彼らの目指す風景と
休日。
バイトが無ければ学校もない、そんな素晴らしい偶然が起こったとしても、世の多くの高校生は部活動という強制労働に従事しなければいけない義務がある。
全く不憫だ。
傍から見てれば、一体それのどこに魅力があるのかさっぱりわからない。
人はみんなそれぞれ違うというのに、選べる部活の選択肢は人間の個性の数よりずっと少ない。よって、多くの高校生は周りの雰囲気や外面を気にして、ある意味妥協で部活をやっているのではなかろうか。本当に貴方がやるべきこと、それを見つけるには学校というものは狭すぎる。
もしかしたら、友達やその他色々な人との人間関係に充実感を求めて部活をやる人も多いのではないだろうか、というか実際それが大半なのかもしれない。
それもいいだろう。いや大いに結構。
しかし、それに価値を見出さない人間にとっては、それこそ部活というものは真に無価値なのである。
そしてそんな人間はここにいる。
黒羽夜市17才。
今日はバイトのシフトが入っていない日曜日。天気も良ければ気温も良い。そんな日にやることは一つだろう。
自慢の愛車に跨れば、いつだって風になれる。風になれれば何処へでも飛んで行けた。
バイク日和の日曜日である。
向かう先は大抵同じだ。
取り敢えず目指すのは山間部。この煩わしい人間の巣窟から一刻も早く脱出するのだ。
幹線道路を貫いて、穏やかな田んぼ道をのんびり流す。峠に入れば鋭く車体を倒しこみ、曲線道路を抉るようにかわしていった。
すぱっと爽快、時にだらだらのんびりと、日帰りの冒険は続いていく。
アパートを出発して数時間後、辿り着いた場所は、とある山中の廃ホテルだ。
周囲を木々に囲まれるお陰で、遠目に見えてもアクセスがわからないその廃ホテルは、崩れた外壁の一部を山の中からひょっこり覗かせている。
そこの何かがあるのは前々からわかっていたが、航空写真を参考に探検の下準備を始めたのはつい最近だった。
光りを阻む薄暗い森、その中に切れ込んでいく舗装路はひび割れから雑草が生い茂り、更には落ち葉の絨毯がそのほとんどを覆っている。
これを車が通る道だと思う人間はほとんどいないだろう。
どちらかと言えば獣道、しかし所々の脇にはきちんとホテルの看板が立っていた。
そんな道を通行する夜市は、ステップ上に立ってバイクを運転し、控えめな速度で、廃墟に続く森の道を堪能した。
時々道の隅に、捨て置かれた古い車なども見受けられたが、だれがどういうつもりで乗り捨てたものかはわからない。
やがて到着する廃ホテル。
見事な廃墟だ。一言で言い表すとそんな状態である。
人の出入りがなくなったのは随分昔の様に思える。外壁を見るに、どうやら火事で焼け落ちたような状態だ。
周囲をぐるりと回ってみると、確かにホテルらしい部分も所々に確認されるが、建物は既に鉄筋コンクリートの巨大遊具とも言いえるような外観であった。
夜市的には大変素敵なグッドプレイスである。
早速デジタルカメラを片手に、内部の探検を開始する。
ノスタルジーを通り越した、文明の破滅跡。これはもはや近代文明の遺跡である。煤にまみれたコンクリートはロマンとも哀愁ともつかない不思議な感情を掻き立てた。
気持ちがじわっと潤う。
いい感じだ。
最上階のテラスに上がった。
またこの眺めの良い事。
ここで一旦休憩をする。
背負ってきたリュックサックの中に仕込んできたのは、軽いアウトドア用品たち。
バーナーとボンベ、そしてステンレスのタンブラー。続いてリュックの外ポケットから取り出したのはドリップコーヒーの野外セット。
どうだろう。
こんな最高の場所で堪能する一杯の本格ドリップコーヒー。
贅沢過ぎる。
廃墟の中には、ただお湯がぐつぐつと沸く音のみが、そして時には鳥の鳴き声、ただそれだけが静かに息づいている。
その湯気が、外の景色と重なって揺らめく。
注がれる熱湯。
やがて一杯のホットコーヒーがここに。
取り敢えず一口。
それはただ旨いという味の領域を通り越し、五感をぎゅっと刺激してくるのだ。
熱、香り、苦みと酸味、そして唇を通して感じるステンレスの感触。
コーヒーとは、きっと飲み物以上の別な何かなのだろう。
