少年消失
少年は壊れていた。
しかし少年はいたって健康であった。
それでも少年は感情を表に出そうとしなかった。
そして少年は「からっぽ」になった。
その少年は幼少期は愛らしく、家族からも愛されて育っていった。友達も多く、年頃の男の子に似合わず女の子の友達も多かった。
そして少年は小学生になった。多くの友達とは離れ離れになってしまったが、親友の男の子とは一緒の学校だった。クラスは別々になってしまったが少年の教室の友達とも仲良くなれた。しかし、楽しいのはそれまでだった。新しい環境に馴染めなかったころ、まだ話したことのない隣のクラスの友達に変なあだ名をつけられた。最初は笑って流したが、気付くとクラスメイト全員に伝わり、授業が終わった休み時間や放課後など、学校、児童館への道中、帰り道問わずひたすら大声で騒ぎ立てられた。耳を塞いで走り抜けたこともあった。
当時学校は改装中だった。校門からは絶えずトラックが出入りしていた。少年は正門から出てくるドラックに気付かなかった。耳を塞いで走ったからだ。当然だった。少年は初めて死というものへの恐怖を知った。しかしすぐに警備員が気付いて少年の手を引っ張り工事の轟音の中、少年を「死にたいのか」と叱った。しかし少年にはその言葉は何一つ入ってこなかった。少年はまだ幼かった。そしてその純粋な少年の瞳には絶望の涙しか浮かんでいなかった。なにがきっかけか、今までの一連の流れは少年の親友によって起こされたものだと知った。少年はすぐに両親に話した。そして、三日と経たずに親友とその両親が詫びの品を持って頭を下げにきた。そのとき何を言ったのか、少年は覚えていない。
親友に関しての事件は終わったが、いまだに少年の心の傷は癒えていなかった。一連の出来事がきっかけで、少年の中にあった『信じる』という概念が音も無く塵と化した。
それから、少年の中で、とても大切な、何かが、変わった。
その後、何か少年との揉め事があると、ことあるごとにクラスメイトは少年にそのあだ名を口にした。少年は泣きじゃくり、唯一の武器といえるホウキを振り回して相手を殲滅した。少年を止めようとクラスメイトの男子は悪ノリも込みで少年にのしかかった。気付くと少年はうつ伏せにされその上にクラスメイトの男子十数人が上に乗っかっていた。異変に気付いた担任が大声で上に乗っかっていた男子生徒を叱った。すぐに束縛から解放されたが、急な圧迫に身体が耐えられず、少年は嘔吐していた。親友がすぐに駆け寄り、事情を聞いてくれた。親友は前の一見以来少年のことを本当に大事にしてくれる。それは恐らく昔の罪の意識からだろう。そしてずっとそばにいた担任は全ての話を聞き終えると、クラスメイト全員を集め、ことの顛末を話した。少年は事件の被害者になり、同時に同情も得られぬ加害者になった。ホウキを振り回したことにより、相手は足を打撲し、最初に上に乗っかった数名は少年が跳ね返したときに背中に軽いあざ。少年は被害者であり加害者であるただのクズになった。それ以来、少年はクラスメイトを友達と呼ばなくなった。
少年は中学生になった。親友も同じ中学に言った。少年よりも何倍も頭がいいのに少年と同じ学校に来てくれた。これは素直に嬉しかった。クラスには新しい人達がたくさんいて、少年の新しい生活が始まったことを実感させた。
二年生に連れられて、自分の教室に行くと担任の先生が笑顔で迎えてくれた。何度も見たことのある、作り笑顔だった。そのとき少年はその親友と談笑しており、盛大に笑っていた。それを新中学生になったことへの喜びと勘違いした担任は、屈託の無い愛想笑いで少年を見ていた。
中学生になって塾に行くようになった。その塾では自分と同じ学校の人間は一人しか居らず、自然と仲良くなった。少年に覚えている限り初めて出来た『友達』という存在だった。それから少年は友達と一緒に塾から帰った。男同士であるため気兼ねなく話が出来た。だからかもしれない。少年はその友達に依存に近い状態だった。といっても少年は相手に何か押し付けたり、相手の言うことを全て鵜呑みにするような馬鹿でもなかった。ただ、嬉しかったのだ。『友達』という、世間一般の存在が出来たことに。
学校でも仲の良い人達は出来た。男の子も女の子も。しかし少年はその子達を『友達』として見ることが出来なかった。いや塾で知り合った『友達』そうだ。矛盾していることは少年にも分かっていた。『友達』として振舞いながら、相手を『友達』として見ていない。理由は一つだ。あのとき、音も無く崩れ去った『信じる』ということ。少年は相手をどんなに信じようとしても、例え99%信じようとしても残りのたった1%が邪魔をする。そのたった1%のせいで、相手のことが何一つ信じられなくなった。
『信じる』ことと『約束する』ことは似て非なるものである。『約束』とは、相手と自分とを幾つかの契りによって結び、その契約が果たされるまで繋ぎとめる鎖のようなものだ。それに対して、『信じる』とは相手に何の見返りも無くただただ相手に無条件に自分を預けるものである。そう、少年は自分が犯すリスクは全て相手にも負わせようとしていた。自分が相手のことを信用してやるのだから、それ相応の見返りをよこせ。少年はそう思うようになった。
