第16章 【法則破壊、時速150km】「無意味な構造だわ」〜愛を誓った騎士を奪った王都の城壁を、悪役女王が一瞬でプラズマ化する〜
ゼフィールとの対話と、アイリス(藤井愛理)の「嫉妬の法則」の解析を終えたレナは、迷いを捨てた。
最速でクライヴを救出し、愛理の呪いを打ち破るには、王都の偽りの法則を物理的に無効化するしかない。
(クライヴが地下牢で苦しんでいる。一刻の猶予もない。通常の移動では間に合わない。私の法則で、移動時間そのものをねじ曲げるしかない)
「セーラ。ボルンラントの法則を王都に叩きつけるわ。すぐに馬と、クライヴの騎士服、そして彼の赤いマントを用意して」
「この世界の偽りの法則は、私の騎士を奪った。私の光速の演算で、この世界そのものを、根底から破壊し、書き換えてあげるわ!」
レナは、セーラが急ぎ用意したクライヴの騎士服を、迷いなく身に纏った。
彼の体に合わせた服は、レナにはいくらか大きい。
しかし、それはまるで彼の愛情という法則に包まれているようだった。
彼女の肩から背中にかけては、クライヴのシンボルである鮮やかな真紅のマントが大胆に羽織られ、レナの動きに合わせて激しく翻っていた。
その姿は、冷徹な科学者ではなく、愛する騎士の命を奪還しに行く、絶対的な法則を体現する女王そのものだった。
彼女は一人で王都へ向かうつもりだった。
しかし、領主館の門前には、志願兵の訓練を終えたばかりの領民たちが、整然と並んでいた。
「レナ様!」彼らを代表して、領民の長が前に進み出た。
「王都へ向かうのであれば、我々も必ずお供させていただきます。我々のこの命は、あなたが作り上げてくださった豊穣の法則のもとにあります。その法則を否定し、あなたの騎士を奪った裏切り者の法則に、膝を屈するつもりはありません!」
レナは領民たちを一瞥し、その瞳に宿る揺るぎない忠誠を解析した。
彼らの熱い意志は、領民全体の心理的な安定性を示す、重要な変数だ。
「……わかったわ。私の演算(計画)に組み込む。ただし、私の指示は、絶対的な法則よ。少しでも逸脱すれば、あなたたちの命は失われる」
その日の夕刻。
ボルンラントの旗が、夕闇の空を背景に、力強く天を衝いた。
レナは馬に跨がり、クライヴの鮮やかな赤いマントを風になびかせた。
その姿は、冷徹な科学者ではなく、絶対的な法則を体現する女王だった。
レナが掲げるボルンラントの旗には、黒土の豊穣と、それを貫く幾何学的な演算式が描かれていた。
それは、深みのある黒を背景に、白銀の線で描かれた「黄金比の螺旋」を象徴的な演算式として配した、無駄のない幾何学的な旗だった。
そのデザインは、領主レナが「豊穣は、知性による完璧な法則の適用によってのみもたらされる」という哲学を体現していた。
そして、レナの背後には、領民たちで構成されたボルンラント義勇兵団が、彼女の法則で武装していた。
レナの演算により、全ての馬の蹄には疲労を無効化するマナ回路が組み込まれた。
しかし、レナは彼らの人間的な法則を無視しなかった。
「一日の移動時間は八時間。夜間は野営し、十分な休息を確保する。全員の疲労度とマナ消費量を、私がリアルタイムで演算し、最適な速度を維持する。私の法則(論理)は、あなたたちの命を、この遠征の最小リスク変数として最大限に尊重する」
レナの言葉には、冷徹さだけでなく、確かな献身が込められていた。
彼女は、休憩の度に馬を降り、疲労回復の演算を一人ひとりに施した。
領民たちは、レナ様が自分たちを「道具」ではなく「法則を支える重要な変数」として扱ってくれていることを感じ、その忠誠心をさらに高めた。
「佐伯君。あなたを一秒でも早く助けるわ。この世界で、これ以上、裏切りの法則に囚われるなんて、許さない。次の移動では、空気抵抗と慣性の法則を一時的に中和する。加速!」
レナのクライヴへの切実な思いが、演算の精度を極限まで高めた。
部隊は通常の移動時間(一週間)を大幅に短縮し、休息を挟みながらも時速150キロを超える瞬間的な加速を駆使し疾走した。
その疾走は、もはや物理現象ではなく、怒りをエネルギーとした法則の具現化だった。
そして三日目の夜明け前。
夜の闇に轟音を響かせながら、レナの部隊が王都の城門に迫る。
門は既に閉ざされ、近衛騎士団が緊張した面持ちで待ち構えていた。
「――無駄よ」
