遠吠え
Ⅰ
魔物の討伐に向かうには、当然ながらそれ相応の準備が必要になる。
物資の調達、地理地形の把握、魔物の生態、などなど。
ロッキースキンの生態については、すでに頭に入っている。地理地形の把握も、以前に何度か訪れたことがある。
知識と情報の用意はできている状態だ。足りていないのは、物資だけ。
その物資を補給するため、行き着けの商人のもとへと訪れた。
「いらっしゃい。おやおや、夜弦が両手に花とは珍しい」
店の扉を開けて直ぐ、店主であるフィール・クルーゲルが出迎えてくれた。
いつものような気怠げな表情と声音で、余計な一言を添えて。
「若いうちから女遊びを覚えると苦労するよー」
「そう歳も違わねーのに、知ったようなこと言うんじゃねーよ。フィール」
フィールのからかいを軽く流しつつ、用件を伝える。
「これから魔物の討伐に出るから、いつもの頼む。三人分な」
「はいよー。しかし、あたしがこいつを三人分用意する時がくるとはね」
「うるせぇ」
まぁ、随分とソロの期間が長かったから、そう思われるのも仕様がないが。
「ちょっと待ってな。いま用意するから。えーっと、三人分となると……」
在庫の確認やら何やらで奥の部屋にフィールは引っ込んだ。
「随分と若い店主さんですね。私達と同じくらいじゃないですか?」
「あぁ、歳はそう違わないはずだ。まぁ、腰を悪くした親父さんの代理ってことになってるから、厳密に言えば店主じゃあないはずだが」
とは言え、もはやこの店はフィールの城だ。
動けない親父に代わって働く一人娘。それを健気に思ったのか、はたまた看板娘としての効果か、売り上げがすこしだけ伸びたらしい。親父さんはフィールに頭が上がらないだろうな。
「……ここは、他とは違うのね」
そうユールと話していると、瑞紀がひっそりと呟く。
「ま、俺たちみたいな奴等を客として扱ってくれる奇特な奴だ。間違っても銃は抜くなよ」
「えぇ、もちろん。誰かさんみたく、出会い頭にぶって来なければね」
俺たちのやりとりにユールが首を傾げた所で、がちゃりと扉の開く音がする。
だが、それは店の奥からではなく、入り口にほうから聞こえ、客の来訪を告げるものだった。
「――なんだ? 客だけか」
入店してきたのは、若い男の二人組。
細々とした装飾が施された鎧を着込んでいて、腰には見せびらかすように帯剣している。
その身形からしてナイトギルドの連中か。
「おい、店主はどこにいる?」
「奥にいるよ、もう時期に出てくる」
「そうか、なら……」
そう言って、男は言葉を切った。
何かに気付いたように瞳孔が微かに開き、その後、蔑んだような色を映す。
「その紅い瞳……お前ら罹患者か」
「なに? あぁ、本当だ」
遅れて二人目の男も気が付いたのか、見世物でもみるようにこちらを覗き込んでくる。
「なんでお前等みたいなのがいるんだ? 空気が汚れるだろ、罹患者のくせー匂いでよ」
心底、小馬鹿にしたように男は言う。
もはや聞き慣れた、使い古された台詞を吐く。
「臭いのはてめぇの体臭だろ」
「あぁ?」
「聞こえなかったのか? そのご自慢の鎧が汗臭くて敵わないって言ったんだよ」
「貴様……」
手を掛ける。腰の剣に触れ、柄を握る。
余程、罹患者に言い返されるのが気に食わないのか。
額に青筋を立て、鞘から剣を引き抜いた。
「――そこまでにしときなよ」
その声に、フィールの声に反応して、ナイトギルドの連中の動きが止まる。
「店の中で剣なんて抜かないで欲しいな。客と客が争うのは、店主としては都合が悪い」
「客? 客だと? 罹患者だぞ! こいつらは」
訴えるように、俺たちを指差し、騎士は叫ぶ。
