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マチ★アソビ~水の都・徳島をめぐるプロローグ~

作者: 明石竜
掲載日:2026/10/17

 秋晴れの青空が広がる十月。徳島市の中心部にそびえる眉山のふもと、阿波おどり会館の前は、いつもと全く違う熱気に包まれていた。

 高校二年生の城本美波は、幼なじみの紗夜に手首を引かれながら歩いていた。普段の通学路として見慣れた徳島の街が、この数日間だけは「アニメの聖地」へと変貌する。徳島で開催される一大アニメイベント、マチ★アソビだ。

「美波、早くしないとロープウェイ、また混んじゃうよ!」

「わかっとるって、紗夜」

 二人は阿波おどり会館の5階にある眉山ロープウェイの山麓駅へと急いだ。ゴンドラ内で流れる人気声優による臨場感たっぷりの観光アナウンスは、絶対に外せないお楽しみの一つだった。

 乗車すると、お気に入りのキャラクターの声がスピーカーから響き渡る。美波と紗夜は声を殺して大はしゃぎした。ゴンドラがぐんぐんと高度を上げるにつれ、車窓からは「水の都」と呼ばれる徳島のパノラマが広がっていく。

 標高約290メートルの山頂に到着すると、二人は展望台へと向かった。雄大な吉野川の流れと、遠く広がる紀伊水道が一望できる。美波の一番お気に入りの場所だった。秋の爽やかな風を全身に浴びて絶景を堪能すると、二人は贅沢なアナウンスの復路を聴くため、すぐにまたロープウェイへと乗り込み、名残惜しそうに山を下りた。

     ☆

 山を下りた二人は、まずJR徳島駅のすぐ横にある線路沿いのアーケード、ポッポ街商店街へと向かった。

 普段は少しレトロで落ち着いた雰囲気のポッポ街だが、マチ★アソビの期間中は一変する。空き店舗を利用した特設ブースがずらりと並び、ゲームの体験会やインディーズアニメの展示に大勢のファンが詰めかけていた。

「すごい人やな……あ、美波、うち、東新町商店街のグッズショップも見てきたい!」

 紗夜がスマートフォンを取り出し、美波に画面を見せた。

「ほら、これ! 今日限定のアクリルスタンド! 昨日からずっと狙っとったんよ。売り切れる前に行きたいけん、先に行ってていい?」

「うん、いいよ。私は新町川のほうを通って向かうから、後で合流しよ」

「ありがと! 買えたら連絡するけん!」

 紗夜は嬉しそうに手を振ると、人混みの向こうへ小走りに消えていった。

 美波は新町川へと続く細い路地、ろくえもん通りを抜けて、歩行者専用のウッドデッキ、しんまちボードウォークへと向かった。

 川沿いに一歩足を踏み入れた瞬間、美波の身体がぞくぞくと震えた。

 ちょうど、川沿いの新町橋東公園ステージで、アニソンのライブが始まるところだったのだ。

 地響きのような歓声と、鮮やかなペンライトの光が、昼間の太陽に負けないくらい眩しく弾ける。川面に反射する何色もの光が、ステージの熱量を何倍にも膨らませていた。

 その人混みの後ろ、少し離れたベンチに、一台の大きな一眼レフカメラを抱えて俯いている男の子が目に留まった。見慣れない制服を着ている。彼の足元にはマチ★アソビのフライヤーが置かれ、その表情には、行き場を失ったような落胆の色が浮かんでいた。

 通り過ぎようとした美波だったが、彼のカメラのストラップに、美波が今一番熱中しているマイナーなロボットアニメ『アルカディアの風』の缶バッジがついているのを見つけて、思わず足を止めてしまった。

「あ……それ」

 声に出てしまっていた。男の子がハッとして顔を上げる。少し赤くなった目で、美波を見た。

「あ、ごめんなさい。変な意味じゃなくて。そのバッジ、『アルカディア』ですよね? 私もそのアニメ、めちゃくちゃ好きなんです」

 男の子は驚いたように目を見開いた。それから、少し照れくさそうに、ぽつりと言った。

「……本当? このアニメ、僕の学校の周りじゃ誰も知らなくて。ここに来れば、誰か話せる人がいるかもって思ったんだけど」

 彼の名前は颯真。東京の高校生だった。

 颯真は『アルカディアの風』の背景美術に感動し、その美術監督がマチ★アソビのトークショーに登壇することを知って、アルバイトで貯めたお金で初めて一人で徳島へやってきたのだという。

「なのに……僕、飛行機の出発時間を一時間遅く勘違いしてて。予約してた便に乗れなかったんだ。なんとか空席のあった後の便で徳島まで来たけど、会場に着いた時には、もうお目当てのステージが終わってた。サイン会も、整理券がなくなってて……」

