19 友と再会ー1
ふわりと舞い上がるシャボン玉は、表面に光を乱反射させる。
それをピアーと名付けられた昔暴れた魔獣のピアラクリマがじゃれて噛み付く。
姿はライオンのような鬣と尻尾を持つ猫。精霊に封印されるほどの凶暴性は見られず、普通の猫のようにリビングの床に寝そべるニャミと戯れる。
ニャミはルーベルが用意した粉を入れて、キセルを吸うのではなく吹く。シャボン玉がふわふわ舞い、それにピアーは飛びつき割り、好物の火石を舐めとる。
ニャミは遊びながら、ルーベルが書いてくれた陣の暗記をしている。
陣の魔術の勉強中だ。
先ずは陣を完璧に覚えなければならない。その次は魔力を使い、陣を描く。
天才のルーベルの助言は、複雑な陣を見たまま覚えるのではなく、描きながら覚えた方がいいとのこと。
書き順を覚えれば描きやすいからだ。
言われた通り、ニャミはキセルを持っていない方の手で、なぞりながら陣を覚えようとした。
首にかけたペリドットのようなオリーブグリーンの石にはルーベルの魔力が宿る。
ニャミは試してみることにした。
陣の魔術は、陣を魔力で刻み込んだもの自在に操る。
手本の陣を見ながら、手にした真っ白の紙に陣を刻む。
魔力を光を操るようなイメージをすれば可能だと、ルーベルが言っていた。
それに従い、ニャミは紙を花に仕上げる。椿の花。
陣の魔術は、複雑な陣を魔力で描いて、鮮明なイメージをしなければ、成功しない高度な魔術。
「あ、見てみて、ピアー。出来たよ。私天才」
ニャミはその高度な魔術を成功させた。紙を花の形にしただけだが、素人にしてはセンスがある。
リビンクから見ていたルーベルは、目を丸めると感心する。
創造力の高いニャミと、陣の魔術は相性がいいらしい。
レシピ通りに作る魔法より、ニャミは想像で作り上げる陣の魔術を好む。
創造を具現化させる魔術を使って、ニャミがなにを作り出すか少し怖くも思うが、ニャミには使えるようになってもらった方がいいだろう。
自分の身を守る術を、一つくらい覚えさせた方がニャミのためだ。
ルーベルはコーヒーを飲みながら、考えた。
ニャミに話さなければならない。今、話すか。
コンコン。
玄関の扉が叩かれる音に反応して、ピアーと戯れていたニャミは振り返る。
お客だと思ったが、ニャミが出迎える前に扉が開かれた。
住人に断りもなく中に入ったのは、ピンクのフリルドレスを着た女性。
クルクルとカールしているプラチナゴールドの髪は頭の上で二つに結ばれていた。
微笑みを浮かべた彼女に、ニャミは覚えがある。
というより、ニャミの記憶にある人物とそのまま重なった。
古い記憶にある少女が、そのまま大きく成長したみたいだ。まるで等身大の人形のように愛くるしい容姿も微笑みも、ドレスも同じだった。
「あ、ニャミちゃんだぁー。久し振りー」
「……ナチュラルな挨拶、ありがとう。久し振り、リィリィちゃん」
フリルの袖と一緒に手を振り挨拶。
十六年ぶりにも関わらず、まるで半年ぶりにあったようなナチュラルな反応に戸惑いつつ、ニャミは笑って返した。
昔あったルーベルの幼馴染みの一人、リィリィだ。
ルーベルより一個下の年齢でも、ピンクのドレス。似合うから、可愛い。
ニャミが立ち上がりちゃんと向き合うと、また一人家に入った。
後ろに長髪の小柄な青年が立つ。
あの少年の面影がある。シュアンだとニャミは思った。
気弱でずっとリィリィの背後に隠れていたが、昔と同じく女の子のような可愛らしい顔だ。
「……エロ」
「……?」
ラベンダー色の髪を一つに束ねたシュアンの視線は、ニャミの脚に向けられていて開口一番がそれ。
ニャミは幻聴かと首を傾げた。
「体格がまるわかりの服装、エロ。黒だから艶かしい。細すぎず太すぎず、出るとこ出てる。なんて素敵なファッションなんだろう。露出してないのにエロさが出てる。エロい、エロくていいね、ニャミ!」
「……!?」
シュアンがぶつぶつと言いながら、ニャミを凝視する。
小さく可愛らしい顔で気弱な少年のイメージがぶち壊された。
スタスタとルーベルがそのシュアンに近付くと、スパン! と頭を叩き落とす。
それだけでは足りず、ルーベルは胸ぐらを掴む。
「オレのニャミをそんな目で見るなてめぇ。シュアンぶっ飛ばすぞ」
