07 真夏の光ー1
もう死んでしまおう。
そう思い立ち家を飛び出した日は、真夏だった。
初めて行く場所を一人彷徨いた。
真夏だから、睡蓮を見に行こうと探し回った。
素敵な景色はないかと、周りを見回した。
生きたいと、踏み留まる出会いはないかと数日フラフラした。
死に場所を探していたけれど、一方で希望を抱いて探していた。
死を覚悟してまで探しに来たのだから、会える気がしたんだ。
きっと私を救ってくれる存在が現れるって、的外れな確信を抱いていた。
やっぱり、出会えるはずはなかった。
大きな大きな公園のベンチの隣に木が立っていたけど、炎天下から守ってくれるほどの日陰は作ってはくれない。
野宿で眠れるはずもなく、汗すらもあっさりと蒸発してしまう暑さの中、眠気に襲われた。
景色を呑み込むほどの眩しい陽射しがうっとおしかったけれど、まともに寝てなくて瞼を閉じる。
聞き慣れてしまった蝉の鳴き声が遠ざかった。
そこには、誰も私を知る人間がいない。
でも何故だろう。
逆に清々した気分だった。まるで新しいスタートを切ったみたいだった。
死ぬ気でも、ちゃんと希望があって、きっと私を救ってくれる誰かに会えると思ったんだ。
誰かがいる。
そう信じていても、死ぬ気でいても、一向に現れてはくれなかった。
だからふと、悲しくなった。寂しくなった。苦しくなった。
――――きっと、私には誰もいないんだ。
うだるような真夏の眩い光を浴びながら、絶望した。
もう死んでしまおう。
誰も私を救えない。
もう苦しむのはやめよう。
やめてしまおう。
希望にしがみつくのはやめてしまう。
どうせ私は独りぼっちだ。
誰にもこの孤独からは救えない。
私の心を救える人なんていやしない。
やめてしまおう。
もういいじゃないか。
もうなにも背負えない。
孤独が重すぎるよ。
もう生きるのはやめよう。
十分頑張ったよ、これでも精一杯頑張ったよ。
居場所がなくとも、のけ者にされようとも、置き去りにされようとも、傷付けられても、頑張って笑って生きてきたじゃないか。
もういいじゃない。
誰もいないよ、私には。
誰も私を救えない。救ってくれない。
私は独りぼっちだ。
もう死んでしまおう。
涙すらも出ないまま、座れ慣れてしまったベンチでまた眠る。
この眩い光に呑まれて、私も消えてしまえばよかったのに。
当然、目が覚めれば私は、そこにちゃんといた。
眩い光で途切れて見える世界に私は、孤独のままそこにいた。
そしてまた、希望を抱いてしまって、自分の命が絶てなくなって、のこのこと戻った。
異世界での四回目の朝の陽射しは、何故かあの三年前の真夏の陽射しを思い出させた。
「…………?」
天蓋の天井を見つめて、妙な感覚に疑問に思う。
まるで心地よい夢から覚めてしまって、がっかりするような感じがする。
とてもとても、素敵な夢から覚めてしまったような、そんな感じがしてしまう。
あの真夏を思い出す前に、素敵な夢を見たのかと思い出しながら寝返りを打つと、ルベルが隣にいなくて思わず飛び起きた。
ルベルがいない。
その広すぎるベッドルームにいない。
この世界にルベルは――――…いない。
そう感じた。
呆然としてしまう。
ルベルは、いない。ここにいない。私のそばにいない。
まるでまるでまるで、そうだ。
あの真夏の陽射しの中のベンチだ。
眩い光に周りは呑まれて、消える。誰も私を知らなくて、重荷がない。
けれども、本当に誰もいない。
独りぼっちだ。
独りぼっち。
私を、孤独から救ってくれる人がいない。
そんなはずはないと私はベッドから降りて、ルベルを捜そうとしたけど確かにこの家に――この世界に――いないことを感じていて、その場に崩れ落ちた。
いないって、実感が重すぎる。
なのに胸の中は穴が空けられたみたいに空っぽで、風が通り過ぎるみたいに痛みが鈍く広がった。
独りだ、独り。
胸の空白に渦が巻いているみたいに、掻き乱されてしまう。
この世界に来てから初めて感じる孤独。
不安が私を苦しめる。
この数日満たされていた反動なのか、死のうとした真夏の日を思い出したせいか、今までの比じゃない。
痛くて、苦しくて、喚きたくなった。
でも出てこない喉で詰まるから、喉が痛む。
窒息するような息苦しさを感じるのに、私を生かす酸素はちゃんと取り込まれる。
――――もう、嫌だ。
私を追い込む孤独が重すぎる。
楽になってしまいたい。
これを味わい続けるなんてもうごめんだ。
誰か助けて。
ずっと喚きたいくらい叫びたかったけど、いつも出なかった。
助けてって、一言も口から出なかった。
