緋色の襲撃者
事は順調に進もうとしかけたが、ここで想定しうるよからぬ事態が発生した。
「うまははははははははっ!!木曽馬怪人ウマンバ、参上。」
後ろの方で凄い声がした。
振り返れば怪人がいる。最近テレビでよく見る奴だ。
「なっ、か、怪人だぁああ!!」
隣の体育教師が喚いている。
正直自分も、本物を目の前に足がすくんだ。
その周囲を圧倒する雰囲気は恐怖を形にしたような生ける凶器。
馬だか人だか知らない体は奇怪で邪悪、この世の物とは思えない禍々しさを纏い、その戦慄に言葉が出てこなかった。
「おやおや、見覚えのある少年が一人。これは礼をしなければいかんなぁ。」
「え?」
ウマンバが妙にこちらをジロジロ見てくるのは気のせいだろうか。
そんな恨みを買うような覚えはないが、妄想のなかでフルボッコにしたのはすみませんとしか言いようがない。
「参る。」
廊下の向こう側に立っていたウマンバは、何かつぶやいた後に走りだしたかと思うと、それは吹き抜ける突風の如く凄まじいスピードで距離を詰めた。
嵐のような風を纏って疾走する。
ウマンバの姿は、まばたき一回の内に、視界の中の点サイズから、視界のほぼ全てを占める程に拡大した。
気付いた時には目前に。
しかしウマンバは一旦夜市の隣を横切ると、田渕を捨てて喚きながら逃げる体育教師の元に向かった。
「ぬぎゃあああああっ。」
振りかざす刺又は体育教師の顔面へ。
振り返る教師の顔にそれがぶつかると、教師の顔面からは両目が飛び出し鼻が潰れ、額は陥没、歯はバラバラ。その勢いで首は胴から引きちぎれ、飛んで行った頭部は、まるでトマトを壁に投げつけたかのように、べちゃりと汚く破裂した。
「……え。」
その一瞬の出来事に、頭の理解が追い付かない。
体だけの教師は、首から噴水の様に血を吹いて、ぽてりと廊下に寝そべった。
「やはりバイクの少年だな。」
ウマンバはそう言って、馬の骨のヘルムで覆ったその顔をにゅっと夜市の方に近づけた。
この間合いにその怪人、後ろには死んだ教師が視界に入り、心拍数の上昇がとんでもない。
自分の心臓の脈打つ音が普通に聞こえてくる。
「ぬし、吾輩を騙しおったな?その度胸だけは認めてやろう。だがしかし、これは万死に値するぞ。」
この怪人は一体何を言っているのだろうか。
現状怖すぎて頭が正常に回転しないのだが、一体何が気に入らないというのだ。
「ぅま。ピンときていないようであるな。2年B組と言えばどうかな?少年。」
2年B組、それは去年の夜市のクラスだが、それが今一体何と関連するのか。
急いで会話の履歴を遡る。
その極端に少ない会話履歴は、何時間も前までの事が鮮明に思い出せるが、それで一瞬にひらめいた。
この怪人、公園で遭ったおじさんだ。
「ぇ、あ、えっと。」
「ぅま?」
「すすすすっ、すんませんしたっぁあああ!!いやマジ、わざとじゃないんで!許して下さい!!!」
夜市は廊下にダイブするかの勢いで、床に手をつき頭を下げる。
怒らせてはだめだ、とにかく謝れ、命がやばい。
コイツの刺又一振りで、そこの死体みたいに首が飛んでいくんだ。絶対痛いだろ。
「……。」
「ほんと反省してます!!これからもっとちゃんと考えて発言します!!すんませんした!!」
そんな夜市をウマンバは黙って見下ろした。
何がニンザムに変身して怪人を倒すだ。笑えるほど情けない。
できる事はただ一つ、圧倒的な力の前に恐れおののき、一切の意地を捨てて命乞いするまでだ。
こんなのが仮面の戦士を夢見るとは、それは何かのネタだろうか。
この状況、もはやヒーローとは程遠い。
「よかろう。」
ウマンバが言った。
「え!?」
「よいだろう。ぬしの誠意は伝わった。許そう。間違いは誰にでもあるものだ。吾輩とて完璧な怪人ではない。だが、間違いを素直に認めるその心、それが最も大切なのだ。そうであろう?」
「そ、そうっす!!マジそうっす!!ありがとうございやす!!」
なんだこの展開。ほんとになんだ。
だが助かった。やはり何事も本気でやれば道は開ける。
