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月人(つきびと)


『月の光を浴びるほど、人は美しくなれるのよ』


 そう聞いたあの言葉は、一体誰のものだったろうか。




 幻月環げんげつかん時に方陣を描き、願をかければ月人つきびとが降りるという。

 そう、祖母に教わった。


 キン、ととびきり冷えた夜。積もる雪が銀の絨毯となり私の舞台を整えてくれる。

 月人は冷気を好むと聞いた。今夜はそれにふさわしい。

 白樺の太枝を折ったものを使い、私は白銀のカンバスを削る。幾筋もの筋の重なりはやがて召喚用の方陣となる。

 準備を終え陣に立ち、私はナイフを取り出した。このためだけに新調した銀色のそれを、ためらいつつも手首にそっと押し当てる。

 ――信じなければ降りては来ない。

 そう何度も唱えて息を整え、手首に押し当て滑らせた。

 純潔の乙女の血と祈り。

 それが彼らの望むもの。それだけが、地上に降り立つ彼らの目印。


『――我を呼んだか』


 薄れる視界、暮れゆく意識。

 私の中で声が響く。低く静かにたゆたうようなその波に、瞼を開けても目に映る赤い流れに、いっそう気だるい心持ちになる。

 誰かが私の手を掴む。いいえ。もう誰なのかは分かっている。

 手首から流れ込む、さざ波のような柔らかなうねりが私の身体を満たしてゆく。

『望みを言え』

 低く響くその声に、僅かに漏れたのはため息だけ。

『答えよ。我はそなたの血を啜った』


 答えよ――

 ――答えよ

 答えよ――


 瞼を押し上げ映したのは、冷たく輝く貴人の姿。

「……傍に」

 ひび割れた唇を開き、掠れた声で懇願する。

「貴方の傍に……」


 ――確かにあった望みなのに。もう、何も思い出せない。


『我を望むか』

 問うた声に揺れは無く。

 ああ、それでも。

 ゆっくり一つ頷くと、そこで私の意識は途切れた。



 十年。

 そう取り交わされた私の月での恋の期限。

 焦がす身体と想いを受け止めて尚、彼は冷たく輝くだけで。

 それでも良い、偽りでも良い。

 私だけを見ていて。

 貴方さえいれば、他には何もいらないのだから。

 




『期限が来た』


 変わらぬ姿で貴方が言う。

 僅かに老いた私は怯える。


「駄目! 駄目駄目! 貴方は私のもの! 私の私の私の」

『愚かな女』

 しがみつかれても尚、変わらぬ口調で彼は告げる。

『だが情はある故、道を与える。

 いつの日かお前が美しい御霊になれば、いずれ我が迎えに来よう」


 そうして戻された地の上で、私は泣いて誓いを立てる。

 ――美しく、美しくならねば。

 そうすれば、きっとあの人が迎えに来る。




 *




 節くれた指を震わせて杖を突き、私は今宵も外に出る。

 広い空き地に出て曲がった背を丸めるようにして冷たい岩に腰掛ける。

 顔の皺をさすり伸ばし、紅をさした唇が良く見えるように顔を上げ、あの人の住む世界を見る。


 『月の光を浴びるほど、人は美しくなれるのよ』


 ――美しく、美しくならなねば。



 嗚呼。

 だから、私は月の光を浴びるの。


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