静かなる覚醒
「ぅまあああ!!小賢しい!!返り討ちにしてくれるわ!!」
長大な刺又をぐるんぐるんと頭上で振り回し、ウマンバは自慢の突進力で襲い掛かる。
そして目の前までくると、その勢いのまま刺又を振り上げて、こちらにめがけて振り下ろす。
無論、そんな大振りで当たるはずもあるまい。
こちらの動体視力は、刀の一線を見極める侍の目。
これをひらりと回避すると、刺又は廊下を粉砕。
その隙に、ウマンバの胴体に蹴りを加える。
よろめくウマンバ。
抜刀。
腰から抜いた刀は鞘から抜き取られると、刀身は赤い光を全体に帯びた。
刀を構え、ウマンバの間合いに入り込む。
赤光の筋を空に描き、刀は真っ直ぐウマンバの脇腹に。
ここで間一髪、怪力で引き戻すウマンバの刺又は防御に間に合い、刀の軌道を受け止めた。
競り合う二つの武器。
力で上回るウマンバは刀を押し返した。
押し返されるこちらに対し、ウマンバは追撃。
少なからず体勢を乱したところに、またしても刺又の一撃。
刹那、腰にぶら下がる小さな球体を地面に投げる。
球体が地面と接触すると同時に、どろんと黒煙が湧き上がり、一瞬にしてウマンバの視界を奪った。
動揺するウマンバ。
刺又を振って煙幕を払うと、そこにニンザムの姿は無い。
きょろきょろと辺りを見回す。
上だ。
ウマンバが気付くか気付かないかのその瞬間、上方向から飛び掛かる。
クナイを構え、ウマンバの背中に着座。そのままクナイをウマンバの背中に突き立てた。
真っ赤な血しぶきが吹いた。
暴れるウマンバの背中にガッチリと両足でホールドを固め、振り落とされる瞬間まで、クナイで背中を連撃した。
遂には、ウマンバは自身の背中に向けて刺又を振るう。
その瞬間にこちらは離脱。
ウマンバの背を蹴り後方へ跳躍。
また、その瞬間に手早く手裏剣を懐から投げ、執拗に追加ダメージを加えた。
それに激昂したか、振り返るウマンバは我を忘れて突進。
目を閉じても見切れる直線的な攻撃だ。
再びこれを回避。
それ違いざまに抜刀。
その一閃は、ウマンバの右前足を切断し宙に跳ね上げた。
足を一本失うウマンバはバランスを崩して前のめりに転倒する。
「ぅまあああっ。あ、足がぁあああ!吾輩の足がぁあああ!」
ウマンバは通過したこちら側に頭を向けた。
「許さん!!絶対に許さん!!」
よろよろと立ち上がるウマンバ。
一本欠けた足で、こちら向き体勢を変換する。
「許さんんん!!うまああああああああ!!!」
ウマンバの雄叫び。
大気をどよめかす叫びと共に、その体はみるみる内に巨大化を始める。
謎に噴出する濃霧と共に、ウマンバの肉体、その全細胞は形態変化をきたした。
体は既にケンタウロスなどではなくなった。
すでに人間要素を完全に欠いた木曽馬の姿に変化。但しその大きさは10tトラック並、さらに全身には何とも厳ついトゲトゲの防具が装着された。
これがウマンバの決戦形態である。ちなみに右前足は再生済み。
「ヒキコロシテクレルワ!!ニンザム!!」
「冷静さを欠いたなウマンバ。狭い廊下でその巨体、前しか進めないが?」
「ウマハハハハ。ダガ、コレデモウカワセマイ。」
「それは貴様も同じだ。」
刀を一旦鞘に納めた。
次の一撃で決める。
鞘に収まった刀身に、全身から湧き上がる精神エネルギーを一極集中。
大気がビリビリと振動し、溜まったエネルギーは光となって、鞘の隙間から漏れ出した。
「クタバレ!!ウマアアアアアアアア!!」
決戦形態のウマンバは、蹄で床を粉砕しながら突進。
この突撃を正面から受ければ、いくらニンザムの戦闘スーツを身に纏っているとはいえ、ただでは済まされないだろう。
そして、後ろに控える二条怜華と先生も巻き込まれる。
だがしかし。
ウマンバがこちらまでの十数メートルをたどり着く事はあるまい。
鞘の中で刀を走らせ、超高速での抜刀。
振り上げられた刀からは、弾き出されるように赤い閃光が飛翔し、上下に長く光が放たれた。
その閃光は、迫るウマンバを中央から迎え撃ち、脳天から尻尾にかけて、通過した。
