バイクが運ぶ春の風
夕日が彩る西の空。
今日も至って平凡。
日常は、想定しうる範疇の道幅から決して逸脱することなく、そのど真ん中を通過した。
そしてきっと明日も、明後日もそうだろう。
それでいい。
そんなルーティーンの真っただ中、小さなイベントが起こるのはその帰り際であった。
果たしてそれは春の訪れか。
学校付近の大きな公園。
大通りから一本中に入った場所に、広域避難所として設置されるそこは、花壇や遊具の他にソフトボールくらいならできそうなグランドが広がる。
放課後のこの公園は、この時間いつも小学生で賑わっていた。
ドッヂボールをやったり野球をしたり。もっと小さな子供は、かくれんぼや鬼ごっこで遊びまわる。
筆頭帰宅部員、黒羽夜市。
もちろんここに立ち寄ったのは、小学生女児を鑑賞して隙あらば声を掛けるため。
ではない。高校生でそんなに歪んでいたら末恐ろしい。
ここに来たのはいつものルーティーン。
通学用のオートバイを迎えに来た。
公園敷地内の微妙な駐輪スペースに、その隅っこに400㏄の中型バイクを停めていた。
校則でバイク通学が許可されているのかは知らない、生徒手帳は紛失した。少なくとも憲法では禁じられていないのだから問題ないだろうという解釈でいる。
そもそも、この国の学校教育というのは、子供から物を取り上げるのを常套手段としている。
危ないことを遠ざけて、危険ある物は持たせない。大体そんな感じ。
そんな中でバイクに乗る俺。アウトローな自分かっこいい。
その感じが好きだ。正直自分はイカシテル。
バイクの良さはそこにあるのだと常々思った。
別に悪さをするつもりはないが、バイクに乗ってかっとばせば、いけてる気がしてたまらない。
平凡な人間だって、たまにはぶっ飛びたいものである。
それが夜市のささやかな楽しみであり、趣味だ。
そして、夜市のバイクはそこにある黒いネイキッド。
水冷四気筒、丸目一眼のライトはバイクの中のバイク、そのスタイルは今も昔も王道だ。
さて、脱いだ上着は適当に丸めてリュックにイン。
代わりに着るのは専用ウェア。
と、ここでふと気が付いた。
いつもは見かけないバイクが隣に停まっている。
赤、黒、白のカラーリングで非常にレーシーなカウリング。ハンドルは低く、乗車時の前傾具合が想像できる。
週末にサーキットでも走ってそうなバイクだった。
見たところ納車したばかりの新車である。恐らくこの前雑誌で目にした新型に違いない。
これは良い物をお目にかかれた。
そう思って夜市はそのバイクに近寄って間近でそれを観察した。
少ししゃがんで細部を見る。
成程、これいけてるぜ。と。
「あの……。」
不意に頭上で声がした。
透き通った女の声。
夜市はこれにびくりと反応。
別に悪戯をしようとしていた訳ではないが、他人の所有物をこんなにジロジロみていては怪しまれてはしかたない。
「おっと、すんません。つい……。」
と言いながら立ち上がって顔を上げる。
すると目が合う一人の女性。
ストレートの黒髪は長く、整った顔立ちに切れ長の目が凛々しく光る。
いったいどこの俳優が、いや知った顔だ。
二条怜華である。
しかし頭の理解が追い付かない。二条怜華がなぜここに。
「あれ。えっと。」
夜市はすこし離れると、二条は無言でそのバイクに跨った。
彼女は夜市の存在などまるで気にせず、淡々と上着を羽織り、ヘルメットを被った。
もしかして、もしかしなくともこれは彼女のバイクである。
そしてほぼ間違いなく、今日彼女はこれで登校した。
なんたる偶然、いや必然、否、これは何かの運命だ。
話さなくては。
何かバイクの話題を振らなければ。
