表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

第2章 【演算チート発動】「詰んだ領地」に着いた悪役令嬢、まずマクスウェル方程式で豪雨を降らせます


道中、レナとクライヴは簡素な宿に泊まりながら辺境へと進んだが、二人の間には目に見えない緊張の壁が築かれていた。






ある夜。




宿の粗末な食卓で、レナは出されたスープを口にする前に、細心の注意を払って観察した。




前世の裏切りと、悪役令嬢としての追放という現実は、彼女の警戒レベルを極限まで引き上げていた。




レナが出されたスープに手を伸ばすより早く、クライヴは静かにレナを見つめた。






「レナ様。誠に失礼ながら、お食事の安全確認をさせていただきます」





レナの翠色の瞳が、一瞬で鋭い警戒を帯びた。





「馬鹿を言わないで。その程度の危険度は、私の演算で即座に解析可能よ。あなたに騎士の職務の逸脱は許しません」



レナは拒否したが、クライヴは柔和な顔に一切の譲歩を許さない騎士の理性を浮かべた。




彼はレナの返答を待たず、無言でそのスープを一口だけ飲み、安全を確認すると、レナの前に静かに置いた。




レナはすぐに、その行動が「毒見」であることを解析した。




彼女の警告にも関わらず、クライヴは自己の命を賭して職務を遂行した。




騎士の職務という範疇を超えた、非合理的な献身。




レナはそれを計算外のノイズとして冷静に処理した。





男の行動原理は常に自己都合で、この献身も単なる義務感の逸脱に過ぎないという法則を、彼女はまだ信じていた。







またある時は、馬車の中でのこと。レナが眠らずに指を動かし(演算を行い)続けていると、クライヴは一切寝ず、静かに護衛を続けていた。





「あなたはなぜ、そこまで私に忠実なの?王子の命令ではないでしょう?」





クライヴは目を合わせず、外の景色を見つめたまま、短い言葉で返した。






「私の忠誠は、誰の命令でもない、私自身の定めた法則です」





レナはそれ以上問わなかった。






彼の動機の深さは、レナの持つ「男は裏切る」という法則では、まだ解析不可能な領域にあった。







◇ ◇ ◇






七日間に及ぶ長い馬車の旅を経て、馬車が揺れを止め、辺境領の玄関口に到着した。







レナは窓の外を見て、息を飲んだ。






ここは、帝国の国境に接するボルンラント領。







ゲーム『エタクロ』では、悪役令嬢が追放され、魔物と寒さに苛まれて孤独に破滅する地として描写されていた場所だ。






クライヴが馬車から降り、レナに手を差し伸べる。






「こちらへ。まずは領主館で現状を確認します」






レナは無言でその手を取り、馬車を降りた。




一瞬クライヴの手がピクッと動く。




彼の手は温かいが、レナの心は冷たいままだった。







「……ひどいものね」






レナの目の前に広がっていたのは、緑の無い荒涼とした大地。






建物は風雨に晒されて古び、唯一まともなはずの領主館も、壁にひびが入り、瓦が剥がれ落ちている。





人の姿もまばらで、すれ違う人々の目には、追放されてきたレナに対する憐憫と嘲笑が混ざっていた。









レナは、乾いた風の中に立ち、クライヴに冷たく言い放つ。







「クライヴ。ご苦労様でした。あなたの職務はこれで終わりです。これ以上、私に付き合う必要はありません。もうお帰りなさい」







クライヴの柔和な顔に、一瞬、深い痛みの色が走る。





彼のヘーゼルナッツ色の瞳は、レナをまっすぐ見つめる。





「それはできかねます。私は、レナ様をお守りすると誓いました。この辺境へお供することを、自ら志願しております」





「なぜ?」




レナは心底理解できないといった表情をした。





「ここはすぐに破滅する地よ。私と一緒にいても、無意味だわ」






「私の力(聖剣の力)のすべてを以て、あなた様をお守りすることこそが、私の仕事であり、揺るがぬ本懐です」







クライヴの言葉には、悲壮なほどの決意が込められていた。







レナは改めて、彼の姿を観察した。






身長は高く、鎧の下に隠しきれないほど鍛え抜かれた体躯。





柔らかな茶色のフワフワした髪、ヘーゼルナッツ色の瞳、整った顔立ち。






(あら、そういえば…) レナは唐突に思い出す。




彼はゲーム『エタクロ』の隠し攻略対象の一人、聖剣の使い手、クライヴ・イグニス。




その可愛らしい容姿とは裏腹に、レナと心中するような闇落ちした運命を持つ攻略キャラだった。





主人公アイリスと関わらないが、特定のルートで、真の悪役ルートに進んだレナを支える攻略キャラになる。






(子どもの頃、実家で飼っていたトイプードルの『マロン』』みたい。柔和な外見…でも、所詮はゲームのキャラクター。私の人生を狂わせる「男」のカテゴリよ)






レナの心に、前世の武史の裏切りと今世の王子の罵詈雑言がフラッシュバックする。




彼女はすぐに思考を切り替えた。







(彼を、王都に帰らせるには、ゲーム内の運命そのものを、変えるしかないわね。今は騎士の義務だろうが、自己満足だろうが、あるいは聖剣の力だろうが、利用できる法則は全て利用させてもらうわ)







