30 魔界の狐ー7
「…………おもろないわ」
ロウの声に反応して、ニャミが見ていれば不機嫌に九つの尾を揺らして頬を擦る。どうやら到着したルーベルに殴り飛ばされたらしい。
「なんだと!? げほっごほっ!」
「ルベル!」
訛りではっきり理解できないが、ロウが気に障る発言をしたと感じたルーベルは睨む。
毒に蝕められているため、起き上がってすぐに目眩を覚えて咳き込んだ。
「ルベル、ダメ。薬草を手に入れたから、解毒を」
「信用できるかっ! ニャミを食べる気なんだぞ! コイツ、うっ、は」
立ち上がりロウと向き合うルーベルに、手に入れた薬草を飲むように言うが拒む。
ロウを信用できないのだ。
しかし飲まなければ、毒で息絶えてしまう。
「アイツはっ、言ったんだっ! 食うって!」
「ロウ、貴方何か言ったの?」
「単なる悪戯や」
フラフラするルーベルを支えながら、ニャミはロウに問い詰めた。
ロウはあっさり白状するが、悪びれた様子は微塵も見せない。単なる嫉妬心からルーベルをおちょくるためにした悪戯に過ぎない。
ニャミに好意があるのだ。
いくら今の幸せがルーベルが与えていると言っても、嫉妬がないわけではない。
そもそも離れるべきだと思っている。
「ニャミ出るぞ!」
ルーベルはニャミの腕を掴み、出口に向かう。支えなくしては上手く歩けないため、ニャミが支えながら歩んだ。
「ルベル、薬草を飲んで」
「いらねーって」
「いらないじゃないわよ」
頑なにルーベルは薬草を口にすることを拒む。
意地を張るが弱っている。
家に帰ったら飲めるように擂り潰して無理矢理飲ませよう。
まだ猶予があるため、ニャミは今は諦めた。
先ずはピアーを迎えに行こう。
「ピアー。お待たせ」
洞窟を出れば、目映い光の後に茂る森と巨大蠍の死体。
蠍の尻尾を滑り台がわりに遊んでいたピアーは猫サイズに戻っていた。
ニャミに呼ばれてすぐに駆け寄る。
途中、こてんと転んでしまったが、でんぐり返ししただけだと言わんばかりにそのまま起き上がりニャミの足に体当たり。
ゴロゴロと喉を鳴らしながら、顔を擦り付けた。
「よくできました。毒は喰らってない?」
「ケプッ」
「ご馳走様?」
ニャミが抱え上げてみれば、立派な鬣をつけている深紅の猫はゲップを漏らす。
見たところ四匹を無傷で倒して、蟹を堪能するかのように味わったらしい。
ニャミは苦笑しつつも撫でて褒めた。
「ピアーは無傷で倒したのに、リヴェスはんは毒にやられるなんて……ほんま弱い男やなぁ」
「……あ?」
そこで発せられたのは、ルーベルの神経を逆撫でする言葉。
洞窟を出るまで黙っていたロウを、ルーベルもニャミも振り返る。
にっこり、ロウはただ笑っていた。
「そんなんでメテオリティコから、ナミちゃん守ろうなんてお笑いもんやなぁ」
「はぁ……?」
ロウは軽い足取りでニャミに歩み寄れば、右手を取りくるりと回転させながらルベルから離して自分に引き寄せてからピアーごと両腕で包んだ。
カッとなり殴り飛ばそうとしたルーベルだったが、目眩でふらついてしまう。
「こんなん弱い男といても、巻き添えで死ぬ結末しかあらへん。なぁ、やっぱり俺とミラディオコロの世界の旅に行こう?」
「なん……だと!?」
恋人の目の前で、堂々と世界の旅へお誘い。
忽ちルーベルが驚いた顔を怒りに染める。
ニャミは呆れながらロウを見上げた。
「行かないって、言ってるでしょ」
「ニャミから離れろ!!」
「ルベル、ロウは私が好きで言ってるだけよ」
「わかってんだよ、そんなことは!! だから近付くな!!」
