16 短き花火-4
涙を落としそうになってルーベルは袖で拭く。
ニャミが泣いている。
それがわかってルーベルは、洞窟を走り回った。
「涙は落とすなよ、ニャミ!! ニャミー!!」
涙だけは落としてはならない。
ルーベルの失態だ。
ニャミが泣いてしまいかねないのに、涙を落としてはならない洞窟ではぐれてしまった。
洞窟の中の気温が上昇したのを感じて、遅かったと思い知る。
「ニャミー!!」
熱風と共に洞窟の壁は、灯りを纏う。赤黒い壁が赤い光を放つ。もう光は不要だ。
「クソッ、目覚めやがったか……ピアラクリマ!」
ルーベルは熱風が吹いてきた方角に向かって走り出した。
辿り着いた空間は、厚手のガウンを羽織るルーベルには暑い。
その暑さを作り出す怪物が、そこにいた。
深黒紅色の怪物はルーベルを一飲みできるほど巨大で、獅子舞のような強面だ。
一メートルほどの白い牙が大きな口の下からはみ出ている。立派な鬣は燃えるような深紅。
そこに在るのは頭だけ。
胴体は地面に広がる影に沈んでいる。
「ニャミをどうした、ピアラクリマ!!」
ルーベルはその怪物に臆せず、睨み返して怒鳴った。
ニャミがここにいるはずだ。
飲み込んだというなら、叩き斬って救い出すまでだ。
「あ、ここだよ。ルベル」
しかし、ニャミは怪物の口の中ではなかった。
怪物の鬣の中からひょっこり顔を出して手を振る。無事のようだ。
意外すぎてルーベルは処理に遅れて呆然とした。
「ピアラクリマって、この山のことじゃなかったっけ? この魔物のこと?」
「魔物じゃねぇ、もっと悪いもんだ!」
頬杖をつくニャミの呑気な質問に怒鳴り、ルーベルは急いで怪獣の大きな鼻を踏みつけてよじ登ると、ニャミの手を掴み引っ張り無理矢理引き摺り下ろして怪獣から距離を取った。
「ピアラクリマ。精霊のペットだったが狂暴すぎてこの山に封印された魔獣だ!!」
ピアラクリマ。
精霊が手なづけていた魔獣だったが、狂暴すぎて山に封じられた。
そのため、山にその魔獣の名がついたのだ。
火の魔獣、ピアラクリマ。
「下がってろ! 退治する!」
「え? でも、ルベル」
「下がれ!」
ニャミを突き飛ばすとルーベルは、地面に手をつく。
陣の魔術を使い、火石で作り上げた剣を引き抜き構えた。
「地の神よ、我に炎を与えたまえ!」
続いてルーベルは地の神こと大地の精霊に唱えて魔法の炎を得る。
「バカっ、ルベル!!」とニャミがギョッとして止めようとしたが遅い。
火薬同然の壁に、ルーベルの剣が纏う炎が引火した。
ルーベルは自分がまた失態をしてしまったことを思い知ったが、無意識にニャミを抱き締める。
一気に炎が巻き起こり二人を飲み込んだ。
しかし瞬時にその炎は、時間が巻き戻るかのように引いていく。
パクリ。
ピアラクリマが全ての炎を飲み込んだのだ。その場に残るのは、焦げた跡と臭いのみ。
ルーベルとニャミは一瞬だけ炎に触れただけのため、奇跡的に無傷に済んだ。
目を見開いたルーベルは、ニャミが無事だとわかるとほっと深く息をつき抱き締めた。
「なにやってんのバカベル!!」
そこで容赦なくニャミから腹部に膝蹴りを入れられる。
ルーベルは呻き、腹部を押さえて俯く。なかなか強烈な蹴りだ。
「自分で言っておいて炎を出すとか馬鹿者め!! 無理心中か! このヤンデレ魔法使いが! ピアラぐっ……ふんっ、かんらぁ」
「ニャ、ニャミ、ごめん、大丈夫か?」
「あんひゃのへいー!」
危うく焼け死ぬところだったため、ニャミは興奮のあまり舌を噛んでしまう。
謝罪をしつつニャミを心配するルーベルだったが、涙目のニャミは許してくれない。
ベロン。
ニャミの横顔を身長を超える大きな舌が舐めた。
ピアラクリマだ。
「ニャミを舐めんじゃねぇえ!!」
ルーベルは怒りに震えて声を上げる。
「バカベル!! ピアラに感謝なさい!!」
スパンッ! とそのルーベルの頭をニャミは叩いた。
噛んだためピアラクリマの名前は省略。
ピアラクリマがいなければ死んでいた。感謝すべきだ。
