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お題:箱の中の父 制限時間:1時間
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――今晩は。
若い女が足を止め、眉根を寄せて振り返る。
ぬるいそよ風が暗夜に泳ぎ、私のゴム底の靴を這う。踊るようなヒール音がぴたりと止まったそのせいか、ジー……と伝う虫の羽音がやたらと耳にまとわりついた。
――返してください。
ああ、どうか不安な顔などしないでほしい。別段怪しい者では無いのだから。
私は胸ポケットから名刺を取り出すと、両手で差し出しながら教えた。
――あなたが持っている青い箱。それ、私の物です。
途端に女の形相が変わり、カバンを抱えて後退りしだす。手首に掛かったコンビニ袋が動きに合わせてがさがさと揺れた。
ダレ デスカ
ナンデ シッテ
――そのなかに、私の父がいるんです。
ハ ?
――たった一人の肉親なんです。世界中の誰よりも大切な人なんです。だから
その先を言う前に相手が走り出したため、舌打ちとともに私も走る。馬鹿だなあ、8cmのピンヒールがスニーカーから逃げられるとでも、本気で思っているのだろうか。
肩を掴むと悲鳴と共にビニール袋が顔に当たった。固く冷たい感触に、かき氷と予測をつける。
――さ、出して。
シラナイ! モッテマセン!
――いいえ。あなたは持っています。
モッテナイ ッ タラ!
――いいえ。あなたは14時に待ち合わせをして美術館へ行き、カフェ休息の後、公園の散策。それから夕日を前にプロポーズと共にその箱を受け取った。そうでしょう。
アナタ
ナン ナン デス カ
ドウシ テ
――ねえ、お願いです。父を返してください。
箱の中の指輪の石。それは私の父の骨。
ねえ、私はとても愛情深くて、おまけにとても心が広いの。本当よ。
だから、結婚詐欺に騙されて全財産を取られても、仕方ないと諦められたの。
でもね、父の遺骨から作ったダイヤモンドの指輪。それだけは。
それだけは、どうかお願い、返してほしいの。
――ねえ、返して頂戴。私の父を。
するりと抜いたナイフの光に、高い悲鳴がこだました。