ニャミの腕を引っ張り、ルーベルは離すとロウと対峙する。
ギロリ、と睨み上げた。
ニャミが好きだから食べないことは理解できたが、尚更近付けたくない。
ロウは、にこりと笑みを深めてただ見下ろす。
「アンタんとこにいて幸せなのは、一時だけやろ。今だって毒でフラフラなんや、ピアーにも俺にも勝てないアンタが、ナミちゃんを守るなんてどの口がゆーん? アンタから離れて俺と旅する方が彼女も充実した人生を送れる」
「ふざけんなっ!! てめえなんざ、毒に侵されても勝てる!!」
「ほう? 試してみるかい?」
ルーベルは神経を逆撫でされて、ぶちギレた。
その言葉を待っていたと言わんばかりに、ロウが赤い瞳を見開き笑みを深める。
「俺が勝ったら、ナミちゃんを連れていく」
「オレが勝つっ!! 金輪際オレの家に入るなよっ!!!」
即座に決闘が決まり、互いの勝利後の要求を示す。
ニャミは呆れて目を回した。
「男の嫉妬って奴は……」
ニャミの意思は決まっているのに、はっきり勝敗を決めなければ気がすまない。
毒に侵されているルーベルの勝算は低いが、万全であろうともロウは自分が強いと自負している。
ルーベルがいかに自分を過信しているか、そしてルーベルが無様に負ける姿をニャミに見せることが目的だ。
ロウの見えすいた目的なんてお構い無し。意識が朦朧としかけているルーベルは、ロウを負かせて接近を禁じることしか頭にない。
ニャミは命懸けでとった薬草を見てから、溜め息をつく。
いくら猶予があっても、毒に対抗する体力が残っていなければ死んでしまう。
だが抵抗できなくなるまで弱ればニャミも薬草を飲ませやすい。
頃合いを見て、ピアーに止めてもらうことに決めてニャミは傍観を決めた。
ピアーを抱えて、ニャミは毒蠍の巣である山をよじ登り、座れる所に腰を下ろして見下ろす。
ローブを脱げ捨てたルーベルは、顔色が悪いまま立ち向かう。
「…………」
そのルーベルを見ていると、何故だろうか。
胸焼けが増す。ニャミは、胸を擦った。
そんなニャミに気を遣ったつもりなのか、膝からも山からも降りたピアーは蠍の尾を運んだ。
「……これを、どうしろと?」
ピアーは褒めて褒めてと言わんばかりに、丸い丸い瞳で見上げてくる。
毒液が垂れる蠍の尾を差し出されて、褒めるべきか。
「ありがとう」と迷った末に頭を撫でておいた。
「さて、弱ってるリヴェスはんの戦闘スタイルは把握済みや。だから、俺の能力を紹介するわ」
ブン、と裾ごと右腕を振ったロウは、魔力で作り上げた炎の玉を宙に浮かせた。
ルーベルの目には、二つの炎の玉が映る。
「幻影。今リヴェスはんには二つ見えとるやろ? けどなぁ、アンタにダメージを食らわせる玉は一つだけや」
「なに!?」
「どっちがぁ――――…本物かわかるかいな!?」
立てた人差し指と中指をロウがルーベルに向ければ、その炎の玉が向かった。
左右から迫る玉は、どちらかが幻覚。或いは両方が現実、または幻覚。
ルーベルの目には、両方が現実に思えた。
右に避けてルーベルは右からくる炎を、左耳の耳たぶから垂らす翡翠の宝石に魔力と共に指先で触れて跳ねる。
魔法で防壁を作り上げた。
ボォンッ!!
魔法の防壁に衝突した途端炎は爆発したように弾けた。
しかしルーベルは違和感に気付く。
手応えが、まるでない。
「残念、外れや」
「!!」
今のは幻だ。
にやりと笑いロウは左の炎の玉を、クイッと指先で操りルーベルの背後から向かわせた。
背後から迫る玉を防ごうと、ルーベルはまたピアスを弾く。
ドオンッ!
