09 衝突
三人称。
体調が良くなった翌日、奈美ことニャミはベストを作っていた。
遊びで切り取ったズボンの布を使って、見よう見まねで手縫い。
ルーベルの家には必要最低限のものが揃っている。食料は配達のもので足りて、魔法の薬やおまじないの材料も十分にあり、家を出て買いにいく理由がなかった。
ニャミも未だにルーベルの家から出て街に行く気が起きず、五日間家に籠りきりだ。
別に構わないと思うほど、ルーベルの家は大きいため窮屈さを感じない。
しかし初めて見る街を歩いてリフレッシュが必要なほど、ニャミの気分は沈んでいた。
熱で寝込んでから様子が可笑しいとルーベルは感じていて、ニャミの異変に気付いている。
キッチンに繋がっているリビングで、ベスト作りを黙々と行うニャミが言い出すのをじっと待った。
しかし真実しか話せない"正直者"の薬を服用したニャミは、一向に口を開こうとしない。
そこまで話したくないことがあるのだから、ルーベルは訊くことを躊躇してしまい同じく黙りこむ。
元はルーベルの服を着ているニャミ。Yシャツはぴったりとニャミの身体にフィットしているため、コルセットをつけていなくとも細いとわかるウエストや少し豊かな胸がよくわかった。
ルーベルの目線に耐え兼ねて丈の短いベストを着ているが、黒光りするそれが色気を生み出している。
同じくフィットしている黒いズボンを履いて積極する姿は凛々しいと思っていたが、ソファーに足を組んでいる姿もいい。
ルーベルは見惚れた。
「……そう言えば、ルベルは」
「あ、うん?」
「お城の王様もお客さんなの?」
時間を刻む時計の音だけが目立った沈黙を破ったのはニャミだ。
昨日配達人が言っていたことを耳にしていたらしい。
「あ、やべ。その王様が頼んできた薬、まだ作ってねーや……」
「王様なら最優先でしょ」
「ニャミに会えて嬉しすぎて、すっかり忘れちまった」
ルーベルは笑いかけたが、ニャミはその笑顔を見ることなく無表情のまま指先に集中していた。
「……。多分、ラロファが来るぜ、近いうちに」
「あの、ラロファが?」
王様で思い出した幼馴染みの名前を出してみれば、やっとニャミがダークブラウンの瞳を向ける。ルーベルは安堵した。
「幼馴染みのラロファが城の騎士になった縁で、ラロファを通じて注文が来るんだよ。ラロファはパシリってわけだ」
「……ふーん」
冗談めいてラロファについて話したが、ニャミは笑うことなく冷めた反応を返す。
また俯いて手元に集中した。
そんなニャミを見て、ルーベルは落ち着きをなくす。
「私が会ったことのあるラロファ達とは、ずっと交流があったんだ?」
「おう、腐れ縁ってやつ? 時々クオラの魔法を完成させる手伝いをしてくれたんだぜ。最初爆発ばっかで、皆真っ黒になったりしてさー」
「……ふーん」
ニャミと出会う前から、ラロファ達と交流は続いている。
真の運命の相手と出会う魔法が記された禁断の魔法書をなくしてしまい、ルーベルは記憶を頼りに魔法を作るしかなかった。
ニャミと会ったことのあるラロファ達は、その手伝いをしてくれた。
失敗の連続は可笑しかった。
ルーベルは笑って語ろうとしたが、ニャミはまた冷めた反応を返す。今度は嫌悪をうっすら浮かべていた。
「……どうしたんだよ、ニャミ」
「……」
「昨日から……変だぞ?」
ついに堪えきれず、ルーベルは問い詰める。
ニャミが顔をしかめた。
それから感じたのは、怒りだ。
自分に向けられる怒りに、ルーベルも怪訝に顔をしかめた。
ニャミは答えない。
「ニャミ、一体どうしたんだよ!?」
椅子から立ち上がり、ルーベルはソファーに座るニャミに詰め寄った。
「昨日から! なんなんだよ!? 言えよ! 全部言ってくれよ!」
ニャミの肩を掴んだが、すぐに振り払われてしまう。
ルーベルを見るニャミの目は、鋭かった。
「言うわよ! なんで、なんで今更!? 今更来たのよ!?」
「!?」
「十六年も経ったなら、忘れなさいよ! なんで遅すぎるのに来たのよ!?」
「……なに、言っ…… 」
ニャミの口から出たのは、予想外のものでルーベルは言葉を詰まらせる。
