第終夜:別つ世界。
「貴方にだけは、こんな姿、見られたくありませんでした」
激しい雨の音に消されること無く彼女の言葉が耳にこびり付く。
薄暗い家屋の中、項垂れるように女性がやって来た青年を上目に見ている。
着物の乱れた姿。美しい栗色の髪が流れるようにその着物の上を走る。
乱れた着物の隙間から覗くものはその女性には似つかわしくない、禍々しく隆起した赤黒い肌。首筋の下辺りから左肩までがその化け物じみた肌に犯されていた。
「嗚呼。何が、何があったんだ・・・」
サッド・・・。
銀色の髪をした青い瞳の青年が呼ぶ名。彼女の名前だ。
「私のことは、もう。忘れてくださいまし」
何を言っているんだ?彼女は何を言っている?
青年は言葉すらも通じていないのかと思う程困惑した顔で彼女を見つめてしまう。
これが夢であればいいと幾度願ったことでせう・・・。
俯いた女性の口から漏れる嗚咽を含んだうめき声。発声すらきちんとしていないというのにも拘らず、青年の耳にこびり付くかのように鮮明に刻まれる言葉。
「私は。闇に囚われました。最早私は長くはありません」
いずれは人ではなくなり、人を喰らうものへと変わり果てませう・・・。
嗚呼。嗚呼。青年は嘆く。己の招いた惨事が彼女に絶望を招いてしまったのだと。
「マスター・・・」
青年の背中にか細い声がかかる。振り向いた青年の瞳は酷く憎しみを孕んだものだった。一瞬全てを白く染めるかのように雷光が迸り、落雷音が酷く大きく響く。
その後静まりかえる暗がりの中、青年は静かに口を開いた。
「お前のせいだ」
「断片?なんだそりゃ?」
舞阪市のほぼ中央に面する夢幻高等学校。ここが剣示が通っている学校である。
その屋上の寒空の下、エッジと二人でベンチに座り、剣示はコロッケパンをエッジはあんぱんを齧りながら会話している。
「ええ、私も詳しくは知らされていないのですが、魔法書物、えっとイヴさんでしたね?彼女は完全な状態では無いということが判明しているんです」
「はぁ・・・?ちょっとついていけないんだが?」
曖昧な返事をしながら剣示はコロッケパンを嚥下してからコーヒーを飲み干す。
「ええと。つまり、私達でいうところの記憶喪失といったところなんですよ。彼女が失っている断片は”目次”。えっと・・・彼女は今自分に何が出来るのか、何を知っているのかを全く判っていない状態なんですよ・・・分かりにくいならすみません」
「まぁ、俺の理解云々は置いといてだ。エッジはその断片を探してるってのか?イヴじゃなく?」
エッジはもぐもぐとあんぱんを嚥下して、話し出す。
「ええ。イヴさんは断片のことすらわかっていないでしょう。忘れてしまっているのですよ、全てを。私の特務は魔法書物の断片の回収。更にその断片の消去です」
さらっと危なげなことを言うエッジに剣示が疑問を抱く。
「え?ちょっと待てよ、その断片はその・・・イヴの記憶みたいなもんなんだろ?それを消すってどういうことだよ」
「私達には関係の無い話なのですよ・・・不本意ですがそういうことです」
剣示は中身のなくなったパンの袋をクシャっと丸めて制服のポケットに入れながら顔を歪めて言う。
「そういうことかよ・・・その断片っていうのに興味なんざねぇけどよ。でもさ・・・イヴのものだろ?イヴの記憶なんだろ?それを関係無いっていうのはいただけないな」
「上の指令で動くだけです・・・冷酷と思われるでしょうけど、仕方ありません」
剣示にそう思われることが嫌なのだろう、悔しそうに顔を伏せながらエッジは踵を返した。
