40 血戦
「――壊れろ!」
両手で構えたマノリア様の捨て身の一撃は、しかし、防がれたように見えました。
瞬間、霊体に抗うようにロア様の左手が動き、力が拮抗します。ロア様が下から跳ね上げた剣のおかげで、マノリア様は一瞬の空白の間を得ました。
そしてもう一度の苛烈な斬撃。
白銀の祝福剣は上下から叩かれて見事に折れました。
部屋の空気を円状に波立たせるほどの呪いが放たれて、まともに受けたロア様が倒れ伏します。わたくしが預けた祝福によって増幅された力。混濁した赤と黒がおぞましく、けれど美しい。
数秒遅れて力を使い果たしたマノリア様も膝を突き、動けなくなったようです。恐らく気を失ったのでしょう。
しかしまだ終わってはいません。崩れかけの霊体はロア様から離脱し、わたくしのほうへと近づいてきます。
先ほどグウェンさんにしたように、わたくしからも力を奪う気なのでしょう。
わたくしは、霊体のことは気にせず、一歩ずつマノリア様に歩み寄っていきました。
霊体が先にわたくしに触れました。
祝福を奪っていきます。まるで亡者のように。静かに、けれど激しく。
力を使い果たして飢えているから。
「……っ」
あと少しくらいならもつでしょう。
力を奪われるときの目眩を感じながら、わたくしはなおも一歩ずつ足を動かして、マノリア様が膝をついている場所まで到達しました。
ひざまずいて抱きしめます。
霊体が背後からじっと見下ろしているのを意識しました。治癒の奇跡でも使えば、再度マノリア様が斬られるかもしれません。
しかし自分のやるべきことはわかっています。
わたくしは気を失ったマノリア様が握ったままの長剣に、自分の手首を当てました。
「……っ」
そのまま刃に手首を滑らせます。初めは一本の赤い線が。
血はすぐに玉になってあふれ、そして流れ出します。自分の血が赤いのを見たのは久しぶりのことで、場違いな安堵を覚えます。
「わたくしはあなたのはした女です」
滴る血の手首でマノリア様の脇腹に触れました。斬られて傷が開いている場所へ。
――あたたかい。
血と血が、傷と傷が、赤と赤が、混ざるのを感じます。
「あなたのためにわたくしを役立たせてください」
血と血、傷と傷、体温と体温、そして祝福と呪いが混ざりました。
聖なるかな、聖なるかな。
受け容れて――自らが濁るのを感じます。
「この身であなたのことを受けられますように」
濃い体液――赤黒い血を通じて呪いがわたくしのなかに入ってくる感覚。拒まずにそのまま。じわりと染み込むのに任せます。
「あ……」
侵される感覚。
あるいは、呪いに意思があれば、神官の祝福を冒瀆することを喜んだでしょうか。
わたくしのなか、マノリア様の呪いの熱が広がっていきました。
手足の先は痺れているのに、お腹の奥、体の中心には不快ともいえるあたたかさが宿ります。
霊体はわたくしから伝わる濁り――呪いを即座に切り離すことはできませんでした。
伸びかけていた白銀の剣に赤黒い亀裂が入るのが垣間見えます。
「……世界に拒まれるのはこういう気分なのですね」
呪いがわたくしのなかに溜まります。
寄る辺のない寂しい気持ち。恐怖。まぶしさ。逃げたい。理不尽で。それでもあたたかさを求めずにいられない。
「……つらかったですね」
だからこそわたくしがそばにいる意味はあったでしょうか。あなたの心を少しでも奪えていたでしょうか。その重荷と共に。
マノリア様の体は熱かった。傷口はなおのことです。血を混ぜ体液を混ぜ呪いを受け容れて、狂おしさが高まっていきます。
『――――』
霊体が停止し始めているのがわかります。わたくしからの呪いに侵されて矛盾が引き起こされているのでしょう。
自分の呪いを自分の祝福で排除しようとしてしまうような。
マノリア様に差し上げた祝福を返してもらう必要などありませんでした。
ただ呪いを受け容れればそれで良かったのです。
「……マノリア様」
あるいは祝福を移すのと同じように、こうして抱きしめて。血を、傷を、濁りを、想いを混ぜて。
深く深く抱きしめて唇に唇を付けました。呪いが背筋にまで広がります。
体の中の新雪に足の型をつけられるような感覚。一瞬だけ、周囲のすべてに目が覚めるような色が付きます。ああ、世界は未だ美しかったのですね。
「……? リベラ……?」
「気が付かれましたか」
「だめだよ、危ない――私が盾に」
状況把握もままならないほとんどうわごとのようなセリフ。
けれどそのまっすぐさに感じ入ってしまいます。
「大丈夫です。わたくしが守ります」
「ううん。守るのは私の……」
まだ意識は朦朧としているはずなのに、マノリア様が立ち上がろうとします。
わたくしはそれを支えました。
「これは――」
二人で立ち上がって、霊体の剣士を正面に捉えました。その体には赤黒いヒビが入り、白銀の直剣は腐食した鉄棒のような有様でした。
もう四肢を動かせなくなっているようです。
「リベラ」
それを見てマノリア様はわたくしが何をしたかを察したようでした。
「……ごめん。私の呪いを」
「いいえ」
「でも。リベラのことを……私のせいで……。私が汚した……」
「この傷はずっと大切にしたいと思います」
あるいは――マノリア様。あなたを呪った方は、今のわたくしと似た気持ちだったのかもしれません。
二人一緒に長剣の柄を握りました。
マノリア様の手にわたくしの手を重ねて。
「終わらせよう」
「はい」
二人で横薙ぎに。
赤黒い軌跡の呪いの一閃でした。
腐食された直剣が弾かれ、ひび割れていた霊体が脆い石のように崩れて消えていきます。
人は誰のものでもありません。
けれど刻み込んだ傷はわたくしだけのものになりえます。
「……きっとこの身に成りますように」




