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エイ  作者: ごめん手
13/22

さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり

 私は、学校を辞めた。

母は泣いた。おばあちゃんに辛い思いをさせて嬉しいの?と泣いた。耳の遠いおばあちゃんに私が退学したことを伝えたのは母なのに。

 でも仕方がない。

 いつもごめんなさいで終わるゲーム。

叱責↓反発↓罵倒↓反発↓金切り声タイム↓謝罪。

 このループで大概は満足した顔をしてくれる。

 なぜすぐ謝らないのって?早めに謝っても「口先だけ」って言ってゲームを始めたがるんだもん。

 乗ってあげるのがいいんだよ。そんなの。たったの1時間くらいだもん。というか、今は時間は有り余るほどあるから、時間つぶしにも丁度いい。

 母親もそうだろう。きっと嬉しい。


 この退屈に耐えられないのは問題だな。

 何かがあって振り切ることの難しい人と、最初から選択肢にものぼらない人がいる。どちらがハードプレイかと言えば、前者だ。前者だが、その人には強度がついてくる。

 難しい・・・。すべてがフラットに見えはしない。身長すら精神で変えられない。

 何を言っているんだか、と思うこともしばしばで、そう考えるとすぐ眠たくなって寝てしまう。

 わからないからって問い続ける、問い続けるとある日、ドアを開けたらピストルで撃たれる。無限の解釈の作品のみが、自分をアップデートし続けてくれる。

 そしたら、私は思考を辞めることが出来、そして、死ぬことができるのかもしれない。

 厨二病乙って誰かが言ってくれれば、私は反射的に恥ずかしさで、とりあえずは笑うのかもしれない。

 私は、そう。うつろな目を閉じかけた時、六畳の和室部屋の天井いっぱいにひろがった巨大なクジラの腹のようなものがあった。

 今までなぜ気付かなかったのだろう。小刻みに動き、呼吸のように腹のようなものをへこませたり、ふくらませたりしながら、ぷかぷかと浮いている。

 両端が切断されていて頭部らしきものが見当たらない。いや、もしかしたら部屋に突き刺さっているのか、途切れているのかもしれない。

 代わりに、一際目立つのは、白い腹のようなものの真ん中にぽっかりと空いた、どす黒い血のような穴だ。

 穴の内部か少し見え、粘膜上のぬめぬめとしたピンクの肉片のようなものが無数にこびりついている。胃の中をカメラで覗いているときに近い。胃カメラ検査したことないけれど、テレビで見たし。

 私はそこから一歩も動かすことができず、ただじっとその穴の中を凝視しつづけた。

 一瞬も逃さないように。

 するとそれに答えるように、穴の中から無数の赤いてかりを帯びた突起物が出てきて、いそぎんちゃくのように穴の周りに咲いた。

突起物が互いにこすれる度に糸をひきょ、ぎちゃっという生理的嫌悪感をもよおしそうな音を出す。

 そこからは圧巻だった。白い腹のようなもののあちこちに中央に空いていたような穴が出来て、そこからいそぎんちゃくの花が一斉に咲いた。

 みるみるうちに白から赤に切り替わったそれは、伸縮を繰り返し、その度に赤い突起物が伸びていった。

 わたしのまわりを取り囲むかのように、少しずつ、少しずつ、突起物が絡まり合い、糸をひきながら伸びていくその光景を、母親が見たら何と思うだろうかという考えがふとよぎった。

 とうとう古びた学習机にまで到達し、私の肌に触れた。生温かくて、繊毛のような細かい毛が生えているのだろうか、少しくすぐったい。

 もともと私に向かってきたかのように伸びてくる幾重にも重なりあった突起物の塊が、私を半分まで覆った。

 私はその時、誰かがテレビで言っていた、「そこでいい悪いっていう判断じゃなくて、それを前提としてどうするかってことを僕は常に考えているんです」という言葉をぼうっと頭の中で反芻していた。反芻していたというよりかは、リスニングの勉強をしながら、朝食を食べているときのような感覚に似ていた。

 意味はなく、音だけになったその言葉は、私の気を紛らわせるには充分だった。

 他にも色んな言葉が頭で流れた。動物なんだから、もともと。何かをしようじゃなくていいんだよ。寝て食って死ぬんだからさ。うん、だからこそっていう考えもいいんじゃないかな。どうでもいいんだよ。

