上
魔王ダークデスはため息をつき、ステータスウインドウを閉じた。三日で世界を征服してしまった彼は、二百年目にして燃え尽きていたのだ。
即死魔術のチートスキルはあまりにも強力すぎた。腕の一振りで百万の軍勢を壊滅させ、欲しいものは全て手に入った。
だが、つまらない。
年に一度、繁殖して増えた余剰人類を集めて殺しているが、それも最近は恐怖政治のため義務的になっている。スロットの大当たりみたいに鳴っていたレベルアップのファンファーレも経験値テーブルがエグくなってからしばらく聴いていない。自分をこの世界に転生させ数々のチートを与えて来た女神の顔も、ここ百九十年見ていない。
ダークデスはもう一度大きなため息をつき、童顔を隠す分厚いフードを被って玉座に身体を沈めた。
ダークデスに近寄る足音がある。
「お呼びでしょうか、魔王様」
唯一の側近であるフワラだ。制服の襟の上にはげっ歯類に似た頭が見えている。獣人と人間のハーフでありながらその手腕と癒し効果は絶大。その小さな手で城の掃除から財務整理まですべてをこなしている。
「退屈だ」
「お撫でください」
フワラは頭を下げて差し出す。
魔王はその頭をくしゃくしゃに逆撫でして、力を抜いた。
「飽きた。もっとこう、ドーパミン的な楽しみが欲しい……!」
両手を広げてダークデスは声を荒げたが、すぐに無気力が襲ってきて天井を見つめる。
フワラは頭の毛を整えると、ぽふん、と両手を打ち合わせる。
「でしたら魔王様、冥界征服はどうでしょうか」
「冥界征服?」
「はい。冥界はこの地上の十倍もの土地があります。領地とすれば死を克服したも同然。亡者は手強いですから、経験値もがっぽりです」
「ふむ、経験値か……」
ダークデスは顎に手を当てて考える。
「いいだろう」
レベルアップのファンファーレをもう一度聴くために、魔王は冥界へと降り立つことを決めた。
フワラは魔導書を開いたまま、大広間の床にマンドラゴラの灰で魔法陣を引く。その中央にダークデスは立った。
「魔王様、お帰りはいつごろに」
「そうだな。亡者どもを滅ぼして検地はお前にやらせるから、十日ほどで戻ってくる」
どんぶり勘定の計算をしてダークデスは腕を組んだ。
魔法陣が光る。
「いってらっしゃいませ」
転送魔術が発動し、魔王の姿は掻き消えた。
フワラは鍵を取り出し、幽閉塔の扉を開いた。
「誰じゃっ」
牢に囚われていたのは人間たちの女王だった。プラチナブロンドは輝きを失い、エルフの血を引いた永遠の美を湛えるはずの顔もやつれていた。
「ここを出ます。ナガラキ女王」
フワラは枯れ枝のように細い腕をつかむと、ナガラキに肩を貸した。
「何が目的じゃ。ダークデスは今更、我が命が欲しくなったか」
「ダークデス様は旅立たれました。黙って来てください」
ナガラキは、フッ、と皮肉めいた笑みを浮かべた。観念したように身を預け、支えられたまま階段を一段ずつ降りていった。
中腹あたりまで降りると、ざわめきが聞こえてきた。ナガラキが首を上げると窓から外が見える。数百名の人間が集まっている。
塔の扉が開かれる。
魔王城の門は人間のレジスタンスに囲まれていた。
彼らは棍棒や鍬といったあり合わせの武装で、士気も心もとなかった。
魔王の側近とボロボロの女王を見て人間たちのざわめきが止まる。
フワラは甲高く吠えた。
「魔王は冥界に落ちた!」
ざわめきが戻ってくる。
「もう一度言う、魔王は冥界に落ちた! 我々は勝利する!」
フワラの声に応えたのは、怒号だった。
「はあーっ!?」
人の波を割って一人の巨漢がフワラの前に出た。
「魔王側近のお前が、フワラ。なんの冗談だ」
レジスタンスのリーダー、グクが前に出る。
フワラはつぶらな瞳を瞬かせた。
「魔王が戻ってくるまで十日の猶予がある。それまでに準備を整え、統治を人類の手に奪還する」
「だからなんでそれを、亜人種で側近とかいう裏切り者が言うんだよって聞いてんだ」