助けを乞える相手がいなかった。名を呼ぶ相手がいなかった。
誰も私を救えない。
「……る……」
いや、いる。いる。
助けを乞う相手がいる。
名を呼ぶ相手がいる。
私を救えない人ならいる。
「……べる……」
名前を呼んで、助けてって言える相手がいる。
「ルベルっ」
ルベルがいる。ルベルしかいない。
この数日私の孤独を埋めた存在。
彼がいないから孤独に押し潰される。彼がいるから孤独から救われる。
「ルベルっ……ルベルっ……ルベルっ!」
悲しみで引き裂かれそうな胸を押さえながら彼を呼ぶ。
返事がなくて、余計苦しい。
泣き叫びかけた時、足音を耳にする。
「ルベルっ……?」
無数の綿が浮かんでは消えていく。
「ここにいるよ、ニャミ」
目の前にルベルがいた。
顔を合わせるより前に、ルベルが両腕で床に座り込んだ私を抱き締める。
ルベルのアイボリーのローブから、花の香りがした。
「ごめん、花を取ってた。ニャミが昨日食べたいって言ってたから。ごめん、ごめんな? オレはいるよ、ニャミのそばにいる」
私のためにインフェルディノで花を摘んで来ていたらしい。
ルベルの温もりを感じて、ほっとする。いつの間にか孤独が消えて身体が軽くなった。
痛みもなくて、安堵だけを感じる。
ルベルは私の背中に回した右手で頭を撫でながら私を抱き締めた。
ルベルの首筋に左頬を押し付けて、ただ私は抱き締められる。
あったかい。ルベルの匂いを吸い込んで、温もりを堪能する。
ぺちぺち。
頭を撫でていたルベルの右手が、私の右頬を叩くように触ってきた。
「ニャミ、熱い」
どうやら私の体温を確認しているようだ。
「……寝起きのせいよ」
「いつもより熱い」
「……私の平熱がわかるほど、毎朝抱き締めてたの?」
「いつもより熱い。熱だろ、計ってご飯食え」
ルベルはそのまま私を抱え上げるとキッチンまで運んだ。抵抗する気がない。
どうやら、熱が出たみたいだ。
少々デリケートなところがあるから、慣れない環境からの疲れだろう。
水銀体温計を口に入れて体温計を計っている間に、ルベルが卵のスープを作る。
「ほら、熱じゃん。三十七度八……ギリギリだな」
「ごめん……慣れない環境のストレスで……」
「謝るなよ。看病してやるから、早く治せ」
思った以上に熱があった。微熱かと思ったのに。
テーブルに腕を置いて顎を乗せながら、ルベルに謝罪する。
ルベルは看病することが楽しいみたいに、優しく笑って見せると私の朝御飯を作り続ける。
その背中を、ぼんやりと眺めながら、あの真夏を思い返す。
「自殺しようとした日……」
「ん? あぁ」
私が口を開けば、ルベルは手を止めて私と向き合う。
「出発した時は……冒険するみたいに、希望を抱いてたの……孤独から救われる場所に行き着ける気がして……数日間、歩きさ迷ったの」
「……うん」
「私は、最後の賭けで、最後の希望で、最期の逃亡にする、つもりだったんだ……死ぬ気なら、きっと救われる気がして」
「……うん」
じっとルベルは私を見て話に耳を傾けてくれる。
私は、ぼんやりとする。
熱のせいだ。
「出会いもあったの……寝ようと夜の小さな公園のベンチに寝転がった。そこにカップルが別れ話してて、失笑しかけたよ。そのあとにね……自転車の旅をしてるお兄さんが来てさ、少しだけお話したんだよ。せっかく話し掛けてくれて、いい人だったのにね、私ってば眠気に負けちゃったの。孤独から……救ってくれるかもしれなかったのに……。でもね、でもね、でもね、眠気が酷すぎたからさ、幻覚かもしれない。私のそばで、カップルが別れ話とか……人のいいお兄さんとの出会いとか……えへへ、顔すらまともに見えてないくらい、睡魔酷くて……幻覚だったなぁ、って思う。死に場所を探して三日近く寝てなかったから……幻覚だねー……夜の公園の隅からお化けでるかと思ったよ……」
思い出しながら笑ってルベルに話す。
誰にも出会わなかったわけじゃない。死に場所を探してたけど、出会いがあった。
幻みたいにはっきりしないけど。
今思えば、ただの幻だったのかもしれない。
「ただね……それだけー」
「ふぅん……」
熱で意識がぼんやりする私は、口元を緩ませる。
落ちがない話に、ルベルはつまらなそうな反応はせず、ただ微笑んだ。
「死ぬ気になっても報われないんだって……思い知ったな。ま、努力の方向が誤ったのだけど…………あー……今も幻覚見えるわ、やべ」
「……?」
「ちっちゃい人間が……テーブルにいっぱい……」
「…………」
腕と顎を乗せたテーブルには、小さな小さな人間がたくさんいる。
大きくて十五センチ。へそだしのお姉さんが私を見上げている。
