06 恋愛経験
ニャミ視点。
仄かにオレンジの香りがする。
カーテンが締め切られていない窓から、射し込む朝陽が連れてきたのか太陽の匂いもした。
まだ瞼を閉じたままでいたい。
この心地よい眠りにもう少し浸りたくて、深く息を吐いた。
隣で寝返りをした気配がする。
腕が伸びてきて、私の腰に回されて引き寄せられた。
吐息を額に感じる。身をよじらせれば、彼の肌に触れる。
同じボディーソープを使ったから、同じ匂いがした。
彼の首筋だろうか。彼自身も香りがする。そこに顔を埋めた。
いやいやいやいや、だめだろう。
私は覚醒して、そっと寝返りを打ちルベルに背を向けて離れようとした。
「んぅ……」
小さく声を漏らして、ルベルは私を引き寄せて放さない。
捕まった。
呼吸からしてまだルベルは眠っているみたいだ。私の髪に顔を埋めて匂いを深く吸い込む。
何かを探すみたいに、右腕がふらふらと動いて私の目の前のシーツを撫でる。
それから私の折り曲げた脚に行き着き、膝に置かれた。その手が、すりすりとゆっくりと膝を撫でる。
次は太股にいき、薄い橙色のスカートも引き摺っていくものだから、後ろのルベルの腹に肘を叩き落とした。
「うぐっ……なんだ、よっ」
やっぱり寝惚けていただけなのか。どっちでも許さないけど。
「おはよう、ルベル」
「んー……おはよう、ニャミ」
起き上がり背伸びをする。
心地いい眠りからの爽やかな目覚めだ。
ほっと、息をつく。
「朝飯、何にする?」
まだベッドに横たわるルベルは、欠伸をついたあとに私をご機嫌な笑みで見上げた。
「一緒に作りましょ」
「うん」
ルベルは起き上がると、キッチンの向こうにあるトイレに向かう。
私はバスルームに行って顔を洗い、ズボンを履きながら歯を磨く。
運命の赤い糸で繋がった相手といきなり同居生活。
恋人という認識をするには、まだ日が浅すぎる。ルベルもまだ身体を求めてきたわけじゃないし、そもそも互いに恋愛感情があるかは謎だ。
運命の相手だから、必然的に恋愛感情があるのかもしれない。
でも自覚はなかった。
もう少し、時間をかけて考えるべきね。
……そう言えば、ルベルは、どうなんだろう。
ずっと私を忘れずにいたルベルは、どうなのだろうか。
運命の相手だってことを抜きにして、私のことをどう思っているんだろう。
孤独を埋める存在ってだけ?
「……ふぅ」
考えたら、キリがない。
正直者モードの今、うっかり問い詰めてしまいそうだから疑問は頭の外に追いやる。
もう少し、ここにいたい。それが私の意思だ。
それははっきりしてる。
昨日魔法でサイズを合わせてくれたズボンを履く。Yシャツはかなりフィットする。その上に黒いベストを着た。
髪を耳の前だけ垂らす。あとは後ろで団子結び。
なめらかで艶やかな髪。
橙色を帯びた毛先を指で絡める。それを繰り返しても跡はつかない。だからワックスだって言っていた薬を手にして塗って、軽くカールを作った。
その日も魔法商売をしながらルベルと一緒に過ごす。
相変わらず接客は二人揃って態度が悪いけど、それでもおまじないは数個売れた。
インフェルディノに行く魔法を作ってくれと言う若者には、売るのを拒否した。
胆試しに行くと言うからだ。
暴言を吐きまくって客を徹底的に貶して追い出してしまった。
ルベルは、面白がってソファーでお腹を抱えて笑った。
「ルベルは、恋のおまじない使ったことある?」
すぐにお客に提供できるようにストックを作るのを手伝っている時に、ふとした疑問が口から出た。
ルベルには何を言ってるんだと言わんばかりの顔をされる。
「ニャミがいるのに、他に使う相手がいるとでも思ってるのかよ」
「え、いないの? 十六年間、他には目もくれなかったなんて言うの?」
「当たり前じゃん。そういうニャミは、オレのこと忘れ去って他の奴に恋してたんだ?」
作業をしながら、ルベルは唇を尖らせて私を咎めるような眼差しを向けてきた。
「ええ、そうよ。小学校からの想い人が私の初めての恋人だし、生徒会長にはラブアタックしまくったし、かっこいい歳上にも恋したわよ。素敵な既婚者にもメロメロ、だからあの女の子な気持ちわかったのよ。なのに貴方は一人も好きな人いないの?」
少しだけ私の恋愛を語ろうとしたけど、ほとんど言ってしまった。
おのれ、正直者モードめ。
ルベルの顔がますます不機嫌に染まるものだから、目を逸らす。
「……オレがありながら……付き合ったんだ……?」
「数人ほど……ほら、私、貴方のこと忘れてたし……」
「……フッ」
なんとなく怖い雰囲気を放つルベルに強張ったけど、急に彼は鼻で笑いをした。
「そいつらと、どこまでいった?」
「……わかってるなら、問うな」
ニヤリと片方の口角を上げて私を見るルベルは、答えをわかっていながら意地悪に質問してきたので今度は私がしかめる。
