魔法
Ⅰ
罹患者。
それは病に冒された夢と現の境界が取り払われた者。
夢を現に顕現させる病は、人に魔法の力を与え、代償として眠りを奪う。
もう二度と、決して夢を見ること叶わない罹患者たちは、だからこそ朝と昼と夜となく人生を謳歌する。
目を開けてみる夢を、ずっと追い求めながら。
Ⅱ
「ふぁーふぃー?」
朝食の途中、口に肉まんを咥えたまま、そう聞き返す。
「あぁ、そうだ。パーティーを組んだらどうだ? って言ったんだ」
朝っぱらから酒を片手に、顔をすこし赤くしたローウェンは、つまみのスルメを囓りながら言う。
「夜弦。お前、この世界に来て何年だ?」
「ふぁんねんくらふぃ」
「わかった、急かして悪かったよ。まずは咥えたそれを胃に詰めてからしゃべってくれ」
手早く肉まんを食べ尽くし、改めて質問に答える。
「三年くらいになるか。こっちに来て」
「ギルドに入ってクラス5thになってからは?」
「一年くらい経つな。それがどうかしたのか?」
新しい肉まんに手を伸ばしつつ、そう質問を返す。
「そろそろ、お前も4thが視野に入るころだと思ってな。昇格するにはソロのままじゃ厳しいもんがある。だから……ま、先輩からの助言って奴だ」
「流石は、お節介焼きのローウェン」
そう、からかってやると、ローウェンは「やめてくれ」とスルメを食い千切る。
「つってもな。今までずっとソロでやってきたし、今更な」
パーティーを組むとなると、それまでの姿勢を崩さなくちゃあならなくなる。
受ける依頼も、揃える物資も、気ままな休暇も、好き勝手にとはいかなくなる。ソロに慣れるとパーティーを組むのが億劫になってしまう。
それじゃダメだとは、わかっているが。
「安心しろ、取って置きのじゃじゃ馬を紹介してやる」
「じゃじゃ馬? おいおい、相手は女かよ」
「そうだ。新入りなんだが、どこに行っても問題を起こす厄介な奴でな。お前が手綱を握ってくれると助かる」
「やだよ。俺は馬主じゃねーんだぞ」
「まぁ、そう言うな。聞けば、お前と同郷らしいぞ。そのよしみでな? 俺を助けると思って、頼む。実はもう話は付けてあるんだ」
「はぁ? まったく、用意周到だな」
しかし、同郷から来た新入りか。
こっちじゃ、この黒い髪も珍しい。その上、他の奴等から罹患者とまで呼ばれてしまう。そんな風に、奇異の目に晒される苦労はよくわかる。
「……わかったよ、あんたの頼みだ。会うだけ会ってみるさ。こいつを食い終わったらな」
「流石は夜弦だ。話がわかる」
この後、ローウェンに一品奢って貰い、いよいよ後に引けなくなった。
こうなってしまうとお手上げだ。
深いため息を吐きつつも、じゃじゃ馬が待っているというギルドの寮へと足を運んだ。
「――えーっと、ここか」
軋む床木を踏みつけながら進むことしばらく。
件のじゃじゃ馬、流天瑞紀の部屋のまえに到着する。
一度、目的地かどうかを再確認し、扉を四回ほどノックする。だが、数秒ほど待ってみるも反応がない。
「んん? おーい、いねーのか?」
そうすこし大きめの声を出してみても、結果が変わらない。
「おかしいな」
ローウェンから話は通っているはずだが。
そう思いつつ、もう一度ノックしようと手を握ったところ。
「――あ」
不意に扉が開いて、この拳骨が――彼女の額に激突した。
「……出会い頭にぶたれたのは初めてだわ」
「あー……えーっと」
あまりに突然のことで言葉が出てこず、とりあえず謝ろうと口が開く。
しかし、言葉を紡ぐまえに、声になるまえに、彼女の詠唱がそれを遮った。
「託せ――」
溢れ出る魔力の奔流が、彼女の右腕に集う。
形を成し、一瞬にして得物を形作る。
それは紛れもなく、夢の――魔法の顕現。
「おいおい、待ってって!」
慌てて発した静止の言葉も届かない。
「〝三ツ星〟」