ダルマみたいに太った小麦色のお兄さんがズシズシとテーブルの上を歩いていた。
幻覚にしては、リアルだな。
見上げてくるお姉さんは、ホットパンツ。
手先と耳が尖っていて、青い目は真ん丸で大きくて瞼が見当たらない。眉毛もない。鼻が尖ってる。
あれ、人間らしくない顔立ちだな。
じっとお姉さんを見下ろしていたら甲高い声で喚かれた。
お姉さんの声にテーブルに寛いでいたオッサン二人が振り返る。
オッサン二人は、ゴブリンみたいなおっかない顔をしていた。
顎が突き出て下唇から牙が二つ出ている。私を指差して喚いた。こっちは喉太い声。
「妖精だ。熱上がったな……ほら、ベッドで休めよ」
「え、これ妖精なの?」
「体温が三十八度に上がると見えるんだ。そういう特殊な粉を纏った種族で、この国ではリビングや廊下に住み着く」
「え、住み着いてるの? 見えない妖精住み着いてんの?」
「代わりに掃除をするんだ、オレは粉をもらうけどな。ほら、ニャミはベッドで寝てろ。薬とスープを持っていくから」
ルベルは私を抱えあげると、話しながら私を寝室へ運ぶ。
「ついてくるよ」
「見える奴に遊んでもらいたいんだよ。小さい子どもが高熱出した時は要注意、死亡ケースがあるから」
「……妖精こわっ」
ルベルの肩に顎を置いて、パタパタ廊下を歩く妖精を眺めた。
構ってほしくて追い掛けてくる
それが可笑しくて、笑う。
「ルベルは小さい頃、遊んだの?」
ベッドに下ろされたから、浮かんだ疑問をそのまま口にして問う。
「ちょっとだけな。強面のオッサンが二人、見えなかった?」
「あ、いたよ」
「言葉通じないけど、互いになんとなくわかるんだ。そのオッサン達、いつも喚いて小突きあって笑わせてくるんだぜ」
「へー……」
布団をかけながらルベルは笑って話してくれたから、私も笑う。
幼いルベルと小突きあう妖精を想像して、微笑ましくなった。
そのあともルベルが妖精に関するエピソードを話してくれたけど、頭が痛くなったらすぐにスープを持ってきて食べ終えたら薬を飲まされる。
ルベルが作った薬みたい。
薬剤師にもなれちゃうルベルがすごい。
薬を飲んだから眠くなってしまったから、そのまま眠りに落ちた。
「リヴェスさん、お願いしますよー。今夜デートなんです!」
「うるせ。今日は、休みだっつーの。配達済んだんだから帰れ」
「お願いします! 媚薬を売ってください!」
「他所を当たれ」
「国王陛下も腕を買ってるリヴェスさんの薬がいいんですよー!」
「休みだって言ってるだろうが!!」
玄関の方で喚いている声がベッドルームまで届いて、私は目を覚ます。
魔法の薬ではなく、ゆっくり効く薬らしくまだ熱を感じる。
額には濡れタオルがあった。ルベルか……。
配達は、多分牛乳や卵やお肉を定期的に家に配達してもらっているって言っていたからそれだろう。
買い物要らずだから、未だに私は街に出ていない。
媚薬をしつこくねだる配達のお兄さんが、ルベルを国王陛下も腕を買ってる魔法使いと言った。
国王陛下って城に住む王様のことかな。
国王様のお墨付きだから、態度悪くともルベルの元に客が来るのか。納得だ。
相当ルベルの魔法使いとしての名が売れてるんだなぁ……。
「………………」
視線に気付いて頭を上げた。
ドレッサーの前に、男の人がいる。狐目……正しくは糸目のお兄さんが頬杖をついて、口元はにっこりと笑み浮かべて私を見ていた。
誰だ、この人。
熱で意識が虚なせいか、私は驚くことなくぼんやりと見た。
雪みたいに、白い髪だ。
ウルフヘア。狐目なのに、狐目なのに、ウルフヘアだ。
男の人が、目を開いた。
細いけど、今までは瞼を閉じていただけらしい。
細い瞳は真っ赤だ。
ルビーのように、真っ赤。
彼は黙って見ると、立ち上がり開いたままの扉を潜る。
入れ違いにルベルが戻ってきたけれど、白い男がまるで見えていないみたいに反応しなかった。
あれ、大きな妖精かな?
なんとなく、人間のようには思えなかった。
「ルベル……寝室まで妖精が入るのは、どうかと思う」
「は? 妖精は入ってこねーよ、リビングとキッチンと廊下だけ」
「でもさっきまでいたよ」
「妖精じゃないんじゃないか、それ」
「確かに妖精というより、狐の妖怪かにょわ……」
「は? もう、寝てろよ。あと数時間寝てれば良くなるからさ」
ルベルに今のさっきまで大きな妖精、というか狐の妖怪がいたことを伝えようとしたのに、舌が回らなかった。
ルベルが厚いカーテンを締め切ると部屋は薄暗くなる。
いいや、あとで話そう。
私はまた眠ることにした。
さっきの狐の妖怪。
どっかで会った気がするなぁ。