「交際期間は半年もなかっただろ、そんなに多く複数を好きになったんだから」
「ぐっ……」
「その好きが、愛にならなかったから、最後までいかなかったんだろ? なら許す」
「ぐぅ……何が許すよ、何様よ」
「運命の相手様」
正直に話したことが仇となり、全部バレた。
ルベルは深い仲まではいけなかったことを知ると、ご機嫌に作業に戻る。
「そうよ……交際相手がいるってことすら忘れるほど希薄な想いだったわよ」
「そりゃひでーな。オレのことはもう忘れられないぜ」
ルベルは笑う。自分が一番だと鼻を高くした。
グリグリとすり鉢で材料を擂り潰しながら、私は膨れる。
確かに交際期間は短い。熱を上げてアタックしても、半年も熱は持たなかった。
クラスメイトが恋愛について黄色い声を上げて話すのを目の前で羨ましいと思った瞬間に、「あ、カレシいるんだった」と思い出したことがある。
相手をそれほど想っていなかった証拠だ。
勿論昔の恋人にはすら苦しみを打ち明けたこともなく、デートを重ねただけ。
せいぜい頬にキスや、手を繋いだだけだった。
昔の恋人にすら、家庭の問題を話さなかった。ただ笑いかけた。
どんなに苦しい思いをして母親のいない、他人扱いを受ける家に一人きりで膝を抱えているか。
「なによ、これじゃ私が遊んできた尻軽女で、ルベルが包容力あるかっこいい待つ男みたいじゃない。歳上っぽくないくせに大人ぶってムカつくっ!」
「本心だな、それ。オレはニャミ一途だもん」
ルベルはやっぱり笑う。それは大人の余裕というやつか。悔しい。
子どもっぽく笑う駄々っ子魔法使いに年下扱いされてることに腹が立つ。
「じゃあルベルは、私を抱きたいと思ってるの?」
男だし身体の浮気はどうかと、遠回しに性欲についても探りを入れようとしたら、とんでもない直球な質問が口から飛び出した。
「……うん、はっきり言って今すぐにでも抱きたい。抱いていい?」
「だめ」
ルベルも目を丸めたけど、本心らしきことをぶっちゃけて、こっちも単刀直入に言ってきた。
私はキッパリお断りする。
「ニャミはオレを思い出したばっかだしな、待つよ。十六年待ったんだし、一ヶ月でも半年でも一年でも待てるくらい、ニャミがいるだけで今は満足!」
にっとはにかんでルベルは、本当に嬉しそうに笑いかけた。
一ヶ月でも半年でも一年でも。
やっぱり望む関係はそれか。
当選だ。運命の相手だから、愛し合いたいに決まってる。
「でもあれだな」
ルベルは付け加えると、頬杖をついて私を見つめた。
「そばにいるだけで満足なのに、キスして、触れて、抱いたらさ――――――…幸せすぎて死んじゃいそうだって思うかもな」
眩しそうに微笑むと、ルベルは私が垂らしている髪に触れてスルリと指を通して放す。
抱いたら、幸せすぎると思うだなんて、大袈裟よ。
「十六年の空白があるしさ、初めての時は記憶に残るようにロマンチックにやろうぜ」
「……ロマンチストなんだ?」
「本当は再会したら押し倒す気でいたけどな。ニャミが今いいって言うならすぐヤ」
「やらん」
「ちっ……本心から言われると悔しい」
ロマンチックを目論むルベルが、また単刀直入に言い出す前に正直者モードで断る。
今度は悔しがり膨れっ面をした。
ルベルが紳士的に待つことと、ロマンチストだってことを知り、私はこっそり笑った。
「ニャミって想像と違って、色気あるよな」
「想像の私はどんなの?」
「ちっちゃい頃のニャミをまんま大きくした感じ」
「……ないわ」
幼い頃の私をそのまま大きくしたのを想像したのなら、予想外だったろう。
夢で客観的に見た幼い頃の私は、純粋無垢で無知で能天気だったじゃない。
「そんな二十才の女なんて、ピンクのドレスを着て頭に花をつけて、ぽけーと宙を眺めてるタイプじゃない」
「いや、そんなのは想像してねーし」
「想像と違いすぎて幻滅したでしょ。こんな毒舌女で」
「幻滅なんてしねーよ。どんな成長したって、ニャミはニャミだろ」
ルベルは手を振り笑い退ける。
どんな成長をしたとしても、私を連れてきたのだろうか。
「ブスだったり、巨体なデブでも、ルベルは拉致した? 再会したら抱き締めた?」
「……多分。美人になる薬もあるし細身になる薬もあるし、ニャミが望むなら改造した」
「つまりは結局は美人に仕上げたいわけね」
「多分な、今のニャミは美人だし考えらんねーや。今のニャミで満足してる。こんな美人で面白い運命の相手なんて、オレ超幸福者だ」
もしもの話はつまらないと言わんばかりに手を上げると、ルベルは私が擂り潰したものを魔力を加えて瓶に詰めた。
満足しているから、今の私以外を想像もできない。
私も同じだ。
ルベル以外なんて想像できない。
でも、一つ思い浮かんだ。
私が運命の相手じゃないなら?
その質問は飲み込んだ。