなければいいんだけど。」


 そう言ってから暫くの沈黙。

 田渕は重い口を開いた。


「おとんが死んだふ。」

「は?」


 その言葉に夜市は一瞬耳を疑ったが、もう一度それを聞き返すことはしなかった。


「そうか。」

「ぬぽ。心筋梗塞でいきなり死んだぬ。」

「心筋梗塞で?」

「オデん家、市営住宅の10階ふ。運び出してから救急車まで30分近く掛かったぬ。」

「ん?」

「おとん体重150キロ。それでエレベータは故障中だったふ。」

「……。」


「こんなん、笑えるだぬ。笑うしかできないふ。」

「そう。」

「……。」


 そう言う田渕の表情は、笑いとは程遠い、それと対局にあるような顔だった。

 それから予鈴までの数分間、田渕はもう何も言わなかった。

 また夜市も、それに対してもう何も言う事はしない。

 だが、この沈黙は夜市が意図したものではなかった。

 かける言葉が見つからない。

 近しい人の死に悲しむ人を前に、一体何と言えばいいのだろうか。

 わからない。

 思いつくどんな言葉も陳腐で安っぽい、何かのパクリみたいなセリフだ。

 

 ただ、田渕の今の心情を理解することはできた。

 悲しいとか、きっとそんな単純じゃない。

 

 予鈴が鳴る。

 夜市は、自分よりも先に立ち去る田渕を遠くに眺めた。


 教室に戻る。

 いつもと同じ光景。

 いつも通りに寝る夜市と、そうではない田渕。一人本を読みふける二条。

 いつも通り、なのだろうか。

 一人はいつもと様子が違う。

 執拗にいじられる彼は、いつものように不気味に笑って誤魔化したりしない。

 もうすぐ授業が始まる。


「うぇ~い、お前休む前に鏡餅のモノマネするって言ったじゃんね?早くやれって。」

「はやくしろって。おい。」

「腹出したまま、むほ~とか言えって。ほらみんな待ってんじゃん。」


 黙り込み、俯く。

 田渕の両手はぎゅっと握られ、汗が滲んでいた。


「おい、お前聞いてんの?」


 次の瞬間だった。

 なんの前触れなく、唐突に吠える田渕は奇声を上げた。


「ぬぅうううわあああああああああ!!!」


 その勢いで目の前のサッカー部の男子に体当たり。

 サッカー部男子は跳ね飛ばされ、周囲の机が散らかった。


「痛って。」

 