「ぐあっ!」
防壁で防ごうとしたが、魔力の込め方が甘かった。防壁と炎は相殺。
その衝撃でルーベルは吹き飛ばされて地面に叩き付けられた。
「負け、認めるかい?」
「……っ誰が!!」
地面に転がるルーベルを嘲笑うロウ。
思うように身体も魔力も操れない苛立ちと、ロウの嘲笑で怒りが爆発してルーベルは立ち上がった。
「愛の女神よ、我に美を与えたまえ!」
唱の魔術で愛の女神こと植物の精霊から、魔力と引き換えに力を借りようとする。
しかし森から反応がない。
「くっ……!」
不安定な魔力の込め方のせいで、魔術が発動できないでいる。
今の身体では、唱の魔術は使えない。
「さぁて、一つ増やすで?」
ブン、と裾を振り今度は三つの炎を出す。
今度はどれが幻で、どれが現実か。
三つを観察して見定めてから、しっかり防壁を使う。
しかし――――…。
「後ろががら空きやで?」
「なっ!?」
真後ろから声。
振り返ればロウがいた。
腕を振り殴ろうとするが、またもや手応えがない。
幻だった。
ハッとして炎に顔を戻す。目の前だった。
慌ててピアスに触れて防壁を作るも、また耐えきれず崩壊。
ルーベルは吹き飛ばされて地面に倒れる。
「ぐっ……うぅっ」
グラリと回る感覚。
倒れる度に身体が倍重くなるように感じてしまう。
集中力も欠けるこの状態では、ロウになぶられるだけだ。
ルーベルは、額を押さえながら立ち上がる。
「あれあれー? リヴェスはん。毒に蝕められても、俺を倒すんやなかったかい? 俺に何も攻撃してへんやないかぁ。降参して大人しく解毒を飲んでナミちゃんとお別れしなはれ」
ロウは余裕綽々で一つの尾の毛並みを整えながら、見下して笑った。
ルーベルは牙を剥き出しにして威嚇するだけの弱った犬にしか過ぎない。
唸るルーベルは、ロウが背にするニャミに目を向けた。
両手で薬草を握り、ルーベルを心配した眼差しで見守っている。
ニャミのためにも、勝利しなければならない。
否、勝利する。
「倒せるっつーの!!」
地面のローブのポケットから、黄色い粒をつけた小枝を取り出して発動させた。
魔力で砕けたそれらが輝き雷鳴が轟く。
魔法で作り出した雷は辺りに落ちる。なんとかコントロールして、ロウに当てようとした。
「うあちっ!」
尾の一つに当たり、焦げ目を作る。
地面を焦がしながらロウを黒焦げにしようと、軌道がぶれながらも向かわせた。
バチバチと迫る雷を、ロウは地を蹴り避ける。
「こっちはこれや!」
離れたロウが袖を振れば、十の炎の玉が宙に現れた。
「なにっ」
「さーて、どれが本物か、わかるかい!?」
一瞬気を取られただけで魔法の雷が解けてしまう。
ルーベルは防壁で一時的に防ぐが、どれが本物かわからないまま崩壊させられて吹き飛ばされた。
またもや地面に倒れたルーベルは、咳き込む。身体が重すぎる。
「今の状態じゃあ、尻尾に噛み付くしかできないやないか。リヴェスはん」
尾の毛繕いをしながら、ロウはまた嘲り笑う。
「さぁ、負けを認めろ。ナミちゃんを守る力など、自分にはあらへんとな!」
赤い瞳を細めて言い放つロウに、ルーベルは悔しさが込み上げた。
千年生きた魔界者にただ弄ばれている。
敵わない。
例え身体が万全な状態でも、ルーベルにロウを倒せるほどの魔法が思い付かなかった。




