43 五感すべてで
隣に体温を感じながら起きる。
リベラのそばで丸まって寝るのは心地良い。
だけどもう少し離れなきゃ――。
半身を起こしてリベラの寝顔を見つめる。このままじゃ私はだめになる。
数秒じっと見下ろして、起きる気配がないのを確認してから私はリベラの首元に手を伸ばした。
「……っ」
生唾を飲み込んだ音で起こしてしまいそうだ。指先をおずおずと寝衣の襟ぐりにかけて、少しだけ引き下げた。
「あ……」
そこにあるものを確認して頬が熱くなった。頭がくらくらする。自分がしてしまったことに。
鎖骨と胸の中間あたりに、白い肌が充血したままの部分がある。私がつけた痕だ。
リベラの肌に、唇で。強く吸って。
指先を離して襟ぐりを整えた。こうすれば隠せる、けれど、なくなってしまうわけじゃない。そもそも痕を残したいと想ってしたことだ。
だからなくなったら困る――ううん、困らない。困る。どっちだろう。
リベラが起きたらすぐに謝って――。
考えながらベッドから下りようとする。だけど体が動かない。じわじわと胸の奥に高揚感が満ちていって、口のなかが甘酸っぱくなる。
「……リベラ。起きて」
高揚と緊張に耐えられず、私は自分から声をかけていた。
「ねえ。リベラ。ねえ……」
まっすぐな声が出ないのが嫌だった。お腹に力が入らない。掠れた声になって、舌もうまく動かなくて。
「ん……」
「ごめん。起きて」
深呼吸してからことさらにゆっくり言って、やっといつもの口調に少し近づく。
「マノリア様」
「……うん」
よかった。様付けで。名前だけで呼ばれたらと思うと――。
「ああ、よかった」
目を開けたリベラが私の顔をじっと見つめてから言った。
「……?」
「瞳のなかの呪いは消えたようです」
「あ……、そうだったんだ」
あの短剣を壊してから二日、私の視界はときどき歪んだ。鏡を見れば瞳に朱い光が浮かび上がっていたのだけれど――。
「ほら。わたくしの瞳を鏡がわりに使ってください」
「うん――」
リベラも体を起こした。ベッドの上で座って見つめ合う状態になった。近い。やっぱり甘い香りがする。
私はリベラの瞳に映っている私を見る。
「本当だ……。無い」
「ええ」
リベラの色のない瞳。長いまつ毛で光が遮られているせいで、かえってしっかり自分の姿が見えた。
「よかった……。よかったのかな? わからないけど、今は昨日よりも心が静かだと思う……」
こうして間近に瞳を合わせていると胸は高鳴るし、すぐに抱きしめたくなるし、胸元に付けた痕への罪悪感も大きい。
だけど狂おしいような衝動は引いている。
「わたくしが少しは浄化できるのかもしれません」
「ほんとう……?」
一瞬期待してしまう。でも良くない。きっとリベラの負担になるはずだから。
それに私の呪いの源まで消えてしまうわけじゃない。あくまで増幅された分を抑えるだけだと思う。
「気になさらず。頼ってください」
「あ――」
首筋をゆるく抱かれた。私の逡巡は簡単に悟られてしまったみたいだった。
「――わかった。頼る……。その……昨日みたいなことをしないように」
「昨日みたいな……?」
「…………」
訊かれてしまって言葉が出てこなくて私はただ胸元に触れた。痕がある場所を、衣の上から。
「ああ――、気にしてらしたのですね」
「気にするよ。綺麗な肌なのに……」
「これくらいでしたら二日ほどで消えるでしょう」
「そ、そういうものなんだ……」
頬が熱くなる一方でまともにリベラの顔を見られない。ずっと残るようなものじゃないのは冷静に考えたらわかる。私は何を勘違いしていたんだろう。
下を向いてしばらく考える。
衣擦れの音。リベラが少し姿勢を変えて、私の頬に唇を近づける。
唇の柔らかさが頬に触れた。ほとんど湿り気のない、ただあたたかさが伝わるだけのキス。
「あのね」
「はい」
「今は大丈夫、なんだけど……。昨日は」
考えながら話す。
正直に言っていいんだって、頬に唇で伝えてくれたから。
「“欲しい”だけになってた」
「欲しいだけ?」
「うん。今みたいにあれこれ考えてなくて……。その……。“好き”がなくなって、“欲しい”だけになる」
「……それが呪いの効果のひとつということでしょうか」
「多分、そう。好きがどんどん閉じていって無くなって、欲しい欲しいだけでいっぱいに――」
「……わたくしも同じだったかもしれません」
「リベラも?」
「呪いを受け取っていたはずです。そういった心当たりがないと言えば嘘になります」
私は頷いてリベラの顔を見た。心なしか頬が赤い気がする。
「ゆめゆめ気をつけましょう」
「わかった。それでどうにかなるものじゃないかもしれないけど……なるべく」
話してよかった。心が軽くなったと思う。
「あと……ごめん」
「……?」
「痕をつけたこと」
いいえ、とリベラが頭を振る。そのいいえはどういういいえなんだろうと思いながら、私もリベラの背中に腕を回した。
「多分、傷をつけたかったんだ」
「はい。わたくしも同じです」
その回路は今は閉じている。だけど一度は通ってしまった。自分のなかに衝動があることは認めなくちゃいけない。
「今はそうじゃないって、確かめたい」
瞳を見ながら言う。
私が映っている。
「優しく、したい」
「思う通りになさってください」
うん、と頷いて片手でリベラの後ろ髪に触れた。
優しく。優しくする。
うなじを撫で上げて、癖っ毛の感触を確かめる。
――ドキドキする。肌の感覚が鋭敏になって、息遣いだけでぴりぴりと甘く痺れた。
「……目を閉じて」
リベラは答えずにまぶたを下ろした。
私のしたいことを悟っておとがいを上げてくれる。
ゆっくり顔を近づけながら私も目を閉じた。
まぶたの裏の闇のなか、唇に唇が触れるのを感じる。
「ん……」
どちらともなく声が漏れた。
目を閉じているから唇のやわらかさとあたたかさがいつもより強い。こんなに心地良いものなんだと感動しながら、いたずらをひとつ思いつく。
キスしながら、私はリベラの耳を塞いだ。
左右それぞれ手を重ねて包みこんで。
そのまま数秒。私もなるべく耳を伏せて音が聞こえないように。触覚だけになるように。
リベラの吐息を感じる。
だんだん唇だけの生き物になっていくみたいだった。重ねている部分だけ敏感で。なのに痺れて。ともすれば痛いくらいに。
どれくらいの間そのままで居たのかわからない。頭がぼんやりして、けれど気がつくと胸元にリベラの手があった。
「……っ」
少しだけ押されて、やっと唇が離れた。
「はぁ、はぁ……はぁ。ごめんなさい。息が、できなくて」
「あ……そっか。ごめん」
息をしづらくて頭がぼんやりしたんだ。多分。
「もう……。これが“優しく”、なのですか?」
リベラが抗議するように言うなんて珍しい。
「つい夢中になった。次から気をつける」
「……」
上目遣いに見られてどきりとした。普段は私がそうすることが多いから。
「……め、ですよ」
頭の奥の、いま通じている回路が熱い。これは良い昂ぶりなんだと思う。抱きしめてうなじに鼻先を埋めた。
もう一度耳を塞いでから可愛いと言った。