「...いいでしょう。ただし、私の命令は絶対です」







「承知いたしました」











領主館の中はさらに惨憺(さんたん)たるものだった。





埃が積もり、家具は朽ち、窓ガラスは割れている。





レナの到着を待っていたのは、疲弊した様子の老執事と、数人の使用人だけだった。







老執事のヘンリーが申し訳なさそうに頭を下げる。






「レナ様……ボルンラントは、三年も前から干ばつが続いておりまして。税収は途絶え、物資も届きません。このままでは、冬を越すのも難しいかと……」






レナは状況を冷静に分析した。




これは、ゲームで悪役令嬢が病と寒さで絶望死するルートそのものだ。




(この領地は詰んでいる。食料、水、熱源。すべてがゼロ。普通の人間ならここで諦めるわ)







しかし、レナは天才物理学の知識を持つ。




諦めるという選択肢は、彼女の辞書にはない。








レナは割れた窓から外の空を見上げた。






乾燥しきった空気。遠くに見える山脈。







「クライヴ」






レナは初めて、護衛の彼に命令を下した。






「領地内のすべての水資源のデータと、山脈の地形データをすぐに集めてちょうだい。そして、この領地の魔力回路図を手に入れなさい」






「……承知いたしました」





クライヴは一瞬の憂いも見せず、即座に館を後にした。




彼の言葉は短いが、その行動には絶対的な忠誠が感じられた。









レナは汚れた机の上に、指先で数式を書き始めた。







(∇⋅D=ρ)


クーロンの法則、ガウスの法則、そしてマクスウェル方程式。







「干ばつ? 物資? バカバカしい。そんなものは、世界の法則を書き換えればいい」





レナの瞳に、知的な興奮の光が灯る。






「まずは、水。大気中に存在する水分子を、強制的に凝結させる。そのためには、巨大な熱力学的なエネルギーの操作が必要ね」







◇ ◇ ◇






クライヴはわずか数時間で、水資源データと魔力回路の配置図を持って戻ってきた。


荒れた領地でこのスピードは異常だ。






「こちらがボルンラント領全域の地形図と、魔力回路図でございます」






クライヴは淡々と図面をレナの前に広げた。





彼の目は机上にある数式(マクスウェル方程式)を一瞥したようだったが、何も問わなかった。







レナは地図を一読し、すぐに魔力回路図を睨んだ。






「やはりね。非効率的だわ」






魔力回路とは、この世界特有のシステムだ。




各領地の領主館を中心にマナの力を地表の導線に沿って流し、農作業や生活用水の汲み上げなどに使われている。




だが、それはレナから見れば、「ただの漏電が多い送電網」に過ぎない。







レナは図面の隅に、新たな演算式を走り書きした。






(水不足の根本原因は、大気中の水分子が自然に凝結するプロセスが不足していること。ならば、外部から強力な凝結核を形成する力を与えればいい)







彼女の脳内で、水分子の運動エネルギー、熱力学、そしてマナを制御するための電磁波の周波数が、再び光速で計算されていく。









クライヴは、レナが思考に深く没入し、次の行動に移る気配を察すると、邪魔にならないよう静かに会釈し、広大な庭の警護へと移動した。










レナは立ち上がり、最も古く、太い魔力導線が通っている館の柱に触れた。








「――この領地を、まず生かさなければ、私の研究も始まらない」 彼女は柱に手をかざし、マナの流れに直接干渉した。







従来の魔法使いがするような詠唱は、レナには不要だ。






彼女は目を閉じ、マナの流れを自身の意識で完全に掌握した。








「場の形成。∇⋅D=ρ(クーロン力作用域の固定)。マナ出力、最大値に設定。演算開始(エンター)








レナの低い、しかし知的な声が数式を紡ぎ出すと、指先から緑色の光が、柱の導線へと吸い込まれていった。








その瞬間、辺境の空気が軋んだ。








轟音ではない。






それは、空気中の全ての分子が、レナの演算に従い、一斉に動いたことによる、異常な振動だった。







領主館の外。





クライヴは庭の警護にあたっていたが、その場に立ち尽くした。








「これは……」







空は数分前まで乾燥しきっていたにもかかわらず、遥か上空で黒い塊が生まれた。






この世界の通常の魔法士が、空の水分を凝結させて雲を作ろうとしても、せいぜい手のひらサイズの塊を浮かせるのが限界だ。





しかし、レナの演算は大気の法則そのものをねじ曲げた。






黒い塊は瞬く間に巨大な積乱雲へと成長し、荒涼とした大地の上空を覆いつくした。








ザーーッ!!







その日、ボルンラント領は、数年ぶりの激しい豪雨に見舞われた。





雨は、土埃を洗い流し、枯れた大地を潤していく。





領主館の使用人や老執事たちは、何が起こったのか理解できず、ただ天を仰いで歓喜の声を上げていた。








レナは柱から手を離した。






その顔には疲労の色はなく、己の演算が世界をねじ曲げたという、冷たく研ぎ澄まされた悦びの笑みが浮かんでいた。





(成功ね。マクスウェル方程式とマナの相性は抜群だわ。これで、水と熱源は確保できた。次は、土地の化学組成の変換に取り掛かる必要がある)





レナは、大雨で歓喜に沸く人々を横目に、冷静な研究員の顔に戻っていた。







そして、ただ一人。




庭の片隅で雨に打たれながら、領主館を見つめるクライヴ。





彼は、その超破壊的な現象を目の当たりにし、強い決意を秘めた瞳で硬く拳を握りしめた。





(……あなたの力は、この世界の法則をも超えている。しかし、だからこそ。この非合理的な世界において、僕の忠誠こそが、唯一揺るぎない真実の法則となる。 僕は今、確信した。僕がすべてを賭けてあなたを守る)





レナの「超破壊的内政」が、今、始まったのだ。



作中に登場する『法則』や『演算』は、現実の科学理論をベースにするようできるだけ努めていますが、あくまで物語を構成するためのファンタジー設定としてご容赦ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