夜市は何か本能的ともとれる衝動に駆られ、詰まる言葉を無理やり吐き出した。
「あ、今日はいい天気、じゃなくて、いいバイクっすね。そう、まじバイク日和ってか、新車最高、みたいな、あははは。」
意味不明だと自覚しつつも、話のきっかけ作りに無理をした。
しかし彼女は、それに対して不思議そうにすらしない。
ヘルメットから覗き見える彼女の目は、表情一つ変えずにこちらを横に見た。
「誰?」
「ぇ……。」
彼女は去った。
スパルタンなバイクを華麗に乗りこなし、その姿は交差点の左折すら美しい。
哀愁漂う駐輪場。
まあいいだろう。少しいきなり過ぎたんだ。こちらにだって準備は要る。事前にこのイベントがあるとわかっていたならば、結果は多分違っていた。
夜市の方もヘルメットを装着。
相棒に跨ると、そのエンジンを低く唸らせて穏やかに発進した。
しかしまぁ意外も意外。
ザ優等生たる二条がバイクで通学とは。てっきりリムジンでの通学かと思っていた。見たことはないが。
しかし、意外ではあるが驚愕はしない。時間をおいて考えれば、二条とバイクの組み合わせは非常に相性が良く思えてきた。
孤高の存在の孤高のマシン。いいじゃないか。
そんな彼女と、すこしでも言葉を交わしたいと思った。
好きなのか。
いいや、違うだろう。
見た目だけで人を好きになるなんて、もしそうだったとしても否定したい。
ただ、二条怜華という人物に興味があるのは違いないと思う。
向こうはまるでこちらの事など知らない様子だが、そもそも内のクラスで自分の事を認知している人自体少ないだろう。自分は陰なキャラクターを通り越し、空気キャラを目指しているのだから。
クラスで孤立するのは特にどうという事は無かった。
ヒトアレルギーという体質はあるが、もしそうでなかったとしても自分は孤立していたんだと思う。
これでも昔はもう少し人と喋ってた、友達と言えるような同級生もいたような気がする。
ただいつの日からか、何となく人付き合いがカラカラに乾いて思えた。
水のない所に緑が出来ないように、それはそれは自然な流れで、気付けば自分は教室の隅っこにいた。収まるべきところにピタリとはまるかのように。
今ではこのポジションがすっかり板についた。そして何より自由であった。
乾いた荒野を今日もゆく。
そんな中にある出会い。
滲みた。
ただそれだけだが、久しく潤った。
またここで彼女に出会ったらもう少し話してみようと。
翌日の朝、同じ場所にみる彼女のバイク。
少し弾んだ気持ちを胸に登校した。
しかし、いざ学校で、教室で見る二条は相変わらず。
まるでカップ焼きそば付属のソースに切り口がない状態であるが如く、きっかけがなければ厳しい。彼女のつんとした雰囲気は全方位に対して鉄壁すぎる。
手で破れなくはないが、そうしようとは思わないのと同じに、彼女に喋り掛けれなくはないが、そうしようという度胸が湧かない。
まぁいいか。
と、普段通りの日常にシフトした。いや、普段と違う方にシフトするのをやめたと言うべきだろう。
相変わらずの学校生活が続く。
そんな中、意図しない変化が訪れた。
例の重油ワカメ餅。屋上という空間になにかを見出したのか、昼休みの度に侵入を試みるのだ。
そして今日、焼きそばパンを買い損ねると、どうした事かその重油ワカメ餅は、それを献上しに参上するのであった。
「は……?」
「黒羽君、いつもこれだよね?」
「あ、うん。」
「いいよ。」
「え?あ、おん。貰う。」
こんな具合で謎の交流が始まってしまった。
次の日はコーヒーをもって来た、また次の日はメロンパンときた。
自らすすんでパシリになるとは、マゾなのか。
しかし、こうも好意的に接されるとこちらとて悪い気はしない、むしろ貰ってばかりで悪い気がした。
