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羽化



「さっむ! ここ、さっむ! ムッシー暖房つけて!」


 彼女がぴょんぴょん跳ねる度に、色素の薄い髪も生き物のように跳ね動く。


「つけない」


 リクエストカードとにらめっこしながら、僕はパソコンにタイトルを打ち込む。

 ああ、これはシリーズものの新刊だ。明日先生にインターネットで確認してもらおう。

 『新刊?』と打って赤ラインを入れると、次の用紙を箱から取る。『おっぱい』ね、はいはい。リクエスト箱は匿名のため、くだらないいたずら書きもよく混じる。


「こんなトコいたら風邪ひかない? つーか、なんで図書室こんなヤバいの? 保健室とか天国じゃん!」


 保健室は南向きで、こっちはその反対だ。気温差の理由など考えなくても分かるだろうに。


「もお~、ムッシーってばぁ~、無視すんなぁ~。ムシだけに? ブッ」

「帰れ」


 ゴテゴテした右手の爪がカウンターに乗り、鍵盤を叩くような軽い音を立てる。


「ねー見てー」


 黒い枠の中に四角い蛍光イエローが無造作に並んだ爪。ところどころにオレンジの粒も入っている。


「かわいくない? さっきリオっちにやってもらった」

「シロシタホタルガの幼虫」

「は? なんて?」


 それ以上は答えず、僕は打ち込み作業へと戻った。

 高校の放課後の図書室なんて、学習目的で使われる程度。11月も終わりになれば、あまりの寒さに無人になる。

 一週間分のカードの打ち込みをようやく終えて、顔を上げる。誰もいない。


 まあ、そうだろう。僕など話相手にしても面白くないということを、ようやく分かってくれたようだ。


 時計を見れば17時50分、そろそろ閉館時間となる。

 僕は立ち上がると、カーテンを閉めに向かった。


 今日も、規律正しく穏やかな一日だった。──最近やたらと話しかけてくる、1名の女子を除いて。


「ヤバくない?」

「うわっ」


 いきなり足元から声が掛かり、僕はカーテンを握ったまま素っ頓狂な声を上げてしまった。

 屈み込んで僕を見上げる大きな目が丸くなり、くしゃっと細まった。


「すっごい声ぇ~」


 短いプリーツスカートと長いガーディガンの間に、広がった図鑑が埋まっている。


「ちゃんと椅子に座れ」

「ね~ね~、これでしょ? さっき言ってたの」


 大机の上に図鑑が乗る。シロシタホタルガの幼虫のページ。


「ヤバくない? まんまネイル。さっすが虫ハカセ~」

「……それの、どこが可愛いんだ。気持ち悪い」

「へ? ムッシー、この虫が気持ち悪いの?」

「はっ!? いや綺麗だろ! シロシタホタルガの幼虫はとてつもなく綺麗に決まっている! 危険を察すると粘液を出し皮膚につくと炎症を起こす毒を持っているため危険視されるが芋虫の中ではトップクラスに愛らしいんだ! 僕が言っているのはな、その爪のことであって、芋虫では……、ッッッ!?」



 滑らかでひやりとした4枚の爪が、僕の頬に乗る。



 ゆっくりと、時間をかけて、シロシタホタルガの幼虫が、なぞるように下りていく。

 


「──毒なんて、ないよ?」



 零れそうな瞳が瞬くと、幼虫は最後に唇で止まった。



「ムッシーは……危険なことなんて、しないっしょ?」



 薄い皮の上を親指から順に辿り、ゆっくりと小指が離れた。



「さ! 帰ーろ! 戸締り手伝うし~」


 ひらひら振って離れた右手は、アゲハ蝶のようだった。





Twitterで募集された、

『相手の頬に手のひら側の指じゃなく、手のこう側の指先で触れる』

を、お題にしました。



(追記:指の背を指されていたのだと書き終えた後に気付きました…)

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