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第6章 【法則崩壊】「嘘でしょ?」私の演算が通用しない敵を、隣の忠実な騎士(マロン)が一撃で粉砕した件


ボルンラント領は劇的な変化を遂げていた。



追放された当初は荒れ果てていた領主館も、レナの合理的で非の打ちどころのない管理によって、すでに王都の貴族邸よりも清潔で機能的になっていた。





土壌改良が完了してから一週間。





レナの演算によって栄養満点の黒土に変わった大地には、驚異的な速度で種が芽吹き、領民たちの顔には希望の色が戻り始めていた。





その日の夕刻、レナが館を出ると、領主館の門前で老執事のヘンリーと数人の領民が待ち構えていた。






「レナ様、この、この光景をご覧ください!」





ヘンリーの目は、興奮と感激で潤んでいた。





領民の一人が、手のひらに乗るほど小さな、しかし健康で力強い緑の芽をレナに差し出す。





「たった一週間で、こんなに……! レナ様は、この地を救ってくださった女神でございます!」





領民たちは跪き、レナを崇めるように頭を垂れた。





「感謝は不要よ」





レナは冷たい声で言い放ち、領民から一歩下がった。





「これは演算の結果。私にとって合理的な次のステップに過ぎないわ。あなたたちが感謝すべきなのは、無意味な感情ではなく、この成果を結実させるためのあなたの『労力』だけよ」





彼女はそれ以上領民に目をくれることなく、クライヴに視線を向けた。






クライヴは、領民の歓喜と、レナの冷徹な言葉を静かに受け止めた。






彼は、領民たちに深く頭を下げると、レナに代わって応えた。



(彼らがレナ様の力を理解できず、神と崇めるならそれでいい。だが、レナ様がご自身の孤独を、この冷徹な合理性で護っていることも僕は知っている。僕の献身は、誰にも理解されないレナ様のための聖剣だ)






そして、レナの研究は止まらない。






彼女は、昼間は領主館にこもり大気組成の最適化に取り組み、夜はクライヴと共に領地を巡回し、魔力回路の調整を行っていた。








その夜、二人は領地外れの古い祠に到着した。




この地のマナの流れの「歪み」の調査のためだ。





「ここが、昨日データで異常値を示した地点よ。クライヴ、周辺を警戒して」





「御意」



クライヴは即座に周囲の警戒に入った。




彼の動きは無駄がなく、流麗で、その瞳は夜闇の中で鋭く光っていた。






レナは祠の奥で、魔力導線に手をかざし、演算を開始した。





「原因は、空間の位相の乱れね。マナが物理空間ではない、別の次元に流れ出している」






その瞬間、祠の奥の暗闇が歪んだ。






ヒュウ、ヒュウ……






それは風ではない。





人の声のような、霊的な唸りだった。





黒い影が、物理的な形を持たないまま、レナめがけて襲いかかってきた。






それは、以前レナが粉砕した魔物とは全く違う法則外の存在だった。





「来るわ!」





レナは即座に手をかざし、演算の宣言を放った。







「――事象の再定義(リデフィニション)。法則、収束(コンバージ)せよ」






しかし、レナの放った緑色の光は、影を構成する原子が存在しないかのように、何の手応えもなく通り抜けた。





「なっ……!?」





レナの思考が停止した。





熱力学、電磁気学、原子運動……彼女の全ての理論が、この存在には無力だった。



彼女の視点では、そこに「叩くべき分子」が存在しない。




それは、神に世界を否定されたに等しい感覚だった。






影は、法則の通用しないレナの絶望を嘲笑うように、彼女の心臓めがけて腕を振り下ろした。






一閃!!





レナの体が硬直する。




しかし、影の攻撃は彼女に届かなかった。






レナの思考が停止した0.1秒後、クライヴは既に彼女の前に弾丸のように飛び込み、自身の聖剣で影の腕を受け止めていた。




(嘘でしょ……私の演算でも予測できない、0.1秒の絶対的な行動。私の理屈が、彼の実力に敗北した?)





影は物理的な実体を持たないはずなのに、聖剣と影がぶつかった瞬間、レナの視界が一瞬ホワイトアウトした。




世界の理がねじ曲げられたことに対する、知覚の拒絶反応のようだった。






クライヴは、剣を弾き返す力で影を押し戻すと、レナに咆哮した。






「レナ様!この敵は物理法則の外側にいます!演算は無駄だ!下がって!」






彼はレナを背中に庇いながら、その剣に白銀の激しい光を纏わせた。




レナの演算魔法とは違う、この世界に古くから伝わる純粋な魔力の光だった。




――それは、かつて国を支える聖剣の使い手にしか発現できない、法則の守護者の光だった。





「霊は、法則ではなく、意志で祓う!」





クライヴは地面を蹴りつけ、音速を超えたかのような速度で影に斬りかかった。





剣が影の胴体を両断した瞬間、空気が裂けるような凄まじい轟音が響き渡り、霊的な悲鳴と共に、黒い影はチリとなって空間から消滅した。







レナは、クライヴの背中を見て、体が震えるのを感じた。




(……私の演算が通用しない敵を、彼が?私の理屈が、彼の実力に敗北した?)




(彼は、いつもの可愛らしい年下の男の子ではなかった。この人は、私が知っているクライヴじゃない。私は、彼を単なる忠実な犬だと、ずっと侮っていた……)




レナの胸に、初めて恐怖と、科学者としての探求心、そして目の前の男の予測不能な力(法則外の例外)が入り混じった不可解な感情が生まれた。





「大丈夫ですか、レナ様」





その剣は霊的なものに触れた熱で微かに赤く発光していた。






クライヴは剣を鞘に納め、何事もなかったかのようにレナに尋ねた。








「あ、ええ……」




レナが答えようとした、その時だった。







カチカチカチ……






静寂の中、祠の天井から異様な足音が響いた。




そして、消滅した幽鬼の場所から、濃密な闇が形を成し始める。







闇の中から現れたのは、人間離れした美貌を持つ、長身の青年だった。





漆黒の髪と、夜空のような青い瞳を持つ彼は、退廃的な優雅さを纏っている。





彼はレナをじっと見つめ、優雅に口角を上げた。





「素晴らしい。私の道具を、たった一撃で消し去るとは。君の力は、この世界の法則を乱す、真に美しい狂気だ」





青年はクライヴを一瞥し、鼻で笑った。





「そこの忠実な犬の力は、実に原始的で退屈だ。だが、君。レナ・フォン・ヘルメス。君の孤独と知性は、この世界には理解できない」





青年は一歩、レナに近づく。




クライヴは即座にレナの前に立ち、剣の柄に手をかけた。





「君の法則は、私の呪いの根源には届かない。君の魂の渇きは、エドワードのような愚か者では満たせない」





彼は甘く、魅惑的な声で囁いた。





「私の名はゼフィール。この領地の法則外の支配者だ。私の世界に来なさい。君の演算を、私と共に永遠の真理に変えよう」






レナは、ゼフィールの言葉に自分の孤独と、真理への渇望を同時に見透かされ、ゾッとした。






クライヴの体が、レナを庇うように微かに震えた。



(この男は彼女の渇望につけ込んでいる。だが、彼女の魂の渇きを満たすのは、真理ではなく、僕の命をかけた忠誠だ――)




クライヴの冷徹な瞳の奥で、嫉妬と危機感が、制御不能な炎となって燃え上がった。


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