同時にそれは天井と床までをも縦断。眼前の全てを縦方向に一閃した。
そして突進の最中であるウマンバは、通過した光に沿って体が2枚下ろしに左右でずれる。
「ウマ?」
鼻先から全身が左右に分離するその直前、ウマンバの体は派手に爆散。
炎を纏い跡形もなく吹き飛んだ。
怪人の最期なんてのはこんな感じだ。
「終わった。」
俺はゆっくりと、鞘に刀を収納した。
すると自然に変身は解除され、戦闘スーツは霧のように消滅。そこにはニンザムではなく、平凡な男子高校生、俺がいる。
振り向くと、その場に腰を抜かす二条怜華の姿があった。
俺は彼女に近づき、少し屈んで手を差し伸べる。
「ごめん、少し驚かせた。怪我とかしてない?」
「君は、その……。いえ、私は大丈夫よ。」
彼女はこの手を取って立ち上がった。
「ごめんなさい。その、驚きすぎてなんて言ったらいいのかわからないけど。」
「まさか、世間を賑わす仮面の戦士がこんな身近に、同じクラスにいたなんて。今みたいに町に現れる怪人はいつもあなたが倒している訳?」
「いや、まぁニンザムは俺一人じゃないけど、この辺の怪人は大抵俺がやってるね。」
「そうなのね。」
「あ、そうだ先生を。早く手当しないと。」
俺と二条怜華は、床に倒れる体育教師に駆け寄った。
意識は無いが脈と呼吸はしっかりしている。
「大丈夫そうだ。」
「急いで運びましょう。」
俺たちは、先ほどの様に二人で担いだ。
「二条さん。俺の事、くれぐれも秘密で頼む。」
「大丈夫よ。口は堅い方なの。」
「とりあえず、突然ニンザムが現れて、突然去ったという事で宜しく。」
「わかったわ。」
「でも、私は知ってしまったわ。何だか得した気分かも。」
「え?」
「みんなの知らない貴方の事、ね。」
「ああ、まぁ、そうだね。」
「ありがとう。助けてくれて。」
「いや、こちらこそありがとう。なんかさ、人の凄いところを二条さんに見せられたよ。ちょっと衝撃だった。」
「なによそれ。」
「俺も、みんなの知らない二条さんの事を知っちゃったかもってこと。」
「それは。まぁそうね。」
「そういう事。」
「ふふふ、そういう事ね。」
すっかり緊張がほどけた彼女は、教室では普段見ることのない笑顔をつくった。
こんな顔で笑うのか、と口にはしないがこの表情もみんなが知らない彼女のひとつだ。
どうやら、得をしたのは俺の方が多いようだ。
あの時見せられた彼女の勇気。
俺はこうして、自分が戦う意味を改めて思い知ったのだ。
人間の強さと優しさ、決して誰かの我儘で潰されていいものではない。
それは儚くも尊い、命の輝きだ。
俺は今日もそれを守るために戦う。
そして明日も明後日も、その更に未来も、怪人が滅びるその日まで俺は戦い続けるのだ……。
以上、全ては妄想である。
ぞわっとする冷気が体を伝い、肌がざらざら寒気だつ。
その如何ともしがたい気持ち悪さに、はっと我に返った。
暇の境地に至った末、なんとなく捗った妄想は暴走。吐き気を催す程の空想物語が出来上がった。
気怠い授業。
眺める窓の外は、終わりかけの体育の授業。教員が生徒を集めて整理体操を行っていた。
我ながら、なぜこんな事を考えるのだろうと、そう思うのは窓際に座る一人の男子高校生。
だらしなく伸ばした髪は前を覆い、更にマスクを掛けているせいで顔はよくわからない。
この妄想の主こそ、真に平凡な男子高校生。
名前は黒羽夜市。
ただそれだけの17才。
「ぉい、お~い。黒羽。聞いてるか?」
中年小太りの教師が教壇から呼ぶ。
その呼びかけに反応しないのは、頭の中を空っぽに、ぼーとし過ぎて魂が抜けかけているからであった。
一瞬クラスの視線が夜市に集まったが、親切な隣席の生徒が彼をつつき、ようやく夜市は気が付いた。
「え?あ、はい。」
「はいこれ。」
小太りの教師は、白のチョークでこつこつと黒板は叩いた。
「へ?」
「いや、この問題ね。」
「はぁ。」
「解いて。」
「あ、ああ。はい。」
突然に解いてと言われても。
