38 返せるもの、返せないもの
朝方、気配に気付いた。
「あ……」
リベラがか細い声を上げる。私は飛び起きて文机の上に置いてある短剣を見た。
外見の変化はない。私には、魔力や奇跡の力の流れを捉えることはできない。
「はぁ、はぁ……はぁ」
リベラは眠っている。つらそうな大きな吐息で肩を揺らしているけれど目覚める気配はない。……寝衣の間で抱えられていた尻尾をゆっくり抜いて。
立ち上がって短剣をよく観察した。祝福の力は集まっているはず。けれど誰かがそれを保持しているときの刺すような敵意は感じなかった。相性のいい人が持たないと霊体を顕現できないのかもしれない。少しだけほっとする。
「く……、ぅ……」
「リベラ」
ベッドがきしむ。
リベラが寝返りを打ったからじゃない。浮き始めたからだ。祝福を吸われて。
私はベッドに戻ってリベラの肩と腰を押さえる。
今までの浮いたときよりも更に軽くなっている気がする――。
「ごめん。起きて」
ベッドの上に片膝をつく。
いわゆるお姫様を抱っこする姿勢でリベラを抱えた。
「ん……。マノリア様」
「わかる? 短剣が、いま」
「……ええ」
朝陽は登っておらずまだ部屋は暗い。けれど私は夜目が効くからリベラの肌が青ざめているのがわかる。
「止められない?」
「……難しそうです。そもそも止めてしまったら、この場所の祝福を喰らってしまうから」
「あ……、そうだった。リベラがつらそうだったから」
「いいえ。心配、ありがとう存じます」
声が少しかすれている。
抱いている手にじっとり汗ばむ感覚。リベラの頬にもおくれっ毛が張り付いている。高熱のときみたいだ。
何か私にできることは。探すけれど何も思い浮かばない。くやしい。
「短剣の力は、強くなっているようですね」
「……うん。前はこんなになるほどじゃなかったのに」
……私のせいかもしれない。
一番近くにある呪いを打ち倒すためにより強く。それが可能なら、それが使命なら、そうするに決まってる。
「水は? 飲む? 持ってこようか――」
リベラが私の腕を掴んだ。
「――そばにいて」
「……わかった」
こんなリベラは初めて見た。心配で切ない。
はぁ、はぁ、とリベラの肩とお腹が上下している。薄着の寝衣のせいで苦しそうなのが直に伝わる気がした。
「ん……。ごめんなさい。このつらさは、まだしばらく続きそうで……」
「いやだ」
「あら……ふふ、駄々をこねないで。いやだで済むのなら、わたくしだって、マノリア様の呪いを消してあげたい」
リベラが手をあげて私の頬と首筋を撫でた。
力を奪われていく感覚は私には感知できていない。
私のなかにリベラの力があることはわかる。昨日寝る前にもらった。
だけどそれだけだ。リベラが今どうなっているかは、目で見る情報でしかわからない。つらそうで、汗をかいていて、息が荒い。
短剣も振り返って見てみるけれど、私の目にはただそこにあるようにしか見えなかった。
「こうやって抱っこしてても、リベラの力がどうなってるのか、私にはわからない……」
「そうでしたか。無理を言ってごめんなさい」
「ううん。わかってあげたいのに」
「……でしたら、もう少し深く抱いてくださいますか」
「わかった」
「肌の接しているところが増えれば、わかるかも――」
リベラが全部言い終わる前に深く抱く。
浮いてしまって体重が失われているから、背に腕を回すのは簡単だった。
「……ぎゅってしてる……これでいい?」
「ん……、ええ……」
「痛くない?」
「平気です。そのまま……」
膝を立てた中途半端な姿勢はやめて、ベッドにリベラを押し付けて、覆いかぶさった。こうすれば浮いてしまうことはないし、私が盾になれると思ったから。
「渡したくない」
押し倒して。密着して。
……心音。
自然と聞こえてきてしまう。少し速い。
そこまでわかるのに力のことはわからない。
「……だめみたい。力の流れは感じられない」
「わかりました」
深く抱きしめていたのを一度緩める。体を少しだけ離して、組み敷いた姿勢のまま見つめ合った。
「では、次は」
「次があるの?」
「はい。わたくしに残った力をマノリア様に」
「――」
問い返す暇もなかった。
リベラが私の首筋に手を回して後頭部を優しく押さえて。
唇に唇が触れる。
「ぁ……」
柔らかい。今日は湿り気があまりないせいか、唇と唇がぴたりと付いた。離れない。数秒。
心地よくて痺れる。
「祝福を」
「……うん」
言葉のために一瞬だけ僅かに間があいて、それからまた唇同士を合わせる。吐息だけが漏れ出る。
祝福が流れ込んできた。意識が白くなる。ふれあったまま、腕の力が抜けて体で覆いかぶさってしまう。
リベラの片手が背中にまわって。もう片手が尻尾を撫でた。
「受け取れていますか」
「だいじょうぶ……、んっ……」
「…………」
合わさった唇が微妙に開いて。斜めに合わせて。何かが入り込んでくる。
祝福の力。
――本当に?
ぬめっていてあたたかいのに少し冷たくて、これは――舌かもしれない。
祝福なのかどうか確かめなきゃ。私も舌を動かして。感覚が鋭く絡んだ。一瞬触れ合ってすぐに離す。短い間だったのに頭が真っ白になった。
……少しだけ甘い。舌って甘いんだ。
「はぁ……、はぁ……」
「ん……」
リベラの苦しそうな吐息。
「最後に残っていた力を、少しだけ……奪われるだけなのも悔しくて。もうわたくしの力は空っぽです」
「……。わかった」
ぐったりとリベラが脱力した。
さっきの感触があまりにも心地よくて私も脱力してしまいたくなる。舌で触れ合うって、こんなに――。
息を飲み込んだ。
今わかることを伝えなくてはいけない。
「私のなかの力は、奪われないみたい」
「やはりそうでしたか」
リベラの祝福を私が呪いで汚してしまうのだろうか。
何にしろ、私のなかに新たな祝福が確かにあるのを感じる。それは奪われない。短剣が私にまで食指を伸ばすことはなさそうだ。
すっかり軽くなってしまったリベラの体。額の汗を手のひらでぬぐって、肩を優しく押さえる。
「私のなかの力をリベラに返せたらいいんだけど」
「無意味ですよ。また奪われてしまうでしょう」
「あ――、そっか。そうだよね。それに私にそんな器用なことができるとは思えないし」
「優しさは……、想ってくれていることは伝わりました」
「…………」
押し黙って私はリベラの髪をかきあげる。頬をさわって耳にもふれる。
心地よさだけでも返したいと思った。それから驚きも。あとは何だろう。わからない。もどかしい。
「……ふれたい」
「ええ」
かすれた声を聞きながら唇に唇を合わせた。祝福は移動しない。私にはできない。私には返せない。
「わたくしが気を失ってしまわないように……感覚をくださいますか」
そうだ、気を失うと良くない。力が顕現しないように。
まぶたをあけて間近で見つめ合って、両手の指を絡めて握る感覚。それから舌の感覚を返した。




