再誕とはいうけれど
「しにたい、もうやだ」
僕はこの言葉をいつも吐く。まぁ、なんだっていい。
ただ、感情が高ぶれば何でもいいのだ。
僕は言葉の力を信じている。
知っているかい?どっかの偉い人がした実験で
老人っぽいキーワードや快活を連想させるキーワードを
ただみるだけで、その人たちが部屋に出たときの速度が違うことを。
その時の感情は記憶に残らないが、行動は習慣になり、周りがそれを規定し、自分のアイデンティティに加えるんだとしたら、
死にたくないときでも、死にたいってつぶやき続けることで、僕は僕になっているのかな。
僕はもうどうだっていいんだ。
道行く人が早歩きに見え、同じ行動と同じ言動を繰り返し、看板持ちのあの年老いてでっぷり腹の出た醜いおっさんは今日もあそこに立ち続けている。そこだけが止まって見え、僕は吐きそうになる。(しかし決して吐かない)
ここはどこだ、と聞かれれば何なく答えられる気がする。ガイジンに尋ねられたって、なんとかジェスチャーでできる気がする。
しかし、今はもうどうだっていい気分だ。
僕は歩く。学生服におさめたはずの僕の腹の産毛がかすれるのが妙に気持ち悪い。
お腹から銃を取り出しているところを想像する。
めちゃねちゃな粘液とともにその銃口を口に加えられたらエクスタシーに達して死にそうだ。
もしその粘液に自分の脂肪が、白いてかてかしたぷりっぷりっの脂肪がついていて、僕の中に戻ろうと食道を我れ先にとふせいで、それを蹴散らそうと僕が銃口をぶっぱなしても、僕は・・・・死なない。
いや、実際には絶対死ぬんだよ?でも、もしそうしても僕はどうしようもなくどうだっていい気分をぶちこわすこともできないままなんだよ。それは、死なないのと同じでは。
また僕aとか僕xとかが出てきて同じようするんだ。
看板持ちのおっさんの腹を殴りたいと思う一方、知り尽くしてしまった彼の着てる服のローテションに一着新しいのを加えてあげたいと思う気持ちを抱えながら・・・。
僕は歩く、僕はとにかく歩き続ける。
じっくり考えたってなにもない。よくわからない鼓動を抱えながら僕は歩き続けた。
僕のこと知ってる?なんてアイデンティティクライシスに陥っているわけでもない、けれど、そういってしまいたくなる時もあるという風な言い訳をわざわざつくって、僕はこの言葉を吐いていた。
「知っている。」
そう答えた少女はどことなくエイに似ていて、僕は・・・泣いていた。彼女は何か差し出した。
差し出した途端、そのものは少女の手から離れ、宙に浮かんだ。
僕はいたって普通に、いや無意識といっていい程自然に、目の前に浮かんだ粘膜状のものを手にとった。口に含む。味は・・・しない。
こうして僕は殺人鬼になった。そして新しく誕生した。