29 神様から隠すように
二人して寝入ってしまって。夜中に一度だけ目を覚ましたのをなんとなく覚えています。
「あ……リベラ」
わたくしが目を開けるのと同時にマノリア様も目を覚ましたのがわかります。旅と従軍の性なのか、浅い眠りを細かくとる方ですから。
「あぶないよ」
「何が……?」
「……。わかんないけど。何かあったら」
「……はい」
わたくしの答えはほとんど寝ぼけていたはず。この記憶もおぼろげなものです。二人ともまどろんでいたのでしょう。
「私が守る」
マノリア様がわたくしの背中側にまわります。
そして――横になったまま、後ろからわたくしを抱きしめてくれました。
抱きしめて、抱きすくめて。
何度か確かめるように。
背中に頬ずりして。
柔らかい感触がぴったりと、肩甲骨、背中、腰、お尻、太ももの裏にくっついています。まるで狼の群れがそうするように、体を寄せ合って。わたくしを包みこんでくれました。
「……暑くない?」
「ぜんぜん。心地よく思います」
「よかった」
安心感。そしてそれ以上の甘い感覚で眠気に浸された頭の奥が痺れます。
守られていることをこれほど強く実感したときはありません。腰に軽く手が回されています。首元に吐息も感じました。
背中すべてを包まれるのがこんなに心地良いなんて。
「このまま……朝まで。それがいちばん守りやすい」
「はい」
マノリア様も半分以上は眠ってはいますが、体温で触れているところから獣人族の鋭敏な感覚が伝わってくるかのようです。
わたくしも空気の流れを感じました。窓から見える月明かりの粒と波も。銀と金の間のその色も。
世界から――。
いいえ、もしかするとわたくしの信じる神から。
わたくしを隠そうと思ったのかもしれません。
それは妥当であるようにも思いました。初めて唇を交わした夜は特別なものです。
腰に回されている手を包み、指を絡ませます。指の一本一本を深く。指の股の敏感さを味わいながら。
甘く蕩けた眠気と感情に包まれて。
――それから夜が開けて、早朝。
わたくしが目を覚ますとマノリア様は既に身支度を整えていました。腰には剣も携えています。
「起きた? あの、私、朝の鍛錬に行ってくる」
「……? ええ。わかりました」
今までは受けたことのない報告です。マノリア様はいつもひとりで起きてひとりで出かけていました。たまたまわたくしが起きていることもなくはなかったのですが。
「……おはよう」
「おはようございます」
「えっと。行ってくる」
おずおずとした挨拶。言うタイミングを間違った、けれど言いたいというような。
「少し待ってくださいね」
「……う、うん」
「朝の祝福を」
「…………」
マノリア様が一瞬上目遣いになって、じっとわたくしを見ます。もしかすると、祝福でないほうが良かったのかもしれません。
……けれど、それは特別で無意味なものですから。
「今日のご加護があらんことを」
マノリア様の右手を両手で包みました。
「……わかった」
すると驚くほど素直な声を聞くことができました。
包まれた手をじっと見つめ――それからわたくしに微笑んでくれました。
こんなふうに笑う方だったのですね。
笑顔を見るたびに新鮮に思います。控えめに口角を上げて唇の朱。正面からわたくしの目を紫の瞳がしっかりと見て。長く黒いまつ毛を瞬かせて。少し困ったように。
「行ってくる。ありがとう」
「いいえ」
ありがとうとまで言わせたことに少しだけ胸が痛みました。しかしそれも甘い感覚に変わってゆく。
わたくしは良くない感情を持て余しています。
昼過ぎから村の方に二度目の説教を。皆、真剣に聞いてくれています。また村の子供達はマノリア様の剣に興味をもったようで、よく懐いていました。
それから村の近くの山にどうやら大きな熊が徘徊しているらしいという話をうかがいました。明日、村の猟師と共に二人で探しに行くことになるでしょう。
「私もリベラの役に立ちたい」
「もちろん、役に立っていますよ」
昨日と同じ、ベッドがひとつだけの部屋。
早朝に発つ準備を整えています。
一通りのものを揃えてから――。
わたくしはベッドに座って、いつものように言いました。
「おいで」
「……っ」
隣に重みが訪れるのをゆっくり待ちます。肩と頭も寄せて。手を繋ぎ、腕を絡めて。
その状態でどれくらい過ごしたでしょうか。
「……ふれていい?」
甘えた口調。
ヴェール越しに見る瞳が揺れています。
「どうぞ」
答えながらわたくしの胸裡も甘く締め付けられるのを感じました。
「本当は、良くないのかもしれない」
「なにがでしょうか」
「こうやって、ふれて……」
数秒の逡巡。
けれどマノリア様はわたくしの目を見てはっきり言いました。
「……リベラを独り占めしたいと思うこと」
わたくしも数秒の逡巡。
「……構いませんよ」
「え――」
「想っていてください。いくらでも」
同じようにはっきり返しました。
ヴェールを脱いで傍らに置き、マノリア様の瞳を見返します。
ああ、今日もあなただけが色づいている。
「この身は神に捧げられたものですから」
「……でも、だから。私は」
「ですから、安心してください。想いをくださいますか?」
「どういう意味――」
「神に勝るほどの想いを。そうすればいずれあなたのものになるかもしれません」
マノリア様の瞳のなかの光が瞳孔に沿ってゆっくりと回りました。きっと潤んだせいです。瞳の上の涙の量が変わって。
「……わかった」
「はい」
「リベラのことが好き。今は神様に勝てないけど。それでいい」
「――ありがとう存じます」
「勝てないんだもんね。だから……好きって、言ってもいい。そういうことだよね」
マノリア様が身を乗り出して。
わたくしの肩に肩を触れさせながら。
「相手は神様だもん。かなわないよね。だからいくらでも」
「ええ」
「すき、すき、すき。……すき」
「……」
「……やっぱりだめ。言い過ぎたかも。忘れて」
わたくしは悪い神官なのでしょう。
それでも手放したくない想いがあります。
マノリア様の手をとりました。
両手で優しく包んで。
失礼ながら、そうすればまるで子狼のようにおとなしくなることを朝に知っています。
両手で包んだまま顔のそばに持ってきて、頬ずりしました。
「あ……」
細い声が耳に心地良い。
衝動のまま、親指の付け根に口付けます。
一度では満足できませんでした。ですから二度。
もう夜ですから。祝福は明日の朝にいたしましょう。今したくちづけは無意味なものです。




