可能性というミミズ
あれから数日。
怪人ウマンバに襲われた学校は休校。一人の体育教師が犠牲者となった他、生徒一名が重症。幸いにも近場にいたと思われるニンザムによってウマンバは排除され、それ以上の被害拡大は阻止された。
ウマンバの目的は不明であり、教職員の証言によると3学年の女子生徒を狙っていた疑いが持たれるが、それ以上の事は不明である。
怪人がらみの事件では、まるで災害であったかのように扱われることがほとんどで、大抵はその背景は重要視されない。
さて、相変わらずだが黒羽夜市は何者でもない男子高校生。
そして彼がニンザムではないのも相変わらずの必然。
本物の怪人を目の前にして、自分いかに弱い存在であるかをただ思い知らされた。
いや、怪人などいなくとも、もうそれは嫌と言うほど体に滲みていた。
懸命に張った意地は本当に下らない、結局一人では、どうでもいい命一つ救えやしない。その上、本物の恐怖を目前にした時にでた行動ときたら、ただ自分が助かりたいばかりだった。
もう人間のゴミと言っても差し支えない。
それでも今日を生きていかなければいけない。
体がそうしろと、どうしようもなく煩いのだ。
そして続く死人のような日々。
学校が無ければバイトに勤しむ。生きるための労働だ。
春の暖かい風を切って進むは一台のバイク。
乗っているのは夜市であるが、それはいつもの黒いネイキッドではない。
3輪のスクーターである。
厳密にはバイクではないが、それは荷台に保温用のケースを積み、赤く塗装がなされたボディには‟ピザのアオキ”と書かれてあった。
ヘルメットもバイクとお揃いの赤。
たいしたスピードは出せないが、それでも配達あとの帰り道はびゅーんと気持ちよく交差点を曲がって行けれた。
できるだけ人と顔を合わせなくていい仕事を、と思って始めたバイトだったが、案外これが性に合っていたのかもしれない。将来はバイク便ライダーでもやってみようか。
しばらく走れば店に着いた。
平日の夕方。ピザの持ち帰りで来店する客はあまりいないため、店の中はバイトが何人かいるだけだった。
「もどりましたー。」
小さな声でそう言うと、ヘルメットを元の場所に戻した。
バイトの終了時刻までまだ数時間。
配達が無ければ、適当にチーズを撒いていれば終わる。
手を洗った後、その単純作業へと入った。
生地の周り、キッチンにはチーズの他にもいろいろな具材が置かれているため、他のバイトの目を盗んではそれらを口に投げ入れる。
ここでの成果によって、夕飯にかかるお金が変わってくるのだ。
だがしかし、今日という日は都合が悪い。
なぜならコイツ、変な外人がシフトに入っているからだ。
名前はアンジェリーナ・グリーンだったような、そんな感じである。ちなみにどこも変ではない、夜市の方がよっぽど変な人間である。
アンジェリーナはアメリカ人。金髪で三つ編みの元気な子だ。他の人の前で、変な外人なんて言ったら顰蹙を買うだろう。
それであって、なぜ夜市が彼女に対して変だと思っているのかと言うと、単純に自分に対する絡みがやたらと多いからである。
こんな地味な男、構う価値も無かろうに、黙々とチーズを散布している横で、いつも話しかけてくるのだ。またその内容についても、大抵は一方通行であり、こちらはふんふんと適当に相槌を打っているのみ。まぁそれで満足そうにしてくれるのなだからいいのだけれど。この子のお陰で食料調達ができなくなるほかを除けば、とりあえず無害と言えた。
それで、今日も例に漏れずそのアンジェリーナという女の子はやってくるわけである。
「やあやあ、最近ちょーっと暗くナイ? ヨイチ!?」
「そう? いつもこんなんじゃん。」
「もしかして、お馬さん怪人の時、なんかアリましたぁ?」
「まぁ、うん。」
この微妙に人間観察力が優れているあたり、正直苦手なんだが、アンジェリーナさんは容赦がない。
しかもその話題、あんまり今は触れて欲しくないのだな。
もうMPはとうに尽きている。このMPとは、ずばりメンタルポイントのことであるが。
あの日からもう、自分はミミズの様に這いつくばって生きると決心したのだ。
凡人が調子にのって粋がったところで、現実に叩き落とされるだけだ。無様ったらありゃしない。
