素敵な出会いは屋上で
この学校では屋上に生徒が入る事を禁止している。
屋上、なんと素晴らしい、なんと気持ちのいい響きなのだろう。
気持ちのいい太陽に暖かく包まれ、山の方から吹く風が肌を撫でる様に通りすぎる。眼下には遠くまで連なる街並みが広がり、向こうの方には、そよ風の故郷たる山脈が霞む。
静かで開放的。時には寒く時には暑い、しかしそれがまたいいものなのだ。
この地球に広がる自然を、全身をもって浴びる事ができるのが屋上である。
で、それを禁止するとは一体どのような了見なのか。
全くおこがましい。
人と自然とを繋ぐ貴重な環境を閉ざすとは、あらゆる生命に対して何たる冒涜であろう。
だが、物理的に繋がっている限り、封鎖、禁止といった単語は一切無駄。
それを守るべき、という刷り込まれた概念など既にゴミ箱に捨てた。校則なんてものは学校の自己満足に過ぎない。
よって黒羽夜市はここに足を踏み入れる。
施錠なども意味は無い。
鍵は何時だってここにある。
夜市の制服ズボン右ポケット、アパートの鍵と一緒にカラビナで繋いである。
去年日直の当番であった時、堂々と職員室から鍵を持ち出した。そしてその日はすぐ早退、着替えた後に鍵屋で複製し、翌日には本物は返却。ただこの時は、職員間で鍵の紛失騒動が起こっているため、鍵は職員室の隅の方に捨てて置くのが良策だ。
そんな感じで、永久屋上パスを手に入れることに成功した。
あとは誰にも見つからなければそれでよし。
それについても、丁度いい具合に連れがいないため、自分さえ気を付ければ変なところでバレる心配もなかった。昼休みに自分を誘うような奴はいない。
そもそもだが、一人になりたいがために、この屋上を開拓したのだ。
人を避ける前提で切り開いたこの場所に、誰かほかの生徒が来ることはない。
ここはまさに、ボッチ人間の楽園といえる。
いつもの鍵。
少し固いが捻れば開く。重い扉の外側に、眩しい世界が広がった。
屋上は今日も気持ちがいい。
ここの隅っこの方には、お風呂マットや折り畳みの椅子など、くつろぎアイテムを常備してある。
もちろんそれは夜市が揃えたものだった。
だが、とりあえずは昼食。
購買で買った焼きそばパンの包装を破って食べる。なんの変哲もない普通の焼きそばパン。
適当にスマートホンをいじりながら食べるそれは、あっと言う間に無くなった。
流石にパン一つでは10代男の腹は膨れないが、懐事情はこれ以上の贅沢を許さない。
あとは缶コーヒーをと思ったが、今日は珍しくそれを忘れた。
財布の中にはまだ小銭がある。昼休みはまだまだ長いことだし、多少面倒臭いながらも、やはり食後のコーヒーは外せない。
貧乏ながらに、食後の缶コーヒーこそが食を文化づける最期の砦だ。
と言う訳で、一旦屋上を立ち去る。
職員による屋上の見回りは夕方以降の一回のみ。とくに施錠の必要はないだろうと、夜市はそのまま出て行った。
そしてその数分後、何の不安もなく屋上に戻る訳であるが、夜市はここに招かれざる客を発見することとなる。
不思議そうにお風呂マットを観察する男子生徒が一人。
体型は鏡餅のようだが表面の質感はイチゴのようにぶつぶつで、更には重油に漬けたワカメを被ったような頭髪。そこに清潔感は存在しない。
一瞬、本物の怪人が現れたのかと思ってしまった。
大丈夫、これでもそれは人間だ。
しかし何とも許しがたい。
この聖域に足を踏み入れるなど、何人たりとも許されない。
ましてやこんな重油ワカメ餅などもっての他。
夜市はその男子生徒に近づいた。
思えば学校で生徒と喋るなどいつぶりだろうか。
「ちょっと?」
その一声に重油ワカメ餅はひどく驚いて、弾むように仰け反った。
「ひっ、ひぃいいいい。」
案外声の高いところが何とも不愉快。
「おいクソデブ。勝手に俺の風呂マットに触ってんじゃねえよ、マジぶっ殺すぞ。つーか屋上から失せろ。大気が穢れんだよ禿げ。」
と、夜市は言うつもりであったが。
「ごめん、それ俺の。」
実際口から出た言葉はこんな感じ。
こんな、いかにも弱そうなやつ相手にも、普段のコミュニケーション不足のせいでビビッてしまうとは情けない。いや、これは自分が優しいからだ。優しい男だからこそ、ひどい事を言えないのだ。
夜市は一人で納得する。
「うひっ。ご、ごめん……。」
「別にいいけど。」
追い払わねば。
追い払わねばと思うものの、一体どうしたものか。
お風呂マットで寝転んで昼寝を始める自分の横に、この男はずっとそのまま棒立ちし、立ち退く気配は全くない。
いったい何のつもりかと。