 ああ、やっと私は覆われ、何かがひとつだけ満たされたように感じた。

 死を予感するような、局所だけを予感することで、不安になってやけ食いに走るとき、冷蔵庫に伸びた手を、優しく剥いでいってくれるような、そんな感覚。

 中学に入り、夏休みの課題図書を探しに市立図書館に行った。

 そこで立ち読みした分厚いハードカバーのタイトルが、見るからに怪しい、卑猥な4字の漢字だった。

 中を開いてパラパラとめくると、「さりさりさり」という文字が並んでいて、その字の羅列に怖くなってすぐ本棚に戻した。

 今頭のなかでは、その「さりさりさり」が流れている。

 さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり・・・

 さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり・・・

 粘膜が体に張り付いている感覚が何故かなく、伝わってくるのはこの字だけ。

 さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり・・・

 さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり・・・

 私は、首から上だけが浮いて、その物体の体内に入っていく予感がした。

 ゆっくりと、頭で思う方向に進んでいっている気がする。

 これって、脳で念じると義肢を動かせるってやつと同じ感覚なのかな。

 せせこましいぶにぶにした肉をおしのけ、粘膜を顔にびしゃびしゃ浴びながら、私は大きな空洞の中に入っていった。

 しばらくして開けた場所に出た。四肢が全部ついた私が立つのに充分余裕がある高さで、奥行きは暗くて見え辛いが広そうだ。十畳はありそう。

 私は真下を見てみた。うん、やはり体がない。頭だけ浮いている。髪の毛がもし長かったら髪の毛も切れていたのだろうか。よかった短くて。

 いや、今はそんなことどうでもいい。水だ。池といっていいだろう。

 赤黒い部屋の中に肉でかこまれた池があった。

 私はその丁度真上を浮いているようだ。

 一つ目だった。それも中央に大きな目がついているわけではなく、恐らく二つついていたであろう場所に一つだけ、人間と同じ比率の大きさでちょこんとついていた。

 フォトショップで加工し忘れたかのような不自然さを抱えた小人が、池から浮かんできた。

 壁の肉片を器用につかみ、器用に壁に登っていく。水から出たそれの体は足が一本しかなかった。

 いや、その表現は正しくない。私から見て奇妙だというだけで、彼にとっては完全に違いないだろう。

 足は、おたまじゃくしのような形状で、骨がないように見える。手だけで生活出来るようにか、手のひらが大きく、また指が一見七本以上はありそうで、花びらが肉の周りに咲いているようであった。

 くにゃくにゃと足で上手くバランスをとり、肉片の少し反り返った壁をしっかりと掴んで登っていく。

 一メートルぐらい登ると、そこら中にぼこぼこ空いている穴の一つにすぽんと体ごと入り込んだ。

 その中で器用に体を動かして穴の入り口方面に顔を向けた。彼の寝床なのだろうか。

そう見つめていると、ふと今の自分の姿について疑問が浮かんだ。

 美術の教科書だったっけ?いや図書館の本かな。女の人が指をさしている方に、発光した生首が浮いている絵。

 私今あれみたいな感じ?でも私本当に生首なのかな。違う気もする。脳みそだけどっかに繋がれて夢をみてるのかな。はは、それ何てSF。

 って、ありえるかも。そもそも生首だけで人間生きれないよ。

 ああ、これは夢なのだと思ったけれど、夢だったら、起きたってどう分かるのか。そう考えれば永遠に考え続けれる。

 それもいいかもしれない。そんなことでも暇がつぶせるのなら、なんだって考えていよう。私は今とても冷静。

 冷静になったら疲れた。もういいからこれを終わらせたい。

「・・・・・」

 声が出なかった。口のかすれる音さえしない。舌を出そうとする。何か出る。舌だ。目の端に自分が伸ばしただろう舌が見える。

口はあるのか。じゃあ何故声が出ない?

舌を動かそうとする。あれ、いつの間に目の前にぴろぴろとてかった舌、これ私の舌?

形状は長い以外は人間の舌と大差はない。しかし舌先が細かくたわしのように別れていて、一つ一つが意思を持っているかのように小刻みに動いている。

 四、五分だろうか。眺め続けていた。

 すると舌の横幅がどんどん圧縮されるように縮まり、拳より一回り大きいぐらいの紐になった。

 それと同時にタワシ部分が一斉に広がり、中の空洞が丸見えになった。

 私。私だった。

 出産途中のように頭だけ飛び出て私を見ていた。

 先程と同じ私。でも何か不自然。ああ、そうか、左右対称だからか。これが周りから見える自分なんだね。ふぅん。

「なんなの」

 とっさに私は話しかけていた。

 目は焦点が合っていない。私の方向を向いているのだが、どこか目がうつろだった。

 しばらくして、粘膜で張り付いていたように口をぺりぺりと剥がして、彼女は答えた。

「かわいそうなこ」

「私?」

「かわいそうなこをみつけてあげて」

「は?」

「とても、かわいそうな・・・」

 口からゴボゴボと唾液が溢れ出ながら言う。振り絞るように、目をひん剥きながら。

 目から涙が溢れる。鼻水も垂れ流し、顔は小刻みにふるえている。

「ランドセルのない・・・こ」

「騙されるな」

 急に大きな声がした。声の方向を向くと、先程の一つ目だった。

 ああ、なぜ気付かなかったのだろう。見えない天井のような上の暗闇の正体。

 洞窟の中のコウモリを発見したときのような、大量の一つ目が一斉に穴から顔を出し、私を見つめていた。

 糾弾するかのような、厳しく、怒りに満ち満ちた鋭い目だった。

 私は、立ち竦み(あ、気持ち的にね)何も言えなくなった。目は彼らの方向を捉えて離せない。

 これが驚き。驚きという名の驚き、ベスト・オブ・驚き。

 いつの間にかもう一人の私は消えていた。

それを確認したと同時に意識を失った。


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