一体何次関数の何方程式だったろうか、いやそれとも微分やら積分やらそれ系の話だったか。
まずは、今授業でやっている場所の把握から始まる。
しかしどうしたことだろうか、黒板の数式はえらく数字が少ない。書かれているのは大文字のローマ字ばかりだ。たまにある数字は、そのローマ字の隅に小さくちょこんと表記されてる。待て、ローマ字の乗数って何だっけ。
ばばっとと教科書をめくる。
謎だ。
「ああ、もういいや。」
教壇の小太りは夜市の回答を待つのを諦めた。
心の中でガッツポーズを決める夜市は、再び窓の外に目をやった。
「もう授業時間終わっちゃうし。それじゃ二条。解いて。」
「はい。」
これにピクリと若干の反応を示す夜市。
無断で空想物語に参加させられていた実在の人物、学校随一の美女兼秀才兼お嬢様。彼女は教師に当てられてすっと立ち上がる。
澄んだ声でペラペラ飛び出る数式の呪文。
彼女はそれを言い終えると、静かに椅子に腰かけた。
教師はその答えに、満足気な様子で黒板に書き写すと丁度そのあたりでチャイムが鳴った。
授業が終わる。
わいわいがやがや。
昼食の時間を迎えて、クラスは一変賑やかに。
つまらない授業は、何をどうしようと本当に眠たい。太ももをつねっていようが、シャーペンを突き立てようが、その時間中にきりっと目を覚ますのは不可能であると実証された。
ただし、どんなにクソ眠い授業でも、まるで魔法のように眠気が覚める瞬間がある。それは決まって、授業が終わった瞬間だ。
そんな感じで半分眠っていたような状態も吹き飛んで、夜市は席を立ち上がった。
周りの生徒は、既に友達同士で席をくっつけ、購買派の生徒はつるんで教室を出て行った。 そんな中、一人授業を継続する女子生徒を黒板付近の座席に発見。
二条怜華だ。
新学年に上がって二ヶ月。未だ彼女をお昼に誘う生徒はいない。去年はどうであったのかは知らないが、恐らくどうせ一人だろう。見る限り彼女も友達作りに積極的な様子は無いし、暇さえあれば勉強してるか読書しているかだ。
男子から見れば、いわゆる高嶺の花。女子の中でも一目置かれているような状態であり、話しかけようにも、表情一つ変えずに分厚い本を捲る姿は無言の拒絶ともとれた。決してフレンドリーさを許容しない、まるでクラスに一人、厳しいタイプの先生が紛れ込んでいるようだった。
だが実際、彼女が周りをどう思っているかなど誰も直接聞いた事はないし、結局周囲がその雰囲気で決めつけているようなところが大きい。もしかして、話してみればただのシャイな女子生徒なのかもしれないし、単純に人とのコミュニケーションが苦手なだけなのかもしれない。
そんな事を考えながら、夜市は敢えて教室の前の方を通って廊下に向かった。
黒板前を横切る際に、さりげなく二条怜華を視界に入れる。
整った顔立ちは凛と引き締まったした雰囲気を纏い、その切れ長の目は合わせただけで人を氷漬けにしそうだ。
確かにこれでは喋りかけ辛いだろう。
しかし、そんな彼女がもし、実は思いやりがあって他人に優しく女性らしい内面も持ち合わせながら、時々ぬけていたり、子供らしいような一面もあったりすれば、どんなに魅力的な人だろうと勝手に妄想したりする。
お近づきになりたい、などどいう下心が全くない訳でもないが、純粋に彼女の本当の顔はどんなだろうという興味に惹かれていた。
その白くて細い指先が、机の上でパタリと教科書を閉じた。
彼女はふと顔を上げる。
視線が合いそうになるその直前、夜市は反射的に目線を下げてこれを回避。
別に、二条怜華を拝顔しに来たわけでは無い。 先ほど言ってた謎の数式が少しばかり気になったのだ。
彼女の机にノートは開かれていない。あるのはただ一冊の教科書のみ。
夜市はそれを目にしてはっとする。
「あぁ、さっきのは化学か。」
彼女の方をまじまじと見ていた言い訳は、こんな感じでいいだろう。
一体どのタイミングで、数学の時間は化学の時間に移り変わっていたのだろうか。
夜市は教室を後にした。