「知ってるよ」
「な、に?」
「罹患者だろうが、健常者だろうが、あたしの店の中では等しく平等だ。老いも若いも、男も女も……そして、差別主義者だろうと、ね」
フィールは毅然とした態度で言い放つ。
自分よりも大柄で、無骨な鎧を身に纏い、恫喝にも似た言葉を吐いた大人に対し、フィールは表情一つ変えることなく、一歩として引かなかった。
「さぁ、ご注文は? お客さん」
「……おい、いくぞ」
舌打ちを一つ打って、ナイトギルドの連中は店を去る。
どうやら引き際が分からないほど、考え無しという訳でもないらしい。
「悪いな、迷惑かけて」
「ま、今回は大目にみてあげるよ。お得意さんだしね。願わくば、後ろの二人にもそうなってくれるとありがたい」
「なんだ、そっちが目的か?」
「さぁ? どうだろうね」
そんな軽口を叩き合い、用意された三人分の物資を受け取った。
「また来なよー」
「あぁ」
その言葉を最後に、俺たちは店を後にする。
向かうは北にある山岳地帯。高い位置にある太陽を一瞥し、俺たちは街を出た。
Ⅱ
目的地である山岳地帯をこの目に収めた頃には、すでに太陽は沈んでいた。
分厚い雲に月は隠れ、景色には黒と微かな色しか浮かばない。
だが、その最中にあって、この紅い目は暗闇にたしかな輪郭を捉えている。
乱雑に生えた木々も、無骨な岸壁も、よく見えている。
眠らない俺たちだけの特権だ。
「――よっと」
牙を剥いて飛び掛かってきた魔物を斬り伏せ、散る鮮血が地に落ちるよりも速く、次の標的に刀身を薙ぐ。弧を描く剣先は闇夜を斬り裂いて馳せ、二体目の魔物の命を絶った。
そして、背後から迫る三体目に対応しようとしたところ。
空を駆けた弾丸が魔物を撃ち抜いて死に至らしめる。
「今ので最後か?」
「えぇ、そう見たいね」
死屍累々と転がる死体の数々。
いやに泥濘んだ地面は、きっと流れ出た血によるものだろう。
靴底に感じる嫌な感触ごと振り払うよう、刀で空を裂いて血を切った。
「幸先が悪いな。お月様も機嫌が悪いと見える」
光のない夜空を見上げ、そう呟く。
「なら、もう諦めて帰る?」
「冗談。歯ごたえがあっていいじゃあないか」
ただ、こうも暗いと都合が悪いのはたしかだ。
今朝は晴れていたのに、夜になった途端にこれだ。
俺の魔法はある程度の明かりがないと効果が薄れる。影は影であって、闇じゃあない。光のない所に影は出来ないし、光が弱ければ影も薄くなる。
つまり、暗闇では俺の魔法は役立たずだ。
まぁ、そう言う状況に陥った時のための備えくらいは、常に持ち歩いているけれど。
「ん? そういや、やけに静かだな」
「静か? 今まさに襲われたというのに?」
「いや、そうじゃあなくて。さっきからユールが一言も――って」
はっとなって、すぐに周囲を見渡した。
だが、どこにもユールの姿がない。見当たらない。
「あいつ……はぐれやがったな」
恐らく、先の戦闘の最中にはぐれてしまったのだろう。
戦いながら、結構な距離を移動したからな。
「……ユールさんの連絡先は?」
「冗談よせ。こっちの世界には衛生もねーんだ、圏外だよ」
と、言うより携帯電話そのものがない。
似たような魔導具はあるが、俺を含めて誰もそれを持っていない。
「まぁ、幾ら夜目が利くって言っても、この視界の悪さだからな」
「どうするの? 探すか、進むか」
「仮にも5thだ。一人でも目的に向かうだろ。進んでりゃ、そのうち会えるさ。俺たちは俺たちで、なすべきことをなすべきだ」
「そう。なら、行きましょうか」
大幅に予定が狂ってしまったが、前進することを決めて足を動かす。