その名を叫び、魔法は咆哮を放つ。
それは、銃。美しい白の拳銃が、銃声と共に銃弾を吐いた。
「――くそッ」
瞬間、横方向へと転がるように退避した。
顔面のすぐ側を通り抜けていく銃弾。辛うじて回避に成功した俺は、廊下を転がってすぐ体勢を整えた。
息を吐く。
そうして先ず、身体のどこにも風穴が空いていないことに安堵し、代わりに撃ち抜かれた壁を横目に見やる。
拳ほどの大きさをした穴が空いていた。
あれと同じものが身体に空いていたらと思うと、ぞっとしない。
「どいつもこいつも目障りな連中ばかり」
思考の隙も与えられず、すぐに照準を合わされて、再度、引金は引かれる。
撃ち放たれる銃弾を、床木を蹴って躱し、四肢に魔力を纏わせて天井に貼り付く。
「私が嫌いならそれで構わない。他人がどう思おうと知ったことではないわ」
直ぐさま、天井から壁へと飛び移り、そこから更に次ぎの逃げ場へと移動する。
床、壁、天井、それらを足場として回避に専念し、その足跡を追うように銃弾が材木を撃ち抜いていく。
「けれど、私に対する攻撃には、それ以上の力を以て叩き潰すわ。煩わしい貴方を潰して、後ろにいるあいつ等にも同じ目に遭わせてやる」
銃弾を躱しながら思うのは、彼女がなにか勘違いしているということだ。
彼女が俺を敵だと認識しているのはたしかだ。けれど、ただ額を殴っただけ――まぁ、それも酷い話だが。
とにかく、たったそれだけの行為に対する反応としては過剰すぎる。
人を蜂の巣にしようとする動機には、たぶんならない。
「おい! 落ち着けって。俺は――」
「聞く耳もたないわ。大人しく、撃ち抜かれなさい」
ダメだ。聞く耳もたない。
相当、頭に血が昇っているみたいだ。
「あぁ、もう。仕様がない」
とにかく、一通り暴れさせて大人しくなるのを待つしかない。
これじゃあ馬主じゃあなくて闘牛士だな。
「想え――」
魔法には魔法を、夢には夢をもって対抗するしかない。
己の内側に存在する魔力を練り上げ、放出することで魔法と成す。
「〝影響〟」
この世に顕現したそれは影を模した黒となり、俺と彼女を分かつよう迫り上がる。
廊下を寸断する黒壁となったそれは、彼女が放つ魔力の銃弾をすべて阻んで通さない。
断続的に、絶え間なく続く、銃声の演奏。それは数十秒ほど奏でられ、そして途切れた。
「……頭は冷えたか?」
長い長い十数秒を過ごし、黒壁越しにそう問いかける。
「――そうね。貴方の言い分くらいは聞いてあげる」
とりあえず、話ができる状態にはなってくれたか。
「俺の名前は宵噛夜弦。今日、あんたと会うことになってた者だ。ローウェンから話を聞いているはずだ。そうだろ?」
「……えぇ」
「で、だ。俺があんたを殴ったのは故意じゃあない。あんたが応答しないもんだから、追加で幾らかノックしようとしてただけだ。それで……あー……タイミング悪く、あんたの額に拳骨を。悪気はなかったんだ」
誠意を示すように、魔法を解いて黒壁を掻き消す。
黒一色だった視界に色が宿り、銃口と彼女の姿を望む。
「謝るよ、悪かった」
これでもまだ撃ってくるようなら、ローウェンには悪いが話はなしにさせてもらう。
これ以上、銃弾に追いかけ回されるのは御免だ。
「……いいわ。わかった」
そう言うと、彼女は自らの魔法を掻き消した。
「私の早とちりだったみたいね。私のほうからも謝るわ、ごめんなさいね」
なんとか意思疎通が取れたようで、ほっと胸を撫で下ろした。
これでローウェンの顔を立ててやれる。
正直、この先やっていけるとは到底思えないが、乗りかかった船だ。このいつ沈むかも知れないこの泥船が、大破轟沈する寸前まで腰を据えつづけるとしよう。
Ⅲ
「それで? 俺をなにと勘違いしてたんだ?」
朝と昼と夜となく、いつ何時であっても騒がしい、ギルドが誇る大広間。