 肩を大きく上下させる田渕は、鼻から蒸気が出るほどに暑苦しく呼吸を荒げた。

 周りの生徒は、その行動に驚く者、笑う者と様々なリアクションを示した。

 サッカー部員が立ち上がる。


「何してくれてんの?お前。キモいから。」


 サッカー部員は歩き、再び田渕の目の前へ。

 そして右手を固く握ると、それをそのまま後ろに引き、その状態から勢いよく前に打ち込んだ。

 サッカー部員のパンチは、抉り込むように田渕の腹に決まる。

 田渕は声を上げることすらできず、その巨体で床にべちゃりと倒れ込んだ。

 腹を抑えてその場で呻く。


「気持ち悪っ。」

「うげー。」

「はははっ、受けるー。」


 苦しむ田渕を眺める生徒らは、まるで車に轢かれたカエルか何かを見ているよう。

 怖い物見たさに注目するも、一歩引いた場所からニタニタと眺める。


 午後の始業の鐘が鳴った。

 次の科目を担当する教師は荷物を持って教室に入る。

 教壇に立つと、日直の号令で全員が立ち上がった。

 そして頭を下げて着席。

 一旦クラス全体を見渡して、この時異状に気が付いた。

 もう授業は始まっていると言うにも関わらず、太い生徒が一人、床に寝転んでふざけているではないか。

 おい、早く席につけ。と軽く注意を促すと、クラス全体が大爆笑。

 やはり受けを狙ってふざけていたのだ。仕方のない生徒もいたものである。

 その太い生徒はよろよろと、ようやく自分の席についた。

 これで授業が始められる。


「先生。」


 窓際の男子生徒は、そう言いながらおもむろに立ち上がると教壇の方まで歩いて来た。


「ん?どしたんだ?え~と、黒……。」

「早退。体調悪いんで。」

「お、おう。そうか。」


 夜市は教壇の前を通ってそのまま真っ直ぐ廊下へ向かう。

 クラスの生徒たちは、沈黙のままそれが外に出るまで目で追った。

 今日は急に机を倒したりはしなかったが、やはり何を考えているのかわからない。きっと犯罪者予備軍なのだろうと。


「やってらんねーって。」


 誰にも聞こえない小さな声で呟くと、夜市はぴしゃりと扉を閉めた。

 気に入らない、気に入らないったら気に入らない。

 そんな度胸はここにないが、それでも力の限りをもって本気のパンチを食らわせたい。

 田渕の行動は無様だったろう、滑稽で見苦しくそして気持ちが悪い。全くいい見世物だったに違いない。

 しかし自分が、どうしてこれを笑えよう。全く笑えない。ただその代わりに、ふつふつと煮え立つ胃酸が胸の中で沸き立って膨らみ、そして上の方までこみ上げた。

 胸が窮屈で、そして熱い。


 いっそもう、誰彼ともなく見境なし、何もかもを蹴飛ばしたい。

 何が悪いって社会が悪い。人が悪い。

 嫌いだ。世の中とその人間が……。



「ちょっと?」


 女の声が頭上で響いた。


 あれからどうしていたか記憶に留めない。適当に歩いて、知った場所までやって来ていた。

 頭の中が滞留し、面倒くさくなって一旦横に。

 するとしばらく後、誰か知っている女の声で目が覚める。

 夜市はいつもの公園のベンチの上、顔面を覆っていた新聞をどかし、眠け眼で声の方を見た。

 その澄んだ声、やはり二条怜華であった。


「浮浪者かと思った。」

「おん。正解。」


「何か怒ってるの?」


 彼女の方から声を掛けてくるとは珍しい。

 今まで全くなかった訳ではないが、必要以上の会話を好まない彼女は、基本的にこちらから話さなければ会話は何も生まれなかった。


「いや。別に怒ってない。」

「そう。」

「まぁ、でもイライラしてるかも。」

「どうして?」

「知らね。」


 体を起こしてベンチに座る。

 時計を見た。

 針が指すのは午後四時半。


「なにしてんの?」

「はい、これ。」


 カバンを差し出す彼女。

 一瞬なにかと思ったが、よく見れば自分のカバンだった。

 そう言えば、手ぶらで教室を出て行ったのを思い出す。


「あぁ、ありがと。」

「どういたしまして。」


 意外な人が現れたと言うべきなのか。

 正直いまこの人と喋る気分にはなれなかった。こんな曇天の空の下、どうやっても心が躍らない。

 今は徹底的にふて腐れていたい、だがそれにはどうしても彼女が邪魔に思えた。


「なんで来たんだよ。」

 心にもない言葉が自然に零れた。

「君がカバンを忘れるから。そうでしょ?」

「いや。まぁ」

「これが無いと困るのは君。」

「……。」

「それとも、私が来ない方がいい理由があるわけ?」

「いや、無いと思う。けど。」

「そうでしょ。」

「ただ、というか、でもと言うか、意味ないじゃん。そんなカバン、誰かに踏まれようが捨てられようが、今はもう、何て言うか。もうなんかどうでもいい。」

「そう、わかった。そのカバンはまさしく君ということ何だね。」

「え?」


 二条が何を言っているのかよくわからなかった。

 ただ、こちらの意思など察する予定はないようで、そのまま自然に横に掛けた。

 すると彼女はこちらを見る。

 そして次に何を言うかと思えば、こう見えて実は彼女はその多くを察していたのだった。

 

「どうでもいいんじゃないかな?」

「え?」

「クラスの事でしょ?考えるだけ無駄。だって馬鹿馬鹿しくはない?その関係に意味は無い訳だし。だから共感とか同情とか、軽蔑も怒りも何も無いよ。」

「……。」

「もっと自分の内側の事に関心を持っていたいと思う。私はね。」

「……。」


 二条の口から飛び出す意外な言葉。

 それに少々不意を突かれ、返す言葉を詰まらせた。

 