少年が変わったのはそれだけではない。少年は他人の不幸を本気で喜ぶようになった。小学生の頃に隣の教室の生徒が先生に怒られているところを見て、ざまぁみろと思ったことは無いだろうか。少年はそういう一般的な考えを持っていなかった。誰かが怒られているところをカメラに収め、独りで大声を上げて笑っていた。
二度あることは三度ある。これは大抵悪い意味で使われる。そう、少年はまた迷惑ごとの対象になってしまった。同じ教室の生徒が少年の上履きにいたずら書きなどをして遊んでいた。少年はただの悪ふざけだと割り切り、笑って流していた。それが誤りだった。生徒は調子に乗って次々と迷惑ごとを繰り返すようになった。無理やり肩をぶつける。少年の後ろにわざと立ち、ボールペンで背中を刺した。そんな陰湿な行為が繰り返され、少年の苛立ちは最高潮だった。その頃少年は、自宅にあった鋏で遊んでいた。西アメリカなどでよくある、カウボーイがくるくるとリヴォルバーを回すように、鋏の丸い持ち手に指を回していた。そんなときだった。また生徒は少年に強引にぶつかってきた。いい加減苛々していた少年は、生徒の無様に垂れ下がっている制服のベルトを引っ張り後ろに思いっきり引いた。すると生徒は逆上し、少年を殴りつけた。当時肩を痛めていた少年は庇いきれずに、後ろに飛んだ。そのときだった。少年はただただ苛立ちを抑えるように手に持っていた鋏を生徒の後ろから刺した。しかし鋏にはカバーがついているため刺さらない。そのため命の心配は無い。命の危険は無い。それでも少年は覚えていた。鋏越しといえども確かに感じた肉に金属がめり込む感触を。あのとき変わった少年の何かがそのときに完全に目覚めた。少年は人を傷つけて楽しむサディストになった。
急激に変化した、少年の人格。表向きは何も無かったかのように振る舞い、一人のときはインターネットで成人が見るようなアダルトサイトで少女が一人の男にバシバシと鞭で叩かれ泣き叫び、必死で助けを呼ぶ。そんな動画を見て楽しんでいた。しかし今まで純情で純粋なよくある少年だっただけに、その反動は大きかった。いや本当は長年積み重なって出来たものだが、今まで気付かなかったためにその反動は大きかったのだ。あまりに急すぎた変化に身体がついていかず、激しい頭痛と嘔吐に見舞われた。しばらく学校を休み、両親も心配してくれた。しかし一週間もそんな生活が続くと両親、とくに父親は少年の仮病を疑った。母親はしばらくの間、慣れない生活で疲れたのだと勝手に納得してくれて父親から庇ってくれたが、一ヵ月後にはあっという間に父親の味方になってしまった。
いい加減心配になった母親はあちこちの病院に少年を連れまわした。頭痛はそのうちの一つの病院で解決されたが、いつまで経っても学校への不登校は治らなかった。それもそうだ。なぜなら少年自体がこれ以上変わることを心の奥底で拒んでいるからだ。これ以上変わると自分は壊れてしまうのではないか。そんなどうでもいい心配が心の奥底から拭えなかった。いつまで経っても少年は元に戻らず、学校の担任は少年が始めて自分のクラスに来たときのことを何度も語った。しかしその言葉は少年にただ不安と羞恥を与えるものでしかなかった。少年は表と裏で表情を変えることが出来る大人だったが、その過程で溜まった不安や後悔の廃棄場所を見つけることすら出来ない子供でもあった。哀れで愚かな少年である。その少年は結局何も変わらずに新しい年を迎え、二年生になった。
いくら変わることを恐れているとしても、上辺だけでも何か変わっていると錯覚させるため、しばらく黙り込んでいた自分を偽り、明るく冗談の聞く気の利いた自分を作り出した。これは相手の第一印象を塗り替えるただの錯覚だ。だから少年は続けることが出来た。今まで全く行くことが出来なかった学校にも行くようになった。最初は週に一回程度だったのを週に二回、三回と増やしていき、ついに週に四回というペースになった途端に少年は怠惰に屈してしまった。両親はそれを頑張りすぎた、ということで勝手に解釈手くれたが、実際はただ、怠惰の悪魔に心を売った怠けものだ。それを自覚したとき、少年は自分の置かれている状況を初めて悟った。
その後少年は意味の無い自問自答を繰り返していた。『人は何故生きるのか』とか『死ぬと自分はどうなるのか。世界は、家族は悲しんでくれるのだろうか』とか、そんなどうでもいいことだ。しかしそれが分かっていてもその無限の思考ループからは抜け出すことが出来なかった。
そして、少年は一つの疑問にたどり着いた。
『俺は、世界に、家族に、友人に、一体何を求めているのだろうか』
思春期の男子ならではの話を書いた、処女作です。
キツイコメントはナイーブな私には受け入れ作業に手間取ってしまいますので、優しいコメントお待ちしております。