34 二人の空間
ぼんやりと目を開けると、マノリア様の寝顔がすぐそばに。
まばたきの音ですら起きてしまうことがある方ですから、慎重にゆっくりとまぶたを動かしました。
――穏やかな寝息。
わたくしも体調が芳しくありませんでしたが、あの短剣のせいでマノリア様もずっと気を張っていたようです。
やっと解放された気持ちでした。預けられてよかった。
「マノリア様」
「ん……」
呼びかけで起きはしたはずです。ただわたくしの声のトーンでなんとなく危険がないことを察知して、むずがって甘えているようです。
朝陽が窓から差し込んでいます。ひとつのベッドに二人で並んで寝て。夏ですから毛布一枚で寒くはなく、むしろ暑いくらいなのですが、二人でくるまっていると不思議と心地良く思いました。
「撫でてもいいですか」
「うん……」
曖昧な返事を聞いて毛布のなかの手を動かし、マノリア様の髪に触れました。髪の流れに沿って梳くと、鼻先を押し付けてくれます。
……毛並みに沿って撫でる、という言い方では失礼でしょうか。
「リベラ……」
「はい」
わたくしの胸元でごそごそと動いて何度か唸ってから、やっとマノリア様が顔を上げました。
「……おはよう」
「おはようございます」
朝に強いとか弱いとか、獣人族にはそんな概念すら無いのかもしれません。ぱっちりと目を開けてすぐにいつも通りの瞳になって、ベッドに肘をつきました。
「気分はどう?」
部屋の様子を確認して。
「ずいぶん良くなりました」
返答に耳をぴくりと動かしながら、わたくしを覆うように体を起こします。
身長はほとんどかわりません。マノリア様のほうが少しだけ小柄なくらいなのに、どうすればこんなふうに「守られている」と感じさせられるのか不思議です。
「えっと……昨日は。あの。大丈夫だった?」
「……? ええ」
「そ、そう。……ちゃんと眠れた?」
「はい。よく眠れました」
「…………」
マノリア様は少し気まずそうに視線を逸らし、しばらく宙を上目遣いで見ていました。考え事をするときの癖です。
「じゃあよかった」
考えて何かしらの結論は出たようでした。
「今日も、ちゃんと我慢する」
「何をでしょうか」
「……まだ寝てていいよ。お湯をもらってくるね」
答えずにベッドから降りて、部屋を出ていきました。
「……」
彼女が居た場所があたたかく心地良いので、少し移動しました。体温が高いのでしょうね。
頬を押し付けるとそれがじかに伝わってくるような――。
「あ、そうだ、リベラ――」
「…………」
すぐ帰ってくるのは予想外でした。
「――え」
わたくしがベッドの上で移動したことが伝わってしまったのでしょう。目を丸くしています。
「……すみません。こちらのほうが暖かくて」
「う、ううん。大丈夫……。リベラが良いなら、それで。また暖める……じゃなくて。朝食は食べられそう?」
「軽いものなら」
「わかった」
マノリア様が部屋を出て今度こそ階下に向かったようです。わたくしも頬が少し熱いです。
お互いの体調が元に戻るまで、しばらくこの里に滞在することにしました。交通の要所ではないのですが、商隊が農産物の買い付けに訪れることは多いようで、ひととおりの施設は揃っています。ひとえにこの里を治める神殿の手腕でしょう。
ゆっくり朝を過ごしてから、旅の神官と護衛の剣士といういつもの立場で里を散策することにしました。
「見晴らしの良さそうな――あの塔の上に行ってみたい」
「わかりました。グウェンさんにも聞いてみましょう」
里の地形や構造を把握したがるのはマノリア様の軍属時代の癖のようです。
許可を得て二人で石造りの塔を上っていきます。見張り台として作られたものでしょう。
「もともとは神殿の荘園だったようですね」
この古い塔は荘園でしかなかった頃に作られた見張り塔のようです。荘園は今では里と呼べるくらい広くなったといったところでしょうか。
「いい景色」
「ええ」
二人で最上階まで上りました。東西南北を順々に眺めます。
マノリア様の横顔。真剣な眼差しが里を見下ろしています。きっと頭のなかで地図を作っているのでしょう。
邪魔をしては悪いかと思い、話しかけるのではなく手を握ることにしました。
「……?」
まず手の甲だけを当てて。
すると視線をこちらに向けてくれたので、見返して小首を傾げます。
「……もう」
すると手を握ってもらえました。それに応えて、時間をかけて指を絡めていきます。
一本ずつ。ほどいて組ませて。指の股を合わせて。マノリア様の指の爪を、わたくしの指先で撫でます。つるつるとしていて心地良い。
「リベラって、けっこういたずら好きだよね」
「そうでしょうか」
「……うん」
手持ち無沙汰なことが伝わってしまったかもしれません。
東西南北をしっかりと確認し終えてから、マノリア様はわたくしと向き合ってくれました。
「リベラの故郷は、どっち?」
「東のほうです。商いが盛んな国」
マノリア様の故郷はずっと北。雪深い山間の武力の国です。
うん、と頷いてマノリア様が遠い目で東を見ていました。しばらく。
「あ……、ずっと立たせてた。ごめん。座ろう」
「お気になさらず」
二人だけの時間。
里の人たちの声や風の音はときどき聞こえてきますが、ほとんど静かです。
「リベラ」
「……?」
ここではマノリア様の声がよく聞こえると思いました。それから声が好きと言ってもらったことを思い出しました。
「あのね」
どうしましょう。
わざとらしくなってしまうと恥ずかしくはあるのですが、しっかりとお返事することにしました。
「どうしましたか、マノリア様」
「……うん」
心なしか喜んでくれたように思います。
「あのね……ヴェール、とっていいかな?」
「? ええ。どうぞ」
何か気になることがあるのでしょうか。
隣に座ったマノリア様がわたくしの神官のヴェールをとるのに任せます。顔の前が明るくなり、しまわれていた髪の毛が解放されました。。
「……髪にさわりたくて。いい?」
「かまいませんよ」
マノリア様の手が伸びてきます。頬の近くの髪を少し持ち上げてから、指に挟みました。癖っ毛。触れられると茶色だったことを思い出すことができます。色のある世界――。
「髪も好きだよ」
「……」
髪“も”と言うからには、わたくしが自分の声を意識したことに気づかれていたかもしれません。
そのような自意識は、まったく無意味なものですが。
塔の上、二人の空間で午後を過ごします。日が暮れていくなか、マノリア様は飽きもせずわたくしの髪で遊んでいました。
「ふれてもいいんだ……」
噛みしめるようにつぶやくのを聞いていました。