いや、危機一髪とはこのことだ。返答を間違えていれば頭が潰されて死亡していた。選択肢を間違えたら死ぬなんて、どんだけ過酷なノベルゲームなんだ。しかもそれが現実に。
良かった。一般常識をまだ保管しておいて。
「だが、それはそうと、けじめはきちんとつけねばならんだろう?そうだな?」
「え?」
けじめ、だと。
見るとウマンバは刺又を持ち上げている。
ここで言うけじめとは。
嫌な予感、いや命の危険しか感じない。いきなり天国から地獄に突き落とす気か。
「待って待って待って下さいよ!!」
「ぅま?」
「命だけはホント、勘弁してください!!」
「バイクの少年よ。」
「は、はい!!」
「ぬしは何かを勘違いしておらな。吾輩はきちんと、二条怜華の居場所を言えと言っておるのだ。」
「あ、は、はい! そ、そっすよね? すんません。」
「して、二条怜華はどこにおるのだ。案内するがよい。」
「えっと……あ、はい。」
快く案内を引き受けようと構えた。きっと新米の営業マンはこんな感じなんだろうと高校生ながらに思った。
緊張とやる気を胸の内で戦わせ、取り敢えず元気の良さでその人柄を最大限にアピールするのだ。
大丈夫、自分なら絶対にできると言い聞かせて。
が、しかしその時だ。
今自分がとんでもない事をしようとしていることに気が付き、はっとする。
これは二条麗華を売る行為に他ならないではないか。
自分の命惜しさに他人を売る。最低だ。
ウマンバが二条をどうするか何て全く分からないが、取り敢えず怪人なのだから碌なことはしないだろう。
ただ、いまここで案内を断れば間違いなく殺される。あの後ろで転がっている体育教師のように酷い死に方をするのだ。
「えっと、こ、こっちです。」
これでいいのか。
所詮二条は他人、死んだところで自分の命よりも大切なのか。
しかし男として人としてそれはどうなんだ。またその後の後味の悪さはどうだ。二条を売ることで助かって、その後どう生きていったらいい。
そしてさらに、最も自分が見たくないものは二条怜華がとるであろうリアクション。売られたとわかった彼女は、一体どんな冷ややかな目で軽蔑してくるのだろう。
それが恐ろしい。
夜市はここで一つ、男としての腹をくくった。
この胸の心臓が、短い人生で今最大の高鳴りをみせている。
夜市は、やはり案内を断ろうと、立ち止まってウマンバを見上げた。
「あ、あの。」
「ぅま?」
ヘルムの眼窩に蠢くその怪物の目が、ぎょろりとこちらをみた。
言いたい言葉が続かない。
「あ、いや。張り切って案内させて頂きます。」
「良い心がけである。」
その震えに、自身の情けなさを悔やむ余裕すらなかった。
頭の中は、ただ助かりたいという考えで一杯だ。
もいいだろう。不可抗力なんだし、仕方ない。二条怜華と少しだけでも喋れるようになったのは凄く嬉しかったが、だから何なのだ、彼女が死んだところで、迎える明日はいつもと何も変わらない。
ただ今は、そうやってひたすら自分に言い聞かせることしかできなかった。
死んでいいなんて本心で思うはずがないだろう。じゃあどうすればいいというのだ。
もうなにもかもどうでもいい。
ウマンバを後ろに、間もなく階段に差し掛かる。
その時だった。
どこからともなく聞こえる、エンジンの爆音。突然近所にサーキットでも出現したかというほどに、甲高くけたたましい爆音。
その音は段々とこちらに接近する。
ウマンバが後ろを振り返った。
その瞬間、一台のバイクが校舎の窓を吹き飛ばして、勢いよく飛び込んできた。
派手な登場。
そのバイクは、見るに普通のバイクではない。
カウルは所々に派手な和風の装飾を施しており、また刺や角、牙といった威嚇的な装備を各部に装備している。そしてそれに跨るのは緋色の鎧をまとった、侍忍者風の戦闘スーツ。
鬼面レイダー、ニンザムだ。
「うま!?ニンザムだと!?」
ウマンバは振り返り、廊下の向こう側にいるニンザムと正対した。
この素晴らしいタイミングの登場、現実の癖に正義のヒーロー過ぎるだろう。
「仕事が増えた。少年はそこで待っておれ。いまあの者を始末する。」
「お、おっす。」
専用のバイクをゆっくり降りる緋色のニンザム。
