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小さな魔女と王宮魔法師 2

お題:気高い雑草  制限時間:1時間







 コツコツと柔らかな靴音が扉の向こうより近付きます。魔女は慌てて頭から手を離すと、大椅子の影に隠れました。

 問いかけるようなノックが、控えめに二回。


「失礼してもいいかな?」

「あ……のっ、少しだけ、待っていてください……!」


 扉に向かって制してから、魔女は小さな声で歌いました。




 伸びろ 伸びろ どこまでも

 天まで届き地に沈み 冷たい水をくぐり抜け あたしの中に注ぎ込め

 全てを 元ある世界のように




 ヴィリアード・ロドラックが扉を開くのと、光の粒が消えたのはほとんど同じ時でした。


「こんにちは、小さな魔女さん。ここでの暮らしには慣れたかな?」


 魔女は姿を見せながら、ホッと胸をなでおろしました。どうにか気付かれずに済んだようです。


「はい。おかげさまで……夢のよう、です」

「何か不便事は無い? 欲しいものは?」

「大丈夫です。その、特には、何も……」


 俯き気味に答えていると、白い長靴の爪先が目の前でぴたりと止まりました。


「……成熟賛歌。何かを急速に成長させたね」


 ああ、やはり彼にはお見通しだったのです! 魔女は青ざめ震えだしました。



 ――ここにいる間は、魔法を使ってはいけないよ。



 王宮魔法師である彼と交わした、たった一つの約束事でした。


 早々に破った自分のことを、彼は許してはくれないでしょう。

 もしかしたら追い出される前に、厳しい処罰を受けねばならないのかもしれません。


 恐る恐る顔を上げれば、きらきらした眼差しにぶつかり、魔女は恐怖に喘ぎました。

 瞬きの度に変化する、美しいこの瞳に魅了される者は多いのでしょう。首を傾げれば零れる白金の髪。微笑みの絶えぬ端正な顔立ちに、水晶のような外套からすらりと伸びる白い長靴。王宮に関わる女性の多くが彼のことを噂し合い、たった一度でもいいから声をかけてもらえる日を夢見ていることを知っています。

 けれど魔女にはこれっぽっちも、そんな憧れなど持てないのでした。


 白い手袋の指が伸び、縮れ毛の傍で止まります。


「――誰にやられたの?」


 魔女は見透かされていることを知りました。



 


 *





 前の夜、魔女は人目を避けるようにして城の庭園を歩いていました。

 広大な敷地の中で最も湿った奥地にある、誰からも見向きもされないような小さな沼。その縁に屈み込むと、魔女は濁った水鏡に指を浸して歌いました。




 出てこい 出てこい 今すぐに

 底に溜まった泥を食べ 濁った水を啜り飲む あたしの可愛いおともだち

 



 ぽこ。ぽこり。ぽここ、ここ。

 あぶくがいくつか生まれたかと思うと、眠そうな目が水面に浮かび上がりました。


「……なぁんだ、どんなカワイコちゃんがおいらを呼んだのかと思ったら、ひょろっひょろのちんちくりんじゃないかあ」


 横裂けの口から舌が飛び出し、ぱくん、と羽虫を捕まえます。


「テメェは理想が高過ぎんだよ。影の時点でお察し案件だったろ」


 後ろから浮かび上がった腕が、ぺちん、と目の前の平らな頭を叩きました。

 

「こら、こら。全く二匹とも、レディーに対して失礼ですよ。いくら期待外れな容貌だとしても、傷付けるようなことを口にしてはなりません。いいですか、気が乗らない場合には『失礼します、お茶の時間ですので』と一言断ってから沈むのが、相手への気遣いというものです」


 カサカサとアシを掻き分けて、まだら模様の長身い胴が、とぐろを巻きながらたしなめます。


 泥沼より二匹、葦影から一匹。

 こうして大きなヒキガエルとヘビが、小さな魔女の周りに集まってきたのでした。 





 *





 ロドラックは身を屈めると、小さな魔女の腕の中の二つの瓶を覗き込みました。深く抱え込む隙間から、ナメクジとネズミが動くのが見えます。


「こ、これ、を、渡さなかった、から……」


 魔女はそれらを隠すように、いっそう深く抱え込みました。

 

「――それだけで、君は、髪を、切られてしまったのかい」


 ゆっくりと尋ねるロドラックの口調に、魔女は震えあがりました。


「ち、ちが、違うんです……! わたしが、きちんと答えなかったから……そ、それ、それで、別にたいしたことはなくて、だから、ぜんぜん大丈夫で……」

「この塔は普段僕が人払いさせている。なのに無理矢理乗り込んできて、君をこんな目に遭わせた相手のことを、何故君は庇おうとする?」

「それは……」

「大方僕に懸想する御婦人方が徒党を組んでやって来たと、そんなところかな」

 

 そうです。全てロドラックの言う通りなのでした。

 誰にでも等しくにこやかに接していた王宮魔法師が、急に何処の誰だか分からない女を自分の塔に連れ帰り、何日も住まわせているのです。女性たちのやっかみが増え、どんな相手が調べようとするのも当然だといえました。


 罵られることには慣れています。物を投げつけられるのにも、扇で頬を叩かれるのも我慢できました。

 けれども、荷探しをされ悲鳴を上げられ、瓶を床に叩きつけられようとした瞬間、魔女は女達を突き飛ばしました。そうして瓶を奪い返すと抱え込み、守るように丸まったものですから、腹を立てた女達に根元から髪を切り取られたのでした。


「髪なら僕が伸ばしてやれる。瓶の中身も魔法で簡単に集めてやることができる。

 それなのに、君はこんな酷い目に遭ってまでして、これらを守ろうとした」


 ロドラックは、そっと黒い縮れ毛に触れました。――引っ張ればぷつりと切れてしまうような、傷みきった細い髪。それでも、失ったものを元に戻す賛歌には代償を必要とします。

 そうして彼の予測が正しければ、それらはおそらく彼女の肉体に関わるものであるはずでした。


「だ、駄目、です」


 魔女は一歩後ろに下がると、消えそうな声で囁きました。


「わたしがやらなくては、駄目なんです」


 窓の向こうで、クコ、と柔らかな鳴き声がしました。





挑戦時、制限時間以内にお題を明確化できなかったため後半加筆しています。

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