15 短き花火ー3
その時、ノックもなしに玄関の扉が開かれたため、ラロファは反射的に剣を握った。
「ばあちゃん! いるのかばあちゃん!?」
客人の孫らしい。
ラロファは警戒を緩めて道を譲る。
二十歳に満たない少年のようだ。
「あらあら、どうしたの」
「どうしたのじゃねーよ! 魔法使いリヴェスは昨日暴れてたって言うじゃないか! そんな魔法使いの魔法なんて不良品に決まってんだろ!! ほら、帰るぞ!!」
「あんだと?」
どうやらルーベルの昨日の騒動を聞き、迎えに来たらしい。
不良品と断言されて、ルーベルが怒りを露にするため、ニャミは押さえた。
派手に爆発をさせていた、そんな噂を聞けば当然の反応だ。
ティフィを心配しているのだとニャミはルーベルの肩をポンポン叩いて宥めた。
「オレの誕生日かなんか知らねーけど、余計なことすんな! もう二十になるんだからな、毎年毎年誕生日会なんて必要ねーよ! だいたいばあちゃんはオレを子ども扱いし過ぎなんだ! お節介ババアは金騙し盗られるのが落ちなんだからな!!」
「……ちょっと」
孫の発言に今度はニャミが怒りを覚え、睨み付けた。
思い浮かんだ言葉を吐き出そうとしたが、その前にルーベルが左手を掴み止める。
ギュ、と握り行かせまいと引き寄せた。
「あらあら、ごめんなさい。騒がしくしてしまって。では、よろしくお願いいたします」
「あ、はい」
孫がなんと言おうと、依頼は取り消さないようだ。
ティフィは孫の背中を押すと「お二人とも、気を付けてくださいね」と微笑んでルーベルの家をあとにした。
「……なんなのよ、あのクソガキ」
嵐が過ぎ去ったような静まり返った玄関前では、ニャミが激情を燃やしていた。
ティフィに向けた笑みは跡形もなく、冷めたような眼で睨む表情をするものだからラロファはビクリと震える。恐ろしい豹変だ。
「じゃあすぐに行こうぜ、ニャミ。ワープの薬取ってくる、ニャミは別に何も準備しなくていいぜ」
「りょーかい」
ルーベルに声をかけられれば、そんな怒った表情もなくなり無表情に戻った。
階段を上がるルーベルを手摺に寄り掛かり眺めると、ラロファに目を向ける。
「ラロファ。なんでさっきルーベルのことをわざわざリヴェスって呼び直したの?」
「……やっぱりお前、聞いてないのか」
先程疑問に思ったことを今訊く。
ラロファは予想した通りで、二階にいるであろうルーベルを横目で睨んだ。
「なにを?」とニャミが問うとルーベルが戻ってきた。
「ほら、例の薬」
「おう」
「じゃあな」
「あ、またね。ラロファ」
踊り場に着地するとルーベルはラロファに頼まれていた薬を投げ渡す。
ラロファが受け取ると、ルーベルはニャミに腕を回して瞬間移動の魔法を使った。
消える前に軽い別れの挨拶。
ふわりと、毛先が黄色い大きな綿と光に囲まれて二人は消えた。
「……アイツ、隠したままにするつもりなのか?」
ラロファは渡された瓶を握り締めて、深いシワを眉間に作り呟く。
「命狙われてるって、ニャミに話すべきだろう」
共にいるのだから、ニャミには知る権利がある。
ルーベルが命を狙われ、偽名を使って商売をしていること。
隠していては、いけない。
ラロファは心配で、息を深く吐いた。
ルーベルの家から一変して、視界に映るのは美しい茂る森の中だった。
陽射しが微かに漏れる木の葉が折り重なる頭上をニャミは眺める。
濃い緑色を気に入った。
数え切れない樹木はどっしりしていてとても背が高い。
「世界中の美しい景色見てみたいなぁ」
こんなにあっさり移動できるなら可能だろう。
正直者のニャミは口に出した。
「今度連れてってやるよ。でもここ、ただの森だぜ」
繋ぐために手を差し出すルーベルは、呆れることなくニャミに笑いかける。
ただの森を美しい景色だと言うのは、ニャミらしい。
「あの山が火石のある"ピアラクリマ"だ。この道進めば洞窟があるんだ」
「ふぅん」
手を繋いで、少し坂になっている獣道を進む。
登山家や探検家の格好をしていないため、ニャミは不便に思った。
「ブーツ汚れてる」と文句を漏らす。
「そうだ、ルベル。ジェラート美味しかったでしょ? あれ、飴にしても美味しそうだよね。水飴風に作ってみようかな、上手くいったらお客にお菓子としてだしていい?」
「ニャミって、創作は得意だよな。いいんじゃね? でも有料にした方が儲かる」
「流石商売人。美味しかったら、有料ね」
ルーベルはニャミを振り返る。機嫌がすっかり良くなったようで笑顔だ。
すぐに洞窟の入り口に辿り着く。ルーベルは足を止めた。
「ニャミ。この洞窟の奥に火石がたくさん転がってるから、それを拾うだけだけど、注意点がある。このピアラクリマは、山自体が火石の塊みたいなもんだから火花を散らしちゃだめだ。それから、穴には落ちるな。落ちたらランダムで山の中のどっかに落とされる、はぐれちまうから気を付けろ」