じわりと胸に何かが広がるのを感じた。
「約束したんだから当たり前だろ! オレ達は運命の相手なんだからっ!!」
「"運命の相手だから"!? ただそれだけ!?」
立ち上がったニャミに詰め寄られて、ルーベルは後退りする。
"正直者"の今、ニャミが口にするものはニャミが本心から思っている言葉だ。
ルーベルは、その口から出される本心に怯えた。
「それだけって……オレ達はそばにいなきゃいけないんだよっ!」
「嘘よ!! 十六年、貴方がいなくても生きてきた!!」
「っ!!」
まるでルーベルは必要ないと言わんばかりの言葉に、カッとなり言い返そうとしてしまう。
だが、呑み込んだ。
口に出そうとしたことか、間違いなく、ニャミを傷付ける言葉だ。
感情的になってぶつけてくるニャミに跳ね返してはいけない。
勇ましいほど強く立っていても――――…ニャミは脆いのだ。
本心を隠して嘘の壁の上で、上っ面に笑ってみせなければ、脆く崩れてしまう。
そんなニャミに、迂闊なことを言い返せなかった。
「強すぎる絆? 私は貴方のことを忘れられたわよ! 貴女だって私を忘れられた! 忘れればよかったじゃない!! 君には私と出会うより前から、友だちがいる!! その幼馴染み達で十分でしょ!! なんで十六年も経ったのに今更迎えに来たのよ! 運命の相手だから!? 孤独を埋めるのに必要だから!? 私なんかが、必要なの!? この私なんかが! こんな私が好きなの!? 運命の相手だからってだけ!? 運命の人なら無条件で好き!? 十六年前に一度会ったきりなのにっ、好きだって言うつもり!? 運命の人だから無条件に愛を抱いてる!? 本当に、本当に、それは――――真の愛なの!!?」
ルーベルが黙っている間に、ニャミが溜め込んでいた疑問をぶつけた。
一気に吐き出したニャミは、肩を大きく揺らして呼吸をする。
ルーベルの答えを待ったが、ルーベルは答えない。
すぐには答えられなかった。
ニャミを傷付けない言葉を探しながら、答えを考えていたからだ。
真の愛か。自問自答した。
ニャミの不安が伝わり、ルーベルも不安に襲われる。
ルーベルの恐怖が伝わり、ニャミも恐怖に襲われる。
「……なにも知らないくせにっ……なにも、知らないくせに……好きだの、愛だの、運命だのっ……っ。信じないっ!!」
返答がないことにニャミが痺れを切らして、泣きそうな顔をした。
信じない、そう怒鳴ればルーベルが震える。
ニャミが背を向けて、リビングを飛び出す。
慌ててルーベルが追い掛けたが、ニャミは追い付く前にベッドルームに逃げ込んで閉じ籠ってしまった。
「……昔は……信じたじゃん」
閉められた扉に凭れて、ルーベルは呟く。
瞼に浮かぶ十六年前の出逢い。
幼いニャミは、全てを信じてくれた。
魔法使いだってことも、運命の相手だってことも、すぐに信じてくれた。
大人になって、距離が離れて、壁が出来てしまったニャミに、なんて答えればよかったのだろうか。
なんて答えれば、ニャミは傷付かないで済むのだろうか。
なんて答えれば、ニャミは自分のことを信じてくれるのだろうか。
ルーベルには時間が必要だった。
扉に凭れたまま、ルーベルは押さえた胸の中の感情を確認する。
後悔で一杯だ。
ニャミの後悔で、一杯だった。
ニャミが吐き出した言葉に、酷い後悔を感じている。
それだけは、わかった。
「………………ごめんっ……」
扉の向こうで膝を抱えて踞るニャミが、謝罪の言葉を口にする。
止まらなかった。
吐き出した本心が、ルーベルを傷付けるものだとわかっていたのに、堪えていたものが"正直者"のせいで出た。
想いを疑われたルーベルの顔は――――…傷付いていた。
「……ごめんっ、ごめんなさいっ……」
後悔の波に呑まれて、謝る。
だが、ルーベルの想いが信じられないニャミは本心から疑っていた。
疑わなければ、いけなかった。
自分のために、信じてはいけない。
保身のために、信じてはいけない。
この数日の思い出が、過去と同じく忘れたい汚れた思い出と同じにならないように、信用しきってはだめだ。
それが十六年会わなかった間に、ニャミが覚えた自分の心を守る方法だった。