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呪われ剣士と、浮いてる神官  作者: porori
破邪の直剣編
37/51

35 私以外にはだめ

 また次の日の朝。

 マノリア様はもう起きていて身支度を整えていました。朝の鍛錬に行くのでしょう。

 今日は髪の毛を後ろでひとつにまとめています。溌溂としていて愛らしく思いました。


「あ、起こした?」

「いいえ」


 振り向いて、ポニーテールと狼の尻尾が揺れました。


「あの、もし」

「うん?」

「一緒に行っても?」

「もちろん」

 尻尾が一往復しました。


「起こしてください」

「……甘えてる?」


 マノリア様がわたくしの両手をとって、ベッドの上の半身を起こしてくれました。

「近くの森の中まで行くよ。大丈夫?」

「ええ」

「ヴェールを……、あ、その前に虫除け」


 柑橘の香油を差し出されました。

 ぼんやりとそれを眺めます。


「もう……。まだ寝ぼけてるでしょ」

「……?」

 ベッドに座ったまま、首を傾げてわたくしの剣士様を見上げます。紫の瞳と桜色の唇。はぁ、とひとつため息をついて彼女の細い指が香油をすくいました。


「リベラは朝弱いよね」

「そんなことはありません」

「……うん。そうだね。香油塗ってあげる」


 手と首筋、そして髪の先端に香油を塗ってもらいました。ヴェールの色の濃い場所にも塗って下さっています。良い香りです。これで十分虫除けになるようです。


「立って」

「はい」

 手を引かれて立ち上がります。


 里にほど近い場所の森。小川が流れていて、水浴びもできるようでした。

「その木の下は歩かないで。こっち」

「……はい」

 マノリア様が腕を組んで誘導してくださいます。特定の木の下にいると虫に襲われたり、樹液の成分で肌がかぶれたりするようですが、わたくしはなかなか覚えられません。旅の途中もずっとマノリア様に引っ張ってもらっています。


 切り株に座って、剣の鍛錬をするのを眺めました。いつもながら流麗な剣さばきです。朝陽に剣筋がきらめいて見えます。白銀。ただの白ではない輝き。


「……綺麗」

 わたくしの目には彼女だけが色づいて見えます。美しく想うのは自然なことでしょう。白銀と黒髪。黒が黒に見えることが好ましい。


 祈るように指を組んでじっと見ていました。何度か「綺麗」とつぶやいたかもしれません。わたくしにとっては動く絵画を見ているようで、特に今日はひとつに結んだ髪も印象的で――。


「……リベラ」

 感傷に浸っていると、いつの間にかマノリア様が歩み寄っていました。

「どうかしましたか」

「別にいいんだけど……。わざと?」

「……?」

「ほ、褒めてくれたから」

「聞こえていたのですね」


 獣人族の鋭い五感にまで考慮が及んでいませんでした。

「聞こえるとは思わず。純粋に感想を」

「う。そう……」


 マノリア様の紫の瞳が気まずそうに右往左往します。しばらく逡巡してから、意を決したように言いました。

「その首を傾げるのも、わざと?」

「……? いえ?」

「そう――だよね。そうだと思ってたけど。あのね」

 さらに逡巡する雰囲気。


「ゆっくりお話しましょう」

 切り株の隣に、持ってきていた敷布を広げました。


「……わかった」

 立ちっぱなしだったマノリア様がそこに座ります。


 切り株はごく低いもので、脚を斜めにそろえて投げ出して座っています。マノリア様がわたくしの隣で膝を抱えて座りました。肩を寄せると、顔を上げてくださったので、返答のように微笑んで。


「……あのね」

「はい」

「獣人族は耳が良いの、知ってるでしょ。だからリベラとは感覚が違う……。わかってほしいことがひとつあって」

「ええ」

「私たちは、首を傾げて耳をすませばそばにいる人の心臓の音まで聞こえる」

「それは、すごいですね。初耳です」

「……うん。だからそうしたら……、その、家族とか……好きな人が……。喜んでくれてるかどうか、聞きたいってことなんだよ」

「……?」


 首を傾げる。

 すると相手の高揚感が伝わる。

 ということでしょうか。わたくしにとっては想像できない感覚ですが――。


「私以外にはしないでね」

「かしこまりました」

「私には……し、していいけど。でもすごく……。リベラにとってはなんでもないことでも……。どうしても嬉しく思ってしまうから」


 頷きました。

 マノリア様は膝を抱え直して、鼻先を埋めています。いたいけな仕草です。


 ですから――その肩に触れたくなりました。

「……?」

 中腰で立ち上がり、マノリア様の至近に座り直しました。片手で肩に触れて、もう片方の手で頬を撫でて。


「聞きますか?」

「何を――」

「心臓の音」

「今言ったよね。それって特別な相手に――」

「わたくしは特別ではありませんか」


 見つめ合ったまま何度か頬を撫でました。この手のひらにマノリア様が頬を押し付けたなら、首を傾げたことになるでしょう。


「ほら。どうぞ」

「……っ」


 胸が高鳴るのを感じます。瞳も少し潤んでしまっていると思います。ずっと見つめていられそうな端整な顔立ちを視界に捉え、手のひらを受ける姿勢に。


「本当に……、絶対。私以外にしちゃだめ」

「……」

 応えずに待ちます。


 マノリア様の瞳が切れ長の形になって上目遣いに私を。甘えるときもそうでないときも上目遣いなのに、紫の瞳の表情は常に違います。今は少し不満そうに見えます。

 マノリア様の仕草は可愛らしいものですが、造形自体は美しい、美人と呼ばれる類のもの。真剣な表情で見つめられると逃げ場がないような気持ちになります。


「……聞くよ」

 宣言され、心臓が余計に強く脈打ちました。

 トッ、トッ、トッと耳の奥で血流の音。


 手のひらに頬が押し付けられて。狼の耳が伏せられてから、わたくしを捉えるように動きます。右耳と左耳の微妙に違う角度と動きでより正確にとらえているのでしょう。


「――聞いた。十分、わかった」

「はい」


 細い吐息が漏れるのを聞きました。


「……一回だけ。十秒だけ抱きしめさせて」

 どうぞ、と頷いて体の力を抜きます。途端に勢いよく腕が回され、苦しいほどに抱きしめられました。

 

「いち、に、さん……よん」

 抱き返して背中を撫でます。

「……ご、ろく……、ん……」

 わたくしの首筋に鼻先が当たる感触。なんとなく手が暇になって結ばれている髪の毛をほどきます。


「もう……、あと三秒だけ」

「ええ。あと三秒」

 頭の芯のほうがぴりぴりと痺れます。抱き合って、他は何もしていないのに。


「はぁ……。ふぅー……。うん……、うん」

 肩を優しく押し返されました。

 至近距離で見つめ合って。一度だけ頬ずり。

 数秒。

 今日何度目かの逡巡。


 少し考えて、首を傾げました。

 一瞬の息を呑む気配。それから頬への口付け。


「もう……。頭冷やしてくる。水浴びしてくるね」


 わたくしは、守られていると感じています。

 いえ、少し違うかもしれません。

 大切にされている――。きっとそのほうが正しいでしょう。

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