そんな訳で、そのリターンに会話することを許容した。
ぼそぼそ喋る陰気な肥満だと思っていたが、喋り始めると思いのほか生き生きとしているではないか。
「それで黒羽殿、このアニメはだぬ、これがオデの一押しキャラだふ。」
「ふーん。それで。」
「それでぬ、この子はだぬ、高校生にして小学生体型、オデの理想だふ。」
「へー、いいじゃん。」
「そんでぬ、そんでぬ……。」
「ストップ、近い。」
「十メートルは離れてるだふ。」
「それがヒトアレルギーの限界だよ。」
「それマジだぬ?胡散臭いにも程があるだふ。」
「それ言うなら、たぶっつぁんの存在の方が胡散臭い。」
「たぶっつぁん?て何だふ?」
「目の前のやばい人。」
「ぬ?」
ほんと謎の交流だった。
彼の名前は田渕昌彦だったと思う。教室では一切話さない癖に、この屋上では異常に活きが良い。
田渕は自分のことをよく話した。そしてしばらく経つと今度は積極的にこちらの事を聞いて来るようになった。
好きな美少女の体型や年齢、語尾など。
なんだそれ。
「バイク!?黒羽殿はカッコいいだふ。」
「カッコいいのはバイクであって俺じゃないよ。」
「是非画像を見せるだふ。」
「近づくから駄目。」
「ぬぽ~、いつもそればかりだふ。」
「しゃーないじゃん。」
「オデもバイク乗りたいだふ。バイクに跨ればきっと美少女にモテモテになるだふ。」
「ないな。」
「ぬぽ~、そんな事はないだふ。あぁ~美少女とお付き合いしたいだふ~。」
「すればいいじゃん。妄想で。」
「ぬぽ~。」
田渕は教室では静かだ。
それは夜市に対しても同じ。
まるで屋上という特殊な条件下で起こる化学反応か何かか。
とある体育の授業。
手でボールを触ると反則になる特殊なあれ。
こういう競技では、やたら元気になるやつもいたものだ。
特に、女子もグランドでの授業となっており、そのギャラリーが多ければ尚更である。
この妙なアピール合戦。
わざとらしく溜息をついてやりたい。
だが本当についてないのは、溜息ではなくあの重油ワカメ餅だ。
例の輝かしい運動部生徒の生贄になるのは想像に容易い。
もちろんと言うのは失礼であるが、田渕はキーパーだ。更に失礼ながら、もちろん運動神経は最悪。
普通にスポーツができる人間からすれば、その動きの鈍さは想像を絶する。
なぜ、それっぽっちも出来ないのかと。
不可解な動きによる失点が相次いだ。
相手チームからすればお笑い、味方チームの雰囲気は最悪だ。
そのキャプテンっぽいサッカー部男子は遂に堪忍袋の緒が切れる。
それすらも何かのアピールに見えてならなかったが、怒声を浴びる田渕はどんどん縮こまっていく。そうする事で更に動きは悪くなり悪循環。
見れば味方のチーム以外はみな笑っていた。
点差は遂に10以上も離れる。
相手チームはもはや、ゴールを狙うのをやめて田渕にシュートを当てるのを楽しむようになっていった。
そのボールが当たった時の気味の悪い反応を見て楽しんだ。
「田渕、お前いい加減にしろよ。お前さ、普通にボールとれねえの?ただ目の前のボールを拾うだけ?できない?」
田渕はそれにもごもごと喋るが、何を言ってるのかさっぱりわからない。
「お前絶対ふざけてるじゃん。」
「ぬ……。」
「やる気ねえなら、やめろって。マジ迷惑だから。」
「……。」
そんな田渕を夜市は遠目に眺めていた。
別に庇おうとも思わない。
田渕の方は微妙にこちらに視線を向けることもあったが、それが合ったとして夜市が特に動くことはしなかった。
「そもそもやる気なんて少しもないだふ。」
サッカー部が前の方に行った後、田渕はひとり呟いた。
仁王立ちで生徒たちを監督するのは、眉毛の太い体育教師。
