23 親なし子
「はぁ、疲れた……」
一時間こってり叩き込まれたニャミは、へとへとで溜め息を溢す。
ラロファも素人相手に容赦が無さすぎる。彼の実力は十分に思い知った。
「なんで? 散歩がそんなに疲れたのか?」
「ラロファの相手は疲れるんだもん」
「ふーん」
隣に立つルーベルが問うため、短く本音を答えておくニャミ。
そんなニャミの頭をルーベルは撫でた。
場所は城のバルコニー。
ここからだと夕陽がこの国で一番美しく見える場所だからと、ルーベルは帰る前に連れてきた。
まだ太陽は沈む前だ。
手摺に腕を置いて並んで眺めた。
頭を撫でられたニャミは笑みを溢す。
その照らされたニャミの横顔をルーベルは見つめる。
「……なぁ、ニャミ。さっきの話は……本心なんだよな?」
「んー?」
「ほら……子どもの話」
ちゃんと話を聞きたくて、ルーベルは持ち出す。
「嫌なの?」とニャミは顔を向けた。
「嫌なわけないじゃん。でも意外、ニャミってそういう願望薄いと思い込んでた。気儘な生活がしたそうだから、ずっと二人かなぁって思った。ニャミさえいれば、二人きりでも……三人でも四人でもいいけど」
捕らわれることを嫌がるニャミが子育てを望むとは思っても見なかったため、二人きりだとばかり思った。
ニャミさえいてくればルーベルは満足だが、子どもがいる家庭的な未来もいい。
「私が本心しか言えないことは知ってるでしょ」
ニャミは本心だと肯定して笑って、遥か遠くの山の後ろに沈み始めた夕陽を眺めた。美しい街が陽で掻き消されるほど、眩い。
橙色の夕陽を浴びたニャミは眩しすぎて目を閉じる。
「目を瞑ってても夕陽が見えるよ」
瞼から橙色の光を味わう。
ルーベルはそのニャミの横顔を見つめた。
橙色の光に照らされた愛しい人の顔を見つめて、堪えきれなくなりルーベルはニャミの頬に手を当てる。
ニャミが目を開き目を合わせてから、唇を重ねた。
指を絡ませて握り合い、橙色の夕陽を浴びながら口付けを交わす。
「あら、まぁ……」
輝かしい恋人を見ていたのは、隣のバルコニーにいる女性。見られていることに二人は気付かない。
白金髪の女性は青い瞳を細めて、微笑ましく二人を見つめた。
ふわふわと舞うシャボン玉を、立派な鬣を生やす猫が飛び付く。ニャミは笑いながら、キセルでシャボン玉を作ってやった。
「……なぁ、ニャミ」
「ん?」
「……」
向かいのテーブルに座るルーベルが何となく呼んでみる。
振り返って真っ正面から見たニャミは、頭の後ろにつけたリボンが丁度猫耳のように見えた。
二人きりというより、二人と一匹の生活。
そして家には猫が二匹いる。
「いや、なんでもない」とルーベルは誤魔化した。
「リューリ殿下、可愛いよね」
「あー、なんか好きな女がいるから魔法の勉強頑張ってるらしいぜ」
「なにそれ、可愛いー。ルベルにそっくりで可愛いねぇ」
仕事がこないため、ニャミは昨日の話題を出す。
ますますリューリの好感度が上がるニャミに、ひとくくりにされた上に可愛いと言われてルーベルは不機嫌な顔になる。
「一途で努力家なところ、かっこよくて可愛いって思う」
「……可愛いは取り消せよ」
「じゃあかっこよさを頑張って出してよ、ロマンチストさん」
不機嫌な顔をするルーベルをニャミはピアーと遊ぶように軽く扱う。
これ以上、どうかっこよくなれというのだ。
ルーベルは膨れた。
ニャミが可愛さを取り消すほどのかっこよさとはなんだろうか。
そこに客人が来た。
ニャミは跳ねるように立ち上がると軽い足取りで向かう。
扉を開けば、無精髭で赤みかかった茶髪の男性が立っていた。
おお、かっこいい。ニャミはなかなかのイケメンだと評価した。
きっと惚れ薬を求めてきたわけじゃないと思い、笑顔で「いらっしゃいませ」と出迎える。
ピクリ。笑顔は後ろからでは見えなかったが、声音から笑っていることがわかりルーベルは嫉妬する。
そのイケメンは敵だと認識して睨むように見上げた。ルーベルより長身だ。
「あー、えっと……魔法を買うのは初めてなんだが……その」
初めてで躊躇している男性を、ルーベルが睨むため引き腰だった。ニャミは優しく笑いかけて中に案内する。
早速用件を聞いた。
「実は息子が、気弱すぎて……その、精神面が強くなるような薬は、あるだろうか?」
「お子さんはおいくつですか?」
「えーと、六歳になったばかりだ」
ソファーに座っても落ち着かないのか、男性はネクタイをいじる。
「六歳に気を強くする薬ですか?」とニャミは笑いながら問う。
その話に恥を感じているのか、額に手を当てて俯いた。
「三年前に母親を亡くして……それから、泣いてばかりで、引っ込み思案になってしまいまして…………たかが片親がいないだけで、手に負えない子になるのは困るのです。使用人も困っていて、それで魔法を試すことに…………えっ?」
魔法に頼るほど、息子は手に負えなくなってしまったから訪ねたのだ。
恥を承知で優しく笑いかけたニャミに打ち明けた男性だったが、反応は予想と外れた。
ニャミの顔には、嫌悪と軽蔑でしかめっ面になっている。