「そんな様子じゃ、今日はバイクのことあんまり話せそうにないね。まぁ仕方がない。」

 彼女はそう言うと、またベンチから立ち上がった。

「それじゃ、また今度。」


 そうして二条は振り返ることなくバイクに向かい、それを跨ぐといつものように颯爽と走り去って行った。

 今日の彼女は少し普段と違って見えた。


 これでも胸につかえたもやもやは取れないが、それでも少しはすっきりしたのだろうか。

 夜市も遅れてバイクに向かい、受け取ったカバンの中からバイクの鍵を取り出した。


 その時、カバンの中の異物に気が付いた。

 買った覚えのない缶コーヒー。高校の自販機で売っているものだった。

 まさか、いやしかし誰が入れたかは明らかだ。


「お、ぉお?」


 未だ彼女のことはよくわからなかった。

 普段どういう考えをもっていて、どういうものが好きで、どういう事が嫌いで、なにを大切に、どんな目標があるのか。

 なんていい加減な関係なのだと今更ながら思う。

 しかしこの距離感を悪くないものと感じる。

 思ったより自然な関係だったのかもしれない。

 そしてそう思うと余計に気になった。

 一体彼女は、このクラスや自分、また田渕のことをどう思っているのだろうと。


 とりあえずこの缶コーヒー。早速頂こうと思う。


 立ったまま、バイクのシートに少し体重を預け、ステップに片足を乗せる。

 缶の蓋を開けて、そのまま喉に流し込んだ。

 苦い。

 その苦いが旨い。

 


「いいバイクじゃないか。」


 丁度コーヒーを飲み終えたところで、ふと後ろから聞こえた男の声。

 振り返ってみると、そこにいたのは形容し難いただのおじさんだった。強いていうならその馬ヅラが特徴だ。

 見たところサラリーマンではなさそうだ。服は地味でこだわりの無さそうな感じ、パチンコ帰りの暇人か何かだろうか。

 取り敢えず話を聞く事にした。


「そいつ結構速いだろ。俺も昔乗っててな。懐かしい。」

「は、はあ。」

「お前さん高校生だな。俺も若けえ時は結構ワルでな、もちろん免許なんてねえが夜な夜なバイクで走り回ったもんだ。」

「そ、そすか。」


「ああ、懐かしいなぁ。」

「あぁ、えっと……。」

「いやすまんな、ついついバイクで熱くなっちまった。で、ちょっと尋ねたいんだが。」

「はい。」

「この辺りに武蔵ノ宮高校ってあるの知らないか?」

「あー、すぐそこですよ。ここ真っ直ぐ行って県道渡って、それで一本南に入ればそこです。」

「ほお、成程な。あぁ、もしかして君、そこの生徒さんか?」

「あ、はい、まぁ。」

「おお、それは都合がいい。じゃあ君、二条って子は知ってるかな?」


「え、はい。」

 後ろめたいことは何もないが、突然現れた彼女の名前に、ついさっきまで話してた事もあり少々背筋がぎょっとした。

 ただのバイク好きな人かと思えば、高校の話を、そして二条怜華のことを聞くとは段々と何だか怪しく見えてきた。

 しかし見た目は、ただの地味な馬ヅラのおじさん。すぐ忘れそうなくらいの平凡ななりは、怪しさのかけらもない。

 特に気にすることもなさそうだ。


「そうか。それで二条って子は何年の何組かわかる?」

「あ、はい。同じクラスなんで、2年B組ですよ。」

「ほうほう。2年B組か。」


「わかった。助かったよバイクの少年。」

「はぁ。」

「礼と言う訳じゃないが、君には一つ良い事を教えよう。明日は学校に行かないほうが身のためだ。このバイクで出かけると良い。」

「?」

「それじゃぅま、さらばだ。」


「うま?」


 そう言い残して、馬ヅラのおじさんはてくてくと去った。

 一体彼は何者だったのだろうか、今から走って聞きに行けばすぐだが、それも少しめんどくさい。どうせただの何かだろう。

 最後に言い残していったことも、おそらく大した意味はない。きっとストレス社会にげっそりと疲れたこの身を案じてくれたのだ。いいおじさんではないか。


「あぁ、そう言えば2年B組って去年の俺のクラスか。……、帰るか。」

 また会う機会があれば訂正しておこう。まぁ、もう一度会うこともないだろうが。






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