「なぁ、エッジは・・・そのイヴのことあんま知らないと思うけどさ・・・あいついい子なんだ。どんな記憶かしらんが、それが戻ったところであいつが悪いことするなんて思えない」
「ええ。剣示さんがそう言うならそうなのでしょうね・・・でも・・・私にはどうすることも出来ません・・・」
エッジが言葉を終えると共にエッジの姿が屋上の扉の向こうに消えて、扉の閉まる音が剣示一人の屋上に響いていた。
剣示はベンチの背もたれに頭をつけてダラシナイ姿で溜息を吐く。
俺に何が出来るっていうんだよ・・・
「ま、なるようになれってんだ・・・」
誰に言うでもなくそう呟いて寒空のベンチで少し目を閉じ、チャイムが鳴るまでこの屋上で過ごすことをきめた。
大体たかが一高校生に何が出来るっていうんだ・・・
そう思い耽っていた瞬間、キィィィンという耳鳴りがした。
「よう、イーヴァルズグラァックスの主ってのはお前だな?」
いきなり目の前に現れたのは白髪のボーイッシュなショートカットの髪に褐色の肌をした少女だった。
赤い瞳がキラリと光り、端正な顔つきがとても女性的な美人の部類に入る少女だ。
黒一色で統一されたレザー系の服装を身に着け、その魅力を倍増させている。
「えっと?誰ですかあんたは?」
「俺は炸羅だ。手っ取り早く言うとお前の命を奪いに来た!」
「・・・・・・またか。またかよ!いい加減にしてくれ・・・俺は一般市民だぞ?何か知らんが命狙われるほど重要人物じゃねぇ!!」
いい加減このノリにうんざりしていた剣示がすごい剣幕で炸羅を捲くし立てる。
「問答。無用」
腰にそえ付けたナイフを抜き、剣示の喉元を掻っ切る。
危機感にゾワっと総毛立つ感覚がしたと思ったら剣示は炸羅から数メートルも離れた場所に飛んでいた。
「・・・は?」
剣示がいた場所にはコンクリートの地面にヒビが入っている。
「流石、魔術書物の主。一筋縄ではいかないね!」
炸羅は持っているナイフを逆手に変え投げつけると同時に太股の剣を抜いた。
剣示の眉間を一直線に飛んでくるナイフが剣示にはまるでスローモーションで飛んでくるように見える。
難なくそれを捕り、炸羅の剣撃をナイフで止めた。
「あれー?まじかよ・・・」
常人に出来そうな動きとはかけ離れた自分の動きに驚きを隠せない。
「余裕ぶった口!閉じさせてやる!!」
間延びした剣示の口調に怒りを彷彿させ炸羅は剣撃に蹴り、拳を織り交ぜ息も吐かせない連続攻撃を繰り出す。
首筋を狙った剣を紙一重でかわし、鳩尾を狙う爪先を払い、顎を正確に狙ったフックをバックスウェイで避ける。僅か数秒の出来事ではあるが炸羅は相手が自分より数段も上の実力を保有していると確信した。
「お前の名、聞いておく!言え!」
間合いを取り、構えを解いて剣示に向ってデカデカと叫んだ。
「はぁ。相島 剣示だ。ヨロシク?」
「剣示か!覚えておくぞ・・・」
悔しそうに吐き捨て炸羅は忍者ヨロシクな様子で掻き消えた。
「覚えておかなくっていいよ・・・」
タイミングよく始業のチャイムが鳴り響くなか、泣きそうな顔で剣示は教室へと向うのだった。
屋上の扉の上で一部始終を眺めていた影がくすくすと笑っている。
滑らかな黒髪に大きな黒いリボンが印象的な幼い少女である。
「炸羅ったら、情けないなぁ〜くすくす・・・今度は凛の番だよ・・・」
自分のことを凛と呼ぶ幼い少女は黒いスカートを翻し、立ち上がって指を鳴らした。
エッジは目の前の光景に目を丸くしている。
教室の外の廊下にはパンダや熊やライオンやトラ。さながら動物園並の光景が広がっている。
「どういうこと・・・?まさか・・・”彼”の眷属の仕業・・・」
でも・・・どうして今更・・・私を狙っているのではないとすると剣示さんを・・・?