ギルドメンバーが集うこの場所の片隅で、俺たちは互いに軽い自己紹介を済ませていた。
「刺客よ。前にいたパーティーからの、ね」
彼女――流天瑞紀は、嫌なことを思い出すように、ワントーン低い声で言う。
「かつての仲間から刺客が、か」
そう言えば、ローウェンも言っていたな。
行く先々で問題を起こすじゃじゃ馬。なかなかどうして、的を射た言葉だ。
「なに?」
「いや、別に」
思考を読み取られたかのように、瑞紀に睨まれる。
それを軽く流しつつ、質問の続きを投げ掛けた。
「いったい何をやらかせば、そんな物騒な展開になるんだ?」
「べつに。私はなにもしていないわ」
本当かよ。
先のことを考えると、とてもそうとは思えないが。
「……まぁ、余計な詮索はしないでおくよ。それよりも、だ」
今はそんなことよりも、優先すべきことがある。
「あんたが四方に空けまくった風穴を塞ぐのに金が足りない」
「貴方が避けなければ穴は空かなかったのにね」
「壁にはな。そりゃ壁や床の清掃代のほうが安くついただろうよ」
一応、ギルドメンバーのよしみってことで、ツケにして貰っている。
だが、かといってそれも何時までも有効な訳じゃあない。
とにかく、金策だ。
なにか割のいい依頼を受けて金を用意しないと。
「まぁ、お互いの実力を測り合うって意味も兼ねて一つ、依頼をこなそうって話だ」
そう言いつつ、机上に備え付けられている魔導具に手を翳す。
手の平から流し込まれた魔力が動力源となり、魔導具は机上に立体映像を映し出した。
「……便利なものね。こっちの世界は」
「そうか? 俺には元の世界のほうが遥かに便利だと思うがね」
たしかに見て触れて感じられる立体映像なんて、現代技術じゃあ実現不可能だ。
なんとも未来的な技術だろう。
だが、それでも社会そのものの利便性は、こちらの世界のほうが遥かに劣る。
人類の天敵がいるいないの違い。空手の人間が自分より大きな生物を殺せる殺せないの違い。その差がこちらとあちらの世界で著しくことなり、大きな隔たりを生んでいる。
「んー……」
そんな会話をしつつ、ずらりと並んだ依頼にざっと目を通していく。
報酬の額や、依頼の難易度。それらを加味しつつ相応しいものを探し、それらしいものを見付けると、魔力を帯びた指先でそれに向かわせる。
「それじゃあ――」
「これにしましょう!」
にゅっと、視界の端から指先が現れ、俺が触れようとした依頼のすぐ上を捉える。
「これ! これです!」
続けざまに、覆い被さるように後頭部と背に体重を掛けられる。
この声。この話し方。人のパーソナルスペースに簡単に入り込む行動力。俺が知る限り、こう言う人物は一人しか思い浮かばない。
「……ユール。わかったから、覆い被さるは止めろ」
「おっと。これは失礼」
俺から離れたユールは、その足で隣の席まで移動する。
改めて視界に収めたユールは、やはり頭に思い浮かべたものと同じ容姿をしていた。
俺たちとは対象的な真っ白な髪。それを一つ括りに結った髪型。やや幼い顔付きも、最後に会った日から変わっていない。そう言う意味でも大人びた容姿の瑞紀とは対照的だ。
「……どちら様?」
すこし警戒した様子で、瑞紀は問う。
「申し遅れました! 私、クラス5thのすとーむるーらー! ユール・フルハウスです!」
少々、あほっぽいのも対象的だな。
これには瑞紀の警戒も緩んだ。
「ストームルーラー?」
「はい! それが私の二つ名なんです」
「二つ名って?」
瑞紀の視線がこちらに向かう。
「5thになった時に与えられただろ? 異名」
まぁ、好んで名乗るのはユールくらいのものだが。
「あぁ……あれのこと」
心当たりがあるようで、得心がいったような言葉を漏らす。
「私の名前は流天瑞紀、二つ名は流星よ。ちなみに貴方は?」
