42 罪はかすがい
マノリア様の指がわたくしの頬を撫でます。指が長くて形の良い手です。
どれだけ鍛錬しても鍛えられない部分があるのでしょう。手のひらはマメができて固くなっているのに、指先はあくまで繊細で柔らかく、関節も丸みを帯びています。
「ん……」
ぼんやりと目を開けました。
わたくしに覆いかぶさるように、ベッドに手をついているマノリア様。
爪だけは丸く柔らかで桜色でまるで子供のようです。
部屋はいつの間にか明るくなっていました。長い間寝入って、今は昼時になったのでしょうか。
着ている寝衣には汗の気配もなく乾いていて快適に感じました。
「着替えさせてくれたのですね」
「あ……うん」
頷く純朴な仕草。控えめな困ったような笑み。
「あの。リベラ」
まっすぐな紫の瞳がじっと見下ろしています。
夢のように笑ってくださることはやはりないのでしょうか。
「寒くないかな」
質問しているのではなく、ただ聞いているのだけの平板な口調。
「もう大丈夫です」
手に頬を押し付けました。
外傷はもとよりありません。ただ呪いが過ぎ去るのを待っていればいい。
「よかった。……リベラ。あのね」
細く震える声。優しくて不安な口調。
甘えも含まれていることがわかります。
「はい」
「――私、だめかもしれない」
「? 何が――」
「呪いが」
わたくしに覆いかぶさりながら、マノリア様が何度かまばたきをします。早く。遅く。大きく短く、深く。
「見て――」
ゆっくりとまぶたが開いていく。
紫の静かな瞳。普段の。
今はその奥に、小さな赤黒い光が宿っていました。
「これは」
「呪いの力を使ったせい、なのかな……」
夢の中で見たあの囁きを感じた気がしました。赤黒く猛った、けれど緑青に崩れ落ちていく。
目。瞳の中の目。ひとつだけ。
「つらいのですか? 苦しい?」
「……わからない。初めてだから」
マノリア様の体が脱力して崩れ落ちてきます。ベッドの上でそれを受け止めて背中に手を回しました。
荒い息。耳元で。
柔らかく熱い体温。密着して、抱きしめて。
「大丈夫ですよ」
「……そう、かな」
「難しく考えないでください」
「…………」
「こうして生きていられるなら……本当はきっと簡単なことでしょうから」
頭を深く抱きました。
片手で髪の毛を撫で、もう片手は背中の下、尻尾を撫で上げます。
何度か繰り返して落ち着くのを待ちました。
時間はいくらでもあります。
優しくして。撫で下ろして。
優しくして。撫で上げて。
深呼吸して。
しなやかな肢体がわたくしに覆いかぶさっているのを感じながら背を撫でます。
尻尾が左右に揺れて。
ぎゅ、ぎゅっと。
断続的に何度か抱きしめて大切に想っていることを伝えました。
「……野犬だって大事にされればなつくんだよ」
「何のことでしょう」
胸元でくぐもった声。
「マノリア様はオオカミでしょう?」
「……うん」
甘い吐息。後ろ髪を指の股でかきわけて。
深く抱きしめました。
誰にも話すことのできない秘密。そしていつか破綻を迎える予感。それらを呪いとして抱えて生きていくことについて考えます。
そのうちにマノリア様が体を離し、上目遣いに見つめてきました。おずおずとした口調で。
「祝福が欲しい」
「あら。そうなのですね」
「呪いのせいなのかな。どうしても……」
瞳の奥で小さな赤い光が揺れています。
「欲しい」
いつも控えめなマノリア様ですが、今日は特別控えめで、卑屈といっても良いのではないかという仕草です。
それなのに欲求の昂りだけが伝わってくる。
「……ごめん。病み上がりなのに」
「わかりました。少しなら」
正しいことをしているのかわかりません。呪いを受けた人が祝福を欲している。安易に与えてしまってよいものなのでしょうか。
それでも――。
「…………」
「あ……」
くちづけを交わしました。
以前とは違って、呪いと祝福を混ぜることを意識して。わたくしのなかの呪いが少し濃くなります。
背筋が震えました。
「リベラ」
「……はい」
「私のこと、呼んで」
「……マノリア様」
「ううん。名前だけで」
「マノリア?」
「……うん。ありがとう」
一瞬、折れそうなほどに強く抱きしめられました。想いの強さを意識して、頭の奥がぴりぴりと痺れます。
たとえ呪いによる焦燥から来るものだったとしても、この感覚は忘れがたい。
――気持ちいい。想いを受けることが。
「……っ、はぁ……。ごめん」
「いいえ」
背中と尻尾を優しく撫で上げます。
マノリア様は今、弱っているようです。
今までと同じようにわたくしはその弱みに入り込むことができます。
「マノリア」
「……っ」
「おいで」
もう既に深く抱きしめているのに、よりいっそう深く抱きしめられました。
呪いは孤独感と欲求を強めるものだということはこの身をもって理解しています。
「……いいんですよ。何をしても。わたくしはあなたの――」
きっと抗えないでしょう。
吐息。拘束。赤が宿った瞳。
首筋に湿った感覚。唇。
「ん……ぁ」
わたくしは、誘惑しています。
楽になってほしくて。
そして、離れずにいてほしくて。
「……リベラは甘い香りがする」
そんなはずはありません。絶対に気のせいです。この数日は倒れていただけで香油を使ったことはありません。
――首筋に湿り気を感じました。痺れるような、吸われる感覚も。
あ、と細い声が漏れてしまいます。
最初は思わず漏らした声でした。
けれど次の瞬間から、わたくしは考え始めます。
――もっと効果的に。
――罪を深くすることはできないでしょうか?
「あ……」
わたくしの声にマノリア様が肩を揺らしたのがわかりました。反応してくれている。
「くすぐったい、です」
「……っ」
次の一言で抱きしめられました。
わたくしは、悪い。無垢なふりをしました。
けれどそれで良いのです。無意味なことなのですから。
「マノリア……」
「――」
首筋。そして鎖骨の下。もう一度深く吸われました。
呪いは、常に世界から否定される感覚を与えてくるものです。
それに抗って生きていくには、たとえ卑しい情欲であっても肯定するしかありません。
わたくしの祝福された魂と、呪われて穢れた魂を。
「混ぜてしまいましょう」
「……、だめだよ」
見つめ合ったまま考えて――純粋な疑問を口にしました。
「ぜんぜん、だめ?」
「……っ」
髪の毛を撫で、耳を撫で、頭をかき抱きます。
「少しだけなら、どうでしょうか」
「……だめ」
鎖骨の下に吐息を感じ、そこに押し付けるように抱きしめて体を小さくします。
痕がほしくて。
深く息を吸って、吐いて。
抱きしめて無防備に。首筋を明け渡しています。
「……」
待ち望んだ湿った感覚。くちづけ。
おずおずと少しだけ吸われて。
「あ……」
わたくしは誘って抱きしめます。
「だめだよ」
数秒。ちくりとするような感覚。鎖骨と胸の間。
痕の感覚。
わたくしは、あなたのものです。