結局あれから田渕の見舞いには行ってない。二条とは少し話したいとは思っていたが、顔を合わせずらいし、そもそも学校が無ければ合う機会がないのだ。
「あ、ちょっと離れて。アレルギーで死ぬ。」
アメリカ人と言う名の彼らは、そのパーソナルスペースが曖昧なのが特徴なのか、アンジェリーナはいつも距離が近い。彼女がいる日は二重のマスクが必要である。勿体無い。
「ヒトアレルギーなんて存在しないヨ? ヨイチ。」
「するんだよ。」
「しないネ。」
「してるじゃん。」
こんなやり取りもいつものことだ。
「ヨイチは、ワタシのこと嫌い?」
で、こうなる。
いい加減ヒトアレルギーというものの存在を認めて欲しいものだ。
「……。」
色んな面で疲れ切った今日という今。いつも通りの返しで答えることを何となくやめた。
一体自分の中のどんな奴が考えたセリフかと思ってしまうのだが、意外と本心に近かったのかもしれない。
なんでこんなこと言っちゃうかなぁ、と口から出た後で後悔する。
「というか、アンジーさんは俺のことどう思うわけ?」
本当どうしてこんなこと言ったんだ。
しかし吐いた言葉は戻らない訳で。
「……。」
沈黙するアンジェリーナ。
この間がいやだ。
特に回答を予想していた訳ではない。しかし彼女が言う言葉に少なからず驚いた。
「好きですヨ。」
「は?」
「もちろん‟ライク”の方ですケド。」
「でしょうね。いやまぁそれでも意外だけど。」
「どうして意外? ライクじゃない人とヨイチはこんなに話す?」
「あぁ、まぁ確かに。」
流石アメリカンは直球だね、と思う夜市である。
しかしながら、こんなちょっとした事もうれしくないことは無い訳で、1くらいはMPが回復したかもしれない。
「でもおかしいでしょ。なんでこんな男がライクの部類に入るんだ?」
直球アメリカンに直球返しをしてみた。
というか単純な疑問だ。地味で暗い、しかも変人な自分に少なからずも好意を持つのはどう考えてもおかしい。やはり自由の国の民はその辺のところの感性が日本人と違うのか。だとしたら納得である。さすが多様性の国。
「ヨイチはどんな事でも聞いてくれる。」
「うん。」
「それだけ。」
「お、ぉう。」
確かにどんな話でも聞き流しているが、それだけか。まぁそれ以上の人間的魅力はないのは自覚している。と言うかミミズですし。
まぁ多様性のアメリカンは素晴らしいという事で終えておこう。
そんな感じで1時間ほど。
アンジェリーナは、今日は用事があるとか何とかで先にチーズ撒きを終了した。
で、彼女は私服に着替えるわけだが、その帰り際、さっそくつまみ食いをしようとする夜市の元にやって来た。
「お、ぉおう。どうしました?」
「ヨイチ。」
「あ、はい。」
「右手。」
「はい。」
「その右手だすね。」
「……。」
アメリカン的な迫りに負けて、夜市はベーコンを手にした右手を前にだした。
言い訳の余地あり。
「あぁ、これ下に落ちてたやつ。俺そういうゴミ食べるの好きじゃんね?」
なに言ってんだ、自分。乞食かよ。まぁミミズだがね。
しかしアンジェリーナ、彼女はベーコンなど気にはせず、黙って手の平を見つめている。
様子が変だ。
「あ、アンジーさん?」
「血。」
「は?」
「血とるね?」
「うん?」
彼女が何を言っているのか理解できなかった。
しかし次の瞬間に、アンジェリーナがカバンから取り出すのは謎の器具。パッと見には体温測定器にも似ており医療機器かなにかだろうが、その器具の先端に小さな針が光っているのに気が付いた。
「ちょ、ちょっとぉ?」
よくわからないが、わけもわからずにいるとアンジェリーナは何の躊躇もなくその針をぶち込んできた。
チクリと一瞬指先に痛みが走る。
アンジェリーナは続いて専用のスポイドのような物を出すと、それを使用して指先からこぼれる血液を吸っていく。
アメリカ人、謎すぎる。
「よっし!」
「いや何もよくないでしょ。なにやったの?」
「健康診断。」
「んなアホな。」
そう言うとアンジェリーナはピョコピョコと跳ねる様に店を出て行った。
その不可解な行動に暫く彼女を眺めていたが、よく見ればカバンがいつもと違う。なんかアルミのごっついアタッシュケースだ。
今、なんか検査されたんだなと。
しかし何の検査だろうか。謎は深まるばかりである。
さて、しかしながらこんな流血まみれの手では、とても食品は扱えないわけである。