レナは馬上で、その場で一瞬にして演算を完了させた。
「場の再定義。分子間力の法則を再構築する」
彼女の指から放たれた青白い光が城壁に触れた、その瞬間。強固な石造りの城壁は、轟音すら立てる間もなく、熱力学の法則によって一瞬で高温のプラズマへと昇華した。
守備兵は、何が起きたのか理解する間もなく、目の前の巨大な壁が、法則の力によって消滅する光景を目撃した。
「無意味な構造(法則)だわ。私の法則に抗う法則に、存在価値はない。破壊」
砂塵が舞い上がる中、レナはただ一瞥し、その消滅した壁の残骸を、計算外のノイズのように無視した。
手綱を引き、静かに城門跡を通過する。
「進め。私の法則に従い、王都の偽りの法則をねじ曲げなさい」
その直後、義勇兵団を率いて進もうとしたレナの馬の前に、一人の人影が立ち塞がった。
宮廷首席魔導士、ユーリウス・ヴァルザックだった。
彼は衛兵や騎士団とは完全に独立し、たった一人で王都の法則の盾として立っていた。
その瞳は、レナの法則破壊による混乱を見ても、微動だにしない冷徹な理性で満たされている。
「レナ・フォン・ヘルメス。貴女の行動は、この世界の調和を乱す極大の『エラー(バグ)』だ」
「ユーリウス・ヴァルザック」
レナは馬上で見下ろした。その声には、感情的な怒りはなく、ただ不必要な変数を前にした科学者の冷徹さがあった。
「貴方の法則は偽りよ。私の真実の法則に抗う無意味な存在だわ」
ユーリウスは、レナの魔力回路を解析し、彼女が分子間力の法則を書き換えたことを即座に理解した。
「極めて非効率的な力。貴女は『破壊』しかできない。しかし、私は『維持』ができる」
ユーリウスは両手を広げた。彼の周囲の空間が、歪な波紋を帯びる
「高次結界魔術。この空間における『法則干渉』の権限を一時的に私に帰属させる。貴女の演算は、この結界内では無効となる」
レナは即座に馬から飛び降りた。
彼女の光速の演算が、ユーリウスの結界を一瞬で解析する。
(結界ではないわ。これは、この空間の『力の定義』を上書きする、魔導の理による上位法則! 彼の魔術は、私と同じ法則操作の系譜…ただし、「維持」に特化している。この法則を破壊するには、彼の演算の核心を打ち破るしかない!)
ユーリウスは、レナに向けて、「重力の法則」を極限まで引き上げた圧殺の魔術を放った。
それは、レナの体を地面に縫い付けようとする、目に見えない法則の暴力だった。
レナの演算速度は、その重力法則の伝播速度さえ上回った。
レナは、地面に縫い付けられる直前、一瞬にしてユーリウスの結界の『魔力供給ルート』を解析し、その根本的な定義を狙う。
「その『愛憎の法則』の、方向性を反転させ、自滅の法則に再定義する!」
しかし、レナが演算を完了させる直前、ユーリウスの冷徹な瞳が一瞬だけ狂気に歪んだ。
彼は、レナの演算の意図(自らの信念への攻撃)を察知し、自らの命の法則をねじ曲げて最後の抵抗を試みた。
「貴様には、届かない!」
ユーリウスの魔力回路が、演算完了のコンマ数秒前に、最後の高出力の魔法を強制的に絞り出した。
それは、レナの防御演算の隙間を縫う、高熱のエネルギーパルスだった。
レナはそれを認識したが、演算を中断すれば、クライヴへの救出が遅れる。
彼女は救出を優先し、自らの左肩にそのパルスを受けることを選択した。
ズバンッ!という音と共に、レナの騎士服の左肩が焦げ付き、彼女の白い肌に深く痛々しい焼痕が刻まれた。
レナは一瞬、苦痛に顔を歪めたが、すぐに理性的な顔に戻る。
「……遅いわ!」
彼女は、痛みを無視して演算を完了させた。
「演算完了!」
ユーリウスの体が、激しい痙攣に襲われる。
彼の『法則を維持する力』の『ベクトル』は一瞬で『反転』させられ、『自滅の法則』へと論理的に上書きされ、崩れ落ちた。
ユーリウスは、崩れ落ちる間際、アイリスへの絶対の忠誠がレナの愛の法則によって否定された事実を悟り、冷徹な理性の瞳に初めての涙を浮かべた。
「アイリス様……貴女の法則は……間違っていたのか……?」
その言葉は、彼自身の存在意義の崩壊を示していた。
彼女は左肩の焼痕を無視し、冷徹な瞳で地下牢へと続く螺旋階段を見下ろした。
彼女の騎士を奪った偽りの法則は、あと少しで破壊される。
その絶対的な演算を胸に、レナは闇へと踏み込んだ。