いつもの高校の屋上は好きだが、ここはもっといい。
こんな穏やかな休日。
ほんの少しの時間ではあったが、ここ数日続いていた嫌なことは全部忘れることができた。
そしてコーヒーをもう一杯。
と、丁度その時だった。
ポーチの中で携帯電話が揺すっている気がした。
タンブラーをその辺に置いて中を確認する。
ポーチはバイトにも持って行ってるお気に入りの物だ。中身はいつも貴重品が入れっぱなし。
スマートフォンに通知が入っている。
どうせまた下らない広告か何かだろうと思いつつも、ホーム画面を開いてみた。
会話アプリ。
二条怜華、と表示がある。
一瞬目を疑ったが、そう言えば連絡先を交換してあったような気もする。
彼女から何かあるのは初めてだ。
もはや逆に恐ろしい。
会話アプリを起動。
――忙しいようなのでまた連絡します。
と。
何の事だと思いつつ画面を上にスクロールしてみると、彼女からの連絡は十数時間前にもう一件見つかった。
――明日いかがでしょうか。バイクで。
遠乗りのお誘いが来ているではないか。
一瞬体が停止する。
誰もいない廃ホテルにて、夜市は一人叫びを上げた。
頭を抱える。
そしてまた呻く。
また頭を抱える。
まぁ今となってはどうしようもないが、取り敢えずやらかした。
諦めよう。色々と。
「すみません寝ていました。今バイト中です。っと。これでいいかな。」
過ぎたことは仕方がない。
せっかくのお誘いだったが、何の脈絡もなく唐突に言ってくる方だって問題だろう。
あの人は何かにつけて唐突すぎるのだ。
さて、冷めない内にコーヒーの残りを頂こうか。
その流れでふと見慣れない物体が、ポーチの口から顔を出しているのが目に入った。
印籠だ。
将軍家の紋が入っているわけではないが、形状はドラマで見かけるそれと同じ。
悪人の前にかざして見せつけるやつだ。
手に取ってみると、やはりこの重量感と手触りが何となくしっくりと来るのだ。
どうせ誰もいない事だし、少しこれで遊んでみた。
片手を腰に置いて、もう一方の手で印籠を前に突き出す。
「この紋所が目に入らぬかぁああ!」
で、何か起こるわけではない。
そもそも相手がいないのだし。
「っなんてね。」
何馬鹿なことやってんだと、自分にそう言いつつポーズをやめる。
しかしその時であった。
印籠が光っている。
そして自分の腰が光っている。
何だ何だと驚く前に光は止んだ。
すると。
ベルトを、している。
した覚えのないベルト。
服の上から、ガッチリ重いベルトが着装されていたのだ。
信じられないが、今このベルトが現れたと考えるべきだろう。
この印籠、何か秘密がある。
印籠もそうだが、そのベルトをもっとよく観察してみた。
重たいそれは、全周が金属。外し方は全くわからない。
ただここで、もう一つのことに気が付いた。
ベルト中央部にぽっかりと隙間が空いている。
その隙間のサイズ感、どう見ても印籠が入るスペースにしか見えない。
どうするか。
嵌めてみるしかないだろう。
印籠からぶら下がっていた紐は、それ自体を引っ張るとそのまま中に引き込まれて挿入の障害はなくなった。
上からそっと入れてみる。
重厚な金属同士が重なる音。
やはりこの部分には、印籠が丁度良く収まった。
そして、そんな事をして何も起こらない訳がないのだった。
突然にして光輝く腰のベルト。
その光りようときたら、ベルトが出現した時とは比べものにならない程の輝きであった。
全身が光に包まれる。
目の前が白く何も見えなくなった。
しかしその現象も、一瞬あとには収束する。
一体何だったのだ、と。
いや。
顔が。
顔が何かに覆われている。
触る。
仮面か何かか、顔を覆うそれは固い。
待て。
手が、腕が、何か覆われてる。
よく見れば足も。
いや腰も、腹も、胸も。全身が何か固い物体で覆われている。
とある予感がした。
夜市はスマートフォンを手に取り、それで自分を撮影した。
そして、写真をすぐに確認する。
そこに映り込むもの。
それは紛れもなく自分の姿であるはずだ。
しかしそれは面を、兜を、鎧を身に着けた戦闘戦士。
ニンザムが、自撮りをしている。
「……なんか変身した。」
彼に送った文章。
翌日の今になってようやく既読が付けられた。