どうするか。
帰るしかなかろうな。
「店長~、俺ちょっと大怪我しました。」
どうせ客などもう来まい。
休校でシフトも沢山入れてあるし、ここ数日はそうシビアに働く必要はないのだ。
たまには早上がりして、古本屋で漫画の立ち読みにでも行こうかと思う。
「帰りやす。」
だれもいない休憩室へ。
一旦パイプ椅子に掛けて水を一口。
全身から気怠さがどろどろと滲み出てくるようだ。
アンジェリーナとの会話を振り返る。
最近暗いか……。
逆に、あんなことがあった後でどうやったら明るくなれるんだ。
床に這いつくばる田渕。
今にも死にそうな顔をしてこちらを見ていた。
誰からも助けられず。
そしてやって来た男は死んだ例の教師。あいつになど田渕を救う権利などなかった。だから死んだ。
だが、自分とて人一人救えず、結局小さな存在だった。
その上他人を売る行為までやってしまった。
所詮そんなもんだ。
大きな力の前で、きっと抗う事もなく、これからも惨めに生きていく。気まぐれに頑張ったところで大きな傷を負うだけだろう。
やめだ、もう。
人生なんてこんなもんで丁度いいのだ。
「さてと。」
少しぼんやりとした後に立ち上がる。
この時、夜市は床に見慣れない物体が落ちているのを発見した。
屈んでそれを拾ってみる。
手に取り上げたそれは、丁度手の中に収まるいいサイズ。
その物体、テレビでたまに見るあれだ。印籠だ。
誰がこんなもんをと思ったが、何となくいい感じの重さと手触りに惹かれるものがあり、しばらくそれを色んな角度から観察してみた。
アンジェリーナは自宅に戻る。
今日の彼女は上機嫌。
洋式の豪邸に住まう彼女の私室は階段を上がった二階。
家にいるのはハウスキーパーのおばさんが一人。父親は仕事で家を空けることが常だった。
階段を上がる彼女が手に持つのはアルミのアタッシュケース。
中にあるのは例のあれだ。
あれとはそう、とある男の血液サンプル。
普段からそうだと思っていたのだ。
バイト先の彼には、人とは違うなにかがある。
奇妙で怪しい雰囲気を常に纏っており、寡黙で行動がスタイリッシュ、更に言えば彼ほどバイクが似合っている男はそういないと思う。
アンジェリーナは一つの確信を持っていた。
彼にはニンザムになりうる資質があると。
そして不自然に思われることなくゲットしたのは彼の血液。
これを測定すれば、機械によって適正判断が可能であった。
父親の仕事を手伝える。
もしかしたら父が見つけたよりも凄い人材を発見できたかもしれない。
そう思うと胸が躍った。
ニンザムの適正者は、なんとなくそれっぽい人なら大抵は適正ありと見て間違いないと聞いた。
あとはこの機械で確認作業を行うのみである。
「印籠?」
多分これはアンジェリーナの物だろう。日本大好きっ子だしな、あの子。
そう思った夜市は一旦自分のリュックに印籠を預かり、ピザ屋を後にした。
次に彼女とシフトが重なるのはいつだったか。
高そうな物みたいだし、暇だから家まで届けに行ってもいいと思っていた。
バイトの帰りは、そこに並んでいるショボい3輪のスクーターではない。
激しく唸るは水冷4発の自慢の愛車。
夜市はそれのキーを捻ってエンジンを掛けた後、発進の前に、一旦アンジェリーナに携帯で連絡を入れておいた。
「‟この印籠違いますか?”と、画像も添付して……。よし。」
夜市は店を後にした。
「おう、夜市からね。」
アンジェリーナはスマートフォンを開く。
「なんですか? これ。‟知らないデス”っと返信するね。」
そんなことよりも適正検査だ。
と、彼女は机の上にアタッシュケースを開く。
何だか一部分、知らない窪み、空いたスペースがある気がしなくもないが今は後回しでいいだろう。
採取してきた血液を、専用の重たい機械の中にぶち込んだ。
その機械のなかで回転するは、試験管の中に入った夜市の血液。
血液はレインボーの光線に照らされながら、機械の中で回転すること10分ほど。
やがて、それは電子ブザーと共に回転を中止、虹色の光線もなくなった。
そして、機械上部に表示されるのは検査結果。
アンジェリーナは期待を胸に、そこの液晶パネルを覗き見た。
ーー000.002
数字の単位は不明である。
しかしこれだけは父親から聞いてあった。
変身可能なのは最低10からであると。