第17章 「問題あるさ!先輩は血を流している!」〜騎士は二度と離れない新たな忠誠の法則を誓う〜
レナが闇へと踏み込んだ直後、城門跡から続々と近衛騎士団の増援が押し寄せた。
「止まれ!これ以上、王都の秩序を乱すな!」
騎士団長代理が怒鳴るが、ボルンラントの義勇兵団は、レナの法則で武装したまま、微動だにしなかった。
彼らは、恐怖という感情的な法則が消滅したかのように、静謐な目をしていた。
義勇兵団の長が、一歩前に出る。
「我々はボルンラントの領民にして、レナ様の『絶対法則』を体現する兵団である。我々の使命は、公爵家の騎士を奪った裏切りの法則を排除することにある」
近衛騎士団は、その場を動かない義勇兵団を愚かだと嘲笑し、突撃を開始した。
だが、彼らの予測はレナの演算によって裏切られる。
義勇兵団の持つ粗末な鉄製の槍や盾には、レナの演算で『慣性の増幅法則』が組み込まれていた。
「撃て!」
義勇兵団が一斉に槍を突き出す。
彼らは騎士のように洗練されてはいなかったが、その一突きは、質量と速度がレナの法則によって異常に高められていた。
ガシャン!
騎士団の誇る鋼の鎧は、領民の槍の穂先が触れた瞬間、紙のように破れ、その衝撃は中の騎士の体を粉砕した。
別の兵士が掲げた盾は、レナの演算で『絶対的な静止エネルギー』を蓄積しており、騎士の剣を受け止めた瞬間、運動エネルギーを全て熱エネルギーに変換し、剣を溶かし切った。
「な…なんだ、この力は!?奴らの武器は!?」
騎士団長代理は、自らの剣が溶ける光景に愕然とする。
レナは、領民たちの持つ『忠誠』を、物理法則をねじ曲げる『圧倒的な武力』へと効率よく変換したのだ。
義勇兵団の忠誠は、数に勝る騎士団を、瞬く間に無力化し、レナの背後の法則の盾となった。
レナは、背後で起きている「計画済みの演算結果」に一瞬だけ目を向けた。
「あなたたちの忠誠は、私の法則にとって、最も重要な変数よ」
それは、感謝の言葉の代わりとなる、レナの最大限の「信頼の法則」だった。
彼女は再び冷徹な瞳に戻り、王都の心臓部、地下牢へと続く螺旋階段を、一切の躊躇なく駆け降りる。
地下牢の最深部。
クライヴは鎖に繋がれ、「二度目の裏切り」という名の屈辱に耐え、己の無力さを噛みしめていた。
その時、爆発的な轟音が響き、冷たい鉄の扉が、分子レベルで分解されて消滅した。
絶望の底で、クライヴが、唯一信じ続けた「真実の法則」が立っていた。
闇の中に現れた冷徹なほど美しい女王。
クライヴの瞳は、彼女の姿を捉えた瞬間、歓喜に震えた。
(僕の騎士服を……! 飛鳥先輩が、僕の騎士服を身に纏って、僕を迎えに来てくれた……!)
それは、彼にとって最高の愛の証明であり、喜びの極地だった。
「佐伯君。遅くなったわね」
しかし、クライヴの歓喜は、次の瞬間、激しい怒りと自責の念に凍り付く。
彼女の左肩の焼痕と、焦げ付いた赤いマントに気がついたのだ。
(僕のせいだ!彼女は、僕という『偽りの法則に囚われた者』を救うために、法則そのものをねじ曲げる危険な戦いに身を投じ、傷ついた……!)
彼の瞳に、佐伯亮としての激しい怒りと自責が燃え上がった。
自分の愛する人を傷つけた王都の法則、アイリスの思惑、そしてそれを実行したユーリウス、その全てへの憎悪だった。
レナはクライヴの鎖に手を触れた。
彼女の指先から、鎖の原子構造を解析し、それを完全に非活性化させる、救済の光が放たれる。
鉄の鎖は、音もなく砂のように崩れ落ちた。
鎖から解放されたクライヴの手が、微かに光を帯びる。
ユーリウスによって封じられていた聖剣の魔力が、レナを傷つけた者たちへの激しい怒りという新たな変数を得て、自己修復を開始している証拠だった。
クライヴは自由になった両手をレナの顔に添えた。
そして、彼は、彼女の左肩の傷を見つめ、震える声で言った。
「飛鳥先輩……なぜ、命の危険を冒してまで……あなたの法則(研究)が、最も重要だったはずなのに」
レナは左肩の焼痕に目を落とし、冷静に告げた。
「この負傷は、計算外ではないわ。あなたの救出を最速で達成するための、許容範囲内の損傷。帰還後にナノマシンで修復する。演算で痛みも制御しているから問題ない」
しかし、クライヴはレナの冷徹な合理性を拒否した。
「問題あるさ!先輩は血を流している!」
クライヴは、自身が着ている騎士服の左袖を、迷うことなく力任せに引き裂いた。
彼自身の騎士服から引き剥がされた布切れを、クライヴはレナの焦げ付いた傷に優しく、しかし確かな力で巻きつけ、その痛みを自らの忠誠で封じ込めるように傷口を塞いだ。
「この傷は、僕がこの王都に囚われていたためにもたらされたものだ。その痛みを、僕の忠誠で封じ込める」
クライヴはレナの瞳を真っ直ぐに見つめた。
彼の瞳には、佐伯亮の熱烈な愛と、聖剣の使い手クライヴとしての絶対的な誓いが宿っていた。
「この手当は、僕が二度とあなたを離さないという、新たな法則の誓いだ。僕の法則が、先輩を守る」
レナは、クライヴの感情的な行動を予測できていなかった。
彼女の冷徹な瞳に、一瞬、演算不可能な温かい光が灯る。
「佐伯君……」
クライヴはレナを抱きしめた。
その抱擁は、愛と安堵だけでなく、「今度こそ、誰も飛鳥先輩を傷つけさせない」という、絶対的な決意を内包していた。
二人は馬に乗り、勝利の赤いマントを翻して王都を後にする。
ボルンラントの女王は、自らの愛の法則を物理的に証明し、騎士を連れ戻したのだ。
レナは、王都の法則が自分たちに手を出せなくなるよう、ボルンラントの法則をさらに強化することを心に誓った。
ユーリウス・ヴァルザックは、城門跡の砂塵の中で、静かに横たわっていた。
近衛騎士が駆け寄り、彼を救助しようと試みる。
「首席魔導士殿!しっかりしてください!治療を…!」
彼は、駆け寄ってきた衛兵の手を冷たく、しかし、かつてない強さの魔力で振り払った。
その魔力は、王都のシステムではなく、ユーリウス自身の「存在の法則」から絞り出された、純粋な意志の力だった。
「私は……もう、この場所の法則には従わない。偽りの法則を維持する理など、私には不要だ」
ユーリウスは、魔導院の首席魔導士としての魔力接続を、自らの意志で完全に断ち切った。
彼の体から、王都の魔法システムが供給していた安定した魔力の光が失われ、ただの知的な男へと戻る。
彼は崩れ落ちた城壁を抜けて、衛兵たちが狼狽するのを無視して、夜明けの王都の街の中へと静かに姿を消した。
王都は、最強の法則の盾であり、最も信頼できる演算者であったユーリウス・ヴァルザックを、レナという「エラー」の出現によって、永遠に失ったのだった。