最早”彼”が剣示さんを殺すメリットが見当たらない。
だとすると、眷属の単独行動ということになるわね・・・。
眷属の中には好き勝手な行動をとる者が多く存在していることをエッジは知っていた。
それを容認するかのように”彼”は何の制御もしない。好きなように行動させそれが”彼”にとって不都合な場合のみ”彼”は出てくる。
「何はともあれ剣示さんを守らなきゃ・・・」
エッジは教室を飛び出そうと扉に手をかけたがまるで接着剤で止められているかのようにびくともしない。
「くっ・・・とにかく・・・クラフト。エリア凍結!」
両手で印を組むとエッジは結界を創る。そうすると教室の外の異変に気付き始めた生徒が騒ぎ始めた瞬間まるで氷ついたようにその姿を止めた。
「ふぅ・・・まずは・・・剣示さんを見つけないと」
「そうはさせないよ?デシャバリなフォースは凛、大っ嫌い!!」
「そう?光栄ね、私も眷属は大嫌いよ!」
エッジは制服のスカートを翻し、太股につけたベルトに固定してあったナイフを投げつける。
それを難なく避け、凛は教室内に黒豹を呼び出した。
「へぇ。使い魔具現化能力か、でもそんな他力本願な能力は得てして使えないものよ?御出でなさい!グラム!」
エッジが構えた両手に光が収束し、馬鹿でかい剣がその姿を顕す。
「凛の能力を馬鹿にしたら死んじゃうんだからね?ケルベロスちゃん御出で〜♪」
凛がまるで歌うようにその名を呼ぶ。教室の3分の1ほどを有する巨体が顕れる。
獰猛を隠さず、その姿は破壊と殺戮の権化。地獄の番犬ケルベロス。
「・・・只の使い魔具現とは違うみたいね・・・」
「うふふふふ。さあ、やっちゃえ!」
剣示は教室には向うことなく一直線に下駄箱に向っていた。
理由は勿論。
「くまっぱんだっライオンっトラぁぁぁぁ・・・!?いつからここは動物園に様変わりしたわけ!?」
追われていた。
「・・・えー・・・ありえなーい・・・」
下駄箱にいたのはワニの大群だった。剣示は仕方なく振り返り、覚悟を決めた。
「マジでこれどうしよう?」
持っているのはさっき手に入れたというか奪ったナイフ一つである。
ナイフを逆手に構え、飛び掛ってきたトラを紙一重で避けながら首筋を掻っ切る。素早く地を蹴り、後ろに控えていたライオンの脳天にナイフを投げつけライオンの背中に着地と同時にナイフを引き抜いた。
「うーわ。こんなの人間の動きじゃないなぁ・・・」
自分の動きに気持ち悪くなるが、そんな悠長なことを言っている場合じゃないのでパンダと熊からバックステップでライオンの背から飛び降り、間合いを取る。
剣示の動きに危機感を覚えたのか、パンダも熊もすでに臨戦態勢で唸っている。
「こら。パンダお前もっと愛嬌良くしとかないと動物園で人気おちちゃうぞ」
と言ってみた。が、なんの効果もないようだ。
「わー。もう動物に愛着もてなくなりそ・・・」
そう剣示が言ったのは廊下の向こうから猫や、犬、果てには馬などが怒涛のように走ってくる姿を見てしまったからだ。
「しかし、これ殺しまくったら動物愛護団体から苦情きそうだぜ」
などと呟いて近くで口を開いているワニの尻尾を掴んでパンダと熊に投げつけ、地を蹴り、階段の踊り場まで一気に飛んだ。
その後はもう後ろに目もくれずにとりあえず教室へと向う。スーパーマンヨロシクのスピードで速攻教室の前まで走り抜けた剣示の目に飛び込んだのは化け物と対峙するエッジの姿だった。
「ホント、勘弁してくれ」
「剣示さん!?逃げてください」
剣示の姿を確認したエッジが急かすように言う。それに対して凛がのんびりした口調で剣示に話しかけてくる。
「あれ?まだ生きてたんだね」
「まぁ、なんとか」
剣示に気をとられたのかケルベロスの前足に易々とエッジは吹き飛ばされる。グラムで咄嗟に受け止めたが、衝撃まではどうすることも出来ず、窓ガラスを突き破り剣示のいる廊下まで吹き飛ばされてきた。
「うぐっ・・・っ」
「まぁ。でっかい犬ころですこと・・・」
エッジを抱き起こしながらケルベロスに向ってそう言った瞬間ケルベロスが口を開いた。
「ニンゲンゴトキガワレノソンザイヲケガストハユルサン」
剣示に一直線に突撃してきたケルベロスを思いっきり殴りつける。まるでピンボールのように逆方向にすごい勢いで飛んで行き、外側の窓を突き破り校庭に叩きつけられた。
「まぁ所詮犬ころは犬ころだわな」
剣示が殴りつけた手をぷらぷらとしながら凛を見据える。
「!?ケルベロス!?」
凛は慌てふためいて校庭に血反吐を吐きながら横たわっているケルベロスを見下ろした。