一体それはどういうつもりだというのか。
こちらはもうあれから、一時間おき位に、もう10回以上も返答の有無をチェックしていたというのに、いい加減待たされた結果がこれだ。
馬鹿みたいだと思う。
しかしバイトと言うのならば仕方ない。
聞くところによると、彼は一人暮らしでバイトをいくつか掛持ちしているらしい。
生活費を自分で稼ぎ、更にバイクに掛かるお金やバイクに掛けたいお金も賄おうとすると結構大変なんだとか聞いた。
返答が遅くなったのは許そう。
ただそのお返しに、こっちの返事もうんと遅らせてやろうかと。
と、思ったが数秒後には「わかりました。」と打って送っている自分がいた。
そしてまた、それには既読がつかないときた。
身勝手すぎる。
で、それをいちいち気にする自分もどうかしていると思うところである。
あの男とは、バイクという趣味嗜好がたった一つ共通するだけで、自分とは何もかもが違いすぎる。
しかしそれは飽くまで表面的な、紙に特徴を書き出した時に限定して現れる差異だ。
実に下らない。
自分と黒羽夜市は似ていると、直感的にわかるものがあった。最初こそはこれっぽっちも気にしていなかった相手だったが、今はそれに強い確信がもてる。
それはいわゆる男女の関係的なそれではない。
もっと内面的な、かつ深層的な部分で通ずるものがあるのだと言いたい。
ただ教室で一人でいる者同士だとか、それも違う。いや、結果的にはそういったところに共通点が出てしまっているのかもしれないが、それは結果的なことである。
では何が、どういったところが共通しているのか。
恐らく彼もそうだと思う。
人が嫌いだ。そしてこの社会、人の世を激しく嫌悪している。
その理由は知らないし、気にするつもりもない。ただそれに大きく賛成できる自分としては、あえてそれに理由を求めること自体が愚かしい。
そう感じられて当然、むしろ何も思わずに平然としていられる方が異常だ。
そして、世の中のほとんどの人間はこの異常な部類に区分される。
人がする行為のあらゆる事は無価値で下らない。
不必要に慣れ合い、汚い感情を隠したり晒したりと気持ち悪い。
それに気が付いたのはもう結構昔になる。
二条怜華は人が嫌いだ。
「怜華さん、朝食ができていますよ。」
自室の前で声がした。
家政婦の女だ。
これに対して返答をすることはない。いつものことだ。
家の中ではほとんど無言を貫いていた。
この場所も外と結局変わらない。
二条はスマートフォンを置いてデスクを立ち上がる。
地元では昔から知られている由緒ある家。
広い敷地内はそのほとんどが庭園で占めていた。
池には錦鯉が泳ぎ、その周囲の庭木も常に手入れが行き届いた状態が保たれている。
縁側に掛ければ、この美しい日本庭園をいとも簡単に占有できた。
しかし、この環境を素晴らしいと思えたことは一度もない。
芸術だと抜かし、錯覚によって構築された風景。
これの一体何処が良い。
自分の胸を和ませるものは、いつだってこの塀の外側にある。
購入したばかりのオートバイ。
それはまさしく自分にとっての翼である。
まだそれほど遠くまで飛んでいった事は無いけれど、ほんの少し足を伸ばすだけも、その自由は大いに味わう事ができた。
そして今日という日曜日。
意を決して遠乗りに出かけようと思ってみたものの、その肝心な水先案内人が欠席ときた。
実につまらない。
もう本日の外出は中止である。
「二条さん、ちゃんと食べないと体に悪いですよ。」
家政婦を無視して朝食の席を立ち上がる。
ご飯の味は悪くない。だが味がいいだけに過ぎないものだ。
洗面に向かう前に、庭先の愛車のところまで草履でやって来た。
それのカバーを外せば、いや外す度に胸が躍った。
極めて前傾なハンドル、上に突っ張ったタンク、赤と白のレーシーなカウルは、鋭いフォルムで後ろの方まで短く伸びる。
黒羽夜市が乗っているようなバイクも悪くはないが、自分は断然こういうものが好みであった。
なんとなく跨ってみる。
それだけで目の前の景色がどこかぶっ飛んでいきそうだった。
「怜華さん……、またまた……。」
それを遠くから眺める家政婦の女。
若干呆れて見ているが、二条怜華はそんなもの気にしない。