田渕は一瞬そちらを見たが、体育教師は田渕の様子など特に気にも留めていない様子だった。
教師の目線はボールの方へ。
俊敏なサッカー部員から出される鋭いパス。
が、そのボールの動きは不意に止まった。
パスを受けた筈の生徒はまさかの余所見。
勢いを失ったボールはたちまち相手チームに掻っ攫われた。
そんなまさかの生徒は、自称空気キャラ。
周囲の視線が空気に集まった
そして次の瞬間に飛ぶ怒声。
体育教師が怒鳴った。
「おい!!そこの奴。」
夜市だ。
「お前授業やる気あんのか!え!?」
体育教師はずかずかとコートの中に足を踏み入れて、棒立ちする夜市のところまでやってきた。
「あ、はい。」
「んあ!?はいじゃねえ。やる気がねえなら授業に参加するなぁああ!!」
「すいません。」
夜市は、怒鳴る教師に威勢無く返事をした。
言われるがままに、はいはい答える。
やがて教師は気がすんだのか、もとの場所まで戻って行った。
「はぁ。」
運動部員達から白い目で見られている。あっちの方にいる女子も、微妙なリアクションだ。
変に目立ってしまった。
力を適度に抜いてやるのも。まぁ難しいこと。
どんなに空気になりたいと思っても、存在する以上は回避出来ない最低限の人付き合いが何とも息苦しい。
そんな中、一人暖かい視線を送って来る輩がいた。
田渕だ。
気持ち悪い。
授業後、田渕が先生に体育教官室に連行されていくのが見えた。
運動神経が悪いというだけで叱られたのでは堪ったもんじゃないが、いささかその内容が気になった。
教官室のすぐ横に、休憩するふりをして身を屈めた。
――お前は悔しくないのかよ。なあ。
中から聞こえるのは例の体育教師の声。
田渕の声は一切ない、いや聞こえないだけだった。
――俺は何も手を貸さないからな。周囲を変えたかったら自分が変われ!
――大体お前、何だそのだらしない体は。成績もどうなんだ、え?よくないだろ。
――お前、もうちょっと考えろよな。色々とさぁ。
もういいだろうと、夜市はここを後にした。
これは何の意味もない事だ。
そしてその去り際。
顔を上げると、ふと目が合う例の人。
女子の方も体育が終わり、目の前をずらずら通り過ぎていく。
その中で、一人足を止めてこちらを見ている女子生徒。
二条怜華。
何か挨拶をするべきか。
いつも目が合うのが突然すぎる。
「あ……。」
どうも、と口に出そうする直前、彼女は足早に去って行ってしまった。
だから唐突過ぎなのだと。
翌日、田渕は学校に来なかった。
夜市がそれに気づいたのは昼放課の屋上だ。
今日は運動部の人気者たちがやたらと賑やかだと思ったが、その理由はこれだったのか。
死んだんじゃね。
と、そんな内容を口々に、本人がいない前では女子生徒達もがその話に加わっていた。
こうして夜市の日常は、元通りに修復されたと思われた。
誰とも喋らない学校生活。
しかし、別れがあれば出会いがあるのもまた必然。
その日の放課後、公園の駐輪場だ。
「君、同じクラスの人なんだ。」
「うぇ!?」
たまたま鉢合わせたかと思えば、あちらの方から声を掛けてくるとは予想の遥か大気圏外をいった。
二条怜華が、喋ってる。
「誰かに言って無いよね、私がバイクで通学してるとか。」
「お、おん。」
「まぁ、言う訳ないか。君もそうしてるんだし。」
「お、おん。」
彼女はそれ以上は特に喋らず、あの日と同じように淡々とヘルメットを被って、エンジンを掛けるとさっさと消えた。
その出会いは彗星の如く。
まともに喋る間も与えずに、瞬く間に通過していった。
しかしそれでも一歩前進と言えるだろう。
今日はスキップをして帰ろうか。バイクだが。