ニンザムは、その鬼面の眼に怪しく光を灯し、何も言わずに歩いて向かった。
「吾輩の邪魔はさせん!覚悟せよニンザム!!この刺又の威力、とくと味わえ!!うまああああああああ!!!」
そう言ったと思うと、ウマンバは自慢の刺又を勢いよく振り回しながら、ニンザムへと向かって突撃して行った。
その突進は正に暴風。
一瞬の内にニンザムとの距離を詰め、正面からぶつかっていく。
一方ニンザムはそれに対してなんら身構える気配はない。
突然の攻撃に後れをとったのか、ウマンバの突撃が正面から直撃した。
「うまぁあああ!!」
そして突撃の後、刺又による連続攻撃が加わった。
ウマンバはその馬鹿力を最大限に振るい、壁ごとニンザムを攻撃することで、砕かれた校舎の粉塵が辺り一帯をかすめた。
その様子は、まるでゼロ距離で大砲を何発も打ち込んでいるかのような迫力だった。
「うまっ!うまっ!どうだ!!手も足もでぬか!!うまははははっ、これが吾輩のパワーよ!!」
これは少しヤバいんじゃないだろうかと心配する。
どう見てもニンザムよりウマンバの方が優勢だ。
しかしそんな下らない心配は本当に無駄で不要だったと、そう思い知る事になるのは次の瞬間だった。
ニンザムの手が普通に出た。
粉塵の中から現れたその片手は、ピタリとウマンバの刺又を静止させた。
「うま?」
一瞬何が起こったのか理解をしていないウマンバ。この質量でこの速度の鈍器が止まるとは一体何事であろうか。
粉塵が止むと、そこにいるのは普通に立っているニンザム、緋色の美しいその甲冑は擦り傷くらいしかついてない。
そしてニンザムが右手で刺又を押し返すと、四足のウマンバは後方によろけた。
「う、うま?」
無言のニンザム。
ニンザムはてくてくとウマンバに歩み寄ると、右ストレートのパンチを腹に食らわす。
ウマンバは形容不能な奇声で叫ぶと、がくりとその場に崩れ、右前膝を床につけた。
「ぐ、ぬぐう。き、貴様、なんてちから……。」
しかしニンザムはウマンバに発言の機会を許さず、続いて強烈なキックを見舞った。
「ぅまあぁあぁあぁぁああぁ。」
ウマンバは蹴り上げられて、数メートルを飛んだ。
そしてその後も蹴りやパンチなど、無言の攻撃が加えられていった。
もはやこの状況、ニンザムによるウマンバへの一人リンチと言ってもおかしく思えない。
踏んだり蹴ったり殴ったり。
ウマンバはみるみる内にボロボロになっていき、頭の頭蓋骨ヘルムも割れかけている。
「うぐ、うま。」
もはやこの圧倒的な力差に、ウマンバが可愛そうに見えてきた。
「く、くそ、こうなったら……。」
一旦暴力の雨が止んだところで、ボロボロのウマンバは小鹿のように立ち上がった。
「決戦形態!!変異!!!」
残された力を振り絞って叫ぶ。するとウマンバの体の周りからはドロンと黒い煙が現れ、煙はウマンバの全体を覆い、更にそのまま拡散していった。
そして数秒後に煙が晴れる。
そこに立っているのはウマンバはウマンバでも決戦形態に変わったウマンバ。
形状はただの馬。ただし、トゲトゲが付いた鎧をまとい、全長は12メートルほどで首を下げていなければ廊下に収まらない。
たしかに突進力は上がっていそうだった。
だが、今更肉体強化したところで何ができると言うのだろう。すでに誰がどう見てもウマンバはコールド負け状態だ。
「ウマァアアア!!ユルサンゾ!ニンザム!!ペッシャンコ二シテクレルワ!!」
無理だろう。
恐らくだが、あの緋色のニンザムは特段格闘戦に特化した特殊体ではないはず。刀もクナイもちゃんと提げているのだ。
それが敢えて、パンチとキックだけでコテンパンにしている。
もう逃げたほうがいい、ウマンバ。
「ウマアアアアアアアア!!!」
ウマンバが最後の突進を開始した。
そしてそれに対するニンザムは、一旦その場に屈んで、跳躍の準備に入った。
まさか最後まで刀を抜かないつもりだ。
飛び掛かるニンザム。
そのドロップキック、いやレイダーキックとでも言えば良いのか。
ニンザムとウマンバは正面から衝突し、当然のことのように、圧倒的巨体であるウマンバが吹き飛ばされた。