 颯真は悔しそうに俯いた。

「帰りは夜行バスで、明日の朝には東京に戻る予定なんだ。だから、もう一日滞在することもできなくて……何のためにここまで来たんだろうって、自分が情けなくて」

 颯真はカメラをぎゅっと握りしめた。東京から遠く離れた四国の地まで来て、目的を果たせなかった喪失感。美波には、彼の悔しさが痛いほどよく分かった。

「そんなことないよ!」

 美波は思わず強い口調で言っていた。ライブの重低音に負けないよう、声を張る。

「遠いところから、わざわざ徳島に来てくれたんでしょ? 目的のステージは見られんかったかもしれんけど、マチ★アソビはそれだけじゃないよ。見て、この川」

 美波は目の前を流れる新町川を指差した。

「吉野川も、この新町川も、『アルカディア』の監督が『水面に映る街の光を参考にした』って、去年のインタビューで言いよったんよ。颯真くんが感動したあの綺麗な背景のヒントは、この街にある。ここに来たことは、絶対に無駄じゃない」

 颯真は息を呑み、美波が指差す水面を見つめた。秋の日差しを浴びて、きらきらと輝く新町川。

「それにね」

 美波ははにかんだ。

「ほら、ここに一人、颯真くんと『アルカディア』の話がしたくてたまらない地元民がおるよ。よかったら、お話聞かせて?」

「……じゃあ、聞いてもいい? 美波さんは、どのシーンが一番好き?」

「えっ、選べんよ! ……でも、やっぱり第七話かな。主人公が、壊れた機体で雲の上に飛び出すところ!」

「あっ、僕もそこ!」

 颯真が勢いよく顔を上げた。

「夕焼けの雲が、すごく綺麗でさ。あのシーン、何回見ても鳥肌が立つんだ」

「わかる! しかも、あそこで主題歌のピアノアレンジが流れるんよね!」

「そうそう! それまで暗かった画面が、一気に明るくなって!」

 気がつけば、二人とも夢中になっていた。

 あの場面の雲の色が好き。あの台詞が忘れられない。最終回の背景に、一話と同じ風車が描かれていたこと。

 颯真が一つ話せば、美波も負けじと一つ返す。

「……すごいな」

 ふと、颯真が呟いた。

「僕、こんなに『アルカディア』の話をしたの、初めてかもしれない」

「私もやよ。学校じゃ知っとる子、ほとんどおらんけん」

「東京でも同じだよ。だから、今日ここに来れば、誰かと話せるかもって思ってたんだ」

「ほんなら、ちゃんと目的の一つは叶ったやん!」

 美波が笑うと、颯真もつられたように笑った。

「……うん。そうだね」

 その笑顔は、さっきベンチで俯いていた時とは、まるで違っていた。

 そのとき、川沿いのステージから、ひときわ大きな歓声が上がった。

 アニソンライブが、ちょうど盛り上がりを迎えているところだった。

「すごいね。街の真ん中で、こんなライブが見られるなんて」

 颯真が驚いたようにステージを見つめる。

「これがマチ★アソビの面白いところなんよ。普通に街を歩いとるだけで、アニメのお祭りに飛び込めるけん」

「東京のイベントとは、全然違うね」

「うん。徳島の街そのものが、会場みたいになるんよ」

 二人はしばらく並んで、ステージから聞こえる歌声に耳を傾けた。

 さっきまで落ち込んでいた颯真が、今は楽しそうにリズムを取っている。

 その横顔を見て、美波まで嬉しくなった。


 颯真はゆっくりとカメラを構え、秋の日差しを反射する新町川の景色を一枚、写真に収めた。

 カシャ、と静かなシャッター音が響く。

「……うん。ありがとう。僕、すごく、この街の景色、綺麗だと思う」

     ☆

 その後、二人は混雑を避けるように歩き出し、大きなアーケードを持つ東新町商店街へと移動した。

 商店街の中にある常設映画館、ufotable CINEMAの前では、アニメの原画展やトークイベントの待機列ができており、ここも熱気で満ちている。美波は颯真を連れて、少し落ち着いた雰囲気の新町川水際公園へと戻り、石畳のテラスに腰掛けた。

