第12章 【合理的忠誠の賭け】「レナ様の秘術は不安定な科学」〜年下騎士、王子の脅迫を利用し軍事介入を阻止する〜
クライヴが王都に到着した翌日。
クライヴはエドワード王子に謁見した。
「クライヴ! 戻ったか! 私の騎士団長!」
王子は笑顔でクライヴを抱きしめたが、その瞳は計算に満ちていた。
「レナの様子はどうだ? あいつは今、何を企んでいる? あの追放令嬢が、短期間で領地を立て直したなどありえない!」
王子はクライヴを「近衛騎士団長」の地位に戻し、丁重に扱ったが、要求はただ一つ。
ボルンラントの異常な発展の秘密、つまりレナの驚異的な力の核心を探り出すことだった。
「お前がレナの護衛を志願したのも、私の指示通り、レナを監視し、その秘密を探るためだったのだろう? 忠実なことだ!」
王子はクライヴの志願を自分の思惑通りだと信じ込んでいた。
「陛下は、レナのあの力を国の金に変えたいとお考えだ。だから、お前が間に入り、そのやり方を今すぐ我々に渡すのだ。それが、お前の騎士としての、そしてこの国の臣民としての、絶対に守るべき忠義だ!」
王子は、「忠義」という言葉を盾に、クライヴに裏切りを強要した。
クライヴは静かに頭を下げた。
(僕が志願したのは、あなたから飛鳥先輩を護るためだ。その誤解、利用させてもらう)
「御意のままに。しかし、レナ・フォン・ヘルメスは『道具』として利用されることを最も嫌います。慎重に進言させていただきます」
「慎重だと?クライヴ、お前まであの女に魅了されたか! 貴様の忠誠が揺らぐなら、私はただちに軍を派遣し、あの辺境を焼き払う。その方が、秘術を手に入れるのは早い!」
王子の言葉は剥き出しの脅迫だった。
クライヴの柔和な雰囲気が、一瞬で理性的な策士の表情に変わる。
「お待ちください、殿下」
クライヴは顔を上げ、取引を持ちかけた。
「殿下。レナの秘術は、不安定な科学です。軍事介入は、その秘術を暴走させ、情報ごと消滅させる可能性があります」
クライヴは続けた。
「さらに、今ここで、彼女の研究内容を話しても、その真実を理解できる者は王都にはおりません」
「クライヴ。お前は理解できるのか?…」
王子がクライヴに尋ねる。
「私なら、レナの思考パターンを分析し、秘術の核心を最も安全に引き出す方法を見つけ出すことができます。なぜなら、私は彼女の研究を傍らで最も長く見てきた唯一の存在だからです」
それは、クライヴによる、天才的な交渉術だった。
「……よかろう、クライヴ。王都で調査を続けろ。そして、一刻も早く秘術の核心を引き出す方法を見つけ出せ。それが、お前の忠誠の証明だ!」
こうして、クライヴは王子の誤解と強欲を逆手に取り、軍事介入を一時的に停止させることに成功した。
クライヴが王子との交渉を終え、騎士団の宿舎に戻ると、彼の部屋の前にはすでにアイリス・ルクスブルクの姿があった。
「クライヴ様!」
ヒロインであるアイリスは、クライヴを心配する顔で、頻繁に彼の元を訪れていた。
彼女は駆け寄ると、すぐにクライヴの腕に触れ、縋りつくようにその手を握った。
「クライヴ様がレナ様の元へ行かれたのは、公爵令嬢としての義務を教えるためだと伺いました。ですが、レナ様は危険な方です。どうか、ご自分の騎士としての責務を最優先してください」
アイリスの瞳は潤んでいたが、クライヴの表情は柔和な微笑みを貼り付けたまま、まるで壁のようだった。
「ご心配頂き、誠にありがとうございます、アイリス様」
クライヴはそう言いながら、アイリスの手から静かに、だが確実に自身の腕を引き剥がした。
その動作は優雅だったが、そこには一切の熱がなかった。
「私の忠誠は、この国のルールを護るためにあります。そのルールに、私の個人的な感情が入り込む余地はございません」
クライヴの冷徹な言葉は、アイリスの優しさという名の甘い束縛を退けた。
(王子の脅迫も、アイリスの自己中心的な脅しも、僕の愛をねじ曲げる外部要因にはなり得ない。佐伯亮としての僕の絶対の誓いは、飛鳥先輩のそばにいること、ただそれだけだ。王都のルールを逆手に利用し、必ず最速で彼女の元へ戻り、裏切らない愛の法則を証明する)
王宮魔導院の最上階。膨大な計算式と古文書に囲まれた私室。
ユーリウス・ヴァルザックは、窓辺に立ち、昼食さえ取らずに魔導院の膨大な観測データを分析している。
彼の目の前には、クライヴの王都到着後の行動(エドワード王子への進言)をまとめた報告書が開かれている。
ユーリウスは、報告書の内容、特に「レナの秘術は不安定な科学」「軍事介入は情報消滅の可能性」というクライヴの言葉に一切の感情を挟まず、その「論理構造」だけを解析する。
「…騎士クライヴの進言は、極めて論理的だ。彼の言う通り、レナ・フォン・ヘルメスという個体は、通常の魔導体系における『法則』から逸脱している。その力が『不安定な科学』であるという分析は正しい。だが…」
ユーリウスは指先一つ動かさず、自身の周囲の空間に、一瞬だけ光の幾何学模様のような高密度の魔力演算式を展開させる。
「クライヴ。貴殿の『論理』は、アイリス様の調和を護るという、世界の唯一の『真理』から逸脱している」
彼は、自分の書斎にある、アイリスの肖像画に視線を移す。
彼の瞳は、その絵に対してのみ、冷徹な理性の光とは異なる、狂信的な熱を帯びる。
「アイリス様は、この世界の『正しき法則』の体現者だ。彼女に仇なす者は、力の大小ではない、理として許されない」
「レナの『光速の演算』は、世界の根幹を揺るがすバグ。そして、そのバグを庇護しようとするクライヴもまた、排除すべき共犯者だ」
彼は結論を下し、静かに報告書を閉じる。
「法則の維持は、私の使命。騎士クライヴの『力(聖剣)』を無力化するための『高次法則干渉式』の構築を開始する。速度は…光速で」