「暴れて封印されたかなんか知らないけど、ピアラは私を傷付けてないし助けてくれたじゃない。勝手に決め付けてピアラを傷付けるなら、アンタを私がボッコボコにしてやるわよ? 異論はある?」
「ぐぅっ……精霊に封印されるほどなんだよっ……そんな狂暴な魔獣を味方するなよっ」
ニャミの言う通りピアラクリマは傷付けていない。
防衛のための反撃ならまだしも、ルーベルは今先制攻撃を仕掛けた。
またやると言うなら、ピアラクリマの代わりに防御という名の攻撃をニャミがやる。
見下すような冷たい眼差しで拳を握るニャミに、ルーベルは腹部を押さえたまま怯えた。
有言実行して、暴力を行使しかねない。ニャミは意外に力が強い。
「好物は火石と涙。好物を求めて暴れて人間をたくさん傷付けたから、この火石の塊である山に封じられた。解く鍵は涙だけ。ニャミの涙で封印が破られたんだよ」
「うん、涙舐め取られた。言葉わかるみたい。いい子よ、本当に」
自分の十倍はある大きなピアラクリマの顔に近付いて、臆することなくニャミはその鼻を撫でた。
「涙を舐めたから大人しいだけだっ」
「本当にいい子だってば。石も代わりに集めてくれるって」
気に食わない。
ニャミがピアラクリマの味方をしている。
封印を解いたニャミに感謝して傷付けないだけだ。
なんとかニャミを納得させて離さなければならない。
するとピアラクリマが地面に広がる影の中に潜り込んでいなくなった。
逃げたか、と焦ったルーベルを嘲笑うかのように、ピアラクリマはすぐに戻ってきた。
無数の石ころと共に。
「ほら」とニャミは石ころを拾いルーベルに投げ渡す。
火石だ。全て火石だ。
ニャミの言う通り、代わりに拾い集めたようだ。
「ルベル。この子、家に来たいって、飼ってもいい?」
いい子いい子と頭を撫でてやるニャミが、とんでもないことを言い出した。
あまりのことにルーベルは理解できず固まる。
「飼えるわけないだろ!! こんなでかいの!!」
腹の底から声を上げて、ルーベルは反対した。
魔獣を飼う以前に、この頭を家の中で出す空間はない。壊れてしまう。
何故飼う発想が出た。
「あーそうか。大きすぎるよね。ごめんね、ピアラ。家では飼えないって」
ニャミは潔く諦めて悲し気にピアラクリマの鼻を撫でる。
それを見てルーベルは胸を撫で下ろす。あんな狂暴魔獣を飼えるわけがない。
そのうち暴れるに決まっている。
すると、ピアラクリマが動いた。
ボト、と巨大な顔が消えたかと思えばなに小さなものが落ちる。
猫。
ニャミは一瞬黒猫かと思った。しかしよく見れば赤い。
ゴロンと腹を見せる猫は、まるでライオンのコスプレをしているようだった。深紅の鬣をしていて、尻尾の先はふんわりとした毛玉。
顔は間違いなく猫だった。しかし全体的に深黒紅色。
間違いなく、ピアラクリマの別の姿だ。
円らな瞳で見上げるミニピアラクリマに、ニャミのハートは撃ち抜かれた。
ニャミは真っ先にピアラクリマを抱え上げて抱き締める。
「飼ってもいいーっ!?」
「……っ!!」
無邪気な笑みで抱き締めながらクルクル回るニャミに、ルーベルはすぐに反対できない。
反対してもニャミが聞き入れるとは思えない。
とりあえず一度ルーベルは、ミニピアラクリマにメロメロになっているニャミを連れて洞窟を出た。
ガリガリガリガリ。
ミニピアラクリマは一緒に持ってきた火石の一つにかぶり付いた。
歯を立てる度に、火花が散る。
「可愛いなぁもうー」
そんなミニピアラクリマに座り込んだニャミはメロメロで頭を撫でた。
新鮮な空気がある森の中で、ルーベルは早速説得に取り掛かる。
「あのさ、ニャミ。こんなん連れ帰っちゃ街を焼き野原にされちまうよ」
「しないって、言ってるよ。長年閉じ込められて反省してるって、もう暴れない」
「本当に言ってんの? ニャミ、精霊だぜ? この世界では神と崇められる存在が封じたんだ、そんなもの出したりなんかしたら精霊に嫌われる」