「俺か? たしか……影縫い、だったか」
二つ名、異名は、魔法に関連づけられることが多い。
俺もユールも瑞紀も、例に漏れない。
「――で? なにしに来たんだ? ユール」
そう言葉で問いつつ、視線は表示された依頼の内容に向かう。
「そうです、そうです。これ! これを一緒に受けましょう!」
再び、ユールは立体映像を指差しながら言う。
「えーっと……ロッキースキンの討伐依頼?」
ロッキースキン。
たしか山岳地帯を生息地とする中型の魔物だったはず。岩みたいに硬い外殻を身に纏っていることから、この名前が付いたと記憶している。
いや、だが。
「……ユール。こいつの推奨クラスを言ってみろ」
「クラス4thです!」
「よーし、却下だ」
「えぇ!?」
依頼を拒否すると、ユールはすぐに食い下がる。
「な、なんでですか! いけます! 私達ならいけますよ!」
「あぁ、将来的にはな。でも、いま無理して相手する必要もないだろ」
「あーるーんーでーすー! 夜弦になくとも私にはあるんですよ!」
この依頼を受けないといけない理由がある。
そうユールが口にしたすぐ後、瑞紀の口もまた開く。
「ねぇ。この依頼人の名前……」
「依頼人?」
食ってかからんとばかりに身を迫らせてくるユールの顔面を手で抑えつつ、依頼人の欄に目を通す。
「ユール・フルハウス……お前かよ!」
「そうです! その依頼を出したのは、何を隠そうこの私なんです!」
自慢気に、そこそこある胸を張って、ユールは宣言するかのように言い放つ。
先に言っていた理由とはこのことか。しかし、なんでまた格上の相手を討伐依頼対象に。
「お願いしますよー。夜弦に断られたら、もう頼るあてがないんですー」
「頼るあてったって。待ってりゃ、そのうち人が集まるだろ」
「いえ、そうでもないみたい。この報酬の欄、時価って書かれているわ」
「時価ァ? おい、時価ってなんだ?」
「えーっと。それはロッキースキンを売ったお金……という」
そりゃあ、人も集まらないはずだ。
報酬の額が定まっていない依頼なんて、誰も受けたくはない。
取り分の分配やら貢献の度合いやら、面倒事ことも考えると尚更、腰が引ける。
「ユール。お前もギルドメンバーなら、こう言うのはきちんとしとけよ」
「うぅ……でも、そう書かないと報酬は約束できませんし」
「どう言うこと?」
ユールは意気消沈した様子で席に座り直すと、瑞紀の問いに答えた。
「私、実は孤児院の出なのですが……」
「あぁ、そういやそうだっけ」
昔に聞いた覚えがある。
「私の実家とも呼べるその孤児院が、財政難で立ちゆかなくなってしまいまして。私もできる限りの支援をしていたのですが……とうとう、懐がすっからかんに」
それでデカい依頼を一つこなして金の工面をしたい、か。
事情の規模は違えど、目的はおおむね一致している訳だ。
「……瑞紀。ロッキースキンって魔物は地中の魔石を食って生きてるんだ」
「なんの話?」
「もう何週間かすれば奴等の繁殖期。その時期に備えて、今頃はバカみたいに地中を掘り返して魔石を食いだめしているはずだ」
「……つまり、ロッキースキンを仕留めれば魔石が大量に手に入るかも知れない」
魔石にはそれなりの金になる。
上手く行けば一攫千金。壁の穴も塞げるし、孤児院の財政難もある程度は回復できる。
「わかったわ。その話に乗った」
「そう来なくっちゃあな。よし、それじゃあ、準備にかかるとしよう」
そう言って、立体映像に映し出された受注の文字に触れ、二人して席を立つ。
「え? え?」
「なにしてんだ? いくぞ、ロッキースキンを討伐しに行くんだろ?」
そう言うと、ユールの沈んでいた表情が、見慣れた明るいものとなる。
「はい!」
こうして俺たちにとっての初仕事は、ロッキースキンの討伐に決まった。