感情に反応して、膝の上にいたピアーが男性に飛び付く態勢になるが、ニャミは両手で押さえ込み阻止した。
ルーベルはただ見守ることにする。
「たかが? たかが片親ですって? 失礼ですが、貴方は両親がいましたか?」
「え、あ、はいっ……」
「両方の親がいて二人から愛をもらって、それが当然だと思って育ってきた貴方にはわからないでしょう。片親だったり両親がいない子どもはとってもすっごく悲しいことなんだ!!」
突然のニャミの大声に、男性は震え上がった。
ニャミは片親、ルーベルは両親を早くに亡くした親無し子だ。
「子どもに母親が必要なのは当然です! 泣いて当然、引っ込み思案になって当然! それをたかがなんてよく父親の貴方が言えたものですね! 生物学上、父親の方は不必要だそうですけど!? あ、今のは忘れてください、貴方に失礼すぎました、子どもには両方必要だと私は思います。私には父親がいませんでした、継父が出来ても愛されず孤独を与えられました。ま、それは関係ありませんが。貴方はもっと息子の寂しさと悲しみを理解してあげるべきです! 妻を亡くされた貴方だって、悲しみがあるでしょう。それを息子は理解できないですが、貴方は理解してあげるべきですよ! 子どもにはまだ理解ができないけれど、親が理解をして教えてあげるべきです! 片親で育ち継父に虐げられた子の気持ちはわかりません、両親が早くに亡くなった子の気持ちはわかりません、それぞれ違う悲しみと苦しみがあります。息子さんにもある苦しみを、父親である貴方が"たかが"なんて決めつけないでください! 実の父親である貴方が受け止めないで、誰が受け止めるのですか! 必要なのは薬じゃない、貴方の愛です! 片親のいない穴を埋めてあげなければ、彼は引っ込み思案のままですよ!」
怒り任せで突っ掛かるように声を投げつけたかと思えば、言い過ぎたとニャミは一度落ち着いて謝る。
しかし男性の発言は、片親のニャミにとっても気に障った。
思ったことがありのまま口から飛び出す。
ニャミも両親のいないルーベルの悲しみは理解してあげられない。
両親がいようとも悲しみや苦しみはあるだろう。
経験者でもなければ、完璧に理解してあげられることはできない。
しかしニャミは理解して欲しいと願う。無知な子どもに両親が必要なのだ。
両親が教えて支えるべき。
ニャミはそうして欲しかった。
だから長々と言い切ったあとに、ニャミは涙を溢れさせて口を両手で覆う。
今度はいきなり泣き出して男性は青ざめた。
「せっかくの、イケてるイクメンなのにっ……!」
「い、いくめ……?」
「ごめんなさいっ……貴方の息子さんが、今後意地悪な継母に強いたげられる想像までしてしまいっ」
「!?」
ルーベルが腕を回して撫でている間も、ニャミは泣きじゃくる。
想像力の豊かさに男性は内心でツッコミを入れた。
「気弱なイクメンだから、きっと尻に敷かれるタイプだ」とニャミは続きを言う。
男性はショックを受ける。
意地悪な継母になるような女性と、再婚しかねない気弱なだんだんと言う印象を抱かれたようだ。
「すみません、感情移入してしまって」
ニャミが泣いたのは、自分と重ねたからだった。
想像も手伝って、悲しくて泣いてしまう。
このまま理解をされずに育てられれば、ニャミのようになってしまうからだ。
それは可哀想だと、ニャミは感情に任せて言った。
「悪い。ニャミは感受性が強いから、今回は息子さんと自分を重ねて泣いてる。オレもニャミも両親が揃わずに育ってきた。今のは子どもの意見、参考にするかはアンタ次第だ」
ニャミの涙を舐め取ろうと、頬に舌を這わすピアーを押し退けて、ルーベルはギュッと抱き締める。
男性に向ける視線は敵意があった。
ルーベルもニャミと同じ意見だ。親が不在で育った子の意見。
「あ、えっと……先ず、落ち着かせよう。紅茶を入れる、キッチンはあっちか?」
「ああ、廊下の先」
「わかった」
罰の悪そうな顔をすると、男性は慌てた様子で泣きじゃくるニャミをあやすことを優先した。
ルーベルからキッチンの場所を聞くと、バタバタ駆けていく。
ニャミの言う通り尻に敷かれるタイプだとルーベルも思った。
またニャミの涙を堪能しようと、ピアーがぺろぺろと舐めるため押し退けて頭を撫でる。
ルーベルの両腕に包まれたニャミは、ガウンに頬をすり寄せて寄り添った。
「泣き虫で、ごめん」
「オレが受け止めるって言ったろ。泣けよ」
鼻を啜りながら、ニャミはまた泣いていることを謝る。ルーベルは嫌がることなく受け入れて、ニャミの頭をポンポンと叩いた。
「なぁ、ニャミ」
ルーベルは一度放して、顔を合わせると言葉の続きを言う。
「ニャミはいい母親になるよ」
「……ぶぁーか」
思ったことを告げれば、涙をポロポロと流していたニャミは照れた笑みを溢した。
ぺろぺろとニャミの涙をピアーはまた舐める。
そんなニャミが愛しくて、ルーベルは微笑みを返した。
イクメンことマシューの淹れた紅茶を飲み、落ち着いてから子育て相談。
一時間して、マシューは安心したような笑みで魔法使いリヴェスの家をあとにした。