この鬱蒼とした森を抜ければ、ロッキースキンの生息域は目と鼻の先。来たるべき時に備え、俺たちは静かに爪を研ぐ。
「――見えてきた」
木々の隙間を縫って森を抜け、景色が一変する。
壁のように聳える切り立った山と、それに這うようにして広がる緑。
しかし、それはある地点を境にして途切れている。
緑の浸食を阻むように食い荒らされた土地。そこがロッキースキンの生息地だった。
「あそこがそうか。ユールは……いないか」
森を抜けてすぐユールの姿を探したが、どこにも確認できない。
まだ森にいるのか。もう抜けた後なのか。どちらにしても、ここで足踏みはしていられない。
「しかし、まるで採石場だな」
周辺にいるであろうロッキースキンを警戒しつつ、小高い丘に登る。
すこし高い位置から見下ろしたロッキースキンの生息地は、そこだけが渓谷であるかのように抉れていた。
もとは平坦か、緩やかな傾斜があったはずなのに。そのうち、山一つ平らげてしまいそうだ。
「とんだ大飯喰らいがいたもんだな」
そう独り言を呟きつつ、岩肌をなぞるように視線を走らせる。
ロッキースキンは個体の縄張り意識が強く、基本的に群れることがない魔物だ。例外があるとすれば繁殖期に入って子育てをする時くらいだろう。
つまり、今の時期はまだ一体で行動している。一度に複数体を相手取る心配がほぼない。
「――見付けた」
視線を彷徨わせること幾ばくか、この目にロッキースキンの姿を捉える。
岩肌に同化するかのような無骨な外殻。地面や岸壁を噛み砕く発達した顎。遠目からでも分かる図体の大きさ。その外見は、いつかの図鑑でみた恐竜を思わせた。
奴はいまも食事中のようで、土やら岩やらを手当たり次第に貪っている。
「ここでユールを待とう。時期に現れ――」
現れるはずだ。そう言おうとして、口を噤んだ。
ロッキースキンから目を離し、振り返った先に魔物を捉えたからだ。森で戦ったものと同じ種。何度、倒しても後から後から仲間が出て来る厄介な相手。
だが、問題なのはそこじゃあない。
いまこの状況において問題なのは、あの魔物がどうやって仲間を呼び寄せるのかだ。
「――不味いッ」
ロッキースキンは縄張り意識が強い魔物だ。
自分以外の生物が縄張りに踏み込んだと知れれば、それがなんであろうと見逃しはしない。いま魔物に仲間を呼ばれたら、遠吠えされたら、ユールの合流を待てなくなる。
瑞紀では銃声の所為で対処できない。
俺が、斬り伏せるしかない。
そう脳内で判断を下した直後、この身体に伝令が走り、直ぐさま行動に移る。
地面を蹴り、駆け抜け、抜刀し、その喉笛を目がけて一閃を薙ぐ。魔物は口から声ではなく、血のあぶくを吐いて横たわる。断末魔さえ、たてることなく命尽きた。
なんとか間に合った。そう、思ったのも束の間。
「ウォォオオオオオオ!!」
鳴り響く、獣の雄叫び。魔物の咆哮。
それは視野外にいたもう一体から発せられたもの。
遠吠えは、開戦の狼煙は、森中を駆け巡り、そしてロッキースキンの耳にも届く。
「おいおい、マジかよ」
遠吠えを掻き消すように銃声が鳴り、瑞紀が放った弾丸は魔物を撃ち抜いた。
だが、その行為にもはや意味はなく。遠吠えに、銃声に、呼応するように、けたたましい咆哮が大気を振るわせた。
侵入者の存在に気が付いたロッキースキンの行動は、迅速にして大胆なものだった。
ただ声のしたほうへ駆け、その岩の如き巨体を岸壁に打ち付ける。
動く岩石から生じる衝撃は、渓谷の上にいる俺たちを揺らすだけに止まらない。衝撃と共に駆け巡る亀裂が岩肌を走り、侵入者を自らの足下へ、奈落の底へと引きずり下ろした。