「なあ、お前なに?なんか文句あんの?何もねえならとっとと失せろや。」
と言ったつもりだが。
「そっちに椅子あるし、座れば?」
と、気付けば言ってた自分がいる。
この優しさが腹立たしい。
まぁ、見た目は悪いが静かだし、無害ならば太っちょの一匹程度まぁいいかと諦めモードに入っていく。
こいつはまぁ、部屋によく出る小さな虫みたいなものだと自分に言い聞かせ、そう認識すると今決めた。
疲れるし、邪魔でなければ無理に追い出すことはない。
本音を言えば、ただ人と喋るのが嫌なだけだが。
取り敢えず無視するしかなさそうだ。貴重な昼休みは有効に使おう。
まずは、ずっと付けていた使い捨てのマスクを外す。
屋上にわざわざやって来るのもこれがためだ。
人で溢れた教室とは違って、ここは空気が気持ちいい。
マスクを外した瞬間に、今まで詰まってた鼻がみるみる内に開通する。そして空気が通った鼻を通じて額の方まで新鮮な風が流れ込んだ。今までずっと燻ぶっていた微熱と頭痛、それは風に流れるように消退し、頭がすっと軽くなる。
アレルギー症状が改善した。
さて、実はこの男、黒羽夜市と言う者は、世にも珍しいヒトアレルギーの持ち主であった。
その症状は、ネコアレルギーなどとほぼ同じ。
人間との距離が近いと、くしゃみに鼻水、目の痒みなどが止まらない。
世の中にはこんな珍しい体質の人もいるものだ。
しかし学校側はこれに対して何とも冷たい態度である。人との距離が近いと、どうしようもなく症状が発現して体調不良を免れないというのにも関わらず、それに対する配慮なるものは欠片も存在していない。
して、自ら開いた新天地がこの屋上という訳だ。
いまこの時間だけはマスクを外して楽になれる。
他人の空気を吸わなくて済んだ。
実に良い。
人間なんてのは、数がいたって邪魔なだけ。
ヒトアレルギーはその真理を教えてくれたのだ。
きっとヒトアレルギーを持たない者は、このそよ風の気持ちよさ、太陽から注ぐ日差しの暖かさ、そんな素敵なものに見向きもしない。価値があるのかないのか、それすらも考えようとは発想しないだろう。
この体質は非常に厄介だが、そういう意味では感謝してる。
こんな感じで自己満足に浸りつつ日光浴を満喫。そうしてしばらく後、煩わしい予鈴に起こされた。
目を開ければ、例の重油ワカメ餅が顔を覗きこんでいる。
起きた瞬間に胃の内容物が暴れた。こいつは催吐物質でも振りまいているのか。ヒトアレルギーよりも性質が悪い。
何かを言おうとしていたが、夜市は黙って風呂マットを片付けた。
屋上を出て施錠。
何か一言口止めでもしておこうかと思ったが、わざわざ喋るのも面倒だった。流石にこの事を漏らすような極悪人、若しくは委員長タイプの真面目君ではないだろう。
そうして、すたすた教室に戻るのだが、何なのだろう、ストーカーなのか。
この男、重油ワカメ餅はずっと後ろをついて来る。
え、ファンなの、何なの、何の追っかけ、と自問自答。答えは出ない。気味が悪い。
しかし、その疑問も間もなく晴れた。
後ろを歩く重油ワカメ餅は、同じ教室に進入。
クラスメイトだった。
わき目も振らずに、夜市は真っ直ぐ自分に椅子に。
本鈴までまだ少しは寝れるだろうと、机の上に突っ伏せた。
だが、後ろをついてきいたあの男は、そうすんなりはいかないようだった。
なんだか教室が騒がしい。
夜市は腕の中からちらりと片目をのぞかせた。
わいわいと盛り上がる男子生徒たち。
運動部に入ってそうな元気な若人たちだ。
そして、その後ろで巨体をうじうじと気味悪く突っ立つのは重油ワカメ餅。
その状況から察するに、恐らくあの男子生徒たちが重油ワカメ餅の席でフィーバーしているがため、重油ワカメ餅は接近できないのだろう。
災難だが仕方ない。
もし自分が重油ワカメ餅の立場だったとしても、あのギラギラした雰囲気の中に突撃し、ちょっとそこ俺の席だから、なんて言うのは不可能だ。
足が長く顔も良い、運動神経が良いであろうサッカー部員、いかにも何か頑張ってそうな感じの高校球児、このクラス内における男子の市民権は、ほとんど彼らの元にあると言えるだろう。それが普通、極自然な流れであり、そこに疑問を感じる者はないだろう。
で、どうする重油ワカメ餅。
口は出さないが、そこで黙って突っ立ってるのは失敗だ。なぜならば。
「お、田渕じゃん。タブッチーどした?」
「タブッチー、デブッチー、キモッチー。ウェーイ。」
「何か、きょどってんだけどコイツ。」
「キョドッチー。」
なぜならば、絡まれるからだ。
そうでなくとも弄られやすい外見とその性質。もっと賢く立ち回れないかとも思うが、別に同情はしない。