「そういえば、眉山のロープウェイって、イベント中は声優さんのアナウンスが流れるんだよね?」

 颯真が思い出したように尋ねた。

「そうそう! 私も今日、朝から乗ってきたんよ」

「いいなあ。僕も乗りたかったな」

「来年のお楽しみにしといたら?」

「来年、か……」

 颯真は少し考えてから、笑った。

「うん。今度はちゃんと予定を確認して、絶対に乗りたい」

「そのときは、私が案内したげるけん!」

 美波が笑うと、颯真も嬉しそうに頷いた。

 川面には、街を一周する「ひょうたん島クルーズ」のボートが走っており、乗客たちが橋の裏側に飾られた巨大なアニメバナーを眺めて歓声を上げていた。しんまちボードウォーク沿いには、大手アニメ制作会社の「パラソルショップ」がずらりと軒を連ね、川風に吹かれながらグッズを選ぶファンで溢れている。

「徳島の人って、みんなこんなに温かいの?」

 道行くスタッフや地元の人が、颯真の持つカメラやバッグを見て「遠くから来てくれたん? 楽しんでいってよ!」と声をかけてくれるのを見て、颯真が不思議そうに呟いた。

「まさか! 私が特別親切なだけなんよ」

 冗談めかして言う美波に、颯真が声を上げて笑う。

「でもね、マチ★アソビの時は、街全体が『ようお越しくださいました』って空気になっとるんよ。阿波おどりの精神があるけんかな、お祭り好きで、来る人を拒まないんよ」

 話しているうちに、紗夜から『今どこ? これから向かう』とメッセージが入った。楽しい時間は、あっという間に過ぎていた。

「あ、これ」

 美波はバッグから、苦労して手に入れた限定パンフレットを取り出した。そこには『アルカディアの風』の特集ページもあり、スタッフの限定コメントが載っている。

「これ、颯真くんにあげる」

「えっ!? ダメだよ、これ、すごく並んで買ったんじゃないの?」

「いいんよ。私は地元やけん、また来年もある。でも、颯真くんは今日、お土産が必要でしょ? 『徳島に行ってよかった』って思える何かが」

 美波はパンフレットを颯真の手元に押し付けた。

「その代わり、条件があるけん」

「条件?」

「さっき撮った写真、いつか私に見せて。颯真くんが見た、徳島の景色」

 自分でも、少し不思議なお願いだと思った。

 徳島の景色なら、いつでも見られる。それなのに、颯真くんが撮った写真は、どうしても見てみたかった。

 颯真はパンフレットを大切そうに抱きしめ、真っ直ぐに美波の目を見た。

「わかった。絶対に、送る。……あの、連絡先、教えてくれる?」

 夕暮れが近づき、新町川の水面がオレンジ色の光に包まれていく。二人はスマートフォンの画面を寄せ合い、連絡先を交換した。

     ☆

 徳島駅前のアミコドーム近くで颯真を見送る。

「美波さん、ありがとう。僕、マチ★アソビが、徳島が、大好きになったよ」

「うん。またおいでよ。いつでも待っとるけん!」

 颯真は徳島駅の方へと向かいながら、何度も振り返って大きく手を振っていた。美波も、ちぎれるほどに手を振り返した。 目当てのアクリルスタンドが入った袋を大事そうに抱えた紗夜が、にやにやしながら美波の顔を覗き込んできた。

「なになにー? 美波、国際交流ならぬ、東京交流しよったん? ポッポ街で別れてからずいぶん長かったやん」

「もう、違うって! アニメの『同志』を見つけただけ!」

 顔が熱くなるのを隠すように、美波は再び新町川の方へと歩き出した。

 ふと、川の方へ目を向ける。

 何度も歩いたこの道も、見慣れた新町川の景色も、今日まではただの、いつもの徳島だった。

 けれど、颯真くんはこの景色を、綺麗だと言ってくれた。

 あのカメラには、どんな徳島が写っているんだろう。

 私がいつも見ているものとは、少し違うのかな。

 そう考えると、見慣れたはずの川面が、なんだか少しだけ特別なものに思えてきた。


 街には、夜の帳が下りようとしていた。しんまちボードウォークにはLEDのイルミネーションが灯り、水面を美しく青白く彩っている。昼間の喧騒は少し落ち着き、どこか優しく、心地よい余韻が「水の都」を包んでいた。

 遠い東京と、大好きな徳島。

 かつては果てしなく遠いと思っていた二つの街が、アニメとマチ★アソビを通じて、今は驚くほど近くに感じられた。


 それから数時間後。自宅に帰ってくつろいでいた美波のスマートフォンが震えた。颯真からのメッセージだった。

『今、バスに乗りました。徳島、本当に温かい街でした。また来年、必ず行きます』

 美波は画面を見つめ、思わず笑みをこぼした。

『連絡待っとるよ。来年は、一緒にアニソンライブの最前列に並ぼうね!』

 窓の外には、秋の夜空が広がっていた。

 美波は来年のマチ★アソビが、今からもう、待ち遠しくてたまらなかった。

(終)

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