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階段マンション

作者:

 とある山の側面に白い巨大な階段がある。

 江島なんとかという芸術家がデザインした自然と現代を融合させたアートなんだとか。         

 この凡人には理解しがたい芸術作品がなんの意味をもたらしているのかというと、マンションなのだ、この階段。

 白い家が地下に埋まっている状態で、天井が段々畑のように突き出ている。私はその階段マンションの一段目に住んでいる女子大生だ。

屋根には床下収納のように梯子で部屋に降りれ、荷物を運びいれるのに苦労する玄関と、踏みぬきそうな天窓が付いている。ワンルームでキッチン、ユニットバス付きで家賃がなんと一万円。

 母には「そんな怪しいところじゃなくて、女の子なんだからもっとセキュリティがしっかりしてるマンションに住みなさいよ」と小言を言っていたが、私の「だったら仕送りの額増やして頂戴ませ」という発言により、素敵な笑顔で巣立ちを見送ってくれた。

 しかしこのマンション、バイト先、学校、コインランドリーにも近く、何よりも安さに飛びついて入居したのだが、住人に問題があった。

 マンションの構造のお陰で、上の階に行く時は下階の屋根の上を通って行かなければならない。私の部屋は一段目なので一番人の通りが多いのだが、奴らは思いやりというものが無く、人の家の屋根を夜中だろうと平気でどんどん音を立てて歩いて行くのだ。

 隣室に住む体育会系の男の重い足音が日々にあふれ、上階に住む女のヒールの音が響き、太った男の鈍い足音が居残り、酔っ払いの不規則な足音が耳に残り、他にも色々な足音が私の頭上を遠慮なく歩いて行き、最初の頃はノイローゼになる寸前だった。

 上の段に行くほど値段が高く良い物件になっていくのだが、それもなんだか生活にランクを着けられているようで良い気分ではない。     

 上の住人にちょっと静かに歩いてくれと頼んだら、貧乏人だの底辺だの一番下にいるのが悪いだの罵って、ますますうるさく人の家を足蹴にしていく。

いつしか私は部屋に響く足音に対して、心の中にある藁人形に五寸釘を打ちささやかな呪いをかけるようになっていた。

 階段マンションで暮らし始めて一年ほどで、マンション全員を呪っただろうと思っていたのだが、たった一人だけ私の呪いを回避していた者がいた。

 彼と出会ったのは、私が卵焼きとご飯のみの質素な夕飯を用意している時だった。彼は落ちてきたのだ。天窓を踏みぬいて。幸い私はキッチンにいたので無傷ですんだ。

ガラスの割れる音と落下してきた人間、部屋の中心にある机の上に乗った片方だけのモコモコの羊のスリッパが私の思考をショートさせ、しばらくの間は立ち尽くすしかなかった。

 落下してきた人間はスーツ姿で羊のスリッパのもう片方を履いた男性だった。

彼もスーツが破れた程度で傷はなかったが、こちらが申し訳なるほど何度も謝ってくれた。手早く段ボールとガムテープで風が入り放題の天窓を塞ぎ、ガラスの破片を掃除し、明日業者を手配すると約束してくれた後もひたすら謝ってくれた。

江島と名乗る彼に私は、彼の労働を労う為にコーヒーを出した。江島はコーヒーを美味しいと言って飲み、ずっとぺこぺこ低姿勢で礼儀正しいままだった。

 江島と言えば、このマンションのデザイナー兼オーナーの名字でひょっとして息子じゃないかと疑ってみたら大当たり。オーナーの息子で最上段に住んでいるらしい。

 気の弱そうな礼儀正しい青年といった印象だが、今は今回のことを穏便に済まそうとしているだけで、本性は他の住人と同じく嫌みったらしく意地悪で、人を見下し屋根の上で足踏みしていく奴かもしれない。しかも最上階に住むボンボンだ。好青年の皮を被った成金騒音糞野郎かもしれないぞ。そっと心の藁人形を取り出し、釘を打つ準備をする。日々の住人達の足音で私の心は捻くれまくっていた。

 己の捻くれた心のせいで江島のことをどうも好きになれないまま世間話をしていると、このマンションの話になり、江島は愚痴を言い出した。

「父がどういった理由でこのマンションの最上段に僕を住まわせているかわかりますか?人の頭上を歩き、誰よりも高い位置にいることができる喜びを味わえるようにですよ。こういうのを悪趣味って言うんでしょうね。父親ですが軽蔑しますよ。僕は毎日他の住人の皆さんの迷惑にならないよう、足音をたてないようにモコモコのスリッパを履いて、屋根の上を歩かせてもらっているのですが、おかげで足音を消して歩くのが癖になってしまいまして、会社でのあだ名が忍者になってしまったんです。父は僕が結婚するまでこの家から出さないつもりですし。モコモコのスリッパの忍者に彼女なんかできるわけないじゃないですか。モコモコですよモコモコ。モコモコスリッパの忍者。良い年した成人男性が」

 江島はこのマンションで唯一、足音を響かせぬよう、細心の注意を払ってくれていた、心優しい人物だった。私は江島に感謝した。初めて目の当たりにした思いやりに、感謝の言葉を伝えたかった。伝えたかったのだが、モコモコスリッパ忍者で、悪いと思いつつも腹を抱えて大笑いしてしまい、碌に話すことができない。

 江島はというと、大笑いする私につられたのか、自分自身でもクスクスと笑い出し、最終的には一緒になって大笑いしだしてしまった。

 その後江島は、私の笑いが静まるのを待ち

「人の大切な家の上を歩いてまで高い所には居たくないですよ。あーあ、平屋に引っ越したい。階段はもうこりごりです」とぼやいて足音をたてず帰って行った。

 こんな変わった出会いもあった階段マンションだが、私は五年間住んだ後、引っ越してしまった。今では階段の無い平屋に住んでいて、足音を消す癖が未だに抜けない同居人に時々驚かされるが、幸せに暮らしている。

階段はもうこりごりだと笑いあいながら。



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