「なあなあお前アニメとか好きじゃん。丁度俺らその話してんだけど、そういうのオープンにして恥ずかしいとか無いの?ほらお前カバンに変なもん付けてんじゃん。この缶バッジとかキーホルダーとか。」
そう言って、長身のサッカー部員は机の横に吊り下がったワカメのカバンを、勝手に机の上に持ち上げた。
確かに、アニメチックな美少女が描かれた装飾品が一杯で、学校指定のそのカバンは痛車ならぬ痛カバン状態だ。
「うっわ、ちょっとやばいだろ。きもいきもいって。」
とバスケ部員。
顔に汗を垂らす重油ワカメ餅は、何かもぞもぞと喋って応対しているが、ここからでは聞き取れなかった。
「てかさ、お前あれに似てんじゃん、お笑い芸人のあれ。ちょっと真似してみろって。」
野球部員が言った。
あれって何だ、と言うのはさておき、重油ワカメ餅は困った様子。
よくわからない無茶振りに、重油ワカメ餅は適当に笑って誤魔化すもそうはいかない。
缶バッジ等の所持品をいじり倒され、餅のようなお腹をつつかれる。
そんな様子を、周囲の女子生徒らは、若干楽しそうに見物する。
イケメン達が織り成すコントは、彼女たちにとって心のトキメキに他ならないのだ。
「お前笑い方キモいよな。ははは。」
「ちょっともう一回笑ってみて。」
「いいからやれって。お前腹つまむよ。」
「はははは。まじキメェこいつ。ははははは。」
夜市はちらりと二条の方に目をやった。
彼女は次の授業の予習中、後ろで騒ぐ生徒らには全く興味が無い様だ。
もちろん、夜市とて別に彼らのやり取りに興味がある訳ではない。ただ喧しい。それだけだ。
こうして長い五分は過ぎ去って、ようやく授業は始まった。
またしても退屈な時間が訪れる。
窓の外をぼさっと眺めた。
外の体育の授業はサッカーだ。素人がやるサッカーほど見ていてつまらない物は無いだろう。
仕方ない、また妄想でもして時間を潰そうか。
もし、自分がニンザムだったら。
もし、二条怜華がヒロインだったら。
そしてもし、学校に突然怪人が現れたら。
無論、そんな事は起こりえない。
ピンポイントにこの高校に怪人が現れて、そしてたまたま自分がニンザムで、偶然に美少女を助けるなど、その確率は天文学的数字よりも遥かに遠い可能性だろう。
どんなに待っても、授業中に非常ベルが鳴り響くことはない。
そんな空想に耽るのも、二回目以降はちょっと疲れる。
鬼面レイダー・ニンザム。
正義に形があるとしたら、それは一体どれほど強いのだろう。
最強の武器をもって、ばっさばっさと悪を屠る。
敵は醜き怪人共。倒されるべき悪の権化。
最高だ。
そんな都合のいい現実なんて。
存在する。
夜市の妄想は、在り得ないものから構成された一次創作ではない。
この日本には、怪人がいてニンザムがいる。
丁度良い。
かったるい古典の授業は教師の監視が甘いこと。
机の下でスマートホン。気になってたニュースを開いてみる。
ニュースのヘッドラインに並ぶのは怪人関係がやたらと多い。
――連続銀行強盗の怪人、遂にニンザムにやられる――
――通り魔怪人、斬殺死体で発見――
――緋色のニンザム現る――
――警察官の殉職率は日本史上最悪に。深刻な人手不足が現状――
――法律専門家、怪人とニンザムの法的解釈は様々――
気になってた記事は怪人ニンザム関連だ。
ここら近辺も最近は物騒だ。しかし逆に言えば、それだけ生のニンザムを見れる機会も増える訳だ。
実在する仮面のヒーロー。実在するクライシス。
昔から、そんなに特撮ヒーローにのめり込んでいたマニアではないが、それでも17才の心に潜む童心は高鳴った。
夜市の描いた空想物語。
唯一現実と異なる要素は、平凡な男子高校生こと黒羽夜市が、本当に平凡であり、勇ましく変身する事が無ければニンザムでもないという確定的な真実のみだ。
ニンザムの中は一体何者なのか。
誰もその姿を見たことは無いが、きっと選ばれし者に違いない。
そして黒羽夜市は選ばれない。
どういう仕組みで誰がどのように選ぶのかは不明だが、日本にいるニンザムの数はほんの僅かだ。
もしそれが選ばれる的な制度だったとしても、選ばれるかもという発想そのものが愚かしい。
何か秀でた能力が自分に備わっていたとして、それは果たしていづれかの分野で日本の上位数十人になり得るのか。
普通はない。
それに今までの説明の通り、この高校生は至って平凡だ。才能もなければ、努力によって得た技能もない。いなくなっても差し支えのない、替えの利く17才男だ。
夢にみるニンザムごっこが似つかわしい。