詰め寄るグク。二人の間をナガラキの腕が遮った。
「やめよ。今は人類で争っている場合ではない」
「人類! こいつが!?」
グラはツバを吐きかけた。フワラは襟を持ち上げて拭こうとしたが、ナガラキが素手で彼の毛皮をぬぐった。
「女王……」
「亜人種と言うならわらわも同じである」
女王の視線に射すくめられグクは怯んだ。レジスタンスたちは顔を見合わせる。
「フワラの話を聞いてほしい。わらわからも願う」
ナガラキは頭を下げる。
それに呼応するように、グクとレジスタンスたちは武器を下ろした。
「ありがとうございます女王。しかし、ひとついいですか」
フワラはナガラキにてちてちと向き直る。
「なぜ私を信じようと思ったのです。魔王の策略かも知れないのに」
「策略なら逆に利用してやるだけよ」
ナガラキは微笑む。
こうして人類の逆襲は始まったのである。
「魔族は魔王の遺伝子をコピーしており、間合いは弱体化されていますが即死魔術が使えます。彼らは各都市に一体、配備されています」
魔王城の書庫でレジスタンスたちは作戦会議を行っていた。仕様書を開いてフワラは魔族の図を指す。
魔族は爬虫類の頭と蝙蝠の羽を持つ異形だった。
「ああ、道具屋のディグが触られて死ぬのを見たことがある。間合いってのはそのくらいかい」
グクがたずねる。
「ですね。腕の届く範囲と考えてください。即死魔術を使うには対象を認識する必要があり、視界外の存在を殺すことは難しいようです」
「そいつは魔王も同じなのか」
フワラは頭を左右に振る。
「魔族は知能を低く設定されています。魔王は気配さえ感じれば視界に捉えていなくても殺すことができる。先代の側近も暗殺を試みて、処刑されています」
静寂。
それを断ち切るように、グクは手を打ち合わせた。フワラは驚いたように顔を上げる。
「先のことはその時考える! 今は各都市の解放だ」
「……! はいっ」
フワラの目が輝いた。グクは鼻を掻いてそっぽを向く。
「勘違いするなよ、お前を信じたわけじゃないからな」
ナガラキ女王は大規模通信魔術を使い、各都市の人間に自らの無事を伝えた。
民は喜び喝采をあげる。しかし、すぐに不安と絶望へ染まった。
「わらわと共に、魔族と戦ってほしい」
彼女の願いは疲弊した人類には重すぎた。
「十日のうちに魔族を倒し、魔王から統治を奪還するためにお前たちの力が必要なのだ」
「十日!? 無理です!」
「ならば千年待てというのか! 人類が滅ぶぞ!」
困惑は広がり次々と反論、いや、反論にすらなっていない悲鳴が魔術によって届けられる。
「俺はまだ死にたくねえよ」
「魔族となんて戦えない」
「大人しく魔王に従っていればいいんじゃないか」
状況を見ていたフワラは顔を抑え、ナガラキはじっと民の声を聞いていた。
「喝!」
悲鳴を遮ったのはグクだった。
「大人しく魔王に従っていたって気まぐれに殺されるんだ。俺の両親もそうだった。真面目にパンを作って売ってただけなのに、ある日、魔王城に呼ばれて帰ってこなかった!」
グクは腕を組んで声を張る。
「それでも協力したくねえっていうなら十日間、家にこもって見て見ぬふりをしてればいい。レジスタンスにはいっさい手を貸さなかったって帰ってきた魔王に言えばいい。それで命の保証があるかはわからないがな」
悲鳴は静まり、密やかに言葉が交わされる。
ある男が手を挙げた。
「魔族の倒し方なんですが」
顎に無精ひげが目立つ。ズレた眼鏡を白衣の袖で直してから、気付いたように頭を下げる。
「自分はカカッセと言います女王様。すみません、地下酒場の写真でしかお見かけしなかったもので」
「構わぬ。魔族の倒し方だな? フワラから生態の説明がある」
「あ。いえ、えーっと、そうではなく」
仕様書を持ち上げようとしたフワラが転び、それをナガラキが受け止める。
「魔族の倒し方について、ご提案がございます」
カカッセの言葉は意外なものだった。