廊下の壁や天井が障害になり、大して派手に飛ばされなかったが、ウマンバは決戦形態のままその場に倒れた。
そして、またもや体が変化。
しかし今度の変異はマイナスへの移行だ。
ウマンバの姿は、デカい馬から、先ほどのケンタウロス形状に戻った。
そして、ゆっくりとそれに近づくニンザム。
ニンザムはここで初めて、腰に装備した刀を抜いた。
その刀身は赤い閃光を纏っており、ばちばちと飛び散る激しいスパークを振りまいていた。
「ぅ、ぅま。」
無言でウマンバの上に立つニンザム。
緋色のニンザムは刀をそのまま下に突き立てた。
ウマンバは、その活動を停止する。
廊下にはウマンバの血液が沼のように広がった。
その亡骸は派手に炎を吹いて爆発なんてしない。
ただ冷たく、そこに横たわっていた。
緋色のニンザムは何の決め台詞も吐かず、ただ無言でバイクに戻る。
またしてもけたたましいエンジンを吹かせると、破損した壁体の間からバイクごと飛び出して行った。
夜市は、ウマンバの遺体に近づいた。
先程まで、あんなにも恐ろしかった化け物が、今は静かに眠っておりそこに哀愁さえも覚えた。
弱肉強食、いやその他に平家物語の一節でも思い出しそうだ。
これが、あのバイク好きなおじさんの最期であった。
「エックセレェエントゥ!!わーはははーはははーぃ。」
戦いの一部始終を見物する男がいた。
男は高校の隣に立つマンション屋上に。そこから双眼鏡を通してその壮絶な戦いを観戦していたのだ。
男は身長2メートル近い大男、黒いスーツにディアドロップのサングラス。頭は金髪で鼻は高い。
どう見ても外国人、白人の男である。
「サスーガ、私ニンザムの最強だけ事はある最強!!ウマンバふぁっ苦でデスでース。わーははっはーぃ。」
「パパッ、こんなところにいたのね。」
「んぬぅ、ムスーメ。どしたネン。」
突然現れる謎の少女。
またしても金髪の白人である彼女は、その髪を三つ編みに結い大草原の家にいそうな風貌を持っていた。
しかしその格好は高校の制服、どうやら武蔵ノ宮高校の女子生徒のようだ。
「やっぱりここから見ていたのね!パパ。」
「わーははーぃ。」
「あのレッドニンザムは一体だぁれ?あんなに強い人を見るのはワタシ初めて!」
「ほほーい。イツ、マイニンザム。ニンザムネーム、ソウガ。」
「ソウガ?」
「家康。」
「?」
「パパがスカウトしたニンザムの人ってこと?」
「家康。」
「パパ凄い!!」
「わはーはーははーい。ほっほっほ。」
「ねえパパ、ワタシのお願い聞いてくれる?」
「家康。」
「ワタシもパパみたいに組織のエージェントがしたいわ! 少しでいいの、何か手伝わせて!」
「何言うてネンねーんね。無理ムェリムェ―リ、ルック身の丈。ぶぎゃはははは。」
「どうして?ワタシ頑張るわ。」
「雑魚やん。」
「?」
「ねぇ、いいでしょパパ?ワタシ思うのだけれど、ワタシにはエージェントとしての才能があると思うの。」
「信長。」
「?」
「……。わかったわ。ワタシちょっと総務省に行ってくるわ。それでパパの正体を話すの。」
「わ?いや待てててて。それ信長。」
「じゃぁ、いい?」
「家康、おーけー。」
そうして白人の大男が、その娘らしき女子高生に渡すものは何やら怪しいアルミケース。
その中身を彼女に開けて見せると、隅っこには一つ印籠があった。
水戸の偉い人が使用して、悪い人間の膝を破壊する例のあれと共通した見た目をしているが、それには家紋が入っておらず、また裏側にボタンが付いていたりと、何かしらの機能を思わせる。
またケースの中にはそんな印籠などの他に何やらよくわからない装置が沢山入っており、印籠などよりかそちらのほうがメインのように思えた。
娘はそのアタッシュケースを受け取ると、その場で飛んではしゃいで喜んでいる。
「娘、よくリッスンみー。デスイズア……。」
「ありがとうパパ!!大好きよ!!」
「わーはははーい。」
男はまだ何かを言いかけていたが、その笑っていた一瞬の隙に娘はスキップで去った。
マンション屋上に一人残る男。
何となく呟くそれは、風に流され寂しく消えた。
「ふぁッ苦。」