「それを言うなら、ルベルがちゃんと前もって言わないのが悪いのよ」
ルーベルが先程使用した唱の魔術は、魔力と引き換えに精霊に力を借りる魔術。
精霊は、自然を司る存在だ。それぞれ神と称される。
神と称されるほどの存在が危険と判断して封印した魔術を野放しには出来ない。
そう説得したのだが、ニャミから反撃を食らった。
なにも知らないニャミに説明しなかったため、涙でピアラクリマの封印が破られたのだ。
ルーベルはニャミが泣くとわかっていたにも関わらず。
言い返す言葉が見付からず、ルーベルは唇を噛み締める。
ニャミの口論する要因であるピアラクリマは呑気に火石に噛みつきながらニャミに頭を撫でられていた。憎たらしい。
「…………やっぱ、傷付いて泣いたんだ」
ルーベルは、ニャミの前に腰を下ろした。
ニャミが涙を流したのは、やはりティフィに向けられた孫の言葉。
「……私は嫌いだよ。無意味なほど感傷的なこの心。伝わっちゃうルベルも、うんざりしない?」
ニャミはピアラクリマを撫でながら、膝を抱えて静かに問う。
心が繋がっているルーベルには、強い感情が伝わる。
「うんざりしない。ニャミから伝わるのは、苦しいとか悲しいばかりじゃないから」
きっぱりと、ルーベルは答えた。
「好きだよ、ニャミのそういうところ。いいじゃん、感傷的過ぎてもちゃんと笑えるんだから。感受性豊かなニャミの心が、本当に好きだ。そんなニャミと繋がってるオレまで、感情豊かな人間になってるみたい。オレ、ニャミが運命の相手ですっげー嬉しいよ」
天真爛漫な笑みを溢すルーベルを、ニャミは見つめる。
「君は最初から感情豊かな人間だよ」とニャミは訂正する。
出逢った頃から、天真爛漫な笑みは変わらない。そんなルーベルこそ、感情豊かな人間だ。
「じゃあ優しい心ってヤツかな。その心と繋がってたから、ずっと恋してた」
ずっとニャミの心に、恋をしていた。
そう言うルーベルは、やっぱりロマンチストだ。とニャミは笑う。
「ニャミ。人に魔法を売る商売だからさ、今日みたいにニャミは泣くと思う。それが嫌だとは思うけどさ、もうニャミは一人じゃない。オレはそばにいるから、泣きたい時は思いっきり泣けよ。オレが抱き締めてやるから」
ルーベルは真剣にペリドットの瞳で見つめて告げた。
再会するまで傷付きやすい優しい心を守っていたせいで、本音が毒舌だ。
その毒舌を吐くだけでも痛みを覚えてしまうニャミは、接客をして他人と関わる度に感傷に浸り泣いてしまうだろう。
でもニャミは、この仕事を気に入っている。
泣いてしまうほどのことがあるならば、ルーベルが抱き締めてそばを離れない。
「泣きたい時は、ちゃんと言えよ。オレも受け止めるから、ニャミも自分の心を受け入れろよ」
ルーベルが受け止める。だからニャミ自身もその感受性豊かな心を受け入れろ。
ニャミは微笑み返す。
ほんの少し涙を浮かべた。
そんなニャミに、ルーベルは笑みを返して頭を撫でる。
するとミニピアラクリマが飛び上がって、ニャミの肩に乗った。
ペロペロと目尻にざらついた生温かい舌を這わせて涙を舐めとる。
「てめっ、さては涙脆いニャミの涙が目当てかっ!!」
ニャミの涙が目当てで大人しくしていると気付き、ルーベルは「離れろ!」とミニピアラクリマを掴まえようとした。
しかしルーベルの手を避けたミニピアラクリマは、ニャミの胸にしがみつく。
ルーベルに衝撃が走る。
まだ触らせてもらっていないニャミの胸に、べったりとミニピアラクリマがしがみついている。
服に爪を食い込ませて、ニャミから離れないという意思表示を見せながら「ゴロゴロ」と喉を鳴らして頬擦りをした。
ルーベルは悟る。
このミニピアラクリマは、ニャミを奪うつもりだ。
今後のニャミとの甘い生活を邪魔をするつもりに違いない。
とんでもない強敵出現。
「おっ、オレのニャミから離れろーっ!!!」
誤ってニャミの胸に触れば蹴りが飛びかねないため、ルーベルは叫ぶことしか出来なかった。