「な、なんで?なんで凛の能力があっけなく破られるのよ・・・なんで!?」
「え?知らね。」
「剣示さん・・・貴方一体どうしちゃったの・・・?まさか・・・リンクしたままなの!?」
エッジが驚きを隠せない様子で剣示の肩を揺さぶる。
「お、おい。なんだそのリンクって、知らないってば」
「剣示!凛が今度あったらぎったんばったんにしてやるんだから!」
エッジに問い詰められていた隙に凛は校庭に飛び降り、その瞬間に姿を消した。凛が姿を消したそのすぐ後にはケルベロスもほかの動物も全て消滅していた。
「ふぅ・・・やれやれ・・・ってどうしようかねぇこの有様は・・・」
溜息を吐き、辺りの惨状を目の当たりにした剣示が呟く。
「君がそれを心配することはない」
その声は剣示のすぐ傍で聞こえるようでいて、遥か彼方から響いているようにも思えた。
「シェイド様!?・・・何故?・・・」
エッジが驚いたように後ろを振り返るとそこには銀色の長い髪を腰辺りまで伸ばした美女がエッジと同じく白一色の出で立ちで立っていた。
「初めましてだね。剣示君、私はフォースの指揮官シェイド。”闇の剣”とも呼ばれている」
「あ、ああ、初めまして・・・シェイドさん」
「残念だが、剣示君。君の抹殺が承認された」
「え、」
剣示が訊き返す暇も無く強かに顎を打ちぬかれた。剣示にはその手の動きすら見ることが出来なかった。
「がっ・・・何を・・・?」
「シェイド様!?」
「エッジ。お前はどう思った?簡潔に言え」
シェイドはエッジに有無を言わすことなくピシャリと言い放つ。
「はっ・・・私は剣示さんが魔法書物とのリンクを常時行っていると判断します」
「そうか。だとしたらすべき事は判っている筈だ」
「でも!!剣示さんはっ・・・」
エッジは震えながら目に涙さえ溜めたままシェイドに食い下がる。
「いい人か?そのいい人間とやらに何度この世界を滅ぼされかけた?」
まるで物でも見るかのようにエッジを見下ろし、淡々と言い放つシェイド。
ふぅ、と短い溜息の後、シェイドは手を翳し、呼ぶ。
「御出でなさい。レーヴァンテイン」
漆黒と紅の光がシェイドの手に収束し、禍々しい剣の姿を形取る。
まるで脳内がザーザーと砂嵐のように荒れ狂う音を立てている。
なんて理不尽な。
剣示は思う。
ああ。何てこいつは理不尽な事を言っている?
剣示の体は急速に変化している。より速く動けるように。より強く硬く全てを砕くように。否、これは最早変化ではない、進化だ。
なんの説明すらなく俺を殺す?
みしみしと体が音を立てている。
馬鹿にしている。ああ、馬鹿にしている。
「見ろ、エッジ。急速な進化だ。これでも彼が危険ではないと?」
「それはっ!?シェイド様が何の説明もなく剣示さんを殺そうとしているからじゃないですか!?剣示さん!!落ち着いてください!お願い!お願いですから!!」
エッジが剣示に縋る様に抱きすくめ叫ぶ。
「無尽蔵に魔法書の力を引き出し、かつ自然にそれを行使出来る人間に危険が無いと言えるほうが狂人だ」
「剣示さんは私を助けてくれました・・・優しい本当に優しい味のコーヒーを作れる人なんですよ・・・だから大丈夫だと思うんです」
「失望だエッジ」
次の瞬間には剣示の背中にはレーヴァンテインの切っ先が突き出ていた。
エッジと共に貫いたレーヴァンテインを冷酷に引き抜き、踵を返して言い放つ。
「闇に還れ」
ああ。なんて酷い結末だ。
こんなのありかよ・・・?
頼む、誰か・・・
誰か・・・
助けてくれ
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「!?」
エッジを抱きしめながら咆哮する剣示の体が急速に光を纏い、白い闇を形成していく。
「くっ!させるかっ!!!」
シェイドがレーヴァンテインを振りかざす暇も無く、剣示とエッジの姿は一瞬にして消え去っていた。
「・・・世界生成か。まずいことになった・・・夢幻町とはよく言ったものだ。ここは魔に満ち溢れている」
吐き捨てるように言い、シェイドの姿は忽然と消え去った。
「あ、イヴ。食べないなら私に頂戴よー」
リペアがボウっとしているイヴのアイスに手を伸ばすと、反応良くひょいっとその手を避ける。
「むぅ・・・意地汚いなぁーイヴ」
それはリペアのほうだろうが、イヴは反論もせず、ゆっくりとリペアを見て言う。
「マスターが、消えた」
終夜と書いておりますが、最終回ではありません。言わばちょっとした展開の区切りとしてそういう感じにしました。ちょっと長くなりましたが読んでくれると嬉しく思います。ではまた次の話で会いましょう。