「いや、ニャミがそんな格好してるのが悪いっ」
「てめぇがエロく見てるのが悪い!!」
壁に叩きつけて、ルーベルは怒る。シュアンは慌てて謝罪をする。
それでもルーベルが放さなかったため、もう一人入った。
ラロファだ。
間に割って入り、ルーベルを離した。猛獣のようにルーベルはリィリィの背中に隠れたシュアンを睨み唸る。
「こわっ、ルーベル怖いっ!」
「リィリィちゃん。後ろにいるのは、シュアンに似た誰かさん?」
「え? 正真正銘のシュアンだよ」
リィリィは微笑みを保ったまま、さらりとニャミに答えた。
「嘘だっ! 気弱で可愛かったシュアンが、開口一番でエロ発言するわけない!」
「人見知りが激しく気弱だった少年は、むっつりスケベな大人になりました」
ギョッとするニャミは否定したが、リィリィは顔色一つ変えないで答える。
シュアンは、可愛らしい顔でにっこり笑った。
「ニャミちゃんはエロい身体に成長したね! リィリィはちっちゃいけど、ニャミちゃんはでっかいね!」
リィリィの背後からでると、シュアンはまたエロ発言する。両手を広げて、なにかを揉むように握ったり開いたりする仕草にニャミはゾッとした。
ルーベルが飛び掛かろうとしたが、ラロファが止める。
するとリィリィが何処からともなくハリセンを取り出して、一回転した勢いを殺さずにシュアンの後頭部に叩き付けた。
あまりの衝撃にシュアンは床に激突する。
強烈なハリセン叩き。
ニャミは未だに微笑みを保つリィリィに戦慄を覚えた。
この子、すごい!
かぷっ。
死んだようにビクリともしないシュアンの頭に、ピアーが噛み付いた。
「いた!? 猫!? わぁあっ痛い!」
「ガルル!」
ライオン風の猫に、人間が襲われる光景がそこにある。
「? いつから猫飼ったんだ?」
「……猫じゃねーよ。魔獣だよ。ピアラクリマで、ニャミが泣いて解放したんだ」
「ピアーって呼んであげて」
シュアンが床を転がりながら噛み付いてくるピアーに抵抗するが、誰も助けようとしなかった。
ラロファは猫が気になり問う。ルーベルはもっとやれと念じながらも、ピアーの正体を告げる。
それがシュアンの恐怖を煽ることを知っているから、ニヤリと笑う。
「魔獣ー!!?」とラロファと襲われているシュアンが驚愕して声を上げた。
火石の山にピアラクリマと言う名の魔獣が封じられていることは知っている。
精霊に封印された凶暴の魔獣。
それに今、襲われている。
シュアンは怯えて「うわあああっ!」と悲鳴を上げた。
「魔獣って、なんでっ、なんでそうなった!?」
「うっせーし。ニャミが飼いたいって言ったんだよ」
「だからって魔獣を飼う奴があるかぁあ!?」
悲鳴を上げる幼馴染みをやはり助けずに、ラロファは怒鳴りルーベルに問い詰める。
「ラロファ、うっせ!」
ラロファの大声を嫌がり顔をしかめたニャミが、鋭い声を吐き捨てた。
ビクリとラロファは驚き震える。
するとシュアンを襲っていたピアーがピクリと耳を立たせて振り返った。
「げふっ!」とシュアンの腹を蹴り上げてピアーが次に飛び掛かったのは、ラロファだ。
「うお!?」
ラロファは間一髪噛み付かれる前に、受け止めた。
「ガウー!」とピアーは噛み付こうと大きな口にを上げる。
「ピアーは閉じ込められるほど凶暴じゃないよ」
「どこがだ!? 今現在凶暴じゃないかっ!!」
ニャミがピアーを庇うが、ピアーに襲われているラロファに説得力の欠片もない。
「どわああ!?」
ピアーが炎を吹いたため、思わずラロファは避けて放り投げる。
そのピアーをニャミは受け止めた。
「ラロファの動物虐待!」
「魔獣に襲われた人間は!? どうなるの!?」
「今、焼き殺されかけたんだぞ!」
「知るか。襲われた方が悪い」
「理不尽!!」
ピアーの肩を持つニャミは、襲われたラロファとシュアンに冷たく吐き捨てる。
襲われる理由などない。
全くニャミは理不尽だ。
ラロファは歯を食い縛り、シュアンは涙目になる。
ニャミは微笑んでピアーを抱き締めて頭を撫でた。
ニャミの胸に頬ずりするピアーの尻尾はピンと真っ直ぐに立てる。
それを見ていたルーベルは、嫉妬よりピアーの行動が気になった。