「ダンジョンだね」
石ころ集めかと思いきや、想像以上に冒険の香りがする。
火花を出さない。穴には落ちない。
ニャミは注意点を頭に入れておいた。
「魔物はいるの?」
「中にはいないから、心配ない。でも……ニャミ、絶対に涙を落とすな」
「涙?」
ルーベルは一番重要な注意点をニャミに教える。
涙を落とすな。
ニャミは首を傾げた。
「涙が出るような場所?」
「違うけど……ニャミ、さっき孫の言葉に傷付いたろ。あの客人があの言葉でどんな痛みを抱くか想像したろ? 泣くなよ」
「泣かないわよ、なに言ってるの」
「ニャミは感傷的過ぎるんだ。想像しなくてもいいのに、痛みを想像して悲しむじゃん。だから……泣くだろ?」
ルーベルは笑わないままニャミに告げる。
感傷的なニャミは、あの孫の言葉でティフィがどんな痛みを受けたか想像した。
ニャミも毒舌で人を傷付けるような言葉を放ってしまう。そしていつも申し訳なく思うのは、痛みを想像するからだ。
そんな感傷的過ぎるニャミは、きっと泣く。
「……」
「とにかく、洞窟の中で涙を落とすなよ」
黙り込むニャミに釘をさしてルーベルは手を引き、洞窟に足を踏み入れた。
魔法で作り出した光の球体を浮遊させれば、足元が確認できる。
赤黒さが目立つ洞窟は、少し火薬の臭いがして危険な場所だと理解できた。
「ルベル。さっきラロファがリヴェスの名前を呼んでたよね、なんで? 私に隠してることでもあるの?」
暫くしてニャミは口を開く。洞窟の中では思ったより声は木霊しなかった。
余計なことを言ったラロファを恨めしく思いつつも、ルーベルは言葉を探す。
「別に隠してたわけじゃない。リヴェスは偽名で使ってるんだよ」
リヴェスという名は、偽名。
ルーベルは足元に穴があったため、ニャミから手を放してそれを飛び越えた。
「だから他の人間の前ではラロファ達は、リヴェスって呼ぶんだ」と言いながら、ルーベルは壁をよじ登る。
この先に火石が転がっているため、登らなければならない。
「ほら、禁断の魔法書……あれ盗んだって言ったろ。奴らがオレを…………ニャミ?」
よじ登ったルーベルはすぐに手を貸すために、ニャミに手を伸ばそうとしたが、その先にニャミはいなかった。
「…………やべ」
暗い暗い洞窟にある唯一の光は、ルーベルの前を浮遊する球体だけ。
少し距離を開けた途端、ニャミは足元が見えず穴に落ちたに違いない。
ルーベルは穴があると言いそびれた。
ルーベルの失態だ。
「ニャミ!!」
穴の中にニャミはいない。
迷路のようにあちらこちら道が続くこの洞窟の何処かに飛ばされたはずだ。ルーベルは叫んだが、この洞窟はあまり音を反響させない。
穴に落ちたニャミは、いきなりの落下に驚いた。
絶叫系のアトラクションが好きなニャミでも、流石に真っ暗闇に落ちては楽しめない。
初めはルーベルが消えたかと思った。
浮遊で自分が穴に落ちたことを理解した途端、足が地面についた。
アドレナリンがドクドク流れる。心臓を押さえてニャミは、自分を落ち着かせた。
悲鳴を上げる暇すらなかった。あー怖かった。
「ふぅ、どうしたものか……」
ニャミはその場に座り込む。
灯りを持ち合わせていないニャミは、動くことができない。
ルーベルが見付けてくれるのをじっと待った方がいいだろう。
魔物に襲われる危険はないのだ。
注意する点は三つ。
火を起こすな。穴に落ちるな。涙を落とすな。
「…………」
一人になったニャミは、暗い洞窟の中で座り込んでルーベルに言われたことを思い出す。
あの孫の言葉を耳にして、怒りを抱いた。
それは防衛本能だ。反撃をして傷付けられないようにするために、怒りを沸かせる。
ニャミはあの言葉で傷付いた。
余命僅かなティフィが、最後に孫の誕生日を祝うためだったのに、孫はあんな態度だ。
最後も孫のためを思うティフィの優しさに気付かないのかと怒りを覚える。
もう長くないティフィに、酷い言葉を浴びせた。
ティフィがどんな風にその言葉を受け取ったかは、本当のところはわからない。
けれども想像すると、この胸が痛くなる。
両親のいない孫を置いて死んでしまうのに、孫はあんな態度だ。
もどかしくて苦しくなるだろう。
ニャミは、親の愛を理解しているつもりだ。片親の辛さもわかっているつもりだ。
置き去りにされても、八つ当たりしないように心掛けた。母親も辛かったはずだから。
考えてしまったら、涙が込み上げてしまった。
ルーベルはこの感傷的な心を好きと言ったが、ニャミは嫌だ。
痛くて堪らなくなる。
胸を押さえて踞ったニャミは、涙を落としてしまった。
一滴の涙は地面に浸透していく。
ほんの僅かだけ目が馴れた暗闇でニャミは、どす黒い何かが現れたことを目にした。
まるで、手だ。
巨大な巨大な手が、ニャミを掴む。