ニャミはシュアンに悪寒を感じ、ラロファには嫌悪感を抱いた。まるでニャミの感情に反応して襲ったようだ。
まさか、ニャミの感情を読み取っているのか。
ルーベルの視線に気付いて、ピアーはきょとんとする。しかしすぐにそっぽを向いてゴロゴロと喉を鳴らしながらニャミにじゃれた。
「魔獣……なついてるのか?」
「てか、本当に例の魔獣?」
「仮の姿だ。本性はでっかいぜ、この家より」
ラロファとシュアンは、疑いの目をピアーに向ける。
噂の凶暴魔獣は、ニャミに猫のようになついていた。
それは仮の姿だと、ルーベルは教えた。真の姿は猫にもにつかない。しかし真の姿でもニャミになついている。
「お茶入れるね、座って」
ニャミはお茶を入れるためにキッチンに向かう。リィリィはその後ろについていった。
「リィリィちゃんも座って」
「手伝うよ」
微笑んだままのリィリィを見て、ニャミはきょとんとする。
「……リィリィちゃんって、ずっと笑ってるね」
まるで貼り付けた仮面。
そう思えてしまうほど、リィリィの保たれた微笑みに感情が見えなかった。
「あれ? ドールのこと、聞いてない?」
きょとんと微笑みを保ちながらリィリィは首を傾げる。
ニャミも「ドール?」と首を傾げた。
「話してない」とルーベルはテーブルにつく。
「ドール族なの、あたし」
「ドール族?」
「呪われた種族だよ、人間とは違うの。大昔は兵士として生み出された人形と人間の混血種だから、感情が一部欠落してたり表情を変えられないんだ。表情を一つに保つのは、ドールの特徴」
人間とはまた違う、ドール族。
兵士として生み出されたため感情が欠落している人形。
だからリィリィは微笑みを保つ。それがリィリィの顔なのだ。
微笑みを浮かべた人形。
「兵士のために……ドールを……」
人形の兵士を想像したニャミは、顔を歪めた。
キッチンの上に下ろされたピアーは、すりすりとニャミの腕に頬ずりをする。
それを見たルーベルは、確信した。
ニャミの感情に、反応している。
「あ、大昔の話だよ? 呪われた血だから、引き継いでる。兵士だったけどこの国は国民として受け入れてくれたから、もう兵士じゃなくて普通に人間として暮らしてるの。中には感情が無さすぎて人間を殺す殺人鬼になるドールもいるけど、あたしは違うよ。悲しいって感情は薄いけど、楽しいも感じるし嬉しいも感じる」
人間を殺せるように感情を奪われて生み出されたドール。
それを聞いてニャミは更に顔を歪めるが、リィリィはにっこりと笑う。ニャミを安心させる笑みは柔らかで、感情が在った。
「欠落して生まれても、周りの影響で感情を持てるんだよ。だから今のあたしがあるのは、ニャミちゃん達のおかげ。楽しい人生なのは、みんなのおかげだよ」
「……リィリィちゃん」
リィリィは十六年ぶりに再会したニャミも含めて、いい影響を与えた友だと伝える。
実際ニャミを見付け出す魔法を、ルーベルと一緒に作る手伝いをしていた。
ニャミを探す時間は、リィリィにとって楽しいことで感情を育てた出来事。
肯定するようにラロファもシュアンもルーベルも、ニャミに笑みを向ける。
ニャミはそっと微笑んだ。
悲しい種族でも関わる人間次第で、人間になれる。
それを理解した。
「あ、見てみて! これにもなれるんだよ!」
リィリィはクルリとスカートを舞い上がらせて回ると、姿を変える。
ちょこん。
リィリィが膝丈くらいの人形へと変わった。ふわりとカールするツインテールとフリルドレス。微笑みを浮かべたリィリィの人形。
きゅん、とニャミは胸を締め付けられた。
「かっわいいいいっ!!」
無邪気な笑みを溢して、ニャミはそのリィリィを抱き締める。
抱き締めながら、くるくる回った。
「昔のニャミだ」
「昔のニャミだな」
「男に対する冷たい態度と毒舌以外、中身は昔と変わらないぜ」
無邪気な笑みは昔のニャミのもの。
シュアンとラロファは、男女差別だと内心でふて腐れた。
ルーベルはニャミに好かれているため、冷たい態度は気にしない。
「ニャミちゃん。一緒に楽しいことしよう」
「なにするのー?」
ニャミは上機嫌にリィリィを家を訪れた理由を話した。
両手を広げて、にっこりと笑う女の子の人形